機内モード トレンド
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2025.12.16 05:00
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「『休日』の話」
因 キアラ
目が覚めて最初にやることが、スマホの画面を点けることになっている。 時間を見る。天気を見る。未読が増えてないかだけ見る。必要な情報を得るというより、「世界が今日も動いているか」を確認している。
それをやっている時点で、私はもうスマホに生活の心臓を預けている。 だから、たまに思う。これって、負けっぽいな、と。便利さに負けたというより、安心の取り方を一個の板に寄せすぎた、みたいな負け。
で、今朝の私は、負けを確定させる前にスマホが死んでいた。
画面は点く。時計も出る。なのに、右上のアンテナが一本も立っていない。圏外。再起動しても、機内モードをON/OFFしても、相変わらず世界と繋がらない。
ベッドの上で数分、指だけ動かして、最後に「料金未納」の可能性が脳内に浮かぶ。
思い当たる。
むしろ思い当たりしかない。
でも、その瞬間に来たのは焦りじゃなくて、変に静かな「……あ、今日これでいいや」だった。
最悪、困るのは私だ。仕事の連絡も、締切の確認も、決済も地図も全部、スマホに寄りかかっている。
なのに、繋がらないと分かった途端、体のどこかが「じゃあ休み」と勝手に札を下ろした。ずるい。便利な故障だと思う。
財布を探す。現金が数千円。小銭がやけに重い。 最近は「現金使えない店」が少なくないというのに、今日に限っては現金が唯一の武器になる。 武器というより、原始人の火打ち石みたいなものだ。
いや言い過ぎか。
とりあえず外に出た。休日の朝の住宅街は、生活の裏側の時間が漂っている。ゴミ置き場のネット、濡れた段ボール、コンビニの納品トラック。人は少ないのに、街はちゃんと動いている。
コンビニで菓子パンを取って、レジに行って、店員に言われる。
「ポイントつけますか?」
反射的に「ないです」と答えそうになって、口をつぐむ。
答える相手は目の前にいるのに、いつもの返事の型が喉で詰まる。ポイントカードのバーコードはスマホの中に住んでいるからだ。
私は一瞬だけ、ちゃんと不便な人間になる。
「……ないです」
言ってから、妙に負けた気になる。
ポイントを取り逃したとかそういう話じゃない。自分の生活が、あまりにも当たり前に“接続”前提で組まれていたことが、今さら可視化されて恥ずかしい。恥ずかし負けだ。
会計は現金。お釣りが手のひらに落ちる。硬貨の冷たさが、生活の手触りとしてはちゃんとしている。
こういうのが好きかと言われると別に好きではない。ただ、ちゃんと「重い」ものは、嘘がつきにくい。
店を出て、パンを齧りながら歩く。
地図がないので、行き先もない。予定がない休日は、普通なら贅沢なはずなのに、私の場合は「予定を組める脳」が働いてないだけだ。
でも今日は、そこを責めないことにした。責めたら、休日が仕事になる。
気づいたら古本屋の前にいた。外に出るといつもここに吸い込まれる。習性。
店内は紙と埃の匂いがして、棚のラベルが手書きで、時間の流れが遅い。スマホが死んでいても、ここでは困らない。
適当に文庫を抜いて、立ち読みをする。
途中で、自分の視線が「面白い」より先に「行間の癖」とか「改行のリズム」とかを拾っていることに気づいて、少しだけ嫌になる。職業病というより、性格に起因する病だ。
「その棚、昨日入れ替えたんですよ」
背後から声がして、肩がわずかに跳ねた。店員だった。三十代くらい。淡いパーカー。目が疲れているタイプの人間。
お互い顔は覚えているが、名前は知らない、常連客と店員、その程度の関係値。
「へえ」
私がそれ以上言わないと分かっているのか、その人もそれ以上言わない。ただ、棚の端で乱れた本を二、三冊直して、レジに戻っていく。
たったそれだけのやり取りなのに、妙に頭に残った。
「最近どうですか?」も「何かお探しですか?」もない。踏み込まないし、持ち上げもしない。ただ、「棚が入れ替わった」という事実だけが共有された。
こういう接触は、嫌いじゃない。
勝手に心の中まで踏み荒らされない。なのに、完全に無関係でもない。 人間関係の理想形、という訳では無いけど、私にとって安全な距離の取り方だ。
店を出る。昼の光が少し強くなっている。
結局、買ったのは百円の古いエッセイ集だけ。紙袋を持つと、生活をしている人のふりができる。(続く) December 12, 2025
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