足利尊氏 トレンド
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2025.12.16 02:00
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🏯 【室町幕府のルーツ!】足利氏館跡(鑁阿寺)を訪れました
栃木県足利市にある足利氏館跡は、室町幕府を開いた**足利尊氏(あしかが たかうじ)**をはじめとする、名門・足利氏発祥の地です。鎌倉時代に足利氏の初代、足利義兼(あしかが よしかね)によって築かれた館の跡地です。
館は、周囲に堀を巡らせた豪壮な造り。現在は、その跡地に**鑁阿寺(ばんなじ)**というお寺が建っていますが、周囲の堀や土塁(土を盛った壁)が、当時の館の姿を今に伝えています。お寺の山門にあたる東門は、かつての館の正門の場所に立っていると言われています。
まさに、倭国の歴史を大きく動かした足利将軍家のルーツの地。静かな境内で、歴史の重みとロマンを感じられる、特別な場所でした!
#足利氏館 #足利尊氏 #足利氏 #歴史 #栃木観光 #鑁阿寺 December 12, 2025
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倭国は法治国家だという認識を自民党議員は持ってないのかね?
皇室典範というものは、ただの法律なのだよ。
憲法の下に置かれる法律な。
だから、これの改正は国会議員が行えるものであり、国権の最高機関の権限なのだよ。
だから、民主主義の原則に則って決めていいものなのだよ。
そもそも天皇家の扱いは大王(オオキミ)から始まり、継体天皇の時代に皇族と家臣という形に定まっていったもの。
その継体天皇は応神天皇の五代孫。
これの正当性を担保するために先代の武烈天皇の妹である手白香皇女を皇后とした。
これは豪族への配慮と言ってもいい。
南北朝時代においても後醍醐天皇のいとこを天皇として立てられたのが北朝の始まりであり、明らかに権力者である足利尊氏の都合と言える。
3代義満の時代に南北朝合一がなされたものの、北朝南朝の交代制の約束は反故にされ、以降北朝の天皇家のみとなる。
これも時の権力者足利氏の都合と言える。
明治期においては、南朝を正当なる天皇家という建前を持ちつつ北朝の明治帝を立たて成立している。
これも薩長政府による都合と言えるもの。
つまり、天皇家という扱いはその時々の権力者による都合による制度といっても過言ではない歴史を持つ。
翻って現代は民主主義であり、主権者は国民。
ならば、国民の意見が反映されなければこれまでの歴史を否定することになる。保守なら当然歴史を尊重しなければならないだろう。
では、愛子様の婚姻のお相手が、もし元皇族の男性であればどうなるだろう。
元皇族の適齢期独身男性は複数存在するという報告もある。
愛子様のご意思はもちろん尊重しなければならないが、元皇族の男性であればご結婚相手としては血統も皇族であり、何ら問題はない。
応神天皇の5代後の子孫である継体天皇は先代の武烈天皇の妹である手白香皇女。
単に天皇の性別が男女入れ替わるだけで男系は維持される。
維持されないというなら、継体天皇以降は女系であるという宣言にもなる。
であるなら、皇室典範の天皇の後継者を「男系男子」の部分のみ「男系」と変更するだけで全てが解決することになる。
仮に一般男性と婚姻されたら、その子は男系ではないので皇族ではあっても天皇にはなれないというだけ。
その時には悠仁親王が第1位皇位継承者になるだけのこと。
歴史的経緯、現代社会の主権者を鑑みて、上記を否定する論理的・制度的な不備はあるだろうか?
感情論は不要。意味を持たない。 December 12, 2025
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