映画『あの頃。』 映画
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2025.11.27 01:00
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文学フリマ、ちょこっとだけ行ってきました。
感想を書きます。
純粋に単純に、何十年も前、はじめてオリジナル書いた頃を思い出しました。
今みたいに「なろう」や「カクヨム」「note」みたいなものはなく、いわゆるキリ番ゲットの人は教えてね時代の「ホームページ」に、あてどなくオリジナルを置いていた頃。
二次創作は読まれても、オリジナルは誰も読んでくれなくて、たった一人の読者さんに出会うのは、瓶に詰めた手紙を海に流す感覚だったあの頃。
ある日、一通、メールが来て
「オリジナル、読みました。これだけの長い文章を書き上げるのは大変だったでしょう。面白かったです」
今でもはっきり覚えてる。
そう、誰に読んでもらえるあてがあるわけでもない小説を毎晩少しずつ書いて、それに感想をもらえたときのあの嬉しさを。今でもはっきり、覚えてる。
プロになって二十年以上、40冊以上出してきて、ずっと続けているのは、ファンレターに必ず返事を書くこと。
これだけエンタメと創作が溢れている中で、私の本に出会って感想を書いてくれる事自体、奇跡の巡り合わせだと思っているし、そりゃあ何万何十万と読まれれば嬉しい(それにプロを続けたいなら数百ではどうにもならない)けど、でも、その向こうには必ず膨大な新刊の中から私の本を手に取ってくれた「たった一人の」読者さんがいる。
そのたった一人の読者さんを得るのが、どれだけ大変か、どれだけ有り難いことか、わかっているから。
プロになったらなったで、今度はその中で競争があって、シビアな現実があって、上を見れば果てしなく、下を見るほど上でもなく、思うように書けない自分はただただ不甲斐なく、いっそ創作自体をやめてしまえば楽になれるだろうか、と考えるときはたくさんある。
でも「次も待ってます」と言ってくれる人が一人でもいることは奇跡的なことだと、ものすごく嬉しいことだと、わかっているから、一生懸命書き続けてる。
二十部のコピー本をホチキスで留めてコミケでひっそり売ってた頃。
何万部と売れた本も、立派な装丁のハードカバーも、自著に並ぶようになった今も、「いつかまたコピー本を並べて売るのかもしれないな」という不安はあって、「良かったら見ていってください」と呼び込みながらチラシを配っている人達の気持ちは、いまも痛いほどわかって。
(プロだって極一部の超売れっ子以外は、店頭で良かったら読んでください!!ってやりたいと思うし、Xやインスタやnoteで皆がんばって宣伝してる。そこはアマもプロも一緒。みんな必死で一生懸命)
読書はコンサートや映画みたいに皆で一緒に見れるわけじゃなく、工芸品のコレクションのように並べて誰かに見せることもできない。
文字を追いかけている時は、一対一の、たった一人の時間。
何百万部売れた本も、文フリで数冊しか売れなかった本も、読んでいる時は、本と読者しか存在しない空間。
とても孤独で孤高で平等で対等な時間。
文学は、孤独と隣り合わせの友人。だからこそ、心に寄り添ってくれる友人。
「これだけ売れた」という数の優劣は、本質的にはあんまり関係ないと思ってる。
でも「読んでもらえること」の嬉しさは、知っているから。
一つでも多くの作品が、一人でも多くの「それを求めていた人」の手に渡るといいなと、思いました。
そして、プロとしてはいつも「今の売れ線」「数字」「一人でも多くの」と常に考えるけど、
「たった一人の何処かにいる誰か」のための小説も、心の赴くままに、いつか書きたいなと思いました。
#文学フリマ November 11, 2025
1RP
「……うん」
遠い遠い昔の記憶。昼間暑い砂漠でも夜はそこそこに冷え込んで、姉と身を寄せあって眠った。朝には焚き火は消えていて、姉の温もりだけがあったあの頃。人の温もりを感じて眠るのは久しぶりで、やっぱりあったかい。 November 11, 2025
おいおいどうなってんだ。
「絶対おかしいって……」
水槽内で悠々自適に泳ぐ🦅のそばで遠い目をしては見守る☀️。水槽内に降り注ぐ照明が乱反射して起こす輝き、それを受け止める射干玉の身体は非常に美しく、当然思い出すのは幼いあの頃。
偶然にも見た、魅せられた🦅のショー。 November 11, 2025
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