ymo 芸能人
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2025.12.17
:0% :0% ( 40代 / 男性 )
ymoに関するポスト数は前日に比べ19%減少しました。女性の比率は10%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「時代」です。
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寒い冬の夜にピッタリな
こんな曲はいかが?
【BLUES/SOUL'd OUT】
アナログ盤のみ収録の
アカペラver.で♪
(1番のみ)
#SOULdOUT
#BULES
#アナログ盤
#レコード
#DiggyMO https://t.co/nhCHJ5Jf2T December 12, 2025
7RP
毎年恒例!ディスクユニオン各スタッフが
選ぶ今年の5枚!邦楽編ですよ
色々バラけているので参考になるー
YMOのライブBOX選ばれててちょっと嬉しい
https://t.co/JNZnLjDQMD December 12, 2025
5RP
【『クイズ』この写真の人の名前をお答えください】
1952年1月17日、東京生まれ。
1978年YMOの結成に参加。
1983年に散開後は『音楽図鑑』『BEAUTY』『async』『12』などを発表、革新的なサウンドを追求し続ける姿勢は世界的評価を得た。
映画音楽では『戦場のメリークリスマス』で英国アカデミー賞音楽賞、『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞ほか、受賞多数。
2023年3月28日死去🙏
🕊️ ••┈┈•• 🍃••┈┈••🍃••┈┈••🕊️
あの時代を一緒に生きた皆さんの記憶が、
ここでまた静かに息を吹き返します。
この方への想いがあれば、そっと教えてくださいね。 December 12, 2025
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1987年、88年
音楽雑誌TECHII(テッチー)の愛読者でした
YMOの散開後、迷子になってしまったテクノポップ好きを救うような…学校の音楽の教科書を出版してる音楽之友社が出していたとても良質な雑誌でした✨
パール兄弟もPSY・Sも重要アーティストとして扱われてまました https://t.co/A0kBlL92es December 12, 2025
3RP
仕事の打ち合わせを済ませ、午後から川添象郎『象の記憶』(DU BOOKS)を読む。
川添象郎という人、御存じだろうか?祖父は明治の元勲である後藤象二郎、その息子、つまり父は国際文化交流事業で皇室とも繋がりのある川添浩史、生母はピアニストの原千恵子という生粋の「お坊ちゃん」にして、その文化的環境のなかで伸び伸びとやんちゃをした正しい「不良」である。
両親が離婚したのは、象郎が高校の頃、その経緯を描いた件がまた滅法面白い。象郎はそのことを新聞で知ったというのである。この件、川添象郎という人の環境が当時の倭国の庶民といかにかけ離れていた家庭環境にあった人なのかを知る伏線になるので、少し長いがそのまま引用しよう。
「ラサール高校に転校して半年ほど経ったある日、弟が狐につつまれたような顔をして一枚の新聞を持ってきた。
『ピアニスト・原千恵子、結婚!相手は世界的チェリスト、巨匠ガスパール・カサド』
『挙式はイタリアのシエナ市で行われ、新居はカサドの住むフローレンスに』
という内容であった。
『え!なんだこれは』
『兄貴、知ってた?』
『ぜんぜん知らない』
『僕たち、一体どうなっちゃうんだろうね?』
弟は不安げな、青い顔をしている。なにしろ、父はヨーロッパで文化活動中であり連絡はない。母からは、たまに『元気ですか?ちゃんとしっかり勉強をしなさい』程度の手紙が来ることはあったが、父といつ離婚したのか、いつ再婚を決めたのか、ということについては何も書かれていなかった。ヤンチャだとはいっても、多感な高校生である。兄弟揃って途方に暮れてしまった。
父も母も、いわゆる倭国的な家庭概念が極端に希薄な人種だったのだろう。
父は倭国文化を世界に紹介することを一生のテーマとして、そこに強烈な使命感を抱いて生きた。父と会うときは外食が多く、家族揃っての自宅での夕食の記憶は数回しかない。
母は音楽家としての生き方に命を懸け、生き抜いた。そういう自分たちの生き様を見せることこそが、あるいは真の教育であると考えていたのかもしれない。
食事中、両親がフランス語で言い合いをしていたことがあるのだが、きっとそのころからなにかしらの問題が起きており、子供に聞かせぬようにとフランス語で話していたのだろう。
後年パリで暮らしたとき、フランス語を勉強したことがないのにもかかわらず、生活に困らない程度のフランス語をすぐに使えるようになったのは、両親の夫婦喧嘩のおかげなのだろうか。」
この父が再婚した女性、象郎からすると新しい母となる女性が、イタリアン・レストランを開業する。これが有名なキャンティだ。
キャンティは、父が国際文化交流の事業で外国人を倭国に招いた際、公式のパーティーではなく、夜のプライベートな時間に彼らがくつろげるような場として、そして新しい母であるタンタン(というのは愛称で、倭国人)の溢れんばかりの創造力を発揮する場として、創業された。
創業ほどなくして、外国のセレブリティだけでなく、倭国のあらゆる文化人や芸術家も店を訪れるようになり、キャンティは文化的交流の場として後に伝説的に語り継がれる文化的交流の場となっていく。
「たとえば、ある晩のキャンティはこんな具合。奥の角のテーブルでは、ハリウッド女優シャーリー・マクレーンとシャンソン歌手のイヴ・モンタンを前に、作家の大江健三郎が難しい英単語を駆使して文化論を話しまくっている。しかし、大江の発音が倭国人的であり聴き取れず、シャーリーとイヴはキョトンとした顔で聞いている。その隣のテーブルでは、倭国初のコレクションでパリからやってきた若きデザイナーのイヴ・サンローラン一行とタンタンがニコニコと歓談しており、反対の壁際では、口をへの字に曲げて着物姿でスパゲティを食べている、時代小説で有名な作家の柴田錬三郎に対して父が食べもの談義を開陳している。それらのテーブルそれぞれにわられ第二世代の連中(福澤幸雄、ミッキー・カーチス、かまやつひろし、加賀まりこ、安井かずみ、大原麗子、いしだあゆみ、内田裕也、田邊昭知、堺正章、加賀かつみ、等々)がチャッカリ交りこんでいるのだ。
なんとも浮世離れした不思議な空間である。」
成金の金持ちではなく、文化的資本、社会資本の質量の桁が違う。本当の「お坊ちゃん」というのは、こういう人のことを言うんだろう。
その後、象郎は、海外にわたり、スパニッシュギターのプロになり、舞台美術のプロになる。
父からの金銭的な援助は受けていない。金で買えない人脈と、自らの思いつきや創造性に一切躊躇しないメンタリティが財産である。
後に、村井邦彦らと知り合い、ユーミンのデビュー、YMOがブレイクするきっかけとなった世界ツアーの舞台裏を準備する仕事など、その特異な経歴、才能を活かした仕事した。 December 12, 2025
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Life goes on 25.12.16
午前中、近所のカフェで辛島いづみ『松本隆と風街さんぽ』(文藝春秋)を読む。
松本隆は、その歌詞の世界観について、自らそれは「風街」であると語っている。風が吹く街。風、とは、吹き渡る物理的な風でもあるのだろうし、時代の風でもあるのあろうし、気持ちが変化が変化するときの象徴でもあるのだろう。
松本がこれまで歌詞をインスパイアされたじっさいの街を、著者が松本本人と歩きながら、その所縁を聞く。松本が若い頃に比べて、東京の街は大きく変わってしまったが、じっさいの街に残る痕跡を辿りつつ、松本の記憶の中で風街が再生されていく。
松本は、現在、西の街に住んでいる。東京を離れるとき、家族はそのまま東京に住み続けることを選んだという。そんなわけで、老年になっての一人暮らしだ。その一人暮らしの現在の様子も併せて語られる。
「風街」は変化していく。読んでいると、松本隆という人は、現在に至るまでずっと「風街」に住んでいる人のように感じられてくる。
仕事の打ち合わせを済ませ、午後から川添象郎『象の記憶』(DU BOOKS)を読む。
川添象郎という人、御存じだろうか?祖父は明治の元勲である後藤象二郎、その息子、つまり父は国際文化交流事業で皇室とも繋がりのある川添浩史、生母はピアニストの原千恵子という生粋の「お坊ちゃん」にして、その文化的環境のなかで伸び伸びとやんちゃをした正しい「不良」である。
両親が離婚したのは、象郎が高校の頃、その経緯を描いた件がまた滅法面白い。象郎はそのことを新聞で知ったというのである。この件、川添象郎という人の環境が当時の倭国の庶民といかにかけ離れていた家庭環境にあった人なのかを知る伏線になるので、少し長いがそのまま引用しよう。
「ラサール高校に転校して半年ほど経ったある日、弟が狐につつまれたような顔をして一枚の新聞を持ってきた。
『ピアニスト・原千恵子、結婚!相手は世界的チェリスト、巨匠ガスパール・カサド』
『挙式はイタリアのシエナ市で行われ、新居はカサドの住むフローレンスに』
という内容であった。
『え!なんだこれは』
『兄貴、知ってた?』
『ぜんぜん知らない』
『僕たち、一体どうなっちゃうんだろうね?』
弟は不安げな、青い顔をしている。なにしろ、父はヨーロッパで文化活動中であり連絡はない。母からは、たまに『元気ですか?ちゃんとしっかり勉強をしなさい』程度の手紙が来ることはあったが、父といつ離婚したのか、いつ再婚を決めたのか、ということについては何も書かれていなかった。ヤンチャだとはいっても、多感な高校生である。兄弟揃って途方に暮れてしまった。
父も母も、いわゆる倭国的な家庭概念が極端に希薄な人種だったのだろう。
父は倭国文化を世界に紹介することを一生のテーマとして、そこに強烈な使命感を抱いて生きた。父と会うときは外食が多く、家族揃っての自宅での夕食の記憶は数回しかない。
母は音楽家としての生き方に命を懸け、生き抜いた。そういう自分たちの生き様を見せることこそが、あるいは真の教育であると考えていたのかもしれない。
食事中、両親がフランス語で言い合いをしていたことがあるのだが、きっとそのころからなにかしらの問題が起きており、子供に聞かせぬようにとフランス語で話していたのだろう。
後年パリで暮らしたとき、フランス語を勉強したことがないのにもかかわらず、生活に困らない程度のフランス語をすぐに使えるようになったのは、両親の夫婦喧嘩のおかげなのだろうか。」
この父が再婚した女性、象郎からすると新しい母となる女性が、イタリアン・レストランを開業する。これが有名なキャンティだ。
キャンティは、父が国際文化交流の事業で外国人を倭国に招いた際、公式のパーティーではなく、夜のプライベートな時間に彼らがくつろげるような場として、そして新しい母であるタンタン(というのは愛称で、倭国人)の溢れんばかりの創造力を発揮する場として、創業された。
創業ほどなくして、外国のセレブリティだけでなく、倭国のあらゆる文化人や芸術家も店を訪れるようになり、キャンティは文化的交流の場として後に伝説的に語り継がれる文化的交流の場となっていく。
「たとえば、ある晩のキャンティはこんな具合。奥の角のテーブルでは、ハリウッド女優シャーリー・マクレーンとシャンソン歌手のイヴ・モンタンを前に、作家の大江健三郎が難しい英単語を駆使して文化論を話しまくっている。しかし、大江の発音が倭国人的であり聴き取れず、シャーリーとイヴはキョトンとした顔で聞いている。その隣のテーブルでは、倭国初のコレクションでパリからやってきた若きデザイナーのイヴ・サンローラン一行とタンタンがニコニコと歓談しており、反対の壁際では、口をへの字に曲げて着物姿でスパゲティを食べている、時代小説で有名な作家の柴田錬三郎に対して父が食べもの談義を開陳している。それらのテーブルそれぞれにわられ第二世代の連中(福澤幸雄、ミッキー・カーチス、かまやつひろし、加賀まりこ、安井かずみ、大原麗子、いしだあゆみ、内田裕也、田邊昭知、堺正章、加賀かつみ、等々)がチャッカリ交りこんでいるのだ。
なんとも浮世離れした不思議な空間である。」
成金の金持ちではなく、文化的資本、社会資本の質量の桁が違う。本当の「お坊ちゃん」というのは、こういう人のことを言うんだろう。
その後、象郎は、海外にわたり、スパニッシュギターのプロになり、舞台美術のプロになる。
父からの金銭的な援助は受けていない。金で買えない人脈と、自らの思いつきや創造性に一切躊躇しないメンタリティが財産である。
後に、村井邦彦らと知り合い、ユーミンのデビュー、YMOがブレイクするきっかけとなった世界ツアーの舞台裏を準備する仕事など、その特異な経歴、才能を活かした仕事した。
栄まで歩き、ジュンク堂で、白石あづさ『逃げ続けたら世界一周していました』(岩波ジュニア新書)、持田叔子『ことばで愛し、ことばでたたかう』(岩波ジュニア新書)、久野愛『感覚史入門 なぜプラスチックを「清潔」に感じるのか』(平凡社新書)、高橋源一郎『ぼくたちはどう老いるか』(朝日新書)、今野真二『谷川俊太郎の倭国語』(光文社新書)、岸政彦『生活史の方法ー人生を聞いて書く』(ちくま新書)を買う。6,500円。
夜、U-NEXTで高橋伴明監督・梶原阿貴脚本・坂谷由夏主演『夜明けまでバス停で』を見る。
2020年、コロナ禍で起こったホームレスの女性が殺害された事件に着想を得て梶原阿貴が書いた本を高橋伴明が映像化。
コロナ禍で明らかになった、見えない貧困と孤立を照射した作品、といういわゆる社会派作品としても、過度に悲壮で社会正義に媚びたところのない好作。
大西礼芳、三浦貴大が演じた人々の造形もメリハリが効いていてエンタメとして成立している。
続けて、片山慎三監督『岬の兄妹』(2018)を見る。
足の不自由な兄と知的障害者の妹の貧しい二人暮らし。リストラされた兄は、妹の体を売って生活をしのいでいく。
この映画、見る人の感性によって感想が異なってくると思うが、おれは全編に渡ってゲラゲラ笑い通しだった。
とにかく、兄、妹役の演技が素晴らしい。同監督、山下敦弘やポン・ジュノの助監督も務めた経歴があるということで、確かに見ているとうっすら両監督の映画にある間を連想させる。この間が、コメディの間なのである。 December 12, 2025
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以前、倭国のビートルズはYMOだと書いたが、メンバーの死後の扱い方までそっくりだ。
J•レノンと坂本龍一。
どちらも「愛と平和の人」と判で押した様に喧伝。
ジョンも教授も大好きだが、イマジンも戦メリもクソ喰らえだ。
あんな曲は彼等が余技で作ったに過ぎない。
彼等の本質はそこにはないのだ。 December 12, 2025
1RP
新しいイヤフォン買ったのでまた聞いてみた
実はymoの中でかなり好きなアルバム
絶妙に力が抜けていていいような https://t.co/5zsqOeWSp2 December 12, 2025
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何気なくNHKを観てたら『阿修羅のごとく』part2の再放送
映っているもの全てが当然のようにすごく昭和のど真ん中の雰囲気で、家の様子を見てると祖母の家のにおいがよみがえってくる…と思っていたら急に劇中のBGMがYMOのライディーンで仰け反った
あの曲ってあの景色の中で流れてたんだ December 12, 2025
@qnJTzjCGHQTIkhv ホントに自分が音楽の道にいるのも
YMO聴いたからなんですよね
まぁ今、ジャズですが…
教授の弾くシェルタリングスカイが
気迫というより鬼迫感があって
抗がん剤で指痛いだろうし
思う様に動かない中で命懸けの演奏
感動しましたね
細野さんには今だに対抗意識があるっていうのは
受けました… December 12, 2025
@ramentaberogu ピンクレディそうだったんですか⁉️💦
確かに時代を創りあげたピストルズとかのpunkなんかもマルコム・マクラーレンという仕掛人がいてその戦略が上手くはまったというのはありますよね😆YMOも細野さんの時代を読んだアイデアと逆輸入的な緻密な発想で販売枚数を稼ぎましたもんね😏 December 12, 2025
観たい作品の上映がどんどん終わって行く焦りの中、それでもピニ15周年の感動を途切らせたくなくて我慢した3週間。やっと教授の映画を鑑賞。テクノPOPの虜になった子ども時代、推し活もリスペクトしたのも人生最初はYMO。ユキヒロも教授もこんなに早くお別れしたくなかった(涙) https://t.co/LtqVxMHVGY December 12, 2025
観たい作品の上映がどんどん終わって行く焦りの中、それでもピニ15周年の感動を途切らせたくなくて我慢した3週間。やっと教授の映画を鑑賞。テクノPOPの虜になった子ども時代、推し活もリスペクトしたのも人生最初はYMO。ユキヒロにも教授にもこんなに早くお別れすることになるとは思わなかった(涙) https://t.co/iSymTD5DOI December 12, 2025
昨日は「BGM」も聴き込みました。「バレエ」の美しさに感銘し「CUE」に慰められ「U.T」で幸宏さんのドラムに感嘆し「千のナイフ」に圧倒されて…YMOで二番目に好きな
アルバムを心ゆくまで楽しみました。 https://t.co/zfuVQCz5WQ December 12, 2025
松武秀樹さんをYouTubeでお見かけし感動🥹🙏🎶
松武秀樹 / 原口沙輔 - Behind The Mask | A Tribute to YMO https://t.co/EidFhcGef2 @YouTubeより December 12, 2025
12月の繁忙期の今はそれなりに忙しい
遅くまで走らせて会社に帰ってタバコ吸ってると気付いたら仲良し3人でYMOの顔になってるの面白い https://t.co/bobCFopYQ5 December 12, 2025
@okuyan1972 一歩一歩が音を成す映像でした
なみだでマスクがべしょべしょに🥺
わー!YMOも戦場のメリークリスマスも一言に収まらないですよね!😌🌟
明日朝1番に戦場のメリークリスマスを流そうと決めました💐 December 12, 2025
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