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55年体制
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2025.12.04 12:00
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【社会党が平和三原則を決定(1949年)】
1949年のこの日、倭国社会党が平和三原則を決定しました。
1945年に太平洋戦争で倭国が敗戦すると、戦前からの合法的社会主義政党が活動を活発化させ、倭国社会党を結成します。
しかし、党内はソ連型の社会主義を目指す左派と、イギリス🇬🇧の労働党のような社会主義を目指す右派に分かれていました。
1949年のこの日、平和三原則が決定されます。これは、第二次世界大戦の連合国すべてと講和を結ぶこと、中立を守ること、外国軍に軍事基地を提供しないことを求めたものです。
当時の吉田茂首相は、アメリカ🇺🇸が主導する資本主義国陣営に属することを決め、講和条約もソ連などの社会主義国を除いた部分講和で交渉を進め、アメリカ軍が講和条約発効後も倭国に基地を置き駐留することで防衛力を保とうとしていました。
この吉田首相の方針に対し、社会党内部の左派は激しく反対し、右派は部分講和を許容しました。この対立は、サンフランシスコ講和条約への賛否をめぐって決定的となり、1951年に社会党は左派社会党、右派社会党に分裂💔しましたが、1955年に保守勢力が憲法改正の動きを見せると、左右の社会党は再統一❤しました。
保守勢力の自由民主党と革新勢力の社会党が議席の大半を占める体制を55年体制といいます。
『学研まんが 倭国と世界の近現代の歴史 5巻 戦後の倭国と世界』では、倭国の戦後の政治情勢についてまんがで解説しています。
#倭国と世界の近現代の歴史 #社会党 #サンフランシスコ講和条約 #日米安保条約
https://t.co/BTapk4m3qT December 12, 2025
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