自己責任論 トレンド
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2025.12.14 01:00
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「災害が起きる地域に住むのが悪い」という自己責任論を言う人が出て来る時代です。
「あくまで原則」とか「心構えの話」という行間が読める人に向けた言葉でもモンスターの人達は誤解します。
能登地震で避難所に被災者が居るのに「復興しないで移住させろ」と言い出す国会議員も居る時代です。 https://t.co/YzCKFaGN6A https://t.co/0bnhkBBZqa December 12, 2025
1RP
障害福祉の話になると、
必ず出てくる言葉がある。
「自己責任」
「努力不足」
「甘え」
はっきり言う。
障害福祉の文脈に自己責任論を持ち込むのは、論理的に破綻している。
理由は単純だ。
障害福祉は、
本人の努力だけでは生活が成立しない前提で設計されている。
たしかに、
作業所を変えれば
作業内容を選べる場合もある。
評価制度があり、
頑張る人に工賃が上乗せされる現場もある。
でも、ここで一度、現実を見てほしい。
・事業所を変えるには体力・情報・環境が要る
・地域によって選択肢の数は大きく違う
・評価があっても生活を左右する水準には届きにくい
・体調や特性で「継続的に頑張れるか」は日によって変わる
つまり、
「選べること」と「選び続けられること」は別物だ。
この状態で
「結果が出ないのは自己責任」
と言うのは、
個人の問題にすり替えて構造を無視している。
努力を語るなら、
まず問うべきことがある。
「努力が、生活の安定に結びつく設計になっているか?」
障害福祉の現場では、
多くの場合、
努力と生活の安定が直結しない。
どれだけ真面目に通所しても、
どれだけ作業量をこなしても、
収入は数千円〜数万円台。
評価はあっても、
人生を立て直せるほどの差にはならない。
ここで
「もっと努力しろ」
と言うのは、
本人を励ましているようで、
実際には
制度の限界から目を逸らしているだけだ。
自己責任論が一番楽なのは誰か。
・制度を作った側
・運営する側
・外から眺めている第三者
「本人の問題」にしてしまえば、
構造を直さなくていい。
リソースを再配分しなくていい。
考え続けなくていい。
だから自己責任論は、
道徳の仮面をかぶった思考停止として頻繁に使われる。
そして一番の問題は、
障害者自身が
それを内面化させられることだ。
「自分が悪い」
「努力が足りない」
そう思い込まされて、
自尊心を削られ、
静かに壊れていく人を、
現場で何人も見てきた。
障害福祉で問われるべきなのは、
根性でも覚悟でもない。
調子が悪い日があっても、
失敗しても、
生き続けられる設計になっているか。
それだけだ。
障害福祉に自己責任論を持ち込む人は、
冷たいわけでも、悪意があるわけでもないと思う。
ただ、
現実を知らないか、
見ないで済ませているだけ。
※もし
「でも努力は必要だろ」と思ったなら、
それ自体は否定しない。
ただ一つだけ言う。
努力を道徳として振りかざしていいのは、
努力が生活を支える水準まで報われる土台を
用意した側だけだ。 December 12, 2025
障害福祉における「自己責任論」を、福祉職の立場から代弁する
障害福祉の現場で働いている人の多くは、
本当は分かっている。
「自己責任」という言葉が、
この領域では
ほとんど機能しないことを。
でも、それは
なかなか口に出せない。
なぜなら福祉職は、
制度の“中”で働く人間だからだ。
・限られた予算
・変えられない報酬体系
・国や自治体のルール
・事業所の経営
・「公平性」を求められる立場
その中で
利用者一人ひとりの人生を
丸ごと救えるわけがないことを、
一番よく分かっている。
だから、
苦しくなる。
本音ではこう思っている。
「この人は怠けているわけじゃない」
「能力がないわけでもない」
「環境と制度が合っていないだけだ」
でも現場では、
言葉を選ばなければならない。
「今の制度では難しい」
「ここでできるのはここまで」
「別の事業所も検討してみましょう」
それ以上は、
言えない。
なぜなら
それ以上を言ってしまうと、
制度そのものを否定することになるからだ。
そして、
制度を否定できない以上、
話はどこかで
個人の努力や姿勢の話に寄っていく。
それが
「もっと頑張れたら」
「継続できたら」
「意欲があれば」
という、
曖昧で便利な言葉になる。
福祉職の多くは知っている。
それが
利用者を追い詰めることも、
自尊心を削ることも。
それでも使わざるを得ない場面がある。
なぜなら、
他に差し出せる言葉が用意されていないからだ。
だから外から
「甘やかしている」
「自己責任を教えるべきだ」
と言われるたび、
現場は静かに消耗していく。
違う。
甘やかしてなんかいない。
むしろ逆だ。
制度の限界を、
利用者と一緒に
毎日突きつけられている。
努力できる日もあれば、
できない日もある。
安定して通える月もあれば、
崩れる月もある。
それでも
「生活」は続いていく。
その現実を前にして、
自己責任論は
あまりにも雑で、
あまりにも軽い。
障害福祉で問われるべきなのは、
利用者の覚悟ではない。
「この制度で、
人は壊れずに生き続けられるのか」
それだけだ。
福祉職は、
利用者の代わりに
制度と折り合いをつけている人たちだ。
自己責任論を投げる前に、
一度だけ想像してほしい。
その言葉を、
現場の誰が、
どんな顔で受け止めているかを。
★自己責任論は、現場にとって一番いらない正論だ。 December 12, 2025
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