2001年宇宙の旅 映画
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2025.12.20 07:00
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コミケの入場のやつ
(リストバンド?)
転売ヤーの新たな標的に?
昨日、メロンブックスさんに #ガルクラ 本を引取りに行ったら 店内でそんな話が聞こえてきて
それが本当なら、酷すぎ
「2001年宇宙の旅」70mm上映時に、転売ヤーのせいでチケット取れず 根にもってます December 12, 2025
「宇宙に関する最も恐ろしい事実は、
それが敵対的であることではなく、
無関心であることだが、
もし我々がこの無関心を受け入れることができるなら、
我々種としての存在に本物の意味が生まれるだろう。
闇がいかに広大であろうとも、我々は自らの光を供給しなければならない。」
核心のメッセージ
キューブリックは、宇宙の本質を「敵対的(hostile)」ではなく「無関心(indifferent)」だと指摘しています。
- 敵対的であれば、少なくとも宇宙は我々に対して何かしらの「意図」や「関心」を持っていることになります。
それは恐ろしいが、まだ「関係性」が存在する状態です。
- しかし無関心とは、宇宙は我々の存在を全く気にしていない、喜びも悲しみも苦しみも成功も失敗も、すべてに意味などなく、ただ冷たく広がるだけだということです。
これはニヒリズム(虚無主義)を強く想起させる考えで、人間にとって最も深い絶望の源となり得ます。
転換点:無関心を受け入れること
ここがこの引用の最も重要な部分です。
キューブリックは「もし我々がこの無関心を受け入れることができるなら」と条件をつけています。
つまり、宇宙が我々に意味を与えてくれないことを完全に認め、受け止めた上で、それでも生きることを選ぶなら
そこで初めて、人間(種としての我々)の存在に本物の意味が生まれる、というのです。
なぜ「本物の」意味なのか?
宇宙が無関心だからこそ、意味は外部から与えられるものではなく、我々が自ら作り出さなければならないからです。
- 神や宇宙や運命が与えてくれる「与えられた意味」ではなく、
- 無意味な闇の中で、自分たちで価値を創造し、愛し、苦しみ、探求し、つながる
それが本物の意味だ、ということです。
最後の言葉の力
「闇がいかに広大であろうとも、我々は自らの光を供給しなければならない。」
これは非常に美しい表現です。宇宙の闇(無関心、虚無、無意味)は果てしなく広い。
しかし、それでも人間は自分の内側から光(意味、希望、愛、創造性)を生み出さなければならない。
誰も代わりにやってくれないし、宇宙は助けてくれない。それを自分でやるしかない。
これは絶望ではなく、むしろ人間の尊厳と自由を肯定する言葉です。
宇宙が無関心だからこそ、我々は本当に自由であり、本当に自分たちの人生に責任を持てるのです。
キューブリックの作品とのつながり
この考えは、『2001年宇宙の旅』(1968年公開)のテーマと完全に一致しています。
あの映画では、宇宙は広大で冷たく、人間は小さな存在ですが、それでも進化し、探求し、超越を目指します。
モノリスも神ではなく、ただの触媒
最終的に意味を生み出すのは人間自身です。
まとめると、この引用は実存主義的な希望を表しています。
宇宙は我々に何も与えない。
だからこそ、我々は自分で与える。
それが、人間であることの本当の意味だ。 December 12, 2025
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