パリ トレンド
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2025.12.15 03:00
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パリのど真ん中を歩いていて、びっくりするほど倭国人観光客をみない。まさかと思って為替レートを調べてみたら恐ろしいことになっていた。(僕は普段はドルでの換算で円を気にしていないから気が付かなかった)😑 https://t.co/5dXefmisma December 12, 2025
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今日14日はジェーン・バーキンの誕生日。昨日、2023年に亡くなった彼女を讃え、パリ10区と11区を結ぶサン=マルタン運河の「ジェーン・バーキン歩道橋」が開通。式典には娘のシャルロット・ゲンズブールとルー・ドワイヨンが出席し、「母は橋になる」という言葉が静かな感動を呼んだ。 https://t.co/B7r8EeFrWC December 12, 2025
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とりあえず調べること
①5月🇯🇵✈️
②映画館借りれるか
③おパリの✈️とホテル
まだ行く予定ないけど、一応さほらパリ行きたくなるかもじゃんか!
マリランドとグランメゾンパリごっこするかもだし🥰 December 12, 2025
生ごみ乾燥機のパリパリキューブ、めっちゃコンパクトで静かだって!うちも欲しいかも〜♪
【取説付】島産業 生ごみ減量乾燥機 パリパリキューブライト PCL-33
https://t.co/HFwMp5xxGo December 12, 2025
@19asor94 定刻とは……1時間くらい誤差なのかも。
とりあえずこの子、さっきパリを出発しました。どう見ても今の段階で1時間半くらい遅れてます😇 https://t.co/ECEQkMFAjq December 12, 2025
パリのクリスマスマーケットは基本食事系なのであまり散財しないんですが、ドイツはヤバすぎた!!
かわいいオーナメント買いすぎたw
ドイツ大好き🇩🇪 https://t.co/rgKRj2SfcA December 12, 2025
生ごみ乾燥機のパリパリキューブ出品されてる!コンパクトで静かそうで超欲しいんだけど…我慢我慢😂
【取説付】島産業 生ごみ減量乾燥機 パリパリキューブライト PCL-33
https://t.co/CCZUYr4Gmr December 12, 2025
パリ最後のデジュネは、ビストロでタルタル・ドゥ・ブッフを頂きました。今回のパリ滞在でまだ食べていなかったので食べられて嬉しいです🥰 https://t.co/xSwbS6QQWP December 12, 2025
@3jpMaria ハイ(^^)🌸
春を待ちわびながら
頑張っていきましょう🤗
お母様がよくなる事を願っています🙏
パリのクリスマスマーケットや
アルザス地方のワイナリー等
ワクワクするような素敵な動画ですね🎄✨
ありがとうございます🥰✨
アルザスワインを探してみたくなりました🍷 December 12, 2025
土井敏邦氏の「新・ガザからの報告」(94)にイスラエルがガザ南部のラファ検問所について「出国を認めるが、帰還は認めない」と発表したことについて、自称「ガザ在住ジャーナリストM」が「人びとの間に希望が芽生え始めている」と書き、出国できることがガザ民衆の希望のように書くが、重大なミスリードである。世論調査によると、ガザの民衆の多数は過酷な状況でもガザに残ることを希望しているのに、そのようなガザ民衆の思いを無視している。
Mはイスラエルの発表について、「それは小さな希望であって、大きな希望ではありません。現時点では、まだ多くの障害がある」として、障害の第1は「誰もネタニヤフを信用していません。彼は約束を尊重し果たすような人間ではない」と、ガザからの「(一方通行の)出国」を実施しないと考えるとし、第2の障害は、エジプトが「一方通行」に反対しているとする。
この文を読めば、ガザの人々は「一方通行」であれ、ガザからの脱出できることに希望を抱いている、と読むことができる。しかし、実際には、ガザの民衆の過半数は過酷の状況でも移住を拒否し、ガザに残りたいと考えている。
パレスチナ独立系調査機関「パレスチナ政策調査研究センター」が今年5月に実施した世論調査で「ガザからの移住」について「移住を望まない」は56%で、「移住を望む」は43%である。土井氏の「ガザからの報告」は、「ガザに残りたい」という思いや、病気治療や留学のために「海外に出てもガザに戻りたい」という、移住を拒否するガザの多数派の声を無視している。
ラファからの「帰還を認めない一方通行の出国」は、ガザからの住民排除や「自主的集団移住」を画策してきたネタニヤフ政権の戦略であり、ガザ住民がガザから出ていくことだけなら、ネタニヤフ首相は喜んで検問を開放するだろう。その点で、ガザ住民に疑いはないだろう。イスラエルの軍事圧力の下で「移住を望む」人々は、この2年間の破壊によってガザが住むことができなくなったために移住すると答えているわけであり、そのような過酷な状況でも住民の半数以上が「移住しない」と答えているのは、驚くべきことである。
現在、倭国でも公開されているガザの女性ジャーナリスト、ファトマを描いたドキュメンタリー映画『手に魂を込め、歩いてみれば』で、携帯で連絡をとっているパリ在住のイラン人監督がファトマに「ガザを出るか」と問うと、彼女の答えは「出ない。ガザが私を必要としているから」というものだった。
イスラエルによるジェノサイドの下でガザからXで状況を発信してきた若者の投稿をまとめた「オマルの日記ーガザの戦火の下で」は次のようなくだりがある。
<戦争が終わり、いろいろな物資が搬入できるようになって、僕たちが生き延びていれば、僕は5年でみんなにガザを案内してみせる。その時はどこもかしこも美しい眺めだろう。様々なすてきな場所 を見せてあげよう。奴らが破壊し焼き尽くした家々をすべて、元通りに再建するんだ。あれ以上に美しいものはいらない。ガザをかつての姿に立て直す。僕たちの心臓は鋼でできている。あなたが想像もできないものに耐えてきた。その同じ心を注ぎ、僕らはあらゆる手段でガザを再建する。>
ファトマもオマルも、親ハマスではない。Mも土井氏も「ガザからの報告」といいながら、イスラエルの「帰還なしの出国」に反対するガザの民衆の多数派の思いをなぜ、伝えないのだろうか。 December 12, 2025
@chokocgan そうか。手話を活かしたいなら議員じゃなくていいな。
障害のある息子いるのに不倫にパリ旅行してたんだからな。
絶対にっ!次落とさないといけない税金泥棒 December 12, 2025
🇫🇷クロワッサンは、いつパリに登場したの?
① 最初の出会いは19世紀のパリ
1837年から1839年ごろ、パリ9区・リシュリュー通り92番地に、オーストリア人のアウグスト・ツァングと
エルネスト・シュヴァルツァーが「ウィーン風ベーカリー(ブーランジュリー・ヴィエノワーズ)」を開きました。
そこで売られていたのが、今のクロワッサンの祖先ともいえる「キプフェル」。
まだ「クロワッサン」という名前ではなく、
生地もブリオッシュのようなパンでした。
1850年、辞書の中で初めて「日常的に食べられるパン」として紹介されます。
② 今のクロワッサンになるまで
食文化史の研究者たちによると、現在のクロワッサンが
「フランスを代表するパン」になったのは20世紀以降。
パリのパン職人たちが、キプフェルのブリオッシュ生地をやめ、フランス特有の発酵折り込み生地へと変えたことで、
私たちの知るクロワッサンが誕生しました。
発酵折り込み生地を使った最も古いクロワッサンのレシピは、1906年、オーギュスト・コロンビエの『新・料理百科事典』に記されています。
③ 朝食の定番へ
1950年代以降、
クロワッサンはフランスの朝食に欠かせない存在になります。外国から来たパンが、
いつの間にか「フランスらしさ」の象徴へ。
食の歴史って、本当におもしろいですね。 December 12, 2025
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