阿弥陀如来 トレンド
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2025.12.20 13:00
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『「今、末法に入りぬ。人ごとに重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し」と日蓮大聖人は教示しているのだから、「永遠の仏・久遠実成の釈尊」等というのは仏法の本義を知らない戯言である』との主張について
日蓮について次のような主張があります。
『日蓮大聖人は釈迦仏を超越した根源仏であり、久遠元初の自受用報身如来であられる。御本仏である大聖人様が、末法の時代に凡夫の姿をもって出現されたのだ。「妙密上人御消息」では「今、末法に入りぬ。人ごとに重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し」とあり、釈迦は末法の衆生を救うことのできない仏であると断じられているのだ。「永遠の仏・久遠実成の釈尊」というのは、日蓮仏法の本義を知らない戯言(たわごと)である』
日蓮が聞いたら、根源仏や久遠元初の自受用報身如来など、思いもよらない誇大表現に驚くことと思いますが、「妙密上人御消息」の引用文を確認してみましょう。
《妙密上人御消息~文中の「教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり」が日蓮の教説の主眼 》
建治2年(1276)閏3月5日付けの「妙密上人御消息」には日蓮真蹟がありませんが、ここでは文献の真偽論は横に置き、内容に立ち入って考えてみましょう。
「今、末法に入りぬ。人ごとに重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し」
たしかに日蓮は「末法の衆生の重病は・・・釈迦等の軽い薬で治すのは難しい」と言われていますが、該文の直前に「されば、仏の滅後正像二千年の間は、煩悩の病軽かりければ、一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか」とあるように、妙法蓮華経の五字即ち題目に相対させていますので、釈尊の教説といえども妙法蓮華経(法華経)と比較すればそれ以前は爾前権教ですから、かかる表現「(末法では)釈迦等の軽薬=爾前権教にては治し難し」を記述したのは当然でしょう。
前文から通して読んでみましょう。
されば、仏の滅後正像二千年の間は、煩悩の病軽かりければ、一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか。今、末法に入りぬ。人ごとに重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し。
意訳
故に釈尊の滅後・正像二千年の間は、衆生の煩悩の病も軽かったので、釈尊一代における第一の良薬である法華経二十八品の肝心・妙法蓮華経の五字を、人々に勧めなかったのでしょうか。
今は末法に入っており、人々は重い病にかかっています。その病は阿弥陀如来、大日如来、釈迦等の軽い薬(妙法蓮華経の五字以外のもの=爾前権教)では治すことは難しいのです
なお、「釈迦等の軽薬」の「軽薬」に法華経を含めて解釈する向きもあるようですが、それを採用して読んでも、「題目に相対すれば法華経は軽い薬である」というのは日蓮の常の教説「唱題成仏」からすればなんの違和感もないといえるでしょう。
本来的には「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経」(撰時抄)とあるように題目も法華経も共に日蓮仏法の骨格ですが、日蓮は「唱題成仏」の法門の創唱者ですから、敢えて題目と法華経を相対させれば「法華経が軽薬」となるのは自然といえます。
該文の前後は題目の大事を説かれており、少し後の「いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給わず。この人、末法に出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中、国ごと人ごとに弘むべし。例せば、当時、倭国国に弥陀の名号の流布しつるがごとくなるべきか」との記述からもうかがわれると思います。
もちろん「法華経の大事」も教示されていて、文中には「ただ法華経ばかりこそ、三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ」とあります。
また、日蓮の教説は「釈迦は末法の衆生を救うことのできない仏であると断じ」というものではなく、文中に「夫れ、教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり」と教主釈尊=久遠実成の釈尊(久遠の本仏)を娑婆世界第一の聖人と尊信していることが明示されています。
以上見てきましたように、「妙密上人御消息」では日蓮が教主釈尊を仏として尊信し、法華経を最第一として重んじていることが明瞭といえるのではないでしょうか。 December 12, 2025
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