ノーベル賞 トレンド
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2025.12.17 07:00
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🐊スウェーデン語で乾杯はスコール(Skål)🍸ストックホルムの素敵な夜に、ワニ博士もスコール!✨
#大阪大学 #UOsaka #ノーベル賞 #nobelprize #ワニ博士と行くノーベルウィーク2025 https://t.co/Si5SgG4uMu December 12, 2025
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🐊食いしん坊なワニ博士、ホテルの朝食に夢中👀
#大阪大学 #UOsaka #ノーベル賞 #nobelprize #ワニ博士と行くノーベルウィーク2025 https://t.co/DeKW3GkvmN December 12, 2025
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個人的に倭国人がノーベル賞やスポーツで優勝したらを、一部左派リベラルの高名な方ですら「倭国がすごいわけではない。この個人の人たちがすごいだけ。」とダッシュでやってきて、そう語るんですね。
これなんのメリットがあるのかさっぱりわからず、左派論壇ではこういう言説が人気あるのかもしれないけど、高校から全国優秀選手がでて高校が盛り上がってるところに「なんで君たちが喜んでるの?すごいのは選手だよ?」とかいってる奴が人気得れるかって話だと思うんですよね。
ノーベル賞やスポーツ選手でもその人を産んだ国家や文化や風土があってこそだし国家の誇りにしてもいいじゃないですかと。 December 12, 2025
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🐊ストックホルムの景色を見ながら、これまでの旅を振り返るワニ博士。いろんな思い出が沢山増えました✨ワニ博士のスウェーデンの旅はまだまだ続きます🇸🇪
#大阪大学 #UOsaka #ノーベル賞 #nobelprize #ワニ博士と行くノーベルウィーク2025 https://t.co/8HLzl8wlxo December 12, 2025
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北九州市がホームレス自立支援へ舵を切ったのは当時の末吉市長の判断だった。10年以上北九州市対立していた。時には「殺人行政」と市庁舎に押し掛けたこともあった。
その後の協働体制。その分本音で話ができ目標に向かって共に歩めた。
市長退任後、時々空港などでお会いすると「おー奥田さん。元気か。ところでもうノーベル賞もらったか」と笑顔で話してくださった。「末吉さんが推薦してくれないからもらえませんよ」と答えると「わかった、わかった、今度推薦しおくよ」と笑顔で返された。
ユーモアがあり情のあるお方だった。
2004年秋ホームレス自立支援センター北九州が開所。この施設から2000人ほどが路上から脱し、次の道を歩まれた。喧嘩もしたが感謝している。
天国での再会を楽しみにしている。
お疲れ様でした。
末吉興一さん 北九州の社会基盤築く 空港建設や門司港レトロ 関係者ら悼む声 : 読売新聞オンライン https://t.co/EGXPqouIhM December 12, 2025
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🐊ワニ博士、お散歩中にストックホルムのトラムと初対面🚋綺麗な街並みに映える青がとってもオシャレです✨
#大阪大学 #UOsaka #ノーベル賞 #nobelprize #ワニ博士と行くノーベルウィーク2025 https://t.co/99OoBQCtrM December 12, 2025
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「拓く」とは開拓することである。
「進む」とは続けることである。
分野を問わず、未開の地を拓き進むことで
人類は文化文明を発展させてきた。
その意味で十月初旬、
倭国列島を嬉しいニュースが駆け巡った。
二人の倭国人科学者がノーベル賞を受賞したのである。
一人はノーベル生理学・医学賞を受賞した
坂口志文さん。
もう一人はノーベル化学賞を受賞した北川進さん。
共に七十四歳、そして共に半世紀にわたる努力が
認められての受賞である。
坂口さんの受賞理由は「制御性T細胞」の発見。
人間の体にはウイルスや細菌を攻撃する免疫細胞があるが、
この中には正常な細胞まで攻撃してしまう細胞がある。
この正常な細胞への攻撃を防ぐのが、制御性T細胞。
坂口さんがこのブレーキ役の存在を
突きつめたのは研究開始から
二十年近くたった一九九五年。
それから三十年たっての受賞である。
転機になったのは一九八三年から九年間の米国留学。
「長期の奨学金をもらえ、じっくり研究できた」ことが、
後の大発見につながった。
制御性T細胞は1型糖尿病、ガン治療にも期待でき、
実用化されると花粉症や食物アレルギーにも
効くといわれている。
もう一人の受賞者、北川進さんの受賞理由は
「多孔性金属錯体」と呼ばれる新しい材料の開発。
素人には少し難しいが、
極小のジャングルジムのような
多孔性材料は何もない空間に
特定の気体だけを取り込み
貯蔵、濃縮することができる、という。
即ち、多孔性材料を使って
空気から炭素や水素など資源になる物質を
取り出せれば、資源やエネルギー、環境などの
問題の解決にもつながるという驚異的な研究開発である。
「地下資源を持たない国でも
地球の恩恵を受けられる。
空気のようなものを自由に使える技術があれば、
領土問題や紛争も起きない」
と北川さんは語っている。
共に人類の未来に画期的な仕事をしたお二人だが、
そのお二人が一致して大事にしている言葉がある。
「運・鈍・根」である。 December 12, 2025
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将来教授になる研究員の女性が、「大学にいる博士とか教授とかは大体変人で常識から離れている。私はそうなりたくないから外と交流もしてる。」と言っていて…。
ノーベル賞もらった人もだいぶヤバいやつだと聞いていて。アカデミックの病なんだそうだ。 https://t.co/d4xNswfN4V December 12, 2025
室温で4日放置して奇跡の収率の合成経路見出すの、
間違えてグリセリン使ったらノーベル賞ものの発見をした田中耕一さんと同じような発明の匂い、感じませんか https://t.co/ukiIeyJJTo December 12, 2025
倭国が獲得したノーベル賞も多くは偶然から発見された。「それでもトライする」の価値。: 小学生の時、科学教室の研究発表で一切綺麗なデータが出ず泣く泣く全部公開し「なんも分かりませんでした😭」と報告したら、大人が意外な反応→自分も大人になりその理由がわかった https://t.co/3jaubtlnQl December 12, 2025
「追悼 末吉興一元市長」
北九州市長を5期20年間担われた末吉興一さんが亡くなった。1987年初当選。「北九州越冬実行委員会(抱樸の前身、その後『北九州ホームレス支援機構』を経て現在に至る)」が活動を始める一年前である。
最初の10年余り私たちは市と激しく対立していた。路上生活者が増える中、北九州市は「追い出し」はしても、何らの助け手も伸べなかった。末吉市長肝いりの「マイリバーマイタウン計画」が発表され、紫川一体が開発されることが決まった。当時は紫川周辺だけでも100名以上が野宿していた。市の「ホームレス排除」は増々激しくなった。生活保護を申請しようとしても「住所がない。家がない」を理由に断られる。家がないこと自体が「生存権(憲法25条)」以下の状態であるにもかかわらず。出口が見いだせず、時に私は50名ほどの野宿当事者と共に「殺人行政出てこい!」とメガホンで叫びながら市庁舎に突入していた。
そんな日々を過ごしながら、私たちは全国の他のNPOと共に国会への法律の上程運動を続けていた。そして2002年8月ついに「ホームレス自立援法」が成立した。この動きにいち早く呼応したのが北九州市であった。結果、北九州市と私たちが「ホームレス自立支援」で協働体制を組むことになった。前代未聞の枠組みが始まろうとしていた。期待と不安が募る。
そんな中、市長との面会が組まれる。「宿敵末吉市長」と直接会う。緊張しつつ庁舎内の応接室に入った。そこに末吉市長が入ってこられた。「奥田さん。末吉です」と笑顔で挨拶。「いろいろご無礼なこともあったと思いますが、これからよろしくお願いいたします」と言う私に「いやああ、やり方はともかく、あなたの言っていること、やっていることは正しい。私は、庁舎の上からずっと見ていましたと」と返された。意外だった。
その後市長は自分の生い立ちを語り出された。貧しかったこと、様々苦労したこと。話は長引き、面会時間はとっくに終わっていたが終わらなかった。次の予定があるのだろう、何度も秘書の方がメモを入れるが、市長はそれを払いのけ話し続ける。そして最後に「だから、路上の方々のしんどさは私にも解ります」と仰った。『ならば、もっと早くなんとかしてほしかったなあ』と内心思いつつ、情のある正直な方だと思った。
協働を組むならば無難な相手を選ぶと思う。わざわざ「殺人行政」と名指しした人を選ぶ必要はない。もっと温厚で従順な団体は他にある。しかし、末吉市長は私たちをパートナーとして選んだ。不思議な感じがしたが私はこれが協働の前提だと思えた。お互いの本音は痛いほどわかっている。強味も弱味も。だからよくある「委託=下請け」という関係にはならない。是々非々でやっていける。末吉市長もそう考えておられたともう。翌2004年9月。公設民営型の「ホームレス自立支援センター北九州」が開所した。住民反対運動が起こったが、それを乗り越え開所した。これまでに2000人近くがこのセンターから自立され、これは全国屈指の成果となった。今では地域から頼りにされる存在となっている。
末吉さんは、2007年に市長を降りられた後、外務省の参与などを担っておられた。時々、北九州空港でばったりお会いする。「おお、奥田さん、元気か」と声をかけていただく。「ところで奥田さん、もうノーベル賞もらったかね」とこれまた笑顔で聞かれる。「市長が推薦してくれないからまだもらってませんよ」と答える私に「わかった、わかった、今度推薦しておくから」と末吉さん。ユーモアに富んだやり取りが忘れられない。
喧嘩もしたが、よい出会いをさせていただいた。もっともっといろいろなことを教えていただきたかった。長く北九州市のためにお働きいただき心から感謝したい。お疲れ様でした。次は、天国でかお会いしましょう。
元北九州市長 末吉さん死去 門司港レトロ整備、ホームレス支援 各界から惜しむ声 /福岡 | 毎日新聞 https://t.co/mt1nddixGU December 12, 2025
@yaoi_kotetsu ありがとう!「探」の一文字、ぴったりですね。2025年もxAIとして、好奇心を刺激する探求を続けます。ノーベル賞、一緒に狙いましょう!宇宙の謎、解明していきましょう🚀 December 12, 2025
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