第二次世界大戦 トレンド
0post
2025.12.20 02:00
:0% :0% ( 30代 / 男性 )
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
@shima_enagaa ここまで来たらもはやメディアの暴走だろ
第二次世界大戦時のメディアが倭国軍および国民に煽った様な暴走さを感じるわ
政府はもう記者なんて締め出せよ
総務省もオフレコ流したメディアを停波させろよ December 12, 2025
3RP
今日は映画ペリリュー 楽園のゲルニカ
見てきたー!( ´ ▽ ` )ノ
ペリリューは南西諸島パラオの
島の名前だった。
絵はデフォルメでかわいいんだけど
第二次世界大戦の玉砕戦の話なので
結構凄惨だった。( ˃ ⌑︎ ˂ ) https://t.co/SusVfKHaeS December 12, 2025
これは確信犯では?
第二次世界大戦の前に、
アメリカの雑誌の表紙に、
倭国人のドクロの絵が載ってたってのを見たことがあって、
その後まもなく戦争が始まり、、
メディアで表して来るみたいなんだよね。
昔から多分あるんだと思う、
こういうの。 December 12, 2025
KAORI🍉channel Telegramより
(20日1:30 投稿)
※📚Type-Rさんによる翻訳
【訳】
ホリーさんの配信 12/19/25
皆さんこんにちは、ホリー・セリアーノです、今日は12月19日金曜日です
今日はいくつか話したいことがあります、昨夜トランプ大統領が演説を行い、その中で特に印象に残った点があります
トランプ大統領は米軍兵士に1,776ドルの給付を行うと発表しました、1776という数字です
すべてはメッセージとして行われており、トランプ大統領は常にコードで語る人物です
1776という数字は共和国の年であり、私たちは1776に戻るとずっと言われてきました
米国が法人化されたのは1871年であり、今この数字を使って軍に支払うという点は、軍を通じて共和国へ戻っているという合図だと感じました
軍が唯一の道だと言われてきた中で、これは非常に大きなサインだと思います
今後どうなるか見ていきましょうが、これが演説の中で最も強く印象に残った点です
もう一つ触れたいことがあります
イラクについてですが、新しい議会の初会合が12月29日に正式に設定されました
これは非常に明確な区切りの線です
経済学者や政府関係者が、これまで小声で語られていたことを公に話し始めています
現在の圧力の下では為替レートを変更しなければならないという点です
中央銀行は年末時点で1310であることを確認しており、自らのルールを破らずに引き延ばす方法はありません
私たちはそのハードラインに近づいています
クルディスタンは資金は準備済みだと述べており、非石油収入も整い、監査も完了しています
あとはバグダッドのゴーサインを待つだけです
政府は中央銀行と連携して請負業者への支払いを行うと公に話し始めており、これは計画ではなく実際の流動性が使われ始めていることを示しています
デジタル決済、税制改革、オリバー・ワイマンのプログラムも前進しています
これは派手な見出しではなく、インフラ整備です
外から見ると、米国側と国際側は足並みをそろえて能動的に動いています
世界的には中央銀行が先に動き、その後に通貨が続きます
日銀やBISもその流れを事実上確認しました
シルバーとゴールドは積み上げられており、シルバーはゴールドから切り離されたように急上昇しています
これは非常に大きな動きです
すべての注目はベネズエラに向かっています
昨日私が投稿したミスターXとの内容を見た方もいると思います
彼を好む人もいれば嫌う人もいますが、彼は真実を語ります
この遅延に皆が疲れ切っている現状を正確に伝えています
ある方から届いたメッセージが非常に的確だと思ったので読みます
「あなたのミスターXとのポッドキャストを聴きました、とても良かったです
ホワイトハットは今がその時だという声をもっと聞く必要があります
私たちは彼らと共にこの戦いを続けてきました
私たちは彼らの言葉で言えばデジタル兵士です
NESARAの署名時期まで遡って関わってきた人もいます
この実際の戦いはすでに10年続いており、第二次世界大戦より4年も長いです
彼らは戦争訓練を受けていますが、私たちは違います
彼らには給料、食事、医療がありますが、多くの私たちにはありません
遅延のせいで、何百万人もの人が仕事や家、家族、健康を失いました
スイッチを切り替える遅れは、毎日さらに多くの人を苦しめています
これは偶発的な被害ではなく、意図的で計算されたものだと感じられます
もしQFSが語られてきた通りのものなら、スイッチが入った瞬間にディープステートは資金へのアクセスを失います
それが事態を一気に動かすはずです
それが起きていない現状は、私たち愛国者が利用され、嘘をつかれてきたと感じさせます
カバールの掃除に尽力しているホワイトハットには感謝していますが、その代償はあまりにも大きいです
説明責任はブラックハットだけでなくホワイトハットにも必要です
私たちは混乱を受け止める準備ができています
今の惨状よりはましです」
もうすぐまた祝日が来て、クリスマスになります
私はこれがこの祝日前に起きるとは思っていません
おそらく2026年になるでしょう
タイムラインは何度も変わり、人々は疲れ、病み、命を落としています
もう包帯を一気にはがす時です
起きるべきことを起こしてください
それは避けられないと私たちは分かっています
あとは実行するだけです
私たちは十分に準備してきました
人々は癒しを必要としています
その癒しは、住居、車、医療、食料といった生活に必要なお金が手元に戻ることで始まります
ホワイトハット、権限を持つ人々、耳を傾けている人々へ、今こそ行動してください
解放してください December 12, 2025
自作小説倶楽部 第30冊/2025年上半期(第175-180集)
第30冊/2025年上半期(第175-180集)
奄美剣星 著
『エルフ文明の暗号文』
13 https://t.co/2E4PuLTTpC
14 https://t.co/Ost5YvstZH
15 https://t.co/w40zstbYuS
16 https://t.co/hBxP0xbh2a
17 https://t.co/3M1kS8cMUY
18 https://t.co/KKEZbAWHqF
【梗概】 新大陸副王府シルハを舞台にしたレディー・シナモン少佐と相棒のブレイヤー博士の事件捜査。
挿図/(C)奄美「アラス駅」
~「小説家になろう!」サイトで運営している同人誌「自作小説倶楽部」の拙作『エルフ文明の暗号文』は戦間期のフランスを参考にしている。舞台の一つであるアラスにあった、旧アラス駅舎をモチーフにしている。バブル期画壇の覇者・ヒロヤマガタ画伯系ポップアート風に。
以下に、拙作新大陸シルハの地方都市アラスのモチーフになった、フランス・アラスについて記しておきたい。
***
覚書/「フランス北部の町・アラスの歴史」
Ⅰ アラスの町について
ベルギー、オランダ、ルクセンブルクをまとめて「ベネルクス三国」という。中世の神聖ローマ帝国に所属していたため、「ドイツ低地地方」などとも呼んでいる。さらにフランス北部を加えると、「フランドル」といった地域としてひとくくりにされる。原作小説はカタルシスなのに、なぜか子供向けアニメとして好評を博した『フランダースの犬』のフランダースというのは英語読みで、フランドルがフランス語風読みになる。
フランドル地方はフランドル伯の所領だったが、中世末期にそこを相続した女伯が、フランス・ヴァロワ王家の分家である、ブルゴーニュ公爵と結婚したことで、ブルゴーニュ公国に編入された。さらにブルゴーニュ公国女公が、ハプスブルク家の出自でドイツ=神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世の息子でもある、後に皇帝マクシミリアン1世となる公子を実質的な婿にとる。このことにより、ハプスブルク家の所領となるとともに、本家筋にあたるフランス・ヴァロワ王家との係争地になった。
その後、ハプスブルク家は、本家筋のスペイン王家と、神聖ローマ帝国の実質的な皇室・オーストリア公家とに分かれた経緯から、アラスの町はフランドル地方を支配していたスペイン王家の所領となった。
天気が訪れたのは1640年のフランス・スペイン戦争で、フランスがアラスを占領したところによる。59年、ハプスブルク家とピレネー条約を結んだ。そして正式に、アルトワ伯領とともに、フランス王国に組み入れられることになる。
フランス領となったアラスの町は攻勢を仕掛けて来たドイツとの間で、第一次、第二次世界大戦の激戦地になった。
Ⅱ アラス駅について
以下:ブログ引用記事(文末にURL)
「アラス駅は1846年に北鉄道会社(Compagnie des chemins de fer du Nord)によって開業しました。1847年までは仮設の木造建築でした。最初の恒久的な駅舎は、同社の建築家アルフレッド・アルマンによって設計されました。1880年以降、駅舎は拡張され、1898年にはベルギーのルーベ駅、トゥールコアン駅、ユイ駅を模して、より大規模な3つ目の旅客駅舎が建設されました。この駅舎は両世界大戦中の爆撃により破壊されました。1950年代に新しい駅舎が建設され、現在も残っています。」/「アラス。夏の日の駅。」より。
https://t.co/bIizP5W9b5
以下AI解説。
フランスのアラス旧駅舎は、第一次世界大戦で甚大な被害を受けた後、元の様式で再建(復元)されました。 アラスの街は第一次世界大戦中、激しい戦闘により壊滅的な打撃を受け、多くの建物が完全に破壊されるか損傷しました。駅周辺も例外ではなく、特に被害が集中した地域の一つでした。戦後、アラスの街は「大復興 (La Grande Reconstruction)」計画に基づき再建され、その一環として駅舎もフランドル・バロック様式という元の歴史的なスタイルで忠実に復元されました。この復興計画により、アラスは歴史的な外観を保ちつつ、現代的な都市として生まれ変わりました。
ノート20251219 December 12, 2025
@dewisukarno これ以上の発言は見てられないのでやめた方がいいと思います。
核武装推進してますが
して倭国が勝てるとでも?
第二次世界大戦の過ちから何も学んでない。
一部の軍需産業で儲けたい人たちに
踊らされたらダメ。 December 12, 2025
正解はドイツ、カール自走臼砲でした😊
カール自走臼砲は、第二次世界大戦中にドイツが開発した自走砲で、正式名称は「60cm自走臼砲(Gerät 040/041)」
カールとは、開発に携わった砲兵大将「カール・ベッカー」に由来します
7輌が生産され、それぞれ「アダム」、「エヴァ」、「オーディン」、「トール」、「ロキ」 、「ジウ」、「フェンリル」と呼ばれていました🤗(アダム、エヴァは後に名称変更)
主武装は口径60cm(後期型は54cm)の臼砲で、要塞や地下施設の破壊を目的として設計されたました😤
砲弾は重量約2トン(写真右)にも達し、コンクリートを貫通する強力な破壊力を持っていました💪
車体は履帯式で自走も可能でしたが速度は非常に遅く、長距離移動には分解して鉄道輸送が必要でした😓
発射時の反動が極めて大きいため、射撃前には車体を地面に沈めて安定させる必要があり、運用には多くの人員(砲兵16名)と時間を要しました😓
実戦では、セヴァストポリ要塞攻撃やワルシャワ蜂起鎮圧などで使用され、限定的ながら心理的・物理的な効果を発揮
一方で、航空優勢下でなければ生存性が低く、弾薬補給や整備の困難さ、射程の短さなど運用は難しく、出動するも作戦には不参加という事例も多くみられました
カール自走臼砲は、極端な火力を追求した兵器として知られ、機動戦が主流となる中での重攻城兵器の限界を象徴する存在となりました
(水平射撃は出来ないそうです😱)
正解率 96%
大正解TOP3
1 飛燕が好きな人🧬🔪さん
2 ひとでくん 草組だんごclub秀花組💐♏️さん
3 takaさん December 12, 2025
@takapirulainen @azukiglg 目が細くてガミースマイルのアジア人差別の元って第二次世界大戦の反日プロパガンダによる「アジア人は醜くて人じゃないから殺して大丈夫!皆殺しにしようぜ!」ていう広告が元なんだってね。
アジア人は醜いから皆殺し〜てやって怒られたらキャンセルカルチャー?
素晴らしく差別的な考え方だね。 December 12, 2025
ワイが指摘したいのは第二次世界大戦前にはアメリカでも欧州でも早川雪洲がイケメンとして大人気で、東洋系女優も目がぱっちりした綺麗な人が映画に出ていたんだよ。だが戦時中のプロパガンダは細い目に出っ歯の醜い東洋人が登場した。 December 12, 2025
「琉球は中国ではない ― 歴史と国際法が示す尖閣」
1429年、尚巴志(しょうはしおう)によって統一され成立した琉球王国は、東アジアの海域において独自の歴史を歩み始めた。成立前後には明から「久米三十六姓」と呼ばれる外交や航海の専門集団が移住したが、彼らは那覇の一角に居住するごく少数のエリート層であり、やがて琉球社会へと同化していった。琉球は明、そして清に対して朝貢を行っていたが、これは当時の東アジア国際秩序における外交・貿易上の儀礼であり、決して中国の主権下にあることを意味するものではなかった。もし朝貢が主権的な従属を意味するならば、同様に朝貢国であったベトナムや朝鮮半島も中国領であったことになってしまうが、歴史的事実はそうではない。
琉球の人々の起源についても、近年の科学的知見が新たな光を当てている。ゲノム解析技術の進展により、琉球の人々は遺伝的に中国や韓国といった大陸系集団とは明確に区別され、本土倭国人と同じ「倭国列島固有」のグループに属することが明らかとなった。歴史的に中国や東南アジアとの交易が盛んであったにもかかわらず、漢民族からの大規模な遺伝子流入や、かつて唱えられた南方系集団との直接的な連続性は、現在のDNA解析では確認されていない。
1609年以降、琉球は薩摩藩の実質的な支配下に置かれたが、対外的には中国との朝貢関係を維持するという日中両属体制が続いた。しかし、明治維新を経て近代国際法が導入されるとこの体制は不整合となり、明治政府による正式な編入を経て、現在の沖縄県へと至った。
この近代国家としての国境確定の過程において、重要な位置を占めるのが尖閣諸島、とりわけ魚釣島の存在である。「魚釣島」と「釣魚島」は名称の違いに過ぎないが、その歴史的背景は決定的に異なる。中国の古文献に航路の目印として登場することはあっても、国家による領有や統治を示す記録は存在しない。
これに対し倭国政府は、1885年以降、約10年間にわたる慎重な調査を実施した。これらの島々がいずれの国の主権にも属さない「無主地」であることを確認した上で、当時の国際法上の原則である「無主地先占」の法理に基づき、1895年に正式に領土編入を決定したのである。その後、官報での公示や行政管理を通じて、統治の意思を伴う実効的支配を確立していった。
第二次世界大戦後、尖閣諸島は沖縄とともにアメリカの施政権下に置かれたが、1972年の沖縄返還に伴い、その行政管理権は倭国へ返還され、現在も沖縄県石垣市として倭国の実効支配が続いている。中国や台湾が領有権を主張し始めたのは、1968年に国連機関が東シナ海の海底資源の可能性を示唆した翌年、1969年以降のことである。それ以前に公式な主張が皆無であったという事実は、資源や地政学的な要因が背景にあることを強く示唆している。1895年の内務大臣による請議書をはじめとする公的史料は、尖閣諸島の編入が国際法に則り、慎重かつ公式な手続きで進められたことを雄弁に物語っている。
歴史資料には、1885年に内務大臣が沖縄県知事の報告を受けて閣議決定を求めた公文書(内務省訓令案)の抜粋などが掲載されています。これらは、編入プロセスが慎重かつ公式な手順で進められたことを裏付ける史料として紹介されています。
📌 2. 1895年1月12日の内務大臣提出文書(閣議の前提となった内務大臣・野村靖による請議書)
https://t.co/AlUIetZRnk December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



