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障害者
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2025.12.14 15:00
:0% :0% (40代/男性)
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障害者のくせにライブ行くんだ
障害者の家族のくせに推し活するんだ
生活保護者のくせに酒飲むのか
障害年金受給者のくせに遊びに行くのか
低所得層はがたがた物言いするな
X民、心が貧しすぎてついてけない December 12, 2025
36RP
「自助・共助・公助」というスローガン、あったね。
障害福祉の現場を一度でも見たことがある人間なら、口が裂けても言えないだろ。
自助?
それができない人を「障害者」と呼んでるんだが?
障害福祉の現実を言う。
働きたくても働けない
働けてもフルタイムは無理
支援がないと生活が崩壊する
ここに
「まずは自助」なんて言葉を投げるのは、
支援じゃない。責任転嫁だ。
共助?
それも幻想だ。
障害者ほど
家族が疲弊し
地域から孤立し
人間関係がリスクになる
「家族で支えろ」
「地域で見守れ」
それをやってきた結果が
家族介護の地獄と、孤立死だろ。
じゃあ何が土台か。
公助しかない。
制度
給付
支援
専門職
これが先にあって、
初めて人は生き延びられる。
自助は回復後の結果であって、前提条件じゃない。
そもそも
この「自助・共助・公助」が広まったのは
2010年代、国の社会保障費を抑えるため。
要するに、
「国が出る金を減らすために、
困ってる人に美徳を押し付けた」
それが正体。
障害者に
「自助しろ」と言う社会は、
・努力が足りない
・甘えている
・制度に頼るな
と、合法的に殴る口実を作っているだけだ。
はっきり言う。
自助・共助・公助は「順番が逆」。
正解はこれ。
公助 → 共助 → 自助
まず助けろ。
生きさせろ。
話はそれからだ。
この順番を否定する人は、
「障害があっても努力すれば健常者並みに生きられる」
という成功例の外れ値で他人を殴っているだけ。
それは福祉じゃない。
淘汰だ。
優しそうな言葉ほど、
誰を切り捨てているかを見ろ。
自助を掲げる社会は、
弱った瞬間に人権価値を剥奪される社会になる。 December 12, 2025
31RP
「頑張れる障害者」だけが生き残る社会の話をする
障害福祉の現場で、
暗黙のうちに評価される人がいる。
・毎日安定して通える
・体調を崩さない
・指示を理解するのが早い
・空気を読める
・文句を言わない
・前向きで、感謝を忘れない
いわゆる
「頑張れる障害者」だ。
そして逆に、
評価されにくい人もいる。
・調子の波が激しい
・継続が難しい
・説明に時間がかかる
・不安や不満を口にする
・疲れると動けなくなる
この差は、
努力の差ではない。
障害特性の差だ。
でも現場では、
この違いが
いつの間にか
「姿勢」や「意欲」の問題に
すり替えられていく。
なぜか。
制度が
「安定して頑張れる人」を
前提に設計されているからだ。
評価制度、
支援計画、
通所実績、
生産活動。
どれも
「継続」「安定」「再現性」を
重視する。
結果どうなるか。
支援が手厚くなるのは、
もともと
壊れにくい人だ。
一方で、
一番支援が必要な人ほど
「扱いづらい」
「難しい」
「対象外」
になっていく。
これは
誰かの悪意じゃない。
制度がそう振り分ける。
そして
「頑張れる障害者」は
無自覚に
成功例として使われる。
「この人もできている」
「努力すれば可能性はある」
その言葉が、
どれだけ多くの人を
黙らせ、
追い詰めてきたか。
頑張れている本人すら、
実は分かっている。
「今日はできただけ」
「運が良かっただけ」
「たまたま環境が合っただけ」
でも、
社会はそこを見ない。
できた結果だけを拾って、
できなかった人を切り捨てる。
その構図の中で、
障害者同士が
比べられ、
分断され、
静かに競わされる。
誰も得をしない。
頑張れる障害者は、
無理を重ねて壊れる。
頑張れない障害者は、
最初から排除される。
それを
「公平」
「自立支援」
と呼ぶのなら、
言葉が軽すぎる。
本当に問うべきなのは、
ここだ。
「頑張れない日があっても、
評価が下がらず、
居場所を失わない設計になっているか」
それがない限り、
この社会は
障害者に
こう言い続けているのと同じだ。
「頑張れる形に
なれた人だけ、
残っていい」
それは支援じゃない。
選別だ。
「頑張れる障害者」を称賛する社会は、
同時に
「頑張れない障害者」を
黙って切り捨てている。
それに気づかないふりをする限り、
福祉は
どこまでいっても
救済にならない。 December 12, 2025
17RP
障害福祉で「一番壊れていく人たち」の話をする
障害福祉の話になると、
批判の矢はだいたい二方向に向く。
「利用者が甘えている」
「現場が無能だ」
でも、
一番見落とされている存在がいる。
福祉職もまた、この制度の被害者だ。
多くの福祉職は、
最初から分かっている。
・この支援では足りない
・この工賃では生活は立たない
・この関わり方では救えない人が出る
それでも、
制度の中で働く以上、
できることは決まっている。
支援を増やしたくても
予算がない。
柔軟にしたくても
ルールが許さない。
個別対応をしたくても
人手も時間も足りない。
それでも現場では、
「支援している側」として
振る舞わなければならない。
だから、
本当は言えない言葉が
山ほど溜まっていく。
「あなたは悪くない」
「この制度が合っていない」
「ここでは限界がある」
それを
はっきり言ってしまえば、
制度そのものを
否定することになるからだ。
結果、何が起きるか。
説明は
どんどん抽象的になる。
「もう少し頑張れたら」
「安定して通えたら」
「継続が大事です」
本当は
構造の問題なのに、
話はいつの間にか
個人の姿勢や努力の話にすり替わる。
そして、
一番苦しくなるのは誰か。
利用者だけじゃない。
それを言わされている福祉職自身だ。
利用者が傷つくのを見ながら、
自分もまた
制度の代弁者として
嫌な言葉を口にし続ける。
その積み重ねで、
現場は疲弊する。
燃え尽きる人もいる。
理想を失う人もいる。
「深く関わらない方が楽だ」と
距離を取る人も出てくる。
それを外から見て、
「冷たい」「向いてない」と言うのは簡単だ。
でも違う。
冷たくなったんじゃない。
壊れないために、そうならざるを得なかっただけだ。
この制度は、
利用者にとっても不十分だが、
同時に
福祉職にも
過剰な善意と忍耐を要求する。
救えない現実を、
個人の努力で
埋め合わせろという設計。
それは
支援でも福祉でもない。
だから、
障害福祉の議論で
「自己責任」が出てきた瞬間、
本当はこう言い換えるべきなんだ。
それは個人の責任じゃなく、
制度が背負うべき失敗だ。と。
障害者と福祉職を
対立させている限り、
この問題は解決しない。
両方とも、
同じ構造の中で
消耗させられているだけだから。
この制度は、
「頑張れる利用者」だけでなく、
「壊れない福祉職」しか
生き残れないようにできている。
それを
健全な福祉だと思うなら、
もう感覚が麻痺している。 December 12, 2025
13RP
ほんの1部なんだろうけど
障害者や親が楽しくしてるのが許せない人がいるようです
社会に迷惑をかけているのだからひっそりと生きろと言う事なんでしょうか…
24時間闘っているのだからたまの息抜きぐらいいいじゃない
国が貧しくなると人の心も貧しくなるのかな December 12, 2025
10RP
障害福祉の話になると、
必ず出てくる言葉がある。
「自己責任」
「努力不足」
「甘え」
はっきり言う。
障害福祉の文脈に自己責任論を持ち込むのは、論理的に破綻している。
理由は単純だ。
障害福祉は、
本人の努力だけでは生活が成立しない前提で設計されている。
たしかに、
作業所を変えれば
作業内容を選べる場合もある。
評価制度があり、
頑張る人に工賃が上乗せされる現場もある。
でも、ここで一度、現実を見てほしい。
・事業所を変えるには体力・情報・環境が要る
・地域によって選択肢の数は大きく違う
・評価があっても生活を左右する水準には届きにくい
・体調や特性で「継続的に頑張れるか」は日によって変わる
つまり、
「選べること」と「選び続けられること」は別物だ。
この状態で
「結果が出ないのは自己責任」
と言うのは、
個人の問題にすり替えて構造を無視している。
努力を語るなら、
まず問うべきことがある。
「努力が、生活の安定に結びつく設計になっているか?」
障害福祉の現場では、
多くの場合、
努力と生活の安定が直結しない。
どれだけ真面目に通所しても、
どれだけ作業量をこなしても、
収入は数千円〜数万円台。
評価はあっても、
人生を立て直せるほどの差にはならない。
ここで
「もっと努力しろ」
と言うのは、
本人を励ましているようで、
実際には
制度の限界から目を逸らしているだけだ。
自己責任論が一番楽なのは誰か。
・制度を作った側
・運営する側
・外から眺めている第三者
「本人の問題」にしてしまえば、
構造を直さなくていい。
リソースを再配分しなくていい。
考え続けなくていい。
だから自己責任論は、
道徳の仮面をかぶった思考停止として頻繁に使われる。
そして一番の問題は、
障害者自身が
それを内面化させられることだ。
「自分が悪い」
「努力が足りない」
そう思い込まされて、
自尊心を削られ、
静かに壊れていく人を、
現場で何人も見てきた。
障害福祉で問われるべきなのは、
根性でも覚悟でもない。
調子が悪い日があっても、
失敗しても、
生き続けられる設計になっているか。
それだけだ。
障害福祉に自己責任論を持ち込む人は、
冷たいわけでも、悪意があるわけでもないと思う。
ただ、
現実を知らないか、
見ないで済ませているだけ。
※もし
「でも努力は必要だろ」と思ったなら、
それ自体は否定しない。
ただ一つだけ言う。
努力を道徳として振りかざしていいのは、
努力が生活を支える水準まで報われる土台を
用意した側だけだ。 December 12, 2025
9RP
障害者向けとZ世代に講師やってて感じるんだが、これはASDのせいというより、「親が子供に人付き合いをどう見せてきたか」の違いでしかないと感じる
冠婚葬祭のお作法は体験しないと身につかないのと同じで、経験、パターンの積み上げ
言いたくないけど、育ち https://t.co/t9HEiSVTJP December 12, 2025
9RP
映画館にて
僕「…」(障害者価格で発券)
係員「手帳の提示をお願いします」
僕「フゥ〜…」クレカ見せ
ザワザワ…!
係員「あいらいふぁー⁉️第一級障害者じゃないか…」
僕「フン。じゃあね。行くよ、りり…」 https://t.co/neiXCbxz8I December 12, 2025
4RP
昔のインクルーシブもくそもない時代のごった煮環境。
「色々な子がいると理解できる環境」というメリットもあったんだけど、
「俺らの時代ってなんかクラスで叫んでるやつがいたよね」「突然暴れるやつもいたな」くらいの認識で、
その世代の大人達が障害者に理解があるかと言うと別にないと思うんだよね。
色々な人がいて良いよね!の職場も
最低限の仕事は自力でこなし、周りに迷惑をかけないことが前提。
配慮とかの話になると色々難しい面はある。(本人の伝え方とか立ちふるまい含めて色々難しい)
いたよね、までは知ってても
じゃあそういう子をどうしようか、何故そうなってるのかまでは理解は追いついてない。
時々「子どもの時にクラスにいた〇〇ちゃんのおかげで、今先生になりました」「〇〇ちゃんのおかげで視野が広まりました」みたいな話もあるけど、その障害児が大人しくて穏やかな子とか、可愛がられやすい子のパターンが多い気がしてる。
周りに受け入れられやすい子と
受け入れられにくい子は
見えてる世界も
周りからみた印象も全然違う。
マスコット化されて嬉しい子もいれば、それが嫌だった子もいるし
静かに劣等感重ねた子もいる。
「色々な子」が可視化されることは大事だけど、可視化されるのと同時に「色々な性質の子がいて、それぞれに合う対応も、やって欲しい事も皆違う。」までセットでないとあんまり意味ないかな。
なんで暴れてるのか。
なんで叫んでいるのか。
でもそんなん説明できる大人はあんまいないし、大人そのものも「こら!静かにしなさい!」で怒るか、「あの子デイとか支援いけば良いのに」でとまるから、まぁ色々足りてはないよね。 December 12, 2025
3RP
【障害者ブランドココリティ】くま作 ショルダーバック 「ワンショルダーバック(チョコレート柄)」NO.4547で検索
チョコレート柄が可愛く甘い!障害者ブランド「ココリティ」のハンドメイドワンショルダーバッグ。ユニークなデザインで毎日のおしゃれを楽しく♪¥1,680 https://t.co/Fz9IZ2qIo0 December 12, 2025
2RP
障害者ブランド・ココリティと申します。心のままに、ありのままを作品にしています。そこにあるのは、世界にひとつだけの感性。作品を通して、何かひとつでも感じていただけたら嬉しいです。画像は「幸せを運ぶ」「幸運を呼ぶ」アイテムとされる「サンキャッチャー」ペンギンさんが制作いたしました
【福祉施設制作】ペンギン作 サンキャッチャー 「クリスマスの夜」 NO.4676で検索 December 12, 2025
2RP
少しずつやっと少しずつ
障害福祉の所得制限撤廃が進んでるのはわかる
でも何年もいや10何年もしんどかった
そして来月20歳になる我が子
間に合わなかった障害児福祉所得制限撤廃
障害児福祉と同時にどうか20歳からの特別障害者手当の親きょうだいでの所得制限を撤廃してほしい December 12, 2025
2RP
障害者やその家族は推し活、オタ活をするなという人はいる。だから私も「障害年金は受給してない」とわざわざ言わなきゃいけない。こんなことを言わなくてもいい世の中になってほしい。 https://t.co/C4DUR2M1Lx December 12, 2025
1RP
この前、障害者が社会進出についてのドキュメンタリー見て、モヤっとした。気持ちは分かるけど、ヘルパーがいないと何もできない人が外で仕事するって、めっちゃ迷惑なのでは?って感じた。
個人で起業して、自宅などで仕事をやれないのかしら? https://t.co/2uHVpTXLMk December 12, 2025
1RP
12月14日 日曜日 🎄🎅
X民の皆さま、
おは&こん&ばんは✨
週末も、朝方、氷点下近くまで下がり寒い日が続いてますね🥶
お仕事の方、お疲れさまです✨
連休の方、ゆっくり休みましょう✨
今日は、2つの低気圧が上空を通過するため広く天気が崩れ荒天に 関東は土曜夜遅くから雨で内陸では雪も お昼頃までは雨 午後は北倭国で雨や雪、風に警戒 北海道は雪が続く 関東は比較的気温が高く穏やかな天気に
素敵な一日をお過ごしください🍀
今日もよろしくお願いします🤲
◯クイズ 答えは昼ポスト📮に
※直感でお願いします
サンタクロースは家のどこから入ってくると言われてる?
①煙突②窓③玄関
◯朝のニュース
青森県で最大震度6強を記録した8日の地震で、津波の第1波到達前後に各地で避難する車による渋滞が発生していたことが、13日、住民への取材と、位置情報を活用した人流データの分析で分かった 最大規模の津波浸水想定区域内で渋滞していた場所もあり、巨大地震が発生した際の避難の難しさが浮き彫りになった
避難は「原則徒歩」とする自治体は多いが、高台まで距離がある住民や、高齢者や障害者にとっては車での移動が不可欠な場合もある
冬季は寒さも深刻だ 状況に応じた避難方法の整備や、渋滞の懸念を踏まえたルートの確保が求められる
→自動車を使いたくなる気持ちは分かるけど、渋滞して避難できなかったら意味ありませんね💦
皆さんは、避難経路決めてありますか?
◯今日は、南極の日です
1911年(明治44年)のこの日、ノルウェーの探検家ロアール・アムンセン(Roald Amundsen、1872~1928年)と4人の隊員が世界で初めて南極点に到達した
1911年10月20日にアムンセンは4人の選抜隊とともに南極大陸のフラムハイム基地を出発し、4台の犬ぞりを1台あたり13頭、計52頭に引かせて南極横断を開始した
なお、アムンセンの名前はロアルド・アムンゼンなどとも表記される
途中好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たした
イギリス海軍大佐のロバート・スコット(Robert Scott、1868~1912年)と競争していたが、当初スコット隊に比べて不利と思われていたアムンセン隊が約1ヵ月先に到着した
アムンセン隊は帰路も順調で、1912年(明治45年)1月25日に1人の犠牲者も出すことなくフラムハイムへと帰還した一方、スコット隊は帰途に遭難し、パーティー全員が死亡するという結果になった
その後、南極点の初到達を争ったアムンセンとスコットの2人に敬意を表して、アメリカが1956年(昭和31年)に南極点付近に建設した観測基地は「アムンセン・スコット基地」と名付けられた
→この話し、子供の頃、図書館で本を借りて読んだ記憶があります
皆さんは、子供の頃読んで記憶に残る本はありますか?
◯他にも、四十七士討ち入りの日(忠臣蔵の日)、マダムシンコの日、透明資産の日、麺の日、丸大燻製屋・ジューシーの日、クラシコ・医師の日などがあります
※アムンゼン隊南極点到達 December 12, 2025
1RP
何とか雑貨市に行けました😊
様々な障害者施設や地域密着型の法人が出店してました。
僕の通所してるとこも🎶
帰りにスタバでホットアップルサイダーを再び買い、ちびちび飲みながら帰宅🏠 https://t.co/Pt3fxEsv0U https://t.co/tnCsBkUCAf December 12, 2025
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