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長寿
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2025.12.14 07:00
:0% :0% (40代/男性)
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「朝、妻にキスをする」習慣を毎日やっても、
5年寿命が延びるどころか、今にも死にそう。
30日続けて、拷問レベル、夫婦仲も最悪。
オキシトシンが出て、幸せになり、
長寿効果もあるはずなのに、効果ゼロ。
マツキヨで買ったマウスウォッシュ使っても全然ダメ?
なんでだべ?
そこで、ふと思い立ちチャッピー先生に聞いてみた↴ December 12, 2025
15RP
徳川家康は75歳まで生きました。戦国武将の中でも突出した長寿であり、その背景には極めて質素で理にかなった健康法があります。家康のやり方は、今の健康法よりもずっと「人の身体の本質」に沿っています。
1. 食は少なく、同じものを食べ続ける
家康は
・一汁一菜
・麦飯
・味噌
・焼き魚
・根菜
を中心に、一生ほぼ同じ食事を続けました。
美食を避け、暴飲暴食を嫌い、
「腹八分」を徹底しています。
これは東洋医学でいう
脾胃(消化器)を守る生き方。
脾胃が弱れば、気も血も生まれません。
家康は本能的にそれを知っていました。
2. 規則正しい生活を崩さない
家康は
・起床
・食事
・仕事
・入浴
・就寝
すべてがほぼ同じ時間。
特別なことはしない。
乱れた日常を作らない。
これは自律神経を乱さない最大の知恵です。
現代人が一番失っている部分でもあります。
3. よく歩き、よく体を使う
家康は晩年まで
・散歩
・庭の見回り
・軽い運動
を欠かしませんでした。
激しい鍛錬はしない。
しかし、毎日必ず体を動かす。
これは「気血の巡り」を止めないため。
止まった瞬間から老化は始まる、ということを理解していました。
4. 感情を爆発させない
家康の座右の銘は有名です。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
急ぐべからず
怒り・焦り・不安を
すぐに行動に移さない。
感情を寝かせ、時間を味方につける。
これは肝(感情)と心(精神)を守る最高の養生です。
5. 「耐える」のではなく「流す」
家康は我慢の人と言われますが、
実際は「溜め込まない人」でした。
・勝つまで待つ
・無理な戦はしない
・負けを認めて引く
これは精神論ではなく、
エネルギー管理そのものです。
無理をしないから、壊れない。
壊れないから、長く生きられる。
6. 薬に頼らず、体の声を聞く
当時の医療は限られていましたが、
家康は自分の体調変化を細かく記録し、
食事や行動を調整していました。
「治す」より
「乱さない」。
これは現代医学よりも、
はるかに賢い健康観です。
家康の健康法の本質
まとめると、家康の健康のやり方は
特別なことは一つもありません。
・少食
・単純な食事
・規則正しい生活
・毎日の軽い運動
・感情を荒らさない
・無理をしない
つまり
自然に逆らわない生き方。
これは今の整体・東洋医学・養生の考え方と完全に一致します。
「長生きする秘訣」は、
新しいものではなく、
昔から変わらない。
徳川家康は、それを一生かけて証明した人物です。 December 12, 2025
12RP
今日は #麺の日
これは元禄15年(1702年)のこの日、「忠臣蔵」の赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りする前にそばを食べたという逸話に由来しています。
山形県は「ラーメン県そば王国」。ラーメン、そば、麦きりなどおいしい麺類であふれています。
麺類は、細く長い形状から、長寿などの縁起物とされているそうなので、年末を迎える前に、お好みの麺を召し上がってみてはいかがでしょうか。 December 12, 2025
7RP
土曜日
おはようございます
冷え込んでますが、暖かくして
冬を楽しみましょう
モノクロ、カラーのキリトリセカイ
八重咲きのオレンジ色の菊の花
花言葉は、信頼、高貴、
高潔、高尚、長寿、元気、
嬉しい夢
#写真
#モノクロ
#鳥
#キリトリセカイ https://t.co/HjVgeIlppN December 12, 2025
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海老芋は親芋に子芋ができ、その子芋から孫芋ができることから子孫繁栄を表します。また、海老は長寿を象徴することから、海老芋は縁起の良い食べ物としてお正月料理に使われています
海老芋 | 暦生活 https://t.co/4lHEAdSRyF December 12, 2025
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おはようございます🐥
寝不足は解消してないけど
体調は通常モードに
喉が怪しいのは乾燥かなあ
映画は早い会なので準備しまーす
午後はKプロチャレンジ🎳
夜は昨日依頼のあった追加鑑定をば
#今日もボチボチ
#長寿と繁栄を🖖 December 12, 2025
今日12/14の木は、シロダモ
《長寿》
時々進む速度遅くなるのはこの空間の中の見渡しをたのしみたくて
うれしいたのしいワクワクの粧いを纏う何かをこなす前に
いつだって最高時間となられますように◎
♢佐久間♢大介♢様、
しゃがみ込む視線は映る輝夜の隙間探して、
今日も最高イイ日!!! December 12, 2025
おはようございます
6時20分起床
気は長くつとめはかたく色うすく食細うして心ひろかれ
天海僧正の家康に教えた長寿法
水分補給こまめに冬の隠れ脱水予防に
読書とストレッチとします
よい一日を✨
#早起きチャレンジ December 12, 2025
長寿食の基本は、
「植物中心+魚少量+オリーブオイル+ナッツ」。
これは、
地中海地方や長寿地域の研究から導かれた共通パターンです。
どの国にいても、
この“骨組み”は応用できます。
#長生きできる食べ方 December 12, 2025
おはようございます( ˶˙ᵕ˙˶ )☀️
12月13日土曜日☀️
ちゃっぷいちゃっぷい🥶
エアコンだけじゃなかなか温まらないね😅
今日は"正月事始め・煤払い・松迎"の日
おばあちゃんに聞いた知恵袋
Q. 正月事始めって?
A. 昔は12月13日を「正月事始め」といって
お正月の準備を始める大切な日だったんだよ。
この日から大掃除や餅つき、正月飾りの準備を始めたの
Q. 煤払い(すすはらい)って?
A. 一年分の煤やほこりを落とす大掃除のことだよ
家をきれいにして年神さまを気持ちよく迎えるための行事なんだよね
「悪いものも一緒に落とす」って言われてきたよ
Q. 松迎えって?
A. 門松や松飾りを用意して
お正月にやってくる年神さまの目印にすること
松は一年中青いから「長寿」や「繁栄」の象徴なんだって
今年も残りわずかの18日
頑張って煤払いしなきゃだわ😂
みんなぼちぼち頑張ろうね🤭 December 12, 2025
『永遠なるブッダの発見 ~〈久遠実成〉が人類にもたらしたコペルニクス的転回』
今回は『法華経』という経典、その中でも最も深遠なテーマである「永遠の仏・久遠実成の釈尊」について、歴史学や宗教学の視点を交えながらお話しさせていただきます。
まず、少し意地悪な質問から始めましょう。
「仏教の開祖、お釈迦さまはいつ悟りを開きましたか?」
こう聞かれたら、おそらく多くの方がこう答えるでしょう。「インドの王子として生まれ、出家し、35歳の時にブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた」と。
歴史学的事実としては、それが正解です。
ガウタマ・シッダールタという生身の人間のお話ですね。しかし、『法華経』の編纂者たちは、この常識に対して真っ向から「No」を突きつけました。「あなたがたが見ている、あのインドで悟りを開いて80歳で亡くなったお釈迦さま。実は『仮の姿』にすぎないのだ」と。
では、本当の正体は何なのか。
それが「久遠実成」、即ち「計算不可能な過去、久遠より悟りを開いていた、即ち始まりもない、未来永劫の彼方にも終わりがない永遠の存在・永遠の仏」であるという宣言です。
「一切世間の天、人、及び阿修羅は皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」
「我成仏してより已来、復此に過ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」
「然るに我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し」
「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」
「我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて無数億の衆生を教化し、仏道に入らしむ。爾しより来、無量劫なり」
なぜ、彼らはこのような、一見すると可視的世界・人間世界の常識を突破するような言葉を必要としたのでしょうか? そして、この物語は現代の私たちに何を語りかけているのでしょうか。今日はその謎を解き明かしていきたいと思います。
【なぜ法華経編纂者は「久遠の仏」を登場させたのか 〜「不在」への処方箋】
まず、歴史的な背景、いわば「舞台裏」から覗いてみましょう。
『法華経』が成立したのは、お釈迦さまが亡くなってから数百年を隔てた、紀元前1世紀末〜後2世紀頃のインド北西部(ガンダーラ、カシミール、マトゥラー周辺)だと考えられています。この時期、仏教教団は大きな危機、ある種の「実存的な不安」を抱えていました。それは「仏の不在」という問題です。
初期の仏教徒にとって、お釈迦さまは偉大な「先生」でした。しかし、先生はもういない。遺骨(仏舎利)はあるけれど、肉声は聞こえない。「私たちは孤児のようなものではないか?」「本当に救われるのだろうか?」という不安が、信仰者たちの間に漂っていたはずです。さらに当時、インドではヒンドゥー教の前身となるような、神への熱烈な信愛(バクティ)を説く宗教運動が盛り上がっていました。そこでは「神は常に世界に偏在し、いつでも救ってくれる」と説かれます。
これに対し、従来の仏教の「仏陀は涅槃に入って、もうこの世にはいない(完全に消滅した)」という説明では、民衆の宗教的欲求に応えきれなくなっていたのです。そこで『法華経』の編纂者たちは、大乗仏教運動の中で、極めて大胆なパラダイムシフトを行いました。これを私は「歴史から永遠への飛躍」と呼んでいます。
彼らはこう考えたのです。
「肉体を持ったガウタマは死んだ。しかし、彼が悟った『法(ダルマ)』そのものは不滅だ。ならば、その『法』と一体化したブッダという人格もまた、永遠にこの世界に働きかけ続けているはずではないか?」
つまり、「久遠実成」という物語を登場させた理由は、「死んでいなくなった先生」を、「いつでも、どこでも、私たちと共にいる救済者」へと再定義するためでした。これは、仏教が一部の出家者のための修行体系から、あらゆる人々を救う世界宗教へと脱皮するための、不可欠な理論武装だったのです。
【久遠実成の釈尊の意味 〜「死」という演出】
では、具体的にその中身を見ていきましょう。
『法華経』第十六章「如来寿量品」には、非常に有名な「良医(ろうい)の譬え(良医病子の譬え)」という寓話が出てきます。
ある名医がいます。彼にはたくさんの子供がいますが、父の留守中に子供たちは毒を飲んで苦しんでしまいます。帰宅して驚いた父親である医師は薬を与えますが、服薬したのは正気を保っていた一部の子だけで毒が回って錯乱していた多くの子は良薬を飲もうとしない。そこで父親は旅に出かけ、使いの者にこう言わせます。「お父さんは、旅先で死んでしまった」と。
子供たちは嘆き悲しみます。「頼れる父はもういない。自分たちでなんとかしなきゃ」と正気を取り戻し、残された薬を飲んで病気が治る。その時、父は「実は生きていたんだよ」と帰ってくる。
この話、一見すると「嘘」をついているわけですが、仏教用語ではこれを「方便」と呼びます。ここで『法華経』が主張する「久遠実成」の真の意味が明らかになります。それは、「仏の入滅(死)とは、人々を目覚めさせるための『教育的演出』である」ということです。
もし、偉大な救済者がずっとそばにいて、「はい、これが正解だよ」と教え続けていたらどうなるか。人間は甘えてしまい、自ら真理を求めようとする誠実さを失ってしまいます。このようなことは、「懈怠(けたい)の心を生ず」と表現できるでしょう。ですから、久遠実成の釈尊とは、単に「寿命が長い長寿の仏」ではありません。「本当はここにいるけれど、あえて姿を隠すことで、私たちの主体性を引き出そうとする、動的なエネルギー体」ともいえる『実在』ではないでしょうか。
宗教学的に言えば、ここで仏教は「歴史上の人物崇拝」を脱し、「宇宙的な真理(ロゴス)そのものの人格化」へと至りました。釈尊という個体を超えて、法界・宇宙全体が仏の生命活動そのものである、という壮大な世界観。これが久遠実成の正体ではないでしょうか。
【現代と世界への影響 〜 ヒューマニズムの根源として】
最後に、この古代インドの思想が、現代社会においてどのような意義を持つのか。そして世界へどう波及しているのかを考えます。
まず、「人間の尊厳」の根拠としての側面です。
「久遠の仏」が常にここにいるということは、私たち一人ひとりの生命の奥底にも、その「永遠性」が宿っていることを意味します。大乗仏教ではこれを「仏性」と呼びますが、久遠実成の思想は、この仏性をより強固に保証するものです。
現代はスマホ等を使い同時進行で世界を知り人々とつながれる一方で、人種・宗教・政治・思考の違いなどによる「分断」の深刻度は日毎に増して、荒唐無稽な話に多くの人が振り回される一方、情報洪水の中で溺れて自己を見失い漂流の末に我一人だけとなってしまう「孤独」な人が増えているとも指摘されています。現代病、同時代の深刻な病ともいえるでしょうか。
しかし『法華経』の視点に立てば、私たちは孤独な存在ではありません。久遠の生命という巨大なネットワークの中で繋がっている。この思想は、特に鎌倉時代の日蓮によって強調され、近代以降、倭国の在家仏教団体を通じてグローバルに展開しました。
欧米の知識人や実践者たちが『法華経』、特にこの「永遠のブッダ」に魅力を感じるのは、そこに「外部の神にすがるのではなく、自らの内なる無限の可能性を信じる」という、極めて近代的でヒューマニスティックな構造があるからです。一神教的な「超越神」とは異なり人間と断絶しない、命に光を当てた、自己の内面世界に実在する仏という教え。
『法華経』の思想を、現代の社会病理に対する「アクティブな哲学」として読み解けるところが、多くの人を魅了するのではないでしょうか。
さらに、平和論的な視座もあります。
久遠の仏がいるこの世界(娑婆世界)こそが、実は浄土である(常寂光土)という思想。これは、「死んで天国へ行く」という逃避を許しません。「今、ここ」の現実社会における苦悩や矛盾と向き合い、この場所を理想郷に変えていく実践を要求します。
「久遠実成」とは、遠い過去の話ではなく、「今この瞬間」の私たちの生き方、社会変革への意志を問うコンセプトなのです。『法華経』の編纂者たちは、歴史上の釈尊の死という喪失感を乗り越えるために、「久遠実成」という概念を打ち立てました。それは、仏を「過去の偉人」から「永遠の現在進行形」へと蘇らせる革命でした。
そしてこの思想は、現代においてこそ、その輝きを増しています。なぜならそれは、私たち人間に「あなたは無力な存在ではない。永遠の生命を宿し、現実を変革する主体者である」という、最強の肯定(エンパワーメント)を与えてくれるからです。
久遠実成という思想は、単なる宗教教義の話にとどまらず、「有限な人間がいかにして無限の真理と接続するか」という、人類共通の哲学的・実存的な問いへの回答でもあったのです。このような、一閻浮提を普く照らす「永遠の仏」の存在を感得するに至った法華経編纂者の姿勢こそ、『求道心から起こる直観智は経験の限界を超えて真理の世界へいたる』ということを教えているのではないでしょうか。
もし皆さんが、日常の中で孤独や無力感を感じた時、思い出してください。
2000年前の思想家たちが、必死の思いで紡ぎ出したこのメッセージを。
「我は是れ世尊の使いなり。衆に処するに畏(おそ)るる所なし」勧持品第十三
「我れ常にこの娑婆世界に在って説法教化す」如来寿量品第十六 December 12, 2025
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