殺傷能力 トレンド
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2025.11.22 08:00
:0% :0% (30代/男性)
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"映画酷評芸"的な作法は、特にSNSの文字数制限とバズり構文によって発展していったような気がします。
この映画の酷さはまるで◯◯である、という、◯◯に関する文脈や距離感の乖離をもってして、映画のつまらなさを"ネタ化"してみせる。
つまらない映画よりも、よっぽど容易く話者/筆者が「面白く」機能しているように錯覚させることが、しばしばあると思います。
辛辣に言葉を紡げば紡ぐほど、オーディエンスが湧き立つこともあると思います。
感想なのだから何を書くこともゆるされているのだ、という弁明は一理あります。
ただ、「言葉」というものへの信頼と、その言葉を放つ先の「世界」への眼差しがよほど淀んでさえいなければ、なるべくは「ネタにしよう」と思考しないのではないか、とも私的には感じます。
ものすごく激昂している、本気で激怒している感想もまた「面白く」なってはいますけれど、その感情に通底しているのは作品への間接的な「敗北」であって、あまりのつまらなさに「悲しくなって」、ゆえに「怒っている」のだと解釈しています。
わたしたち観客は本質的に、表現に対して「敗北すること」を静かに欲求している生き物だと思うのです。
面白すぎてもつまらなすぎても、愛していても許せなくても、それらの感情は表現への勝利を意味するのではなく、表現へのささやかな敗北宣言としてあるのだと思っています。
なので、作品への檄文それ自体は全く否定しませんし、言論の場はコントロバーシャルで良いとも思います。
が、表現そのものへの勝利宣言として言葉を紡ぐのか、表現そのものへの敗北宣言として言葉を紡ぐのかによって、わたしたちの「言葉」は、いとも容易く殺傷能力を備えてしまうということだけは、常に失念したくないことであると感じます。
そしてそれは、単なる文化的な退行行為・衰退現象である以上に、あまりにもおそろしいことであると恐怖すら覚えます。
端的に言って、そういった空気が行き着く果ては、「差別」「分断」「戦前」だと感じるからです。
飛躍しすぎだろと指摘されたとしても、(ニュアンスが異なることを承知で敢えて誤用しますが)魔女狩りを容認していい時代はこれまでもこれからもありません。
元々、観客が憎悪や嫌悪感、苛立ちを抱きやすいタイプの作家がいたとしても、それはあくまでも作家性以上でも以下でもない、人を苛立たせることもまた作家性である、それゆえに作家としての人格否定が容認されることも、闇雲に石を投げたり、無様にサンドバッグにしても構わないという方便にはならない。
その倫理を前提に、批評にせよ感想にせよ、論旨展開していくことが大切だと思います。
そして、映画ファンの特権とは、映画の欠点を見つけることができるということよりも、たくさん映画を観ているおかげで、どんな映画でも楽しむ方法を知っている、ひとつでも作品の豊かさを発見することができる、そうとも信じています。
と、何かを見て思いました。
綺麗事を書いたつもりはありませんし、おこがましいかもしれませんが、
特に若い方々には、そういった尖った言葉よりも、せめてぼくのつたない言葉でもいいので届いたらいいのにな、と思って書きました。
世界は最低で絶望的でひどいけれども、それはスマホからは覗けないほど純度の高い"ひどさ"なので、目前のガラス面に列挙される淀んだ言葉なんかには、どうか引きずられないようにしてほしいです。
使わなくていい言葉があると、言葉のせいにするのではなくて、言葉をどう使って、作品に、相手に、世界に言葉をどう投げかけるのか、それを判断することを考えていきましょう。ひとりずつ。
自戒も込めて。
不真面目に。そして真剣に。 November 11, 2025
3RP
誤解ないように最初に加えると動画は今初見で、良いね!と思い、ドラフターさんを批判するつもりも全くないですが、
こういうとき私の中で言うことは2つで決まってます。
「エンジニアであるのならば言葉の定義には敏感になるべきである」
「守れない現場があるからといって規格の議論を歪めるべきではない」です。
数ある「たった一言」の地雷を踏み抜くことに長けている生技の人なら、納得してくれる人は多いと思います。
つまり、解説動画における例として『非常停止』と言う言葉を使うべきではなかったと私ならそう考えます。
『停止ボタン』でも別によかったわけです。
非常停止ボタンはシンプルです。
シンプルでなくてはならない代表例でもあります。
そして非常停止というイメージの共通認識に齟齬はあまりありません。
それは規格のおかげでもあるわけです。
つまり規格を前提として普及した機能ともいえると考えます。
その規格の話をすると、非常停止は装置固有のリスクに左右される機能ではなく、規格で定められた最低要件を満たす義務のある安全機能として扱われます。
「PLCでE-stopを組むことが許されるケースがある」という主張は、停止カテゴリ・機械安全規格の定義を混同した誤った理解です。
とも言えるわけです。
一方で、ドラフターさんの言う通り、リスクアセスメント次第で非常停止機能を必要としなくて良い場所は存在することを規格は認めています。
その上で、必要とする箇所においては非常停止としての規格が国際的にも国内的にもあるわけです。
「ものづくりは法規、規定、そして規格の上に成り立つものである」
私は永遠にこの言葉を使うと思います。
満たしてないものは事実としてあります。
ただ、あるべきとしての姿とはかけ離れています。
そして、あるべきを語れなくなったものづくりは、ものづくりとは呼べません。
仕様がなくも淘汰されていくものであると考えます。
非常停止ボタンの色は赤でなくてはなりません、背景はよほどのことがない限り黄色でなくてはいけません。
そして非常停止はいつでも使えるようなものではいけません。
規格を満たしてないものが存在していることを否定をする人はよほどいないと思います。
しかし、その存在は推奨されてるわけではありません。
あくまで規格に則っていない推奨されないものとして扱う方が自然なわけです。
そして決定的に、厚生労働省が非常停止は液晶に入れてはならないと明記している文書もあります。
「お前が作った誤って設備で人が死んだんだぞ」
私が知るなかで最も殺傷能力のあるパワーワードの一つですが、これを言われないために私は設備を真面目に立ち上げてますし、教育・普及に尽力してる人もまたいるわけです。
眠れないのでつらつらと書き殴りましたが、
最後に繰り返すと「エンジニアであるのならば言葉の定義には敏感になるべきである」です。
大抵のことはそれだけでも相当数解消します。
サンドバックにされる生技の意見として参考になれば嬉しいです。 November 11, 2025
1RP
安倍元首相暗殺の不都合な真実20
山上の無差別暗殺テロ事件の奇妙さ
山上の手製銃に10倍の殺傷能力があり
他の人が巻き添えになる可能性が十分にあったと奈良県警が証言した。
しかし、銃口は安倍氏を狙いながら1発目は当たらず、2発目ボディガードが防ごうと集まったが、安倍氏だけ被弾‼️
多くの聴衆にも当たらず‼️
もしもになりますが、他の人も多く死んでいたら、無差別テロ事件になり、山上に同情する人は誰もいなかったはず‼️
この12発の散弾銃が狙ったように、
安倍氏だけを殺せる確率はどれ位だろうか?
奇跡的であり、とても奇妙なこの事件‼️
皆さんはどうお感じでしょうか?
#山上裁判 #安倍暗殺 #安倍元首相銃撃事件 #真相究明 November 11, 2025
"殺傷能力ある空気銃など違法エアガン所持の疑い、男10人を書類送検…計191丁を押収" - 読売新聞 #SmartNews
名前は?
国籍は? https://t.co/M1uKn5JWu0 November 11, 2025
誤解ないように最初に加えると動画は今初見で、良いね!と思い、ドラフターを批判するつもりも全くないですが、
こういうとき私の中で言うことは2つで決まってます。
「エンジニアであるのならば言葉の定義には敏感になるべきである」
「守れない現場があるからといって規格の議論を歪めるべきではない」です。
数ある「たった一言」の地雷を踏み抜くことに長けている生技の人なら、納得してくれる人は多いと思います。
つまり、解説動画における例として『非常停止』と言う言葉を使うべきではなかったと私ならそう考えます。
『停止ボタン』でも別によかったわけです。
非常停止ボタンはシンプルです。
シンプルでなくてはならない代表例でもあります。
そして非常停止というイメージの共通認識に齟齬はあまりありません。
それは規格のおかげでもあるわけです。
つまり規格を前提として普及した機能ともいえると考えます。
その規格の話をすると、非常停止は装置固有のリスクに左右される機能ではなく、規格で定められた最低要件を満たす義務のある安全機能として扱われます。
「PLCでE-stopを組むことが許されるケースがある」という主張は、停止カテゴリ・機械安全規格の定義を混同した誤った理解です。
とも言えるわけです。
一方で、ドラフターさんの言う通り、リスクアセスメント次第で非常停止機能を必要としなくて良い場所は存在することを規格は認めています。
その上で、必要とする箇所においては非常停止としての規格が国際的にも国内的にもあるわけです。
「ものづくりは法規、規定、そして規格の上に成り立つものである」
私は永遠にこの言葉を使うと思います。
満たしてないものは事実としてあります。
ただ、あるべきとしての姿とはかけ離れています。
そして、あるべきを語れなくなったものづくりは、ものづくりとは呼べません。
仕様がなくも淘汰されていくものであると考えます。
非常停止ボタンの色は赤でなくてはなりません、背景はよほどのことがない限り黄色でなくてはいけません。
そして非常停止はいつでも使えるようなものではいけません。
規格を満たしてないものが存在していることを否定をする人はよほどいないと思います。
しかし、その存在は推奨されてるわけではありません。
あくまで規格に則っていない推奨されないものとして扱う方が自然なわけです。
そして決定的に、厚生労働省が非常停止は液晶に入れてはならないと明記している文書もあります。
「お前が作った誤って設備で人が死んだんだぞ」
私が知るなかで最も殺傷能力のあるパワーワードの一つですが、これを言われないために私は設備を真面目に立ち上げてますし、教育・普及に尽力してる人もまたいるわけです。
眠れないのでつらつらと書き殴りましたが、
最後に繰り返すと「エンジニアであるのならば言葉の定義には敏感になるべきである」です。
大抵のことはそれだけでも相当数解消します。
サンドバックにされる生技の意見として参考になれば嬉しいです。 November 11, 2025
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