角幡唯介 トレンド
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2025.11.24〜(48週)
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【楽しい人生研究講座】
本日18時〜プレミア公開スタート!
今回は、地球最北部の地・シオラパルクで狩猟生活を送る探検家の角幡唯介さんと、山梨の奥地で自給自足生活を送り、最近は北海道を旅した東出昌大さんにお越しいただきました。 キャリアを捨て衝動に従い生きる2人の幸福論とは? また、人生の全盛期は何歳なのか?お二人の年齢と生き方に対する考え方もお聞きしました。
ご視聴はこちらから
https://t.co/zdpRG71Uds
よろしければチャンネル登録お願いします December 12, 2025
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【角幡唯介さんの今日の言葉】🖊️
つまり人生を動かすのは偶然である。
では偶然とは何か。
それは世界でその人のみに固有の出来事のことである。
『#43歳頂点論』より
↓試し読みはこちらから📖
https://t.co/7cTyb8W6q4
@BookBang_jp December 12, 2025
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"私は初めから文章や本を書くことを前提に探検や冒険に出かけている"
角幡唯介さんの「旅人の表現術」
“私は初めから物語を書くことを前提に
仕事を選び働いている”
モーリーの「働く人の表現術」
どんな物語を書きたいかでキャリアを考える。 https://t.co/1GX7Iaex1e December 12, 2025
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冒険家、角幡唯介さんの新著「43歳最強論」を読んで以来、若い同業者、仲間たちに対して「その歳までガンガン頑張れよ!」と思うようになった。
確かに自分もそれくらいの歳まで勢いよく順調に仕事をしていた。
そして、真の価値はその頂点を越えた先に見えてくる。 December 12, 2025
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【角幡唯介さんの今日の言葉】
この年になって気付くのは(中略)類型的人生などじつはこの世界にただのひとつも存在しないということだ。
人は誰しもそれぞれ異なる道を歩むなかで、少しずつ他人とズレながらその人自身になってゆくのである。
『#43歳頂点論』より
↓試し読み
https://t.co/7cTyb8W6q4 December 12, 2025
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【角幡唯介さんの今日の言葉】🖊️
生と死は近接しており、登山や冒険はそのはざまで微妙なバランスを取りながら、生のほうをつかみとろうとするいとなみである。
『#43歳頂点論』より
↓試し読みはこちらから📖
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@BookBang_jp December 12, 2025
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【5年前の過去記事】
あなたも病気かもしれない。
#角幡唯介
#探検家の憂鬱
角幡唯介 著『探検家の憂鬱』より。教員の憂鬱。無意識のどこかで身体性の回復を欲している。 - 田舎教師ときどき都会教師 https://t.co/4Hg6tB3yLh December 12, 2025
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角幡唯介『43歳頂点論』読み終えました。本当に面白かった。良い本は内面化ができる、人と話している最中にふと口をついて「今読んでる本でこんな話があるんだけどさ、」と、自分固有の文脈、固有の感情の流れに則って話したくなる。当然ながら、著者の思考や論をそのままトレスすることはできないが、 https://t.co/RtF2SzZ1Qm December 12, 2025
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なんてこった、、、。
12月13日(土)亀田正人さんの写真展「山を旅する人」に服部文祥さんが来る。お二人にお会いしたいのに、どう考えても行けん、、、。
その日は既に冒険研究所書店で角幡唯介さんのクロストークに参加する予定が、、、。
無念(´・ω・`) https://t.co/KdfdPO6lJM December 12, 2025
【読了】
『43歳頂点論』(角幡唯介/新潮社)
分野は違うのだけれど
オジになってスト6に面白さを
感じている現在も繋がる表現に
なるほどと。
『月と六ペンス』の話もあり、
数年前には分かるような
分からないような感じだったけど、
今は考えが変わってきている。
よい加齢をしていきたいな。 https://t.co/Lx81gM8F8v December 12, 2025
角幡唯介『43歳頂点論』(新潮新書)読了!
今年読んだ新書の中でベスト3に入る面白さでした。43歳前後の男性は全員必読。新潟在住の登山好きとしては平ヶ岳の比喩が非常に分かりやすかったです🏔️ https://t.co/H2qeeSvFNT December 12, 2025
角幡唯介さん、ありがとうございます。
内戦や難民がテーマ(のひとつ)ではありますが、節々にユーモアが散りばめられており、読みやすいと好評です。軟禁・監視下という緊迫した状況をもくすりと笑わせる筆致が見事。登場人物が皆「人間」として愛しくなります。小松さん、9月に43歳になられました🎂 https://t.co/FbKq3wxADR December 12, 2025
鶏チャーシュー等を作り、ゆっくり買い物なぞした充実の日🌱
角幡唯介さんの言葉、経験は語って還元するべきという人類の昔ながらの作法があるのではないか、に、体感覚は追いつかないけれどなるほど感。
ところで、鶏チャーシュー、ビックリするくらい簡単で美味しかったんですよ、奥様。 https://t.co/ZSizPrfAsC December 12, 2025
【角幡唯介さんの今日の言葉】🖊️
ただの存在になれること。
それがいまの私には山や極地の奥深くを旅する一番の魅力である。⛰️
『#43歳頂点論』より
↓試し読みはこちらから📖
https://t.co/7cTyb8W6q4
@BookBang_jp December 12, 2025
『43歳頂点論』角幡唯介 を読んでいる。
この記事と完全にシンクしていてびっくりした。
登山家にとっての「山」、ミュージシャンにとっての「世間」。
登る力が衰え、降りていく営みのなかで生まれる葛藤。
資本主義は山登り的だ。
好奇心や思いつきで次の頂を目指す人に、生きやすくできている。
では、日々を営むことを要請されるミドルはそれにどう抗えるのか。
角幡さんは、冒険家としての全盛期を過ぎたいま「ただの存在になれること」を面白がろうとしているという。
山を降りるのではなく、山そのものの大きさを味わう深さを手に入れる。
世界そのものと一体になろうとする。
登頂ではなく、その変容=成長にこそ意味を感じるのだ、と。
パパとして私も似たような葛藤を感じる。
「イクメン」と呼ばれることに、宛先のない怒りにも近いむず痒さを感じる。この凶暴さ、素直さは登頂のための生存本能だ。
しかし生活はそれを要請しない。これをどう受け入れるか。
わたしから遠くかなたにあった「死生観」が、生き方に戸惑ったいま、本書とともに突然手元にやってきた。 December 12, 2025
角幡唯介『43歳頂点論』
◆ ミドルエイジと「手応え」の消失
仕事も育児もそれなりにやってるのに、「自分の人生を生きてる手応え」がなくなっていく。
最近それが、どんどん肩凝りとして積み重なってきた。
本書は、そんな違和感に変な角度から刺さってきた。
わたしは旅や冒険に興味はないし、「43歳が頂点」とも思っていない。
それでも、肉体的な経験を生業とする筆者による「生の手応え」というテーマが、なにか琴線に触れた。
手応え、か。
手応え…。
◆ K2滑落死
象徴的なエピソードが紹介されている。
2024年、K2で世界最強と呼ばれた登山家2人が滑落して命を落とし、死後に登山界のアカデミー賞ともいわれるピオレドール賞で称えられた出来事だ。
命を賭けるほど危険な挑戦に挑み、それによって生を照らし出そうとする冒険家という職業。
その姿は、皮肉にも「死」によってまざまざと世に伝わる。
あまりにきれいな物語になってしまったその死を、筆者も困惑とともに捉えようとする。
ひるがえって「我々は全力で生きているか?」と問われる。
現代を生きながらも「自分の存在を生きられていない」ような感覚を覚える、わたしの気分とどこか重なった。
◆ 「43歳の頂点」と、“どこで生きるか”
角幡さんの言う「43歳の頂点」とは、肉体と経験の最大公約数が重なる瞬間だという。
同時に、好奇心や生の手応えが落ち、「できるとわかっていることをやる」つまらなさが増える年齢でもある。
ここで語られている「生き甲斐」には、ふつう語られがちな
「何をするか」「どう生きるか」だけでなく、
「どこでそれをやるのか」「どんな身体でそこに立つのか」という要素が強く現れていた。
角幡さんにとって、それは南極や極地、荒野だ。
人間のいない白い世界を、ひとりで旅するその場所そのものが、生き甲斐の一部になっている。
では、わたしたちにとっての「主戦場」はどこなのか。
家なのか、会社なのか、SlackとZoomの画面の中なのか。
そしてそこにいる自分の身体はどうか。
どこか釈然としない痛みを抑えているのか、
それともジムで鍛え上げた体で椅子に座っているのか。
在宅ワークやリモートワークが当たり前になった今、
「どこで」「どんな体で」働き、生きているのかは、
生き甲斐と切り離せない要素なのではないか。
場所と身体を無視して、「やりがい」だけを語ることに、空虚さの本質が隠れている気がした。
◆ 「イクメン」としてのわたし
たとえば、わたしは「イクメン」という言葉に最近よくさらされるが、それに強い違和感を覚える。
資本主義レースでは慣らし走行を続けながら、
育児社会からは「もっと主体的になれるはずだ」と期待される。
両方で主人公として振る舞えている人もいる一方で、
どちらでも主役になり切れず、モヤモヤしながら走っているように感じる人もいる。
わたしは、どちらかといえば後者だ。
心のなかで私小説を書き溜めてしまう。
「頑張りが足りないだけじゃないか」と自分でツッコミを入れつつ。
それでも生活は、いとなまれる。
目の前のオムツを替えなければ、娘の尻にうんちがこびりつく。
そのことと、今日わたしの出したバグでユーザーが不愉快な思いをすること。
どちらも、ただ「いとなみ」として矛盾なく流れている。
この状態を「受けとめる」ことと、「諦める」こととのあいだには、どんな差があるのだろう。
◆ 競争と営み、その足場としての「どこで」
冒険家が「危険度レース」を降りたとき、その静寂はいかに表現できるのか。
南極や高地という極端な場所を離れたとき、彼らはどこで、どんな体で、生きていくのか。
同じように、在宅ワークの机の前で、保育園の送り迎えの道で、
わたしたちはどこでなら、自分の物語を語れるのか。
固有の人生などという高みを、一般人は目指せるのか。
『43歳頂点論』は、そんな「レース」と「営み」、
そしてその足場としての「どこで生きるのか」という問いを考えるきっかけとなった。
レースを降りることは、本当にレースを降りることなのか。
より良く生きたい。つまるところそれだけだ。 December 12, 2025
【東出昌大vs角幡唯介】 生きている実感を得たい...自由に生きる2人の最強幸福論!20代・30代・40代...人生のピークを迎える年齢とは?【... https://t.co/foK8pNUrfA via @YouTube
生存活動は楽しいか…
生存活動をしてる人は楽しそうだし、憧れる人も多い。
生きてる実感がみんな欲しいんのだろうな December 12, 2025
今回の小旅のお供本はこれに📙
この前のReHacQでかっこいいお姿
拝見したし(ミーハーファン)
下り坂の人生どう楽しめるのか興味深い
#角幡唯介 さん新刊 https://t.co/w1KsJzVZGn December 12, 2025
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