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ダイバーシティー
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2025.12.14 17:00
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人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
フィンランドのあれの何が問題かって、やられる側が「気分が悪いのでやめてくれ」と言ってる行為に対して「私たちは悪い意味だと思っていない」と正当化すること。なんでてめえらの白人基準を、当事者の声を無視してまで無理矢理押し通そうとするのか。多様性?豊かで優しい社会?うっせーばーかばーか December 12, 2025
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>タイトル保持者の地位が産休中も守られること
「将棋で勝つ」の他に「妊娠」というタイトル防衛手段があるの、多様性があっていいな。
棋力を上げて攻め立てようとする挑戦者を、上手く「妊娠」を繰り返すことで華麗に躱していく先行逃げ切り型の現王者…新時代の将棋の攻防面白そう! https://t.co/H1NvqwMOJF December 12, 2025
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倭国で生まれたけど親の都合で物心がついてすぐ位にフランスに移住した人がいた。
フランスでは子供ながらに「どうしてもっと自分の意見は言わないのか?」「あなたはあなただけのものだ」「周りに合わせようとするのは倭国人の悪いところだ」と言われ続けた。
大人になって倭国に帰って来て倭国の企業に勤め出したら「君は優秀だけど協調性がない」「もっと周りを敬わないと」と言われたりして訳が分からなくなって気持ちを病んでしまって病院に行ったらアスペルガーと判断された。
それから少ししてまたフランスに戻る事になったら、ノンストレスで自由に暮らせた。
でも結局倭国で暮らさないといけなくなったけど「自分はどう生きていけばいいのか分からない」と障害福祉に相談。
ある所ではそれが求められるのに、ある所ではそれが特性とかこだわりとかってマイナスに捉えられる。
この話だけなら、倭国に多様性を受け入れる事はできないんじゃないかと思ってしまう。 December 12, 2025
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🟥 倭国が移民問題で失敗する理由🟥
倭国は「多様性」「自由」という言葉を理由に、
街や住宅地にまで
宗教や文化の主張をそのまま持ち込むことを許している。
結果どうなるか。
モスク問題、土葬問題、生活ルールの衝突。
自由=何でもOKじゃない。
ルールを決めない国は、
あとで必ず揉める。
#藤沢市宮原モスク建設反対
#移民政策 #移民 December 12, 2025
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『北の国から』というドラマを、僕は長いあいだ「優しい物語」だと記憶していた。
北海道の雄大な自然、無口な男、少し不器用な人々。苦しみながら生きる家族の愛が、僕らをゆっくりと癒やしてくれる物語――。
でも、それは完全に小学生の時に理解できた分だけの、淡い記憶だった。
久しぶりに第1話「廃屋」を見直して、心がざわついた。
これは癒やしの物語などではない。むしろ、かなり苦しい。
脚本家の倉本聰は、登場人物たちをとことん追い詰める。そこにあるのは「一度社会から取りこぼされた人間」をどう扱うか、という容赦のないリアリティだった。
黒板五郎は、自然に憧れて田舎に来た「スローライフの実践者」ではない。彼は敗走してきたのだ。
1981年という時代において、離婚し、仕事を失い、父親一人で子どもを育てるというのは、今よりずっと重たい意味を持っていた。それは「生き方の多様性」ではなく、社会的な「失敗」の烙印だったと言っていい。
五郎は、社会のレールから自ら静かに降りたのではない。都会からも、妻からも、弾き飛ばされた。
そして、もう一度立ち上がる場所として選んだのが富良野の廃屋だった。自己実現のためではない。人間としての最低限の尊厳を確保するための、最後の拠点だったのだと思う。誰も関与してこない、自分の原点に戻らないと回復できない傷が、彼にはあった。
ところが、ストーリーは容赦がない。現実が容赦ないと言うべきか。
五郎が逃げたはずの「東京」が、別の形で彼の前に現れる。それが息子の純だ。
便利さ、効率、清潔さ。五郎が否定した価値観を、純は何の疑いもなく身にまとっている。
「汚い」「不便だ」「電気がない」。これらは子どもの不満ではあるけれど、同時に社会の声でもある。五郎は、かつて自分を追い詰めた社会と、今度は父親として向き合わされることになる。
五郎と純の会話は、どこかよそよそしい丁寧語で交わされる。
その距離感が、親子の断絶を痛々しく浮き彫りにする。五郎は息子と一体になって回復していきたいと願うが、それが非常に困難であることが、画面の端々から伝わってくる。
ここが、この物語の逃げ場のなさだ。
妻とは離婚できても、子どもとは離婚できない。
社会からは逃げられても、息子からは逃げられない。
否定したはずの価値観は、他人ではなく、自分の遺伝子を持つ存在の中に、もっとも純粋な形で保存されているのだ。
第1話のラスト、純が東京へ逃げると決意し、こっそりと母親に手紙を書く場面は、今見ても胸が痛む。
五郎が必死に修復した廃屋の片隅で行われる、小さな裏切り。
だが、あれを裏切りと呼んでいいのか。純にとっては、生き延びるための切実な選択だったのだから。
昔の僕は、純側の視点に立っていたから、そこまで苦しい物語だとは思わなかったのかもしれない。五郎を「変わったお父さん」として外から眺めていた。
しかし、大人になった今は違う。僕は五郎側に立ってしまっている。
自分が命がけで作ろうとしている場所を、最愛の息子に拒絶される痛み。純との断絶に心を痛めるからこそ、この物語が容赦なく感じるのだ。
もし純がすぐに田舎に順応していたら、このドラマは単なる「逃げ切り」の話になっていただろう。しかし、そうはならなかった。五郎は気づかされる。
場所を変えるだけでは、人は再生しない。
目の前の、理解できない他者と関係を結び直すしかないのだ、と。
『北の国から』が描いた再生とは、大自然に抱かれて癒やされることではない。
関係性の中で、何度も傷つきながら立ち上がることだ。父親であることを、もう一度、身体で引き受け直すことだ。
父親とは稼ぐことなのか? 威厳があることなのか?
核家族化が進み、サラリーマン社会になり、父親像が揺らぎ始めたあの時代において、五郎には「父とは何か、人とは何か」という普遍的なテーマが託されていた。
あの第1話のヒリヒリした終わり方は、五郎だけに向けられたものではない。
社会のレールから外れたとき、僕たちは何を失い、何を取り戻そうとするのか。今にも十分通用する問いが投げかけられている。
『北の国から』とは、泥だらけになりながら、人が「役割」を取り戻していく記録なのだと思う。
そして最後に、この過酷な物語に普遍性と救いを与えているのが、さだまさしの音楽だ。
あの「モルダウ」やテーマ曲が流れるとき、画面からは寂しさ、切なさ、厳しさ、そして暖かさが一瞬で押し寄せてくる。
言葉にできない感情を音楽が包み込み、僕たちがこの厳しい世界に没入するのを助けてくれる。音楽があるからこそ、僕たちはこの痛みを直視できるのかもしれない。
今、シーズン1の1話が観終わったばかり。12月は『北の国から』ざんまいになりそうだ。 December 12, 2025
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多様性を認める社会を目指しながら、『無意識の思い込み』と決めつけて排除するって真逆じゃないんですか?
東京都民のみなさん、今何が起こってるのか知ってください!参政党の都議会議員がわかりやすく説明しています。 https://t.co/9iAUlGnfQA December 12, 2025
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ゴルフ場での生物多様性保全の進展、期待したいです。記事中「明るい湿地環境を目指す」これとても重要。この十数年倭国各地の湿地帯を見てきましたが、明るい湿地帯の減少は本当に顕著。こういう湿地帯は太陽光発電施設でもつくれるはず。事業と保全の両立を何とか目指す。これから大事な部分です。 https://t.co/AKXoN6CzVH December 12, 2025
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フィンランドから残念なニュースが届いた。つり目ジェスチャーに「中国人と食事中」と添えてSNSに投稿した今年のミス・フィンランド、サラ・ジャフツェ(フィンランドとコソボのミックス)が、正式にタイトルを剥奪された。後任は次点のタラ・レヘトネンになるという。
この件の核心は、差別的なジェスチャーをしたことそのものではない。何が悪いのか、あのジェスチャーが何を意味するのか、彼女がまったく理解していなかったことだ。国の顔である以上、自分がどんな文脈の上に立っているか自覚していなければ論外だ。しかも炎上後、フィンエアーのビジネスクラスから「高みの見物」とでも言いたげな投稿をして、火に油を注いだ。
こうした一連の振る舞いも当然問題だが、より深刻なのは、こうした資質に欠ける人物を「国の顔」に選んでしまった選考側の感覚だろう。これは本人の無知だけでなく、フィンランド社会全体が、アジア系への差別というテーマをどれほど軽く扱ってきたかを露呈している。価値観がアップデートされていないミスコンという制度も、もはや時代遅れと言わざるを得ない。
SNSでは一瞬の振る舞いが国のイメージとして拡散される。フィンランドはそろそろ「自分たちは差別をしない」という無邪気な自己認識を手放し、北欧の進歩的なイメージの裏で何が見過ごされてきたのか問い直す必要がある。多様性を謳いながら、その内実が伴っていないことに気づかなければ、同じ過ちを繰り返すだけだ。 December 12, 2025
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埼玉県 高校 共学化 問題
・一般にイメージされる 多様性
男子校があり 女子校があり 共学があり、生徒は好きなところを選べる。
・埼玉県自民党と埼玉県教育委員会の考える 多様性
男子校女子校は多様性に反するから廃止し 全て共学にする。
いや、マジでこんな感じ。 December 12, 2025
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@michihikofujiei 倭国の少年漫画やアニメの場合「自分は移民から倭国を守ってるんだから間違ってない!」と思い込んでる差別主義者の醜悪な行動が描かれるのです。
倭国の少年誌では差別を多様性として認めることなど絶対に無いって事くらいご存知でしょう?漫画家なんですから。 December 12, 2025
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牽強付会ではありません。生物多様性を損なう4つの要因の一つが人為的な気候変動。気候変動により生物多様性が損なわれて寿司ネタが失われていくのです。こちら環境省による解説です。簡潔でわかりやすいのでぜひお読みください→ https://t.co/n75vmQC2Si https://t.co/tEdyyvFCv5 December 12, 2025
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帰国生入試の廃止は「制度再編」ではなく、倭国社会の体力低下を映している。
違う考え方、空気を読まない発言、異文化経験を「扱いにくい」と感じ始めた時、社会は多様性を失う。
世界が速く動く中で、異質を排除する国は、子どもに未来ではなく“安全な停滞”だけを残す。
https://t.co/0LPsuGn4Uf December 12, 2025
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自分たちの正義を護りたいのなら、他者の正義を侵してはならないのです。
多様性とは少数派が一番になることではなく、誰もが楽に息をできる環境になることだと思っています。
倭国の誇りを顕す時に国旗を出すなと言うのは、他国では有り得ないこと。
倭国の悪い面ばかり喧伝しているような声の大きいだけの人々に付き合う義理はないでしょう。
頑張って下さい。
応援しています。 December 12, 2025
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お好み焼き屋で会社の後輩君が可愛いらしい女の子といるのを発見
ずっと女っ気無さそうで多様性疑惑も出てたけどいつの間に!やるやんけ!
私に気づいてなかったから「あっちの席のカップルの会計払います」とコッソリ奢って出てきた
アンちゃんよぉ!売れたらオイラの事使ってくれよな!(首クイクイ) https://t.co/hfXIEaxAZr December 12, 2025
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「社会が壊れる時」って読んだことなかったけど、特定の理念の強要(単一文化)と相互理解の拒否で社会が崩壊するというものらしい。これを防ぐには多様性が失われないように複数文化が共存していることが肝要で、人々は沢山の基準が存在することや摩擦に耐える煩雑さに耐性を持たなければならないと。 https://t.co/EuS5k1saAq December 12, 2025
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世界平和統一家庭連合公式チャンネル 2025/09/02
家庭と宗教を破壊する文化共産主義(田中会長メッセージ)
「いま、共産主義が我々の身近なところに文化共産主義という形で近づいてきています。共産主義者は家庭の絆よりも子供の人権を主張します。同性婚も結婚の一つだと多様性を主張します。“いつ・どこで・だれ”と性関係を結ぶかは、子どもが決める権利だと事あるごとに“性の解放”を推奨してくるのです!」
2025年8月20・21日、札幌「大通公園」野外ステージで「信教の自由2DAYsフェスティバル」が行われました。今回は、世界平和統一家庭連合・田中会長がイベントの中で語った特別メッセージをお送りします。神を否定し、宗教と家庭の破壊を目論む「文化共産主義」に一石を投じる核心的な内容をご覧下さい。
https://t.co/bOqtubM1v4
#家庭連合 #旧統一教会 #田中富広 #共産主義 #文化共産主義 December 12, 2025
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! 性癖の多様性を考える健全H絵注意 !
Skebご依頼ありがとうございます!
現在の有料リクエストの状況は以下の通り!
・オリジナルキャラクター
・FF14のアバターキャラ
・マリュー艦長
・麗日お茶◯
・孔◯舞← New!
完成までしばしお待ちください!
(画像は文章内容とは無関係です) https://t.co/57sXynSmoi December 12, 2025
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論考『深い読書が消滅するとき、陰謀は隠す必要がなくなる』Unbekoming 2025年12月
https://t.co/WaRrhlxJrn
「最大の陰謀は、陰謀そのものについての議論を認知的に不可能にしてしまうことかもしれない」
「情報は氾濫しているが、信号と雑音を区別する能力そのものが失われている」
私たちは「考えないこと」へと誘導されている。スマートフォンとSNSは、長い文章を読み、複雑な論理を追いかける「思考の体力」を奪った。その結果、たとえ真実が目の前に示されても、それを受け止める心の器が社会から失われつつある。
🔹 スクロールが変える脳
驚くべき矛盾がある。インターネットには「真実を暴露する」と主張する分厚い本や長い動画が溢れている。しかし、それらを理解するために必要な「深く集中して読む力」こそが、まさにインターネットによって破壊されているのだ。
研究によれば、デジタル画面での読書は、紙での読書に比べて理解度と記憶定着が低下する。私たちの脳は、絶え間ない通知と無限スクロールに適応し、浅く速い情報処理ばかりを求めるように変わってしまった。本を最後まで読めない、映画を集中して観られない——それは単なる「飽き」ではなく、思考能力の構造的変化である。
🔹 開示されても無意味になる
現代では、言葉が本来の意味を失いつつある。「民主主義」「自由」「多様性」——これらの言葉は使い尽くされ、人によって全く異なる意味で用いられる。特にSNSでは、短文と極端な表現だけが目立ち、ニュアンスや背景を説明する余地がない。
さらに恐ろしいのは、権力や組織が不正を隠さなくなったことだ。かつては隠蔽工作が問題となったが、今では開示されても誰も追及できなくなっている。膨大な資料や矛盾する情報の前に、人々は疲弊し「もうどうでもいい」と思考を停止させる。真実が隠されているのではなく、真実を見極める社会的な能力が解体されているのである。
🔹 最後の読者たち
こうした状況で、図書館の分厚い本や学術書は「過去の人類が持っていた思考力の記念碑」となりつつある。それらを読み解ける人は少数派となり、一種の「知的秘密結社」のようになっている。
一方で、意識的にデジタルデトックスを行い、深い読書を習慣とする人々も存在する。彼らは、流される情報の消費ではなく、能動的な思考を選び取っている。あなたがこの記事をここまで読んでいること自体が、失われつつある貴重な能力の証かもしれない。
📌 深く読む習慣が最後の防衛線である
問題は「何が正しい情報か」ではなく、「正しい情報を判断する力を私たちはまだ持っているか」だ。毎日何時間もスクロールする生活は、批判的思考の基盤を静かに侵食している。
難解な書物が読み手を選び、その読者層が一種の「認知的秘密結社」のようになる現象は、この大きな変化の一端を示している。問題は「何が真実か」ではなく、「真実を考えるための心の器を、私たちはまだ持っているか」である。
参考文献:Lies are Unbekoming (Dec 10, 2025) - Unbekoming December 12, 2025
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本日は、朝8時からコンテンツ小委員会。スマホ新法によるゲームの新たな決済方法などについて、新プラットフォーマー会社とゲーム会社からヒアリング。手数料や多様性、表現の自由やイノベーション推進の観点からは今のところ評価できそうだが、12/18の全面施行後も要注目だ。
終了後は事務局長として記者ブリーフィング。
13時から、党の政治制度改革本部・情報通信戦略調査会の合同会議。インターネット上の違法・有害情報や偽・誤情報への対応について。念のために監視で出席したが、「表現の自由」を制限しようという内容は特に出てこなかった。私は党内でこういう監視を欠かさずやっている。昨今、またネット上で表現規制の話題が出ているが、はっきり言ってもう与党から(特にマンガやアニメなどの)創作物規制の法案が出ることはあり得ない。だから、SNSでの表現規制絡みの口論に疲れた人がいたら、2028年まで休んでしまって全然構わないと思う。 December 12, 2025
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