ギリシャ トレンド
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2025.12.14 08:00
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ギリシャで農民たちが大爆発中です💣💥
何が起きたかというと……
政府の支払い遅延とEUの補助金不足が引き金になって、農民たちが本気で立ち上がっちゃいました。
全国で何千台ものトラクターとトラックが、高速道路や港、果ては空港の滑走路まで封鎖してるっていうから尋常じゃない😵
中心にあるのは、欧州連合から支払われるはずだった6億ユーロ、約1,000億円弱の“消えた補助金”😡
しかもこれ、単なる支払い遅れじゃなくて、“農業詐欺”の疑いまで浮上してるんです。つまり、誰かが中抜きしたか、帳簿をごまかしたか…💸
農民たちはずっと待たされてたんです。災害補償や収穫失敗への支援金がなかなか届かず、物価と燃料費だけが上がっていく…😩
で、ついにブチ切れた。
ギリシャ各地で道路がトラクターで埋め尽くされ、港では船が止まり、空港では離着陸まで阻止される騒ぎに。
「払ってくれ。今すぐにだ。」
そんな怒りの声が、トラックのクラクションと一緒に響き渡ってる😠🚜📢
農民たちの要求はシンプル。「正当な補助金を、正当に支払え」ってこと。
これ、ギリシャだけの問題じゃないかもしれません。
欧州の農業補助金制度そのものに、ひずみが出始めてるって話もある😮
EUはどうしちゃったんだ....
アメリカにまで喧嘩売るとは大した度胸🇺🇸 December 12, 2025
7RP
@VWpdguQdrs6qcUl 我が家のキレナイカも同じ感じで、食べる勢いと速度が別亜種の健常なギリシャと比較するとまだまだ弱々しいみたいですね、元気で伸び盛りだと かっ込むように食べ 餌を補充してあげようとすると手にも噛み付きかかろうと身構えてきます December 12, 2025
人間は不安に耐えられない。
だから、人間は手近にあるところに”神”を見つけて、神学で体系化する。それが4世紀 325年-381年に起こって、「父と子と聖霊とは三一」などという奇妙キテレツな”神”を作った。ヘブルの神YHWHを知らない、ギリシャの司教達。
簡単に言えば、多数決で、三位一体の教義が決まった。歴史的な事実↓
「父と子と聖霊とは三一」は”神”でも何でもなく、人間が決めた”決まり事”。この”決まり事”にプロテスタントの牧師全員が縛られており、飯が食えなくなる恐怖のゆえに(仲間内から異端と言われるから)この人間が決めた”決まり事”の外に出ない。
外にいる正統な聖書主義者を”異端"”カルト”と任じて、トクトクとして、信者の献金で飯を食っている。
@pfarrersaito
First Council of Nicaea
https://t.co/uDjsRO7TGL
Overview
Constantine opened the council with a formal entrance after the bishops arrived, with Eusebius describing him as "like some heavenly angel of God, his bright mantle shedding lustre like beams of light, shining with the fiery radiance of a purple robe, and decorated with the dazzling brilliance of gold and precious stones." He then gave an opening speech in Latin (rather than the Greek spoken by most of the attendees).[41] Fifth-century church historian Socrates of Constantinople gives the date of the opening as 20 May 325, though it may have been later in June.[42][43]
It is most likely that Hosius presided over the council's debates and proceedings as Constantine's representative.[44][45] Constantine did join in the debates of the council (in Greek), but did not see himself as a voting member as he was not a bishop.[44] No detailed acta of the council exist as they do for later councils, so the exact sequence of the council's debates is uncertain.[46] Church councils at the time were modeled after the proceedings of the Roman Senate, with the presiding officer having a large degree of control, and participants speaking in turn based on hierarchy.[47] Probably the first matter considered was the status of Eusebius of Caesarea and the other bishops excommunicated at Antioch, as this would determine whether they could participate in the rest of the council. According to Eusebius, his profession of faith was accepted and he was restored.[48] An account by Eustathius of Antioch records a statement of faith by a Eusebius being rejected by the council, though this was likely Eusebius of Nicomedia.[49]
A statement of faith based on earlier creeds was drafted (possibly by a smaller committee), and each line was debated by the council. All but two bishops subscribed to the final form of the creed as adopted.[50] In addition to the Arian question, the council also considered the calculation of Easter, and adopted the Roman and Alexandrian method over the objection of several eastern bishops.[51] The bishops also agreed to a resolution on the Melitian schism and issued twenty canons.[52] The council closed in the first weeks of July, with the bishops invited to attend Constantine's celebration of his twentieth anniversary on the throne on 25 July. Both the bishops and the emperor issued letters recounting the councils' decisions to be circulated throughout the empire.[53] December 12, 2025
人間は不安に耐えられない。
だから、人間は手近にあるところに”神”を見つけて、神学で体系化する。それが4世紀 325年-381年に起こって、「父と子と聖霊とは三一」などという奇妙キテレツな”神”を作った。ヘブルの神YHWHを知らない、ギリシャの司教達。
簡単に言えば、多数決で、三位一体の教義が決まった。歴史的な事実↓
「父と子と聖霊とは三一」は”神”でも何でもなく、人間が決めた”決まり事”。この”決まり事”にプロテスタントの牧師全員が縛られており、飯が食えなくなる恐怖のゆえにこの人間が決めた”決まり事”の外に出ない。
外にいる正統な聖書主義者を”異端"”カルト”と任じて、トクトクとして、信者の献金で飯を食っている。
@pfarrersaito
First Council of Nicaea
https://t.co/uDjsRO7TGL
Overview
Constantine opened the council with a formal entrance after the bishops arrived, with Eusebius describing him as "like some heavenly angel of God, his bright mantle shedding lustre like beams of light, shining with the fiery radiance of a purple robe, and decorated with the dazzling brilliance of gold and precious stones." He then gave an opening speech in Latin (rather than the Greek spoken by most of the attendees).[41] Fifth-century church historian Socrates of Constantinople gives the date of the opening as 20 May 325, though it may have been later in June.[42][43]
It is most likely that Hosius presided over the council's debates and proceedings as Constantine's representative.[44][45] Constantine did join in the debates of the council (in Greek), but did not see himself as a voting member as he was not a bishop.[44] No detailed acta of the council exist as they do for later councils, so the exact sequence of the council's debates is uncertain.[46] Church councils at the time were modeled after the proceedings of the Roman Senate, with the presiding officer having a large degree of control, and participants speaking in turn based on hierarchy.[47] Probably the first matter considered was the status of Eusebius of Caesarea and the other bishops excommunicated at Antioch, as this would determine whether they could participate in the rest of the council. According to Eusebius, his profession of faith was accepted and he was restored.[48] An account by Eustathius of Antioch records a statement of faith by a Eusebius being rejected by the council, though this was likely Eusebius of Nicomedia.[49]
A statement of faith based on earlier creeds was drafted (possibly by a smaller committee), and each line was debated by the council. All but two bishops subscribed to the final form of the creed as adopted.[50] In addition to the Arian question, the council also considered the calculation of Easter, and adopted the Roman and Alexandrian method over the objection of several eastern bishops.[51] The bishops also agreed to a resolution on the Melitian schism and issued twenty canons.[52] The council closed in the first weeks of July, with the bishops invited to attend Constantine's celebration of his twentieth anniversary on the throne on 25 July. Both the bishops and the emperor issued letters recounting the councils' decisions to be circulated throughout the empire.[53] December 12, 2025
マタイ第1章で始まる系図の役割と意味
トーラーを学ぶ皆さんが学んだことの一つは、発音不可能な名前が並ぶ、長くて退屈な系図があります。それをただ淡々と目で追うだけでは、想像できないほど深い意味と重要性を実は持っていたということです。聖書時代の系図は、現代の私たちが用いるものとは異なる目的で使われるものでした。今を生きる私たちにとって系図というものは、主に正確な家系図を辿るための手段です。系図が教えてくれる情報は、私たちが誰と血が繋がっていて、おそらく祖先がどこから来たのかを正確に伝えることを目的としたものです。一方、ヘブライ人の系図は、状況に応じて異なる多様な目的で使われてきました。例えば、ほとんどの場合は、土地を含む財産の相続権を証明するためによく使われたのです。あるいは、現存する人物と何世紀も前に生きていた非常に尊敬されている人物を結びつけ、現代の人物に高い社会的地位を与えるためにも使われました。
時には、王族とのつながりを系図を辿って証明し、その人物が統治権を主張する根拠を提供するために使われたりもしました。当然ですが、マタイによる福音書はそのような一覧表で始まり、そこにも独自の目的と意図があります。これは、ごまかしや印象操作を狙ったようなものではなく、当時、非常に重要な人物の資格情報を提示する際の標準的な方法だったのです。
マタイによる福音書の冒頭の節の2番目の単語は、ほぼすべての英語版聖書で「genealogy(系図)」と訳されています。ウェブスター辞典には、系図とは「祖先から連続的に辿られる家系」です。つまり、私たちが「系図」という言葉を読むとき、この名前のリストは、最初の祖先からナザレのイエスに至るまで途切れることなく辿れる遠い過去の家系の簡略な表であることを意味するのです。
しかし、ギリシャ語になると、この言葉は「genesis(創世記)」なのです。そうです、聖書の最初の書の題名(あるいは、マタイとその時代のトーラーの最初の書の題名)として使われているのと同じ言葉です。一部の学者は、この「genesis」を「出生記録」という意味で解釈すべきだと主張しますが、特にトーラーの最初の書と天地創造の記述を指して「genesis」が意味していたのは、決してそのような意味ではありません。むしろ(1世紀のユダヤ人の考え方に倣えば)、福音書と新約聖書全体に貫かれているテーマは、キリストの降臨は何よりもまず再創造、すなわち第二の創世の始まりと捉えるべきだというものです。パウロはこのテーマをいくつかの著作で展開しています。 December 12, 2025
巨像恐怖症(きょぞうきょうふしょう)なので、
巨大な銅像、仏像、オブジェ、建物、風力発電のプロペラなどに、強い恐怖を感じます。
私の過去生は古代ギリシャの女性、何か関係あるのかな? December 12, 2025
幕末の大阪(大坂)は文字通り知の世界最先端だった。もちろん経済の中枢であった大坂はそれ以前から世界初の米先物取引の地で欧米金融資本主義のデリバティブ取引で遥かに先んじていた。以下転載「江戸時代の大坂(大阪)の堂島米会所(堂島米市場)で行われた米の先物取引は、世界初の組織的な先物取引所(futures exchange)によるデリバティブ取引の事例として広く認められています。
主な理由と歴史的背景
成立と公認: 1697年頃に米の取引市場が堂島で始まり、1730年に江戸幕府(徳川吉宗時代)が公式に公認しました。ここで「帳合米取引」(ちょうあいまいとりひき)と呼ばれる先物取引が行われ、将来の米の収穫を対象に価格を事前に決め、差金決済(現物引き渡しではなく価格差で決済)や証拠金(敷銀)の仕組みを導入していました。これらは現代の先物取引の基本要素です。
特徴:
標準化された契約(米切手や帳合米)。
会員制、決済機能、クリアリング(清算)機構。
投機も含めた活発な取引で、全国の米価基準となりました。
世界的な評価:
多くの歴史資料や金融史の研究(例: Harvard Business Schoolのケーススタディ、Investopedia、Wikipedia)で、「world's first organized futures exchange」や「先物取引所の先駆け」と記述されています。
米国シカゴ商品取引所(CBOT、1848年設立)は、堂島をモデルにしたと言われるほど影響を与えました。
ノーベル賞経済学者マートン・ミラーも高く評価しています。
注意点: 「世界初」のニュアンス
組織的な取引所としての先物取引は、堂島が確かに世界初です(公認された制度化された市場)。
ただし、デリバティブの概念自体はもっと古く:
古代ギリシャ(アリストテレスが記したオリーブのオプション取引)。
中世ヨーロッパ(フォワード契約やオプション)。
17世紀アムステルダム株取引所での株式オプション。
これらは主に相対取引(OTC)で、堂島のような中央集権的な取引所での標準化された先物市場は前例がありません。
大坂のこの仕組みは、価格変動リスクをヘッジするための実需から生まれ、投機も活発化した点で現代金融の原型と言えます。現在も大阪堂島取引所がその伝統を引き継いでいます!」 December 12, 2025
弥蘭陀王問経を読むと、ギリシャ哲学と仏教哲学の違いが、かなりわかる。
魂の存在を前提とするギリシャ哲学と、空の思想の仏教哲学。
西洋はさらに、一神教系の思想が入ってきて、ギリシャ哲学と混淆して、訳が解らなくなってしまっているが。 https://t.co/kmi2dK667z December 12, 2025
マタイという人のこと。共観福音書の中では一番固めな文章に感じて読みにくいとよく思った。
私たちがマタイによる福音書を学ぶ際の世界観。
マタイ(著者の本名かどうかは別として)は、ユダヤ人の信者であったというものです。そして、これは重要な出発点です。その理由は、何世紀にもわたって教会組織は、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)は異邦人の信者が、異邦人の信者のために書いたのだと主張してきたからです。最古の教父パピアス、イレナイオス、エウシビオスは、マタイが福音書を書いたのは、パウロがローマで説教していた頃だったと記録しています。ということは、それはキリストの宣教から30年も経っていない西暦60年代半ばくらいのことです。また、ローマ人がエルサレムを包囲し神殿を破壊する前に、信者の会衆の間で書かれ、頒布されていたことを意味します。これは、新約聖書の冒頭に位置する4つの福音書の中で、最初に書かれた福音書である可能性が高いのです。
マタイによる福音書には、2世紀後半から3世紀初頭に遡る初期の断片がいくつか残っています。でも、それらは原典ではなく、完全なものでもありません。現在残っている最も古い完全な写本は、4世紀のもので、シナイ写本と呼ばれるものに含まれています。現在知られている最古の写本(あるいは写本の断片)は、すべてギリシャ語で書かれたものです。しかし、同じ初期の教父たちが、マタイが最初に福音書を自身の母語であるヘブライ語(おそらくヘブライ語の近縁言語であるアラム語)で書いて、その後すぐにギリシャ語に翻訳したことを率直に述べている、実際の歴史的証拠が存在します。これは、マタイが想定していた読者がユダヤ人であることを示すもので、私たちの研究におけるもう一つの鍵です。
したがって、マタイによる福音書は(私の見解では)、共観福音書の中で最もユダヤ的なもので、ユダヤ文化的な表現(学問の世界ではヘブライズムと呼ばれる)を数多く含んでいます。これらの表現は、英語などの外国語に翻訳されたことで、通常は多少曖昧になったり、隠されたりしてしまいますが、ギリシャ語は非常に正確な言語である一方で、ヘブライ語の概念とそのニュアンスをギリシャ語と文化に正確に翻訳できる語彙が不足していることも一因です。また、マタイが福音書に盛り込んだ内容の中には、当時のユダヤ人なら本来理解していたものであっても、異邦人には、大変異質で分かり難いものもあったでしょう。特に、1世紀のユダヤ人の時代と文化から何世紀も離れた現代の教会にとってはなおさらです。
教会の伝統、教義、寓話的な教えの中に深く根付いた反ユダヤ主義が加われば、マタイによる福音書を特定の教会の宗派が望むような意味に歪曲する完璧なレシピが出来上がるというものです。
マタイによる福音書の中では、たとえ話が重要な役割を果たしています。イエスのたとえ話を用いた教えについて触れる際には、その本質と1世紀のユダヤ社会における位置づけについて、詳しく説明します。始める前に、これだけは知っておいてください。たとえ話という文学的スタイルは、キリストが作り出したものではありません。たとえ話は、イエスの時代以前からユダヤ文化において一般的で、中心的要素であり、トーラーの原則を教えるためによく用いられていたものです。
マタイは、1世紀のユダヤ人が読むことを想定して福音書を書いたため、私たちは聖地におけるユダヤ人の考え方や彼らの世界について、そして彼らの大部分がアジア、ヨーロッパ、北アフリカの穏やかな国々に散らばって暮らしていた全く異なる世界についても、多くの時間をかけて学ぶことになるでしょう。当時の彼らの宗教の実践方法、社会規範やニュアンス、さらにはローマ支配下での生活について学びます。これらは、マタイによる福音書を正しく理解し解釈するために必要な文脈を構築する上で不可欠な要素だからです。特にキリストの言葉、特にたとえ話の中で語られた言葉は、東方ユダヤ人の視点ではなく、西方異邦人の視点を通して解釈されたために、何世紀にもわたってしばしば誤解されています。私の目標は、マタイの言葉の意味を、当時の一般のユダヤ人が理解したであろう方法で理解することです。 December 12, 2025
ChatGPTに画像を読み取らせて、もとデータも調べさせて、ランキングを作ってみました。
良コスパランキング(高給料・短時間労働)
1 🇱🇺 ルクセンブルク
2 🇨🇭 スイス
3 🇩🇰 デンマーク
4 🇳🇴 ノルウェー
5 🇳🇱 オランダ
6 🇩🇪 ドイツ
7 🇮🇸 アイスランド
8 🇦🇹 オーストリア
9 🇧🇪 ベルギー
10 🇸🇪 スウェーデン
しんどいランキング(低給料・長時間労働)
1 🇲🇽 メキシコ
2 🇨🇱 チリ
3 🇬🇷 ギリシャ
4 🇭🇺 ハンガリー
5 🇸🇰 スロバキア
6 🇵🇹 ポルトガル
7 🇨🇿 チェコ
8 🇱🇹 リトアニア
9 🇱🇻 ラトビア
10 🇪🇪 エストニア
注:倭国 🇯🇵 は図の中央付近(週給も労働時間も時給も中くらい)にいて、勝ち組/しんどいの両極には入りにくいポジション。 December 12, 2025
僕は2000年代半ばからリーマンショックを挟んで2011年頃まで、銀行でシップファイナンスの審査を担当していました。
当時は、中国による国内開発が急激に進んでおり、鉄鉱石などを運ぶバルカーの価格はとんでもなく高騰していました。
若いケープサイズだと三億ドルくらいでの売買取引もあり、これって、その時点での過去の長期平均の5-10倍くらいの高騰ぶりだったと思います。
レンダーもそんなクレージーなマーケットについていかなきゃいけない。僕が担当していた案件はアセットプレイを信条とするギリシャ船主も多く、いろんなロジックを使って毎回ギリギリで決裁を勝ち取っていました。
リーマンショックが起こると膨れ上がったバブルは一気に崩壊します。クラークソンが中古価格の開示を取りやめると市況が見えなくなったレンダーたちはパニックに陥ります。
半年後くらいに見えてきたのは阿鼻叫喚の不良債権の山。中古市場は過去のボトムとなり、LTVコベナンツにブリーチした案件への対応に追われる日々が始まりました。船舶抵当実行により用船プロジェクトを船主から引き剥がして、船舶運用を外部委託して当面をしのぐような対応もありました。僕はそれから三年くらいはずっと問題債権の処理をしていた記憶があります。
今になって僕がかなり残念なのは、この時に我々の銀行がギリシャ船主向けのシップファイナンスチームを解散してしまったこと。
失敗者にペナルティを与えることは必要かもしれませんが、この時の経験で山程の回収スキルを得たチームメンバーは市況が回復すればきっと前以上の活躍ができただろうなと感じます。
転んでもただでは起きないという姿勢を銀行として持ってもらいたかった気がします。 December 12, 2025
@Hanapan8723 せめて倭国の元総理と元財務大臣がギリシャより財政が悪いと宣言したり、国民の大半が貴方の様に理想を掲げられる位生活に余裕が出来てから話し合えば良い
今早急に決めてもLGBT法と同じく大半の国民に関係無い事に税金投入する事になる
コスト掛けるには優先順位が低い December 12, 2025
もう一つの動機。前書を書いている納富信留氏は私とほぼ同世代で、彼のギリシャ哲学についての本は近頃読んで素晴らしいと思った。そして岩崎と納富氏をつなぐ坂部恵の本も昔いくつか読んだ。私は大学では人気のあるヘーゲルのゼミを受けて(当然ながら)落ちたのだが、納富氏と同じ時代、つまりまだ「教養主義的な問いが有効だと信じる者」もいた時代の若者でもあった。だから、その分岐点を確認するためにも読みたいと思う。 December 12, 2025
KAORI🍉channel Telegramより
(10日 6:22 GESARA. newsからの引用投稿)
※📚Type-Rさんによる翻訳
【訳】
シルバー本位制とは、通貨単位を一定量のシルバーによって定義する通貨制度のことです
シルバー本位制の起源は古代ギリシャにさかのぼり、シルバーが通貨の尺度として最初に使われた金属とされています
ローマ帝国崩壊後、この制度は広く採用され、中国、インド、ボヘミア、イギリス、アメリカ合衆国などで使用されました
1963年6月4日、ケネディ大統領は大統領令11110号に署名しました
要するに、これは財務省に対し、シルバー地金に裏付けられた証書を発行し、通貨として扱われるシルバードル硬貨を鋳造する権限を与える命令でした
これらのシルバー証券は主に紙幣の形で発行され、紙幣には額面に記された金額が「請求者に対してシルバーで支払われる」と明記されていました
簡単に言えば、1ドルを持っていれば、それはシルバー1ドル分の価値があるという仕組みでした
残念ながら、この大統領令は長くは続きませんでした
その年11月、ケネディ大統領はダラスで暗殺され、これをきっかけに連邦準備制度が事件に関与していたのではないかという陰謀論が広まりました December 12, 2025
ヘブンの母
ギリシャセリゴ島
ローザ
1848年
アイルランド出身軍医
ハーン父と出会
ローザ家族反対
駆落結婚
1850年6月27日
レフカダ島
ラフカディオ生誕
2歳
一家ダブリン移住
英語も話せず
気候も合ず
精神病み
4歳
セリゴ島に戻った
♥ハーンの一生
母恋し?
https://t.co/bxuGJR8wbX #r_blog December 12, 2025
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