釈迦 トレンド
0post
2025.12.04
:0% :0% (30代/男性)
釈迦に関するポスト数は前日に比べ12%減少しました。男性の比率は6%増加し、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「倭国」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
スタヌは配信してないし釈迦k4senも数字かなり落ちてきてるのに一人だけ絶好調なのマジですごい
bijuたいじバトラとかじわじわ伸びてきてる人もいるけど結局うんこちゃん一位って構図はしばらく変わらなそう https://t.co/HnwTWbPbiP December 12, 2025
32RP
四谷須賀神社。新宿区須賀町。
四谷総鎮守。男坂は『君の名は。』のラストシーンで登場する事で世界的に有名です。
10月より授与を開始した「桜の切り絵御朱印」と今年より授与開始の「重ね御朱印」を頂きました。
切り絵御朱印は男坂や鳥居と桜をデザインした美しい御朱印。桜色でデザインが施された台紙付きです。桜のデザインだったので春から開始していたのかと思いきや10月から開始したそうです。オリジナルのクリアファイル付き。初穂料1,300円。
重ね御朱印は左上に鳥居がデザインされた透明感のある薄い紙が重なったもの。稲を青海波のような形にデザインしてあって縁起が良さそうです。こちらもオリジナルのクリアファイル付き。初穂料700円。
男坂は『君の名は。』のラストシーンやキービジュアルにも登場する事でとても有名。そのため海外の方からは都内の人気観光スポットになっていて連日多くの人が聖地巡礼に訪れます。
この日もひっきりなしに外国人観光客が多数。某国の観光客がいないので多少は落ち着いてるかなと思いきやなんのその。世界中から人々が集まります。それだけ『君の名は。』世界的に人気だったという事ですね。映画公開からもう9年経ちますがまだまだ人気です。
男坂を譲り合いながら撮影していましたら素敵なサプライズが発生。外国人観光客のカップルが男坂でプロポーズ。男性側が跪いて指輪を渡して大成功。その場が沸きました。末長くお幸せに。
こうした『君の名は。』の聖地となり映画が大ヒットした事から今ではアニメ関係者たちからの崇敬が大変篤い事で知られます。新作TVアニメ、劇場版アニメなどが公開前には制作スタッフなど関係者が大ヒット祈願に訪れる事が恒例に。過去に載せた事もありますが『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などなど大ヒットしたアニメはどれも須賀神社で大ヒット祈願と絵馬の奉納もしています。もちろん新作の無限城編の時も同様に。アニメ好きにとっては聖地です。
そんな須賀神社。創建年代は不詳ですが創建当時は一ツ木村(赤坂)の清水谷にあった鎮守「稲荷社」が起源であると伝わります。当時は赤坂という四谷とは全然違う場所にあったお稲荷様でした。
江戸時代に入ると寛永十一年(1634)に江戸城に外濠を設置することになります。一ツ木村を含む麹町地区のエリアが江戸城の外濠普請の対象となったため対象範囲の寺社は立ち退きを余儀なくされ、旧麹町地区のほとんどの寺社はこの四谷に集団移転したため当社も遷座します。
寛永十四年(1637)になると倭国橋大伝馬町の名主・馬込勘解由が徳川将軍家より四谷一帯を賜ります。寛永十八年(1641)に「神田明神」境内に祀られていた大伝馬町の産土神・牛頭天王を四谷のお仮屋横丁付近に小祠を造り祀りました。
寛永二十一年(1644)になると参拝者が余りに多かったため寺社奉行に願い出て「稲荷社」(当社)と合祀。「稲荷社」に「天王社」が合祀されたため「稲荷天王合社」と呼ばれ、とりわけ牛頭天王への信仰が強かった事で「四谷天王社」と呼ばれる事も多くなっていきます。これが今の須賀神社のベースです。
牛頭天王(ごずてんのう)とは倭国における神仏習合の神さまです。釈迦の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされたため牛頭天王を祀る信仰を祇園信仰(ぎおんしんこう)と称します。
総本社は祇園祭でも知られる京都の「八坂神社」。神道ではスサノオと習合したため明治の神仏分離後の神社では御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)に改められたところが殆どです。
明治になり神仏分離となると社号を「須賀神社」に改称します。社号の「須賀」とは、御祭神のスサノオが出雲国の簸の川の上流でヤマタノオロチを退治した際に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と述べ、宮居を創立したという故事が由来になっています。そのため全国の須賀神社はスサノオを祀っている事が殆どです。
ぜひ参拝してみて下さい。
#限定御朱印 December 12, 2025
13RP
なぜ、法華経編纂者は「如来寿量品第十六」で久遠実成の釈尊を登場させたのでしょうか?
法華経(妙法蓮華経)の「如来寿量品第十六」において、「久遠実成の釈尊」が登場する歴史的背景、教理的意義、実践的影響を確認してみましょう。
1 はじめに~法華経と「如来寿量品第十六」の位置付け
法華経は大乗仏教の主要な経典の一つであり、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の教えを普遍的かつ最終的な真理として提示しています。その中心的なメッセージは「一乗思想」であり、すべての衆生が仏陀の境地に至る可能性を強調するものです。
「如来寿量品第十六」は、法華経28品の中で特に重要な章であり、釈迦の「久遠実成」(くおんじつじょう)という概念を導入しています。寿量品では、釈迦が歴史上の人物として約80年の生涯を終えるのではなく、無限の過去から仏として覚醒し、永遠に衆生を導く存在であると宣言されます。この「久遠実成の釈尊」の登場は、単なる教理上の革新に留まらず、仏教の信仰、実践、哲学に深い影響を与えています。その理由、意味、意義、影響を以下の観点から考えてみましょう。
・法華経成立の背景と「久遠実成」概念の歴史的、思想的文脈
・教理としての「久遠実成」の構造とその仏教思想への位置付け
・信仰者にとっての「久遠実成」の宗教的意義と実践的影響
・仏教史、宗派形成、文化への影響
2 法華経と「久遠実成」の歴史的・思想的文脈
(1)法華経成立の背景
法華経は、紀元前1世紀から紀元2世紀頃にかけてインドのカシミール地方などで編纂され、大乗仏教の興隆とともに成立したとされます(複数の層が段階的に編纂されたと考えられる)。
この時期、大乗仏教は部派仏教(上座部仏教など)の枠組みを超え、普遍的救済と菩薩行を強調する新しい思想を展開していました。法華経は、その中でも特に「一乗思想」を掲げ、すべての仏教の教えが最終的に仏陀の境地に至る一つの道に収斂すると説きます。
「如来寿量品第十六」は、この一乗思想の核心を体現する章であり、釈迦の存在を単なる歴史的人物から、永遠の仏陀へと昇華させています。
この思想の導入は、以下のような歴史的・思想的要因によるものではないでしょうか。
《 大乗仏教の普遍化の必要性 》
・部派仏教では、釈迦は歴史的人物であり、涅槃に入った後はもはや衆生と直接関わらないとされました。しかし、大乗仏教は衆生の救済を無限に続ける「菩薩」の理想を強調し、仏陀を超越的で永遠の存在として再定義する必要がありました。
・「久遠実成」は、釈迦を単なる人間の師匠から、法界(現象世界の全体~有情・無情を含むすべての存在が相互に依存し合う宇宙全体)における永遠の仏として位置付けることにより、大乗仏教の普遍性を強化しています。
《 他の宗教との競合 》
当時のインドでは、バラモン教とその流れをくむ初期ヒンドゥー教によりヴィシュヌ神(世界を保護し秩序を保つ維持の神)とシヴァ神(破壊と再生の神)が厚く信仰されており(ブラフマー神=宇宙と様々な生物の創造主・創造の神への信仰は衰退)、永遠の神や宇宙的秩序が強調されています。仏教がこのような宗教に比較・相対して独自の魅力を訴求するためには、釈迦を単なる歴史的人物ではなく、永遠の存在として提示する必要があったといえます。
※現在のヒンドゥー教の三大神
・ブラフマー神
紀元前1500年頃に成立した『リグ・ヴェーダ』(神々の讃歌)の時代に起源を持ち、創造神としての信仰はあったが、後期に衰退。
・ヴィシュヌ神
同じく『リグ・ヴェーダ』(神々の讃歌)の時代に起源を持ち、紀元前500年頃からアヴァターラ信仰(至上神ヴィシュヌが善を守り、悪を滅ぼすために、さまざまな姿=アヴァターラとしてこの世に現れると信じられている信仰)とともに発展。
⇒法華経・法師品第十の「もし人、悪・刀杖および瓦石を加えんと欲せば、則ち変化の人を遣わして、これがために衛護と作さん」が連想される。
・シヴァ神
紀元前1500年頃に成立した『リグ・ヴェーダ』(神々の讃歌)のルドラ神(風雨や嵐を司る神)に起源を持ち、紀元前後からシャイヴィズム(シヴァ派・ヒンドゥー教四大宗派の一つ)として確立。
・三神一体
紀元後1~5世紀頃にトリムールティとして体系化。
《 経典間の連続性と革新 》
法華経以前の大乗経典(例『般若経』や『華厳経』)では、仏陀の法身(真理そのものの永遠性)が強調されています。「如来寿量品第十六」はこれを具体化し、釈迦自身がその法身の体現者であると宣言することで、仏陀観をさらに深化させたといえます。
(2) 「久遠実成」のテキスト分析
「如来寿量品第十六」では、釈迦が「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と述べ、歴史的釈迦の80年は衆生を導くための「方便」(仮の姿)に過ぎないと明かします。この「久遠実成」の概念は、以下の要素で構成されています。
・久遠の過去からの覚醒
久遠の仏は無限の過去から覚醒している根本の仏であり、歴史的釈迦はその一時的な顕現に過ぎない。
「我成仏してより已来、復此に過ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり」
「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり」
・永遠の救済活動
人間釈迦が涅槃に入った後も、久遠の仏は衆生を導くために永遠に活動を続ける。
「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」
「常住にして滅せず」
・方便の思想
人間釈迦が歴史的生涯や涅槃を示したのは、衆生の理解に応じた「方便」であり、真の姿は久遠よりの永遠の仏である。
この思想は、部派仏教の「釈迦は涅槃後に存在しない」という立場を根本から覆し、大乗仏教における仏陀観を確立したといえるでしょう。
3 教理としての「久遠実成」の構造
(1) 「一乗思想」との関係
法華経の中心テーマである「一乗思想」は、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗を統合し、すべての衆生が仏陀の境地に至る可能性を説きます。「如来寿量品第十六」は、この一乗思想を補強する論理的基盤を提供しています。
《 論理的必然性 》
・一乗思想がすべての衆生に仏陀の可能性を保証するなら、仏陀自身が永遠に存在し、衆生を導き続ける存在でなければならない、との思考を促します。「久遠実成」は、釈迦がその役割を果たす永遠の仏・教導者であることを保証しています。
・釈迦の永遠性=永遠の仏・久遠実成の釈尊は、衆生が無限の時間を通じて仏道を成就できるという希望を裏付けるものになります。
《 方便と真実の弁証法 》
法華経は、法華経以前の釈迦の教えが衆生の機根に応じた「方便」であると説示すると同時に、究極の真理(一乗)に導くものだと説いています。「久遠実成」は、この方便と真実の弁証法的関係を体現しています。歴史的釈迦は方便の姿であり、永遠の釈迦=久遠実成の釈尊が真実の姿であるとの教えです。
(2)仏陀観の革新
「久遠実成」は、仏陀を三身(法身・報身・応身)の枠組みで理解する、大乗仏教の仏陀観を深化させています。
・法身(ほっしん・宇宙の原理そのものであり、永遠不変の真理や本体そのもの・真理の永遠性)
釈迦は法身として、真理そのものとして永遠に存在する。
・報身(ほうしん・仏が真理を悟った結果として得られる最高の智慧や優れた能力、徳など・覚醒の永遠性)
釈迦は無限の過去から覚醒した仏陀として、報身の次元で永遠に活動する。
・応身(おうじん・衆生を苦しみから救うためにそれぞれの能力や状況に応じて現実の姿を顕した仏・衆生への顕現)
歴史的釈迦は、衆生を導くための応身としての一時的顕現である。
この三身論の統合により、「久遠実成」は仏陀の超越性と親和性を同時に保証するものになります。釈迦は、遠く離れた時空間を超越する存在であると同時に、衆生に寄り添う永遠の仏でもあります。
4 信仰者にとっての「久遠実成」の宗教的意義
(1)救済の希望と信仰の強化
「久遠実成」の概念は、法華経信仰者に深い宗教的安心感を与えるものといえるでしょう。
《 永遠の仏の存在 》
・部派仏教では、釈迦の涅槃後、信仰者は自力で悟りを目指す必要がありました。しかし、「久遠実成」により釈迦が永遠に存在し、衆生を見守り続けることが保証されます。これは、信仰者にとっては、絶え間ない救済の希望となるものです。
・特に末法思想(釈迦の死後、法が衰退する時代)が広まった時代において、永遠の釈迦の存在は信仰の支えとなりました。
《 衆生との親密な関係 》
「如来寿量品第十六」では、釈迦が衆生を「我が子」と呼び、自身を「父」と表現しています。この親子関係のメタファー(暗喩、隠喩)は、信仰者にとって釈迦との親密な結びつきを強調し、信仰心を深めるものになります。
(2)実践への影響
「久遠実成」は信仰者の実践にも大きな影響を与えています。
・法華経の受持・読誦
法華経は、経そのものが釈迦の永遠の教えを体現するとされ、信仰者が経典を受持・読誦することは永遠の仏との直接的なつながりを意味します。「如来寿量品第十六」の永遠の仏は、この実践の意義を高め、信仰者に積極的な修行を促す糧となっています。
・菩薩行の励み
久遠の仏が無限の時間を通じて衆生を導くという教えは、菩薩行の実践にとっては模範となります。信仰者は久遠の仏の「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」との永遠の活動に倣い、利他行に励み力が入ることでしょう。
5 仏教史、宗派形成、現代への影響
(1)仏教史への影響
「久遠実成」の概念は、大乗仏教の発展に決定的な影響を与えました。
《 天台宗と法華経 》
中国の天台大師智顗は、仏教経典全般を見直し判別して「五時八教の教相判釈」を行い、法華経・涅槃経が釈迦最後の8年間に説かれたと位置付け、法華経を中心に教理を構築しています。現代の仏教学では「五時八教の教相判釈」は否定されていますが、「久遠実成」は天台宗の一乗思想と三身論の基盤となり、中国・倭国仏教に深い影響を与えています。
《 日蓮法華信仰 》
倭国では、日蓮が法華経を絶対的真理とし、「久遠実成の釈尊」を仏宝・本仏として尊信しています。日蓮の「南無妙法蓮華経の題目」と「南無妙法蓮華経の御本尊」への信仰と教導は、永遠の仏と法華経の真理への帰依を強固なものにしたといえるでしょう。
(2)現代的意義
現代の仏教実践においても、「久遠実成」は重要な意味を持っています。
・普遍的救済のメッセージ
現代社会における宗教の役割は、個人や社会の苦悩に対して「信仰の喜びを分かち与える=前向きに生きる希望の提供」になっているといえます。「久遠実成」の永遠の仏は、時代や地域を超えた普遍的救済の象徴として、現代の人々にも大いなる訴求力を持つといえるでしょう。
・宗教間対話
仏教における「久遠実成」「永遠の仏」の思想は、キリスト教やイスラム教の「永遠の神」の概念と対話可能な枠組みを提供し、宗教間対話において仏教の独自性を示すものといえるでしょう。
6 法華経編纂者は、なぜ「久遠実成の釈尊」を登場させたのか
法華経の編纂者が「如来寿量品第十六」で「久遠実成の釈尊」を登場させた理由は、以下のようにまとめられます。
(1)教理的理由
・大乗仏教の普遍性を確立し、部派仏教や他の宗教に相対するため、釈迦を永遠の存在として再定義する必要があった。
・法華経の「一乗思想」を補強し、すべての衆生に仏陀の可能性を保証する論理的基盤を提供した。
(2)論理的理由
・「方便」と「真実」の弁証法を通じて仏陀の超越性と親和性を統合し、大乗仏教の仏陀観を深化させた。
・三身論を具体化し、釈迦を法身・報身・応身の統一的存在として提示した。
(3)信仰的理由
・信者に永遠の救済の希望を与え、釈迦との親密な関係を築くことで信仰心を強化した。
・法華経の受持や菩薩行の実践を促し、信仰者の宗教的実践を活性化した。
(4)影響の意義
・天台宗や日蓮法華信仰の成立を通じて仏教史に深い影響を与え、仏教美術や文学にも永遠の仏の存在を根付かせた。
・現代においても、普遍的救済のメッセージとして、宗教的・文化的に重要な役割を果たしている。
「永遠の仏・久遠実成の釈尊」は、法華経の核心思想である「一乗」の体現者であり、仏教の救済観、仏陀観、実践の基盤を根本から革新したといえます。この概念は、単なる教理の革新を超え、信仰者の心田を耕し、自他共に希望と実践の動機を与え、さらには社会と文化を豊かにする普遍的メッセージとして、今日に至るまでその影響力を保持しています。 December 12, 2025
9RP
@a_tarime_ あぁ、やっぱり倭国人に生まれてきてよかったと思う。クリスマスにチキン食べて、翌週はお寺で除夜の鐘を突いて年が明けたら神社で初詣。
キリストも釈迦も八百万の神々も笑顔で微笑んでくれているだろう。 December 12, 2025
8RP
人類が教師ラグナロク学園
呂布⋯経営学
アダム⋯道徳
こじ⋯古文
ジャック⋯英語
雷電⋯農学
釈迦⋯心理学
始様⋯公民
博士⋯科学
レオ⋯体育
沖田⋯倭国史
シモ⋯数学
金ちゃん⋯家庭科
ノス⋯天文学
教師というより学生だから難しい December 12, 2025
5RP
日蓮は何故、南無妙法蓮華経を唱えることによる唱題成仏を創唱したのでしょうか?
古くて新しい素朴な疑問を考えてみましょう。
日蓮が「南無妙法蓮華経」を唱える、唱題による成仏を創唱した理由は、当時の社会状況や仏教思想の変遷、そして彼自身の深い信仰と法華経への確信に基づいているといえるでしょう。
1 当時の社会背景と仏教の状況
鎌倉時代は、北条幕府内の闘争や政治的混乱が度々起こり、自然災害、飢饉、疫病に悩まされた時期でした。平安時代に隆盛を極めた貴族中心の仏教(特に天台宗や真言宗)は、民衆の苦しみから乖離し、難解な教義や儀式が中心となっていました。一方で、浄土教や禅宗など新しい仏教の流れが生まれ、民衆に分かりやすい救済を説く動きも見られました。
日蓮はこの状況を「末法」の時代と捉え、正しい仏法が失われ、人々が苦しみに沈んでいる原因は、法華経以外の教えが広まったためだと考えました。末法思想は釈迦の教えが衰退し、正法が実践されなくなる時期を指し、日蓮はこの危機的状況を打破するために立ち上がったのではないでしょうか。
2 法華経への絶対的な信仰
日蓮は、比叡山での研鑽・修行を通じて多くの仏教経典を学びましたが、特に『法華経』(正式名称 妙法蓮華経)を仏教の最高の教えと確信しました。法華経は、全ての人が仏性(仏になる可能性)を持ち、悟りに至ることができると説く経典です。日蓮は、法華経こそが末法の時代に人々を救う唯一の正法であると結論づけました。彼は、法華経の教えを具現化する最も直接的で力強い方法として、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることを創唱しました。
「南無」は「帰依する」「信じる」という意味で、「妙法蓮華経」は法華経そのものを指します。題目を唱えることは、法華経への信仰を表明し、その功徳を直接受け取る行為とされました。
3 唱題成仏の思想
日蓮が唱題を重視した理由は、以下の点に集約されます。
・実践の簡易性
法華経は内容が深遠で、全文を読誦(どくじゅ)するのは僧侶でも難しいものでした。しかし、「南無妙法蓮華経」を唱えることは、誰でも実践可能な簡単で直接的な方法です。日蓮は、人々が自ら仏法に触れ、救われる道を開きたかったのです。
・即身成仏の実現
日蓮は、法華経の功徳が唱題によって即座に現れると考えました。唱題は単なる祈りではなく、仏性を開き、現世で成仏(自己の真実に目覚める)へと導く実践です。これを「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」と呼び、末法の時代にこそ必要な教えとしました。
・法華経の力の顕現
日蓮にとって、題目は法華経のエッセンスを凝縮したものであり、彼は「法華経の肝心南無妙法蓮華経」と何度も教示しています。題目を唱えることで、法華経に説かれる法界の真理や久遠実成の釈尊の救済力が直接働きかけ、人々を苦しみから解放すると力説しました。
4 他宗批判と正法弘通の使命感
日蓮は法然浄土教の専修念仏(せんじゅねんぶつ)や禅宗の坐禅など、当時広まっていた他の仏教実践よりも、法華経に永遠の仏の真実があると主張しました。特に立教から暫くは法然浄土教の「南無阿弥陀仏」を唱える専修念仏を退け、法華経に基づく「南無妙法蓮華経」こそが正しいとの教説を重ねています。この姿勢は、他宗との対立や迫害を招きましたが、日蓮は自らを「法華経の行者」として、正法を広める使命に燃えていました。彼は『立正安国論』等の著作で、国家の混乱や民衆の苦しみは正しい仏法が広まっていないためだと訴え、唱題による信仰が個人だけでなく社会全体を救うと説きました。
5 迫害と信仰の確信
日蓮は唱題を広める中で、幕府や他宗からの激しい迫害を受けました(伊豆流罪、文永8年の法難・佐渡流罪)。しかし、これらの試練を乗り越える中で、彼は法華経の予言(行者が迫害を受けることが経典に記されている)に自らの人生が符合すると感じ、唱題の正しさをますます確信しました。迫害を耐え抜いた経験が、唱題成仏の思想をより強固なものにしたのです。
日蓮が「南無妙法蓮華経」を唱える唱題成仏を創唱したのは、末法の時代に衆生を救うための最も実践的で力強い方法として、法華経の真理を体現する手段を見出したからではないでしょうか。 彼にとって唱題は、単なる言葉ではなく、法華経の功徳を直接受け取り、現世で成仏を実現する道でした。また、社会の混乱を正し、正法を広める使命感もその背景にあります。この思想は、日蓮法華信仰の基盤となり、現代に至るまで多くの信奉者に受け継がれています。 December 12, 2025
5RP
負ければ手のひら返しで批判されることは、ボクシング界ではよくあることなので「弱い」など言われてもボクサーも覚悟をしていますが、内情を把握していない人物が「Bプランがない」「指示が悪い」「トレーナーが悪い」など専門的に陣営、戦略などを批判するのは「釈迦に説法」「生兵法は大怪我のもと」だと思います
また自分の意見に責任が持てれば、負けたボクサーを叱咤するのも構いませんが、同時に激励もして叱咤激励にして欲しいですね!! December 12, 2025
2RP
【仏ドリル005】お悩み相談:「不運が続く気がする」状況から抜け出すには?
ペンネーム:宵のつばさ
年代:30代男性
お住まい:岩手県
はじめまして。最近、どうにも心が落ち着かず、ご相談させていただきます。
ここ数年、仕事でも人間関係でも、思うようにいかないことが続いています。
・努力しても成果が見えにくい
・信頼していた人との関係がうまくいかない
・いざというときに誰にも頼れない気がする
気づけば、「自分だけうまくいかないのでは」という気持ちが強くなってきました。
そのせいか、知らず知らずのうちに「昔の自分の言動がよくなかったのかも…」と過度に責任を感じてしまったり、また何か問題が起きるのではと不安になってしまいます。もともと弱い部分を見せるのが苦手な性格なので、誰にも相談できず、一人で抱え込んでしまっている状態です。
よければお聞きしたいです。
・なぜ「悪いことが続いている」と感じてしまうのか
・この流れをどうやって変えていけるのか
・人からサポートを得られない時期は、何を示しているのか
ご助言いただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
【解法のヒント】
・釈迦の言葉…悲しみは欲求から生まれる。恐怖は欲求から生まれる。欲求から解放された者に悲しみはない。恐怖も同じこと(欲からの解放)
・御仏…大聖歓喜天
[一言]インドのガネーシャ神と同一視される存在であり、富をもたらし、夫婦の和合を司るとされている。
(真言)オン キリク ギャク ウン ソワカ
【功徳】あらゆる現世利益を叶える、夫婦円満
・禅語…壺中日月長 (こちゅうにちげつながし):どんなに小さい世界でも心地いい空間でのんびりするのは、時間を忘れるほど楽しい=今、自分が経っている足元で悠々と時間を味わう、欲を求めすぎて疲れない
(キーワード)
・心の器…心の余白、自分の器が揺れ動き精神的に余裕がないと不幸に感じる
・欲…きりがない煩悩でもあり、同時に生きるエネルギー。本来何かを得たら何かを差し出そうとする力=等価交換であることが大切。
・(傲)慢…自分で何とかできるという思い込み、何とかしようという過集中
・バチ(罰)…仏は罰しない、変化により人生が新しい段階へ入る苦のサイン
・宇宙の慈悲…常に平等に降り注いでいる無限大の愛の力
・感謝…めったにない奇跡の巡り合わせの中にいることへの感受性
・謙虚…人は誰かのお陰で成立していることへの気づき、弱さを受け入れ一人で抱え込まない姿勢
#仏教 #運 #感謝 December 12, 2025
2RP
令和7年霜月11月の晦日参り
令和7年11月30日、日曜日、
静岡県函南町
曹洞宗 「渓月山長光寺」さまに本年長月9月以来の参拝のご縁を頂きました💞🙏🏻
方丈さま並びに寺女さまの直書き御朱印拝受🙏🏻
今回の悩みを話し、聴いてくれて嬉しかった😢
本尊:釈迦牟尼如来
慶長年間に開創された四百年連綿と法灯を単伝した丹那盆地東側の古刹。
境内のイチョウ🍂が落葉しており、独特のあの匂い☺️
季節感を非常に堪能出来ました👏
なお、小春日和☀️の温暖な陽気でしたが、
修行猫 雲猫(うんにゃん)🐱さまは境内に居られず、
来年令和8年 2026年の雲猫 🐱さまカレンダーにて癒されます💖
また逢いに行きます🥰
霜月は色々「大変」なことがあったが…〆に佳き参拝が出来て感謝🙇♂️
「大変」は大きく変われる証だし、師走12月以降への戒めとして引き続き精進の日々ですm(_ _)m
ありがとうございます。
#神社仏閣好きな人と繋がりたい #御朱印 #御首題 December 12, 2025
1RP
ゲーム内で馬を買おうとしたら値段を釣り上げられてしまい、リアルの人脈フル活用で抗議するこく兄
「釣り上げやがった!?なんだお前よぉ!?テメー俺は加藤純一と釈迦の友達だぞ!かるびとファン太とツルギとよぉ!おおウメハラの友達だぞ?それでもその値段かこの野郎!言うぞ!!あいつらに!!」 https://t.co/ReFnk0iAmW December 12, 2025
1RP
誰が何の宗教を信仰してようが倭国だとへぇそうなんだ程度だと思うけど、全面に出されると身構える感じはあると思うわ。
この人の場合キリスト教でなく例えば仏教でお釈迦さまが~の場合でも、ん?てはなると思う https://t.co/pOsxUoAhM9 December 12, 2025
ジェルくんのクソだるいの歌聴きたい
#おやすみにゃさい𓃠💤
明日の休日がお釈迦になってだいぶ悲しい私の休日返してほしい https://t.co/3FRXkQLfdD December 12, 2025
https://t.co/qIuFebpjAn
今の人は「社会や他人のせいにする」自分を良く見せようと人を下げるのは「修羅道」世界遺産・醍醐寺の仲田順英が説く“密教の教え”生きたまま仏になる『即身成仏』とは?人間関係に介護…悩み相談殺到【落合陽一】
NewsPicks /ニューズピックス #AI要約 #AIまとめ
仏教・密教と現代人の心の在り方
🔳密教と仏道という「人の生きる道」
仏教は本来「仏教」よりも「仏道」と呼ばれ、茶道・華道・武道などと同じく「人の生きる道」を示すものとして生活の中にあったと説明する。信仰や祈りは特別なものではなく、日常に溶け込んだ倫理や心の支えとして機能していたと語られる。
🔳醍醐寺と中田巡営さんの紹介
第5世・醍醐寺は空海の孫弟子にあたる聖宝理源大師によって開かれ、山全体が上醍醐・下醍醐として世界遺産にも登録されるほど膨大な国宝や文化財を有する寺院と解説される。中田氏は伝法会灌頂を受けた密教僧であり、宇宙寺やVR空間など最新技術を取り入れた試みも行う僧侶として紹介される。
🔳密教の「密」は秘密よりも「密接」の意味
密教の「密」は単に秘密というより、師と弟子、宇宙と人間、自然と心が密接に関わるという意味合いが強いと説明される。大日如来が説いた宇宙の真理を、空海がサンスクリット経典から一対一の伝承で学び、倭国に伝えた教えとして位置づけられている。
🔳信仰喪失と倭国社会の不安定さ
信仰や祈りが薄れると、人間や社会の拠り所が弱まり不安定になりやすいという問題意識が示される。倭国では新宗教の台頭やオウム事件などを経て、宗教全体へのイメージが悪化し、「祈り」や「見えないものへの畏れ」が軽視される風潮が強まったと指摘される。
🔳仏教における「捨てる」ことと現代の「守る」志向
仏教の根本には、王子であった釈迦が身分や暮らしを「喜んで捨てて」修行に入ったように、執着を捨てることが重要という考えがあると説明される。これに対し現代社会では、何より「守ること」が優先され、手放すこと・捨てることの価値が見失われていると語られる。
🔳認知症の父をどう受け止めるか
「認知症の父をどう楽しませればよいか」という相談に対し、忘れていくことは必ずしも不幸ではなく、記号を一つずつ手放すことでむしろ穏やかな境地に近づいている可能性もあると答える。周囲からは「忘れてしまってかわいそう」に見えても、本人の内側では苦しみが薄れ、悟りに近い心の状態かもしれないと視点の転換を促している。
🔳祈り・罰・責任感の変化
昔は木を切る時も「命を絶つ」ことへの祈りがあり、怪我や不幸は「罰が当たった」と受け止め、自らを省みる契機になっていたと語られる。今は不都合が起きても「社会が悪い」「誰かのせい」と外に責任を押し付け、自分の行いを振り返る感覚や祈りによる心の整えが弱くなっていると指摘する。
🔳ギブアンドテイクと「目に見えないもの」への感謝
現代はギブアンドテイクや即時の見返りを求める価値観が強く、「巡り巡って返ってくる善行」という仏教的な発想が忘れられがちだと批判される。本来は、目に見えない命や存在への感謝、どこにでも命が宿るという感性こそが倭国の精神性を支えてきたとし、その希薄化が社会のギスギス感につながっていると論じる。
🔳聖なる空間と日常の祈りの実践
仏壇や神棚のある部屋では、人を傷つけるような行為や暴力は起きにくいという感覚が共有される。たとえ立派な仏壇がなくても、写真と水一杯を供える「聖なる空間」を家の中に設け、先祖や仏に手を合わせることで、心が落ち着き日常の行動も自然と整っていくと勧められる。
🔳人の輪に入れない悩みへの仏教的視点
「人の輪に入れない」という悩みに対して、中田氏自身も和の中に入るのが得意ではないと前置きしつつ、人は常に「縁」でつながっており本当の意味で一人きりにはなり得ないと語る。周囲と騒いだり共感し合う人が少なくても、それは孤独ではなく、自分が自然や世界の一部だと感じられれば十分に「つながっている」と考えてよいと励ます。
🔳マウントを取る人や攻撃的な他者との距離感
マウントを取る人や他者を貶める人は、自分の嬉しかったことを認めてもらいたいだけだと受け止め、「ああこの人はこれがうれしいんだな」と一歩引いて聞くくらいがちょうどいいと助言する。他者の修羅的な振る舞いに巻き込まれず、自分の軸を保ちつつ距離を取ることが大切であり、政治やSNSの世界で他者批判によって自分を高く見せる風潮にも流されない姿勢が求められると述べられる。 December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



