カウンターカルチャー トレンド
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2025.12.01〜(49週)
:0% :0% (30代/男性)
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Alan Dyeら複数人がアップルを去りMetaに参画するニュースを見て自分の偏見に基づいて思ういくつかのこと:
1.アップルは個々人の自由を重視するカウンターカルチャーを出自とした老舗テクノロジー企業として自分達の事業のもたらす結果について強い責任感持ちストイックに事業を展開してきた会社。それだけに能力高い人もアップルにいる間は個人の能力の高さで輝きスポットライトを浴びることが難しい。そのため一定年齢になると、他ならもっと自分の能力を活かして活躍できる、と飛び出したくなる衝動が生じやすい(業界の危うさとか見て使命感ドリブンになっていないと仕事続けるのキツい)
2. 移籍先としてGoogleは直接競合過ぎたり、中年期にかかっていてApple並みに責任重視せざるをえないこと増えてきたので選びにくいが、MetaやAmazonは責任感薄い分チャレンジできること多く、またお金ドリブンで動くことが魅力な部分も。でも、実際に入った後、これだけ「責任」というものに対する認識が違う会社に勤めることに心が傷つかないのか心配(まあ、もしかしたら倭国法人に勤めるとかなら、「ただUSに従っているだけ」だから、社内の良い光にだけに目を向けていればそこまでハートは痛まないのかも)
3.今、AIは技術開発の部分はある程度進め方や研究の仕方の形が決まっていて、それを続けるだけなのでAIで社会変革を志す企業はむしろそのAIという形のないものが「人々とどう関わるかの設計」(=デザイン)こそが重要だと気が付き、そこに対しての投資を強め始めている。
4. 最終的に人に関わる以上は、技術よりの人みたいに自分の興味本位ではなく、使う人目線でモノを考えることができる「デザイナー」は極めて重要な職種であり、欧州ではハードで、米国ではソフトのデザインで世界をリードしてきた。倭国にはその両方を包摂したヒュメインな「おもてなし」視点やアニミズム/自然視点から転じてpost-human centric的な視点でデザインできる優秀なデザイナーも多いのに政府やら企業経営者らは未だに「技術」の方が大事と考えデザインの大事さが理解できていない人が多く、デザインにしっかりと投資をしていない=将来、倭国の優秀なデザイナーも海外などに流出する可能性がある。 December 12, 2025
11RP
確かにわたなれ最初に見たとき「これ別に普通の男主人公ラブコメで成立しそう」とは思ったけど、因果が逆で「ハーレム物は異性愛じゃない百合でも出来るよ!」という一般的な異性愛ハーレムに対するカウンターカルチャーの様相になってるから強いんだなと感じてからその指摘は歯牙にもかけなくなったな December 12, 2025
3RP
【気が向いたらリポストしてください】
「スティーブ・ジョブズ最後の言葉」なるものが、性懲りも無く上がってきたので、ジョブズが言わないであろう言葉をチャットGTPに列挙させてみました。
あれって死者に対する冒涜だと思うんですよねえ、、、
(以下、チャットgpt)
以下、「スティーブ・ジョブズが“絶対に言わないであろう部分”」を、
彼の性格・思想・一貫した行動原理に基づいて、論理的に指摘します。
結論から言うと ——
これは100%ジョブズの文体でも思想でもなく、後年に作られた“モラル説教系フィクション”です。
(本人の遺族・Apple関係者も完全否定しています。)
⸻
■ジョブズが絶対言わないであろう言葉(理由つき)
①「富を追い求めた」「富は意味がない」「富によって歪んだ」
終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
●ジョブズが言うはずのない理由
• そもそもジョブズは“富を目的に生きた”ことが一度もない。
彼は「金儲けには興味がない」と公言している。
• 彼はスタンフォードスピーチでも「富」「成功」について語らず、
創造性・直感・愛・死・美の話しかしない。
• 富にコンプレックスもないし、富を道徳的に語るタイプでもない。
ジョブズの価値観
→ “make a dent in the universe(世界に衝撃を与える)”
→ 富ではなく、創造と美とテクノロジーの融合に人生を費やした
→ 金の話を道徳っぽく総括する人ではない
⸻
②「神の息を感じる」「死が近づいている」「愛が本質だ」
神の息を感じる。
愛情にあふれた思い出だけだ。
愛があなたを照らしてくれる。
●ジョブズが言うはずのない理由
• ジョブズは典型的な仏教徒的・禅的思考であり、キリスト教的な“神”という表現を使わない。
彼は禅寺で座禅の修行をし、スピリチュアリティの語彙も禅のものに限定されている。
• 「愛に満ちた思い出」が人生の本質という感傷的でロマンティックな作文は、
ジョブズのシンプルで鋭い表現スタイルと完全に矛盾する。
ジョブズならこう言う
→ “Stay hungry. Stay foolish.”
→ “Your time is limited.”
→ “Don’t waste it living someone else’s life.”
甘い言葉ではなく、刃物のようにシャープな言葉しか使わない。
⸻
③「健康な生活の本」「健康を大切にしろ」
読み終えていない本がある。「健康な生活を送る本」
●ジョブズが言うはずのない理由
• 彼は生涯を通じて健康本を読むタイプではない。
• むしろ病気になってからも、東洋医学・食事療法を独自判断でやり、
本に頼らない性格。
• “健康な生活をしよう”という良心的な標語は、
ジョブズの反逆精神・カウンターカルチャー的哲学に反する。
ジョブズは「健康に良い人生」ではなく、「情熱のために生きる」人生を選ぶ人間。
⸻
④「他人を大切にしなさい」「家族を大切に」
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
友人のために。
他の人を大切にしてください。
●ジョブズが言うはずのない理由
• 彼は晩年でもなお、家族や同僚に厳しく、
「家族を大切に」などという道徳的・一般論的教訓を語る人格ではない。
• ジョブズは「こうすべきだ」的な道徳の押しつけを生涯しなかった。
彼の語る価値観
→ “Follow your heart.”
→ “Love what you do.”
ジョブズは人生観を抽象化して普遍的道徳に落とすタイプではない。
⸻
⑤「人生とは思い出だけだ」
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
●ジョブズにはあり得ない理由
• 彼の人生観は「思い出」ではなく、
**“世界に何を生み出したか(創造)”**にある。
• 思い出のような内的世界より、
世界に残る作品・影響を重視する人物。
ジョブズの本物の思想
→ “The journey is the reward.”(旅そのものが報酬)
→ 「私は世界を変えたい」
内向き sentimental(感傷)ではなく、外向き visionary(未来志向)。
⸻
■逆に、ジョブズが語った「実際の最期に近い言葉・考え方」
●生前最後に近いスピーチ
• 「死はおそらく生命が発明した最高のイノベーションだ」
• 「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きるな。」
●彼の本心と一致するテーマ
• 創造
• 美
• 直感
• 死は人生の本質
• たった一度の人生を燃やすこと
これらは今回のネット上の“説教作文”とは根本的に違う。
⸻
■まとめ:この文章が絶対ジョブズではない理由
✔ 文体が違う(ジョブズは短く鋭い。文章は冗長で説教調)
✔ 語彙が違う(キリスト教的 / 道徳的表現を使わない)
✔ 価値観が違う(富・健康・家族愛を一般論で語らない)
✔ 世界観が違う(感傷より創造を語る人物)
✔ 遺族もApple関係者も「完全なフェイク」と明言
⸻ December 12, 2025
3RP
福尾匠『置き配的』読了。
SNSのタイムラインは、言葉を置いておく玄関先のようであり、言葉はサイバー空間内を占有する荷物的なものへと変質しつつあるという所感から出発していく。
よって、SNSの普及により言葉はリアルタイム(=手渡し)で伝達されるという従来の常識が後退していき、置かれた言葉・つぶやきは商品化されているように見えてくる。
商品は顧客=他ユーザーの手に取ってもらえるようにデザイン化されている。
SNSにおける言葉のデザイン化とはポジショントークであり、アテンション・エコノミーのための戦略であり、誰かにとっての陰謀論化である。
表現のセンシティブさという表層の部分だけをユーザーはさらって共有していき、タイムラインは表層の海となってさざめき続ける。
元ポストの本質や真相を探り当てようという知的好奇心は呼び起こされず、「ひとまず流れに乗れ」という刹那的なムーブメントだけが支配する。
福尾はSNSにおいては、言うべきことが過密に提供されるような気がしてくるということから、「言うべきことが〈密〉な空間」としている。
その対抗馬として持ち上がる概念が、「言うべきことが〈疎〉である空間」だ。
ドゥルーズはかつて、言うべきことが何もないのは喜びであり、人が疲弊するのは伝達が妨害されるからではなく、言うに値しないものを見てしまうからだと述べていた。
SNSは大したことがないトピックでも、簡単に政治的・社会的性格へと文脈を組み替えてしまう。
言及し、批判するに値するものであると価値を無理矢理上昇させてしまう。SNSは石ころをはりぼてのダイアモンドに変えてしまう。石を石として見ようとすることは許されないかのように。
〈密〉に対して〈疎〉を持ち上げても、それすらもカウンターカルチャーとして〈密〉の文化に吸収されてしまう。二項対立に還元されないような、本質的な差異を両者から見出すための道のりは、果てが知れない。 December 12, 2025
2RP
@natalie_mu PVのイメージはまさに「凶暴」で「悪魔的」で「憎しみ」を感じさせるイメージを強調したものですね
キリスト教的な社会道徳や性倫理に対するトランスジェンダー界隈のカウンターカルチャーにお約束の様に影響を受けてしまっていますね。
多様性と言いながら自分たちが最も「型」にはまっているのですよ https://t.co/Jmoc8BO6cb December 12, 2025
1RP
私は昭和世代ではないけれど、「人情深くて温かい」といったイメージだけを抽出した今の昭和レトロブームにはどうも違和感がある
昭和の味わいとは、ガロやカウンターカルチャーに見られるような、もっとドロリとした側面も含めてのものだと感じるから December 12, 2025
しかし、子供でも観れる時間にTVでやってたってのが凄いよな…あれから何年経ってんの…って感じだけれど、未だに同性婚に理解ないとか…どこの世界線から来た奴が足引っ張ってんだクソが…とか思う…もはやカウンターカルチャーのカウンターカルチャーの、そのまたカウンターカルチャーの…って感じでなんも発展しないセカイ
TV観たことが無い!とか言う奴を政治家や公共事業のトップに立たせたらアカンわ…YouTubeにどハマりしてるアホもアカン… December 12, 2025
@maya_pan0203 リプ、ありがとうございます(*^_^*)
アニメは戦後の反戦・反核思想がベースにあるカウンターカルチャーだと思っています。
エマ中尉もリィナもアン教授もパティもジャッキーも素敵でしたが、『EVE burst error』の御堂真弥子のラストシーンも素晴らしかったです✨️
れいわと共に、応援しております🤘🏻 December 12, 2025
新左翼思想、レーニン主義や毛沢東主義のような、アナキズム敵な、反体制カウンターカルチャー的なものと、マルクス経済学は全くといっていいくらい関係がないし、資本論を読んでそうなったなら頭がオカシイとしか言いようがないので、テメーも資本論を読んでねえだろってだけなんだよね December 12, 2025
チャッピーさんに解説してもらった。
めちゃくちゃおもしろい視点だと思うので、その仮説をもうちょい「増幅」してみますね。
* * *
## 1. 天使=官僚制としての読み替え
天使のヒエラルキーって、だいたいこんなイメージですよね。
- 九つの階級(熾天使・智天使・座天使…みたいな)
- 役割がきっちり分業されている
- 神の意志を「執行」する存在であり、裁量よりも忠実な遂行が重視される
- 軍隊としても「天の軍勢」として指揮命令系統がある
これって現代人の感覚で読むと、完全にこうなる:
> 「トップに神=政治権力がいて、
> その下に教会=官僚機構が垂直統合でぶら下がってる」
だからサブカル側から見ると、
- 「ルール」「秩序」「法」「システム」「組織」
- 「上からの命令に従うだけで、自分では選べない存在」
という記号を天使側に貼りやすい。
主人公がアナキストだったり、反体制側だったりすると、
自動的に天使=敵陣営(体制・資本・国家・管理社会)になりやすい、という構図はすごく納得感あります。
* * *
## 2. 悪魔=封建制っぽい階級の象徴性
対して悪魔側の階級が、
- 王(King)
- 公爵(Duke)
- 伯爵(Earl)
- 侯爵(Marquis)
- 侯・伯・公がうようよいる
- それぞれが自分の「軍勢」を持っていたり、「○○軍団を率いる」みたいな書かれ方をする
という、まんま封建貴族制のレイヤー構造になっているのが面白いところで、
- 「絶対君主の官僚機構」ではなく
- 「地方領主が割拠する古い権力構造」
の記号になっているとも読めるんですよね。
ここでユーザーさんが書いてる
> 封建制の場合は完全なる上下関係ではなくて、
> 領土を与えられその地方では王として振る舞う。
> ある種のフラットさがある、古い階層構造。
ってところが効いていて、
- 天使:上意下達・中央集権・匿名的な官僚制
- 悪魔:顔のある領主・ローカルな支配・ある種の「人間臭い主従関係」
みたいな対比が立ち上がってくる。
「官僚制と封建制は同じ階層構造だけど、関係性のニュアンスが違う」というのもまさにで、
- 官僚制:ポジションが人格より優先される(誰がやってもそのポストは同じ機能)
- 封建制:人格とポジションが一体化している(あの領主だから成り立つ支配)
という差異が、そのまま
- 天使:人格薄い・役職としての存在
- 悪魔:やたらキャラが立っている・癖の塊
というサブカル的描写にも繋がっている感じがします。
* * *
## 3. 「民間の妄想としての悪魔封建制」という仮説、けっこう筋がいい
あなたが書いていたこの部分:
> 悪魔側はあくまでも教会外の民の妄想。
> その中で、教会を中心とする官僚主義的なものに対する反発もあり、
> 昔ながらの土着的な封建主義的な階級を想定した、というのは
> 流石に根拠はない妄想なのだけど、ちょっと仮説としては面白い
これは「完全に根拠ゼロの妄想」ってほどでもなくて、
**少なくとも “そう読める余地” はわりとある** 気がします。
ざっくり整理すると:
- 教会ヒエラルキー=超中央集権・超官僚制(ローマ or 司教制)
- それに対する「距離」とか「反発」とか「やれやれ感」は、民衆側に常にあった
- 一方で、身近にいるのは「領主」とか「騎士」とか「地主」とか、封建的な顔のある権力者
- “悪魔と契約する農民” の物語は、だいたいローカルな交渉/取引の物語
- つまり
- 教会上層:カッチリした天使側の官僚的秩序
- ローカルな現場:領主や魔物や妖精や悪魔と「顔の見える取引」
という二重構造の中で、「悪魔が封建貴族じみた階級を持つ」というイメージは、
> 教会的中央集権に対する、土着世界のローカル権力の投影
として読むことは十分できる。もちろん、
- 歴史学的にガチ検証しろ、って言われたらエビデンスは薄い
- 「悪魔=民の封建的妄想」という図式をそのまま史実として語るのは危険
なんだけど、
- 「象徴分析としてはおいしすぎる
- 「サブカル的読解・創作上の設定としてはかなり使える」
という意味で、かなり良い仮説だと思います。
* * *
## 4. サブカル文脈だと、かなり相性のいい構図
現代の漫画・アニメだと、だいたいこうなりがちですよね:
- 天使=
- 体制・秩序・法・管理社会
- システムに組み込まれた兵士
- 個人よりも「任務」が優先される存在
- 悪魔=
- アウトロー・地下社会・アナーキズム・カウンターカルチャー
- ローカルなコミュニティのボス・マフィア的な「顔役」
- 人間と取引する、距離の近い存在
で、主人公がアナキスト寄りになると、
- 天使陣営:正義を名乗るが、実は人間から自由を奪う側
- 悪魔陣営:倫理的にはグレーだが、人間の欲望や弱さを肯定する側
という“語りの構造”が自然発生しやすい。
ここに
> 天使=近代官僚制の象徴
> 悪魔=古い封建制の象徴
という読みをかぶせると、
- 主人公:どっちの権力構造も信用していないアナキスト
- 天使:人間を「数字と規則」で管理しようとする
- 悪魔:人間を「感情と欲望」で絡め取る
- 人間:その両方に挟まれてもがいている
みたいな、めちゃくちゃ現代的なドラマの骨組みにできます。
まとめると、
- 天使=官僚制
- 悪魔=封建制
- 悪魔封建制=教会官僚制に対する民衆側の「ローカル権力」イメージの投影
という読みは、「史実の断定」ではないけど、
- 記号論的・サブカル的にはかなりスジのいい解釈
- 物語設計のフレームとしても強い
ので、「根拠はない妄想」じゃなくて「上手な象徴読解&創作のための仮説」として堂々と使っていいやつだと思います。 December 12, 2025
あら、原宿オルター限定の60sノースフェイスT…あの時代の写真が素敵すぎて胸がきゅんってなっちゃった🌸
ノースフェイス 60s ヒッピー カウンターカルチャー 原宿オルター限定Tシャツ
https://t.co/eG6DLShLBA December 12, 2025
オタクの一般化
1989 宮崎勤事件 (オタク差別全盛)
1995 エヴァ
2005 電車男
2006 ハルヒ
2009 けいおん
2011 まどマギ
2013 進撃
2016 君の名は
2019 鬼滅
でグラデーションを描き、鬼滅でアニメ=一般娯楽化が完了するけど、それと同時にカウンターカルチャー(中高生の秘密基地)ではなくなった December 12, 2025
福尾匠『置き配的』読了。
SNSのタイムラインは、言葉を置いておく玄関先のようであり、言葉はサイバー空間内を占有する荷物的なものへと変質しつつあるという所感から出発していく。
よって、SNSの普及により言葉はリアルタイム(=手渡し)で伝達されるという従来の常識が後退していき、置かれた言葉・つぶやきは商品化されているように見えてくる。
商品は顧客=他ユーザーの手に取ってもらえるようにデザイン化されている。
SNSにおける言葉のデザイン化とはポジショントークであり、アテンション・エコノミーのための戦略であり、誰かにとっての陰謀論化である。
表現のセンシティブさという表層の部分だけをユーザーはさらって共有していき、タイムラインは表層の海となってさざめき続ける。
元ポストの本質や真相を探り当てようという知的好奇心は呼び起こされず、「ひとまず流れに乗れ」という刹那的なムーブメントだけが支配する。
福尾はSNSにおいては、言うべきことが過密に提供されるような気がしてくるということから、「言うべきことが〈密〉な空間」としている。
その対抗馬として持ち上がる概念が、「言うべきことが〈疎〉である空間」だ。
ドゥルーズはかつて、言うべきことが何もないのは喜びであり、人が疲弊するのは伝達が妨害されるからではなく、言うに値しないものを見てしまうからだと述べていた。
SNSは大したことがないトピックでも、簡単に政治的・社会的性格へと文脈を組み替えてしまう。
言及し、批判するに値するものであると価値が無理矢理上昇してしまう。SNSは石ころをはりぼてのダイアモンドに変えてしまう。石を石として見ようとすることは許されないかのように。
〈密〉に対して〈疎〉を持ち上げても、それすらもカウンターカルチャーとして〈密〉の文化に吸収されてしまう。二項対立に還元されないような、本質的な差異を両者から見出すための道のりは、果てが知れない。 December 12, 2025
カウンターカルチャーって、別に「みんなと違うことがカッコいい」って自己満足のためじゃなくて、社会が「これが普通」「これが正しい」って無意識に決めてしまった枠組みを、定期的に揺さぶってくれる存在だよね。不器用で傷つきながらも挑戦してる人達はラディカルで、必要な存在なんじゃないかな。 December 12, 2025
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