護憲 トレンド
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2025.12.14 19:00
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#憲法改正発議阻止
#緊急事態条項断固反対
#護憲政党を応援します
ささやかな幸せを守ってくれるのが『憲法』です。
憲法改悪で金儲けの経団連•資本家•金権政党
テレビ、大手マスメディアは忖度•利潤追求
庶民の傍にいる護憲政党を国会で大きくしよう https://t.co/hV6OgEh7rN December 12, 2025
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ご意見ありがとうございます。
私だけならともかく、南出先生までもが、党から「党の規律と組織秩序」を乱したなどと批判され、SNS上では「党の乗っ取りだ」などと酷評されていることは絶対に容認できず、これまでの経緯を説明すべきと考えて発信している次第ですので、ご理解いただけると幸いです。
なお、憲法改正派の河合ゆうすけ氏と組んでいる時点で、吉野氏は真正護憲論を放棄したものとみています。 December 12, 2025
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れいわ新選組は本物の護憲政党
改憲勢力は自民・維新・国民・参政党
れいわは明確に『改憲反対・9条堅持』
次の選挙でれいわの議席増やせば倭国は変わる。
#改憲反対
#戦争反対憲法守れ
#れいわ新選組を広げよう
#投票に行こう🗳️ https://t.co/4CkA1ZXGWN December 12, 2025
『機動警察パトレイバー2 the Movie』は、ロボットアニメという形式を借りながら、戦後倭国が抱え込んできた平和観・国家観・責任意識を徹底的に問い直す政治的寓話である。
この作品を理解するためには、物語上の事件やキャラクター配置だけでなく、押井守自身の発言や同時代の思想状況、そして戦後倭国という枠組みそのものを重ね合わせて読む必要がある。
押井守は『映画の正体』や『こんなに悩んで監督やってます』の中で繰り返し、「自分は戦争を描いているのではなく、戦争を外部化してきた倭国を描いている」と語っており、『パトレイバー2』はその問題意識が最も純化された形で表出した作品だと言える。
物語の中心に置かれるのは、東京を舞台にした一連のテロとクーデター未遂事件であるが、作品はそれを単なる陰謀劇として処理しない。むしろ、誰が敵で誰が味方なのかを意図的に曖昧にし、観客が安易に感情移入できる「正義の側」を奪い続ける。警察組織に属する後藤喜一や南雲しのぶは、制度の内部にいながら、その制度が抱える虚構を理解している人物として描かれる。一方で、事件の黒幕である柘植行人は、狂気のテロリストとして処理されることを拒み、極めて論理的で、しかも倭国社会の弱点を正確に突く言説を語る存在として配置されている。この構図自体が、作品の主題を雄弁に物語っている。
藤津亮太が『アニメと戦争』で指摘しているように、『パトレイバー2』が描く戦争とは、銃弾や爆発そのものではなく、「戦争が存在するにもかかわらず、それを自分の問題として引き受けない社会の状態」である。戦後倭国は、憲法9条を持ち、戦争をしない国家であることを誇りとしてきた。しかし同時に、日米同盟という枠組みの中で、実質的な安全保障を他国の軍事力に委ねてきた。この構造によって、倭国は「戦争に関与していない」という自己像を維持しつつ、国際秩序の暴力性から利益だけを享受することが可能になった。押井守が繰り返し語る「平和ボケ」とは、単なる無関心ではなく、この構造が生み出す倫理的空白を指している。
柘植行人は、その空白を最も過酷な形で引き受けてしまった人物である。彼は海外派遣の現場で、倭国が直接戦争をしない代わりに、現地で切り捨てられ、忘却されていく現実を体験する。その経験から彼が導き出した結論は、倭国は「戦争をしていない」のではなく、「戦争を他人にやらせている」だけだという冷酷な認識だった。柘植の行動はテロであり、許容されるものではないが、作品は彼の論理そのものを否定しない。むしろ、彼の問いかけが成立してしまう社会のあり方こそが問題なのだと、観客に突きつける。
岡田斗司夫の解説が示唆的なのは、柘植を「悪役」としてではなく、「戦後倭国が生み出した告発装置」として位置づけている点である。柘植は革命家でも独裁者でもなく、勝利や権力掌握に興味を持たない。彼の計画は最初から失敗するように設計されており、自分自身が討たれ、裁かれることさえ織り込み済みで進められている。その姿は、国家や社会に対して「あなたたちは本当に平和を選んできたのか」と問うために、自ら悪を引き受ける殉教者に近い。この点で彼は、単なる軍国主義者とも、反体制左派とも異なる独特の位置に立っている。
一方、後藤喜一というキャラクターは、柘植の対極にいるようでいて、実は非常に近い場所に立っている。後藤は制度の内部に留まり、警察官として秩序を守る立場にあるが、その秩序が絶対的な正義ではないことを誰よりも理解している人物だ。彼は柘植の思想に一定の理解を示しつつも、暴力による告発を選ばない。後藤が体現しているのは、「現実を知った上で、それでも制度の中で踏みとどまる」という態度であり、これは押井守自身のスタンスに最も近いとされる。南雲しのぶもまた、個人的感情と職業的責任の間で引き裂かれながら、簡単な答えを拒否する存在として描かれる。
氷川竜介が指摘するように、『パトレイバー2』が公開された1993年という時代背景も重要である。冷戦が終結し、倭国は経済大国としての自信を失い始め、同時に安全保障の根拠を再定義できずにいた時代だった。湾岸戦争で「金は出すが血は流さない」と批判された倭国の姿勢は、まさに本作のテーマと重なる。押井守は、この時代の空気の中で、「倭国はこれから何を引き受ける国家になるのか」という問いを、エンターテインメントの形で提示したのである。
重要なのは、『パトレイバー2』が改憲か護憲か、右か左かといった単純な政治的立場を示す作品ではないという点だ。作品が批判しているのは、どの選択をするかではなく、「選択しているという自覚を持たないこと」そのものである。戦わないのであれば、その結果として誰が犠牲になっているのかを引き受ける覚悟が必要であり、戦うのであれば、 December 12, 2025
ご返信ありがとうございます。
なかなか難しいですね。
確かに木原先生がおっしゃる通りに党の活動と、よしりん個人の活動の境目が曖昧になりやすいところはあるかなと感じます。
でもよしりんが立ち上げた倭国誠真会から四毒抜きを完全には切り離せないと思うし、切り離してしまうと四毒抜きで集まった人の中で違うなと思う人もいるし。
先日の南出先生の会見で、眞正護憲論をアピールしないみないなことに不満を持たれているように感じましたが、参院選ではアピールし過ぎに感じている人は多いと思います。それによって誤解を生んだところもあるように思います。
ちなみに本日のプレセミナーでの話を聞いていると、眞正護憲論支持は変わらないようでしたよ。アプローチの仕方が南出先生達が求めているものと違うかもしれないけれど、蔑ろにしていた訳でもないと思いました。
目指すもの(優先するもの)が違うのでいずれ別れることになっていたように思いますが、この一年で眞正護憲論を知り支持する人増えたと思うので、悔しい思いはあると思いますが下手に絡まず、木原先生も本来目指す道へ向かって欲しいなと思います。
浦木さんもそうですが、小馬鹿にしたりするような投稿は自分の足を引っ張るだけだと思います。
私は井田さんが離党したあとそれはそれで応援しようと思いましたが、グダグダ悪口ばかり投稿しているのをみて本当にがっかりしました。身近に愚痴言うのはわかりますが、わざわざ多くの無関係な人へ向けて発信する気持ちが分かりません。多分、これはSNSなどを駆使する人が落ち入りがちな行動なのかなとは思いましたが、実社会ではそのような人は雇わないし取り引きもしません。
今回の事があって、よしりんの主張を聞く前に「くにやんを蔑ろにするなんて!」
と速攻で批判する人がいるくらい木原先生は信頼を得ていると思うので、請求すべきものは請求して、新たに活動をされたほうがイメージ的にはいいんじゃないかと思いました。
うちの父も独裁で、不満を持った人たちに代表取締役からおろされそうになったことがありまして、降ろそうとした人達は代わりに母を代表にしようと考えていたようです。でもそんなの上手く行く訳ないんですが、そうしたかった取締役の気持ちはよくわかります。
父とよしりんは本当にそっくりなので😅(よしりんのほうが人格者ですが) December 12, 2025
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