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ミカヅチ
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2025.11.25 08:00
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伊香具神社は数多い伊香郡の式内社の中でも唯一の名神大社。伊香郡の代表的氏族と思われる伊香連は中臣氏。恐らくその繫栄は琵琶湖水運の北岸で、北陸や敦賀への窓口になっていたからなのでしょう。隣の浅井郡は治田連で日下部氏/草壁皇子と関係が深いと思われます。この土地を伊香連が領有した背景としては、恐らく中臣烏賊津連(雷大臣)が神功皇后を擁立したことを挙げて良いと思います。神功皇后や応神天皇は近江や敦賀と関係が深く、近江は息長の領域とも言えます。
伊香郡は「いかごぐん」とも読まれましたが、恐らく琵琶湖に対する伊香小江の小がゴで、本来はイカ郡と見ていいと思います。これはイカツオミのイカなのでしょう。雷大臣は雷神信仰の台頭で、改名したのかもしれません。イカツオミ自体は、タケミカヅチ由来の可能性も考えられますが、恐らくミカヅチは甕津霊なので、烏賊津使主が本来で、イカとは烏賊ではないかと思います。現代人の感覚では何故烏賊?で迫力がありませんが、ただイカは墨を吐くので、神と紙の音が共通し、表意文字の側面がある漢字文化で、神主の仕事が祝詞を読むことである古代倭国において、尊ばれていた魚介類の可能性が考えられます。
允恭天皇に仕えた烏賊津使主は、勿論神功朝の烏賊津使主とは別人なんでしょうが、朝妻港が琵琶湖東岸なので、息長絡みで、伊香郡の出身の可能性も考えられなくもありません(或いは胎中天皇を擁立し、子が武内宿禰を助けたた烏賊津使主に因んだか)。
なお、古事記に中臣氏の活躍はほとんどないのですが、これは活躍がなかったのではなく、近江(天智天皇)に近すぎて、天武天皇に干されていた(少なくとも推されなかった)面があるのだと思います。それでも歴史に欠かせない大氏族なので、中臣連大嶋が古事記(帝紀及上古諸事)編纂にワンノブゼムとして関与したと見るべきかと思います。倭国書紀編纂の頃には不比等無双があったと思われ(中臣氏がプッシュされ)、藤原氏全盛を迎えた朝廷で、倭国書紀が祭り上げられ、古事記がひっそり伝えられ、古事記のお株を奪う偽書(先代旧事本紀)が登場した理由にもなったと思います。 November 11, 2025
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