ベルリン トレンド
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2025.12.20 10:00
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先月、ベルリンの地下鉄でドイツ連邦軍が実際の車両を用いて行った破壊工作員への対処を想定した演習の画像、地下鉄で未知のクリーチャー相手に戦って酷い目にあった部隊感が出ていて非常に良い https://t.co/tQ55FleSWy December 12, 2025
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ベルリン生まれベルリン育ちの彼だが「「このクソつり目野郎!」私はこの言葉を、人生の中であまりにも何度も聞いてきた。それは一度でも多すぎる。週末、私は路上で侮辱され、暴行を受けた。ただ、私が私の見た目をしているという理由だけで。それは純粋な人種差別だった」とコメント。 https://t.co/0D8CxRF6fb December 12, 2025
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ラジオスイス/クラシック
エンゲルベルト・フンパーティング - 童話オペラ「眠れる森の美女」序曲🎼(カール・アントン・リッケンバッハー指揮バンベルク交響楽団)
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エンゲルベルト・フンパーディンク(Engelbert Humperdinck, 1854年9月1日 - 1921年9月27日)はドイツの作曲家。
生涯
1854年、ラインラントのジークブルクに生まれる。1872年にケルン音楽院に入学してフェルディナント・ヒラーに師事。1876年に奨学金を得てミュンヘンに行き、フランツ・パウル・ラハナーと、後にヨーゼフ・ラインベルガーに師事。1879年にベルリンよりメンデルスゾーン基金を得てイタリアに行き、ナポリでリヒャルト・ワーグナーの信頼を得る。ワーグナーに招かれてバイロイトに行き、1880年から1881年の間《パルジファル》の上演を輔佐する。
再び学資金を得て、イタリアからフランス、スペインを旅行し、2年間バルセロナのリセウ高等音楽院で教鞭を執った。1887年にケルンに戻り、1890年にフランクフルト・ホーホ音楽院の教授に就任、シュトックハウゼン声楽塾の和声法の教師も務める。この頃までに、フンパーディンクの合唱曲や管弦楽曲が流行り出す。1900年にベルリンに行き、マイスターシューレの作曲教授に任命される。
作品
今日では《ヘンゼルとグレーテル Hänsel und Gretel 》のみが有名だが、この他にも《いばら姫 Dornröschen 》や《王子王女 Königskinder 》、《いやいやながらの結婚 Die Heirat wider Willen 》などのメルヘン・オペラを作曲している。《王子王女》においてはシュプレッヒゲザングが利用され、アルノルト・シェーンベルクに先鞭をつけている。
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おはようございます。☁
茶ピアイベント用徳用茶。
フルーツプロテイン(ホエイプロテインコンセントレート・塩・VC・重曹・クエン酸・スギナ・ブルーベリー・バナナ・みかん・りんご)
6時間30分睡眠。夢は起きたらすっかり忘れてしまった。(0ω0) December 12, 2025
オノ セイゲン Presents <映画の聴き方> Vol.6「Eno」ブライアン・イーノの偉業 美術キュレーター藪前知子さんとトーク
80年代に何度も通った(冷戦下の西ベルリン)ハンザトンスタジオの詳しいは話はいずれどこかで。
https://t.co/sfItjgELUr December 12, 2025
【ご報告】
この度、私はシリアの首都ダマスカスに移住しました。電気は4時間に一度しか来ず、家の中でもダウンジャケットを着て寒さを凌ぎ、街にはまだ無いものばかり。正直に言えば、不便で厳しく、決して楽な生活ではありません。国がそうであるように、私の暮らしもまた、マイナスからの出発です。
それでも、自由を手にしたシリアに生き、人々と共に新しいシリアを築くことは、私の10年以上の夢でした。
アサドなき今、私がこの地を拠点にしない理由はありません。これは選択ではなく、私の覚悟です。
これからは、自由なシリアでSSJの事業と執筆にすべてを注ぎます。執筆については、もう少しお待ちください。それは、アサド政権の「絶滅収容所」に関する私の研究と活動、全てを懸けた、集大成の仕事です。そして、シリアに生きる者としてしか出来ない発信を、現地から続けていきます。
私が暮らすダマスカスは旧アサド政権の牙城だったため、アレッポのような壊滅的破壊は免れました。しかし車で5分も走れば、破壊されたジョーバルの瓦礫が広がります。私は、その傷跡に最も近い場所に新居を構えました。この国が味わった痛みを、決して忘れないために。
政権崩壊から一年。街には、失われた時を取り戻そうとする人々の息吹があります。祖国に誇りを持ち、尊厳とアイデンティティを取り戻し、困難の中で国を造り直そうとする燃えるような意志。この歴史の只中に立ち会えることほど、光栄なことはありません。
だからこそ、倭国で一部のメディアや研究者、ジャーナリストが、新シャラア政権を「少数派弾圧」や「イスラム過激主義」と決めつける、事実無根の言説を広めていることに、私は強い憤りと失望を覚えます。
私は新政権を無条件に称賛するつもりはありません。問題も承知しています。しかし、民主主義や国民融和、人権尊重、治安回復、外交努力、そして国をまとめる統率力に触れず、不確かな情報で煽る言動は、シリアの再生を妨げる行為です。それは、再出発しようとするシリアの人々の意思を踏みにじるものです。
12月8日。アサド独裁政権崩壊から1年。
私はこの目で、数十万のシリア人が街に溢れ、勝ち取った自由を分かち合い、誇り高く革命の旗、すなわち新しい国旗を掲げ、「顔を上げなさい。あなたは自由なシリア人だ」と歌う、歴史の瞬間を見ました。
宗教も、出自も、年齢も、性別も超えて、そこにあったのはシリア人としての団結だけ。私が住むクリスチャン地区でも、クリスチャンとムスリムが手を取り合い、解放を心から喜んでいました。そう、シリア人は一つ。その精神は、革命が始まった2011年3月から、揺らいでいません。
この日を夢見て命を差し出した殉教者たちを想い、私は、溢れる涙を止めることが出来ませんでした。
私が信じているのは政権という構造ではありません。信じるのは、新しいシリアを信じる民衆であり、この国を解き放った偉大なるシリア革命です。人々は言います。「もし道を誤れば、また革命する」と。私は、そんな不屈の人々と共に生き続けます。
そして、6年間暮らしたドイツ・ベルリンには区切りをつけました。独裁に抗い、活動家や人権団体と連帯して闘ってきた拠点です。ヒトラー政権下の学生抵抗運動やベルリンの壁への抵抗、権威主義を憎む「レジスタンス」の歴史から、私は研究者としても一人の人間としても多くを学びました。ベルリンは今の私を形作る、かけがえのないもう一つの故郷です。
この決断を支えてくださったすべての方々に、心から感謝します。倭国の支援者の皆様、SSJの仲間、家族、そして移住のために尽力してくださったシリア緊急事態・災害対策省ラエド・アッサーレハ大臣。
ダマスカスに来て3週間。新天地、それもマイナスから始まるシリアでの生活は、試練の連続です。
それでも朝、小さなガスストーブでシリアのコーヒーを淹れ、窓から差し込む朝日と、青く澄んだ自由の空を見上げるその瞬間。私は、亡くなった友人たち、革命の殉教者たち、絶滅収容所に消えた魂に、静かに語りかけます。
——私たちは、ついに勝った。あなた達の鼓動は、今も私の中で生きている。
シリア。
長く、暗く、孤独な10年を越えて、私はついに愛する祖国に帰ってきた。
私の心に不安はない。あるのは、言葉に出来ないほどの、あたたかさと覚悟だけだ。
この10年、私を支えてくれたシリアの兄妹たち。私を本当の息子として愛してくれた、革命と絶滅収容所の殉教者の母親たち。あなた方への愛と忠誠は、生涯変わることはありません。
私は、殉教者たちが夢見たシリアを、この手で現実にするために、これからも全力を尽くす。決して立ち止まらない。屈しない。諦めない。彼らの血と希望を胸に、顔を上げ、誇り高く、この革命の続きの道を、この先10年、20年、30年、息の続く限り、私は歩き続ける。
ただいま。
私の、愛おしいシリアよ。 December 12, 2025
バイト前の昼飯タイムにアルブレヒト&ハンブルク国立フィルでペッテション第7交響曲を聴く。商業用には無いがベルリンフィルともやったとか。しっかし読響ってたまに意外な指揮者を呼ぶ時あるよね。この御方だって常任指揮者やってたし、名誉指揮者見るとテミルカーノフとロジェストヴェンスキーて。 https://t.co/R98rDW8O2D December 12, 2025
🏠今日はThe Berlin Apartment🏠
舞台はベルリンのとあるアパート。
めちゃよさげなゲーム見つけたのでまったりやる!
みんなは自分の家に今までどんな人が住んでたかとか気にしたことありますか?
22:00~
https://t.co/p7KOeUoFaz
#あっぱれ配信中 https://t.co/qVsH78Jnch December 12, 2025
『なnD 12』は、いまを生きる総勢70名以上の多様なひとたちの、小さな語りが織りなすタペストリー。140頁。私も今夏に行ったベルリンの印象をちょろっと書きました。ユダヤ博物館、パレスチナ、KW(クンストヴェルケ)……。ぜひ年末年始の読書のおともに。通販も多少あり。https://t.co/3BBRP4JJCM https://t.co/V2xBcMeoiF https://t.co/Vvc8EfGZMb December 12, 2025
#要約 https://t.co/yyJePijDj4
中国はウクライナのために声を上げることがあるのか?|BBCウクライナキャスト
・今週のベルリン会談以降、欧州側は戦争終結への楽観を強めている。米国が「プラチナ基準」と呼ぶ安全保障案の進展が示され、多国籍の抑止部隊を西部ウクライナ(例:リヴィウ周辺)に置き、米の情報・後方支援や隣国側からの航空支援でウクライナ正面の部隊を自由化する案が検討されている。ただし領土問題に解決はなく、ロシアは米軍やNATO部隊のウクライナ駐留を事実上拒否しており、提案が実務化するかは不透明である。
・米国では対露政策をめぐる見解の相違がある。大統領の立場は日によって揺れ、タカ派や経験不足の外交担当者らが混在するため政策は流動的だ。上院の防衛関連決議は大統領と一部対立しており、欧州防衛に対する米の関与継続を示す動きもあるが、孤立主義的な圧力も根強く、同盟側の不安は残る。
・戦場と世論の現実は変わっていない。ロシアはドンバス全域の要求を譲らず、ウクライナは憲法手続きを踏まなければ領土放棄が困難であり、前線の要衝を失えば首都防衛に深刻な影響が出ると見られている。ロシア国内では「戦争終結」を望む声がある一方で指導層への支持も根強く、情報統制や経済対策で政権基盤は維持されている。空戦はミサイル・ドローンが主で、配備されたF‑16などは迎撃に貢献するが維持管理が課題である。中国はロシアの主要な石油・ガス買い手であり、軍事に転用可能な技術面の供給でも重要な役割を果たしている。 December 12, 2025
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