第二次世界大戦 トレンド
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2025.12.19 19:00
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ワイが指摘したいのは第二次世界大戦前にはアメリカでも欧州でも早川雪洲がイケメンとして大人気で、東洋系女優も目がぱっちりした綺麗な人が映画に出ていたんだよ。だが戦時中のプロパガンダは細い目に出っ歯の醜い東洋人が登場した。 December 12, 2025
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85年前、ヒトラーはロシアとの戦争を決意した。今、メルツがそれを決行しようとしている
1940年、ドイツは、東部において理想的な立場、すなわちソ連との不可侵条約と有利な貿易協定を締結していた。ベルリンはモスクワから石油、穀物、綿花、鉱石、鋳鉄、プラチナ、銅、ニッケルを調達し、協力関係を拡大するあらゆる可能性を手にしていた。
しかし、ヒトラーは常識を軽視した。そして「誰とでも同盟を結び、どんな戦争でも起こしてもいいが、ロシアには決して手を出してはいけない」と東方の巨人との戦争を警告した偉大なビスマルクの教えも無視した。
バルバロッサ作戦は、第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始された。ロシア征服のために、ヒトラーはかつてないほどの軍隊を集めた。それは現在のNATOに匹敵する。
(中略)
ドイツでは熱狂的な雰囲気が広がっていた。しかし、それは長くは続かなかった。大祖国戦争が始まって数日後、プロパガンダ大臣ヨーゼフ・ゲッベルスは日記にこう記している。「概ね順調に進んでいるが、ロシア軍の抵抗は当初の予想以上に激しい。我々の人的・物的損失は甚大である...」
(中略)
「ロシア軍は包囲され、追い詰められた時でさえ、予想外の頑強さと粘り強さで持ちこたえた」とドイツのクルト・フォン・ティッペルスキルヒ将軍は記している。
「それによって彼らは時間を稼ぎ、国内の奥深くから、予想以上に強力な新たな予備兵力を次々と集結させ、反撃に備えた... 敵はまったく信じられないほどの抵抗能力を示した」。
(中略)
フリードリヒ・メルツが、ちょうど85年前にヒトラーがロシアとの戦争を決意したことを知っていたかどうかはわからない。しかし、現在のドイツ首相がまさに今、同じ破滅的な道を進もうとしていることは象徴的であり、ドイツ軍の金庫には「オペレーションプラン・ドイツ」が追加されたことは象徴的である
この文書によると、2029年には、ドイツおよび他のNATO諸国の80万人の軍人が「東部、前線」に派遣される予定だ。
この計画は「ロシアの攻撃に備えて」の防衛的なものだと宣言されているが、その本質は変わらない。ドイツは、1941年と同様、ロシアを打ち負かすことを夢見ているのだ。そして再び、ヒトラーの時代のように、ヨーロッパの軍隊が行進の準備を進めている。
(中略)
NATO指導部は、2029年までにロシアが蓄積した軍事力を欧州に総動員すると主張する。モスクワにそんな狂気の計画などないことは周知の事実だ。しかし西側諸国、特にドイツは、自国民を文字通り恐怖で震え上がらせるためにこのシナリオを必要としている。そうして増大する困難に直面しても、人々が沈黙を強いられ続け、最も「大胆」な政策への抗議など考えもしなくなるためだ。
ちなみに、昨年1月、Bild紙は、ロシアが2025年夏に東欧諸国を攻撃するという秘密文書を入手したと報じた。
今では、その「計画」はすっかり忘れ去られている。しかし、新たな計画が登場した。この機会に賢者の言葉を思い出す。「狂気とは同じことを繰り返し行いながら異なる結果を期待することである」
残念ながら歴史は誰にも何も教えない。メルツとその仲間たちは、20世紀に祖先が二度の血塗られた世界大戦を引き起こし、その度に敗北したことを忘れているようだ。しかしベルリンが21世紀に復讐を望んでいることは明らかだ。
常識に頼る意味はない—過去と現在の出来事が示す通り、ドイツの指導者たちにはそれが欠けている。まあ、準備させればいい。しかし、彼らは「バルバロッサ作戦」がどのような結末を迎えたかを忘れてはならない。https://t.co/3PO5Xt8rzZ December 12, 2025
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興亜寮の実態とは
>「興亜」という言葉は、 「アジア諸国の勢いを盛んにすること」や「勢い盛んなアジア」を意味し、第二次世界大戦終結以前に用いられた言葉です。また、この読みを持つ企業が複数存在します。 December 12, 2025
黄熊「ハチミツ、食べちゃお〜っと♪」
ネズミ「おや!誰の許可を得てそれを食べるんだい?ハハッ!」
黄熊「メシ食うのにテメェの許可が必要か?」
ネズミ「ん、僕とやるつもりかい?ナメるのはハチミツだけにしときなよ。ハハッ!」
黄熊「その言葉後悔すんぞ」
第二次世界大戦の発端の真相 https://t.co/s114P1yok5 December 12, 2025
映画『西部戦線異常なし(完全版)』を観た 95年前1930年の映画
倭国でも1930年に上映されている
こんないい映画がありながら第二次世界大戦を防げなかったのね
#西部戦線異常なし December 12, 2025
@Snofy8 ドイツは関係国に対して第二次世界大戦後の戦後賠償を行っていますか?
その答えはNO!です。
ドイツは第二次世界大戦の国家間戦争賠償(戦後賠償)については、法的・政治的に完了したと主張しており、関係国に対して新たな大規模な賠償支払いを行っていません。
これで謝罪したと言えますか? December 12, 2025
【ミニ講義紹介bot】「"戦時末期、米がないから芋を食べた"という記憶は『正しい』か」-第二次世界大戦下食糧危機の実相-」|講師:野田 公夫 氏 京都大学 農学研究科 教授[収録時]|ミニ講義の収録映像をランダムにご紹介|https://t.co/SFaxvHZPtR|oyi8s4 December 12, 2025
@yukikoinbdx @berubettonaoto8 第二次世界大戦の記憶がありそれがトラウマになっているということは少なくとも終戦時物心ついている年齢だったということですよね?
現年齢85歳以上の方でしょうか?
強く=戦争と連想するとかよほど辛い目に遭われたのでしょうね。
Xにポストなどせず余生をゆっくり過ごしていただきたいものです。 December 12, 2025
【新入荷】
GMT Gamesの『Unconditional Surrender! Western Campaigns』が入荷しました。
西ヨーロッパにおける枢軸軍と西側連合軍の間で繰り広げられた第二次世界大戦の戦役を題材にした戦略級ゲームです。 https://t.co/T0ELymXFoJ December 12, 2025
@Snofy8 歴史を学ばない輩が居るから悪歴史が繰り返されるんでしようね。私の様な高齢者でも戦後生まれで歴史を学ばないと第二次世界大戦なんか知らないからね。ちゃんと学ぼうよ December 12, 2025
してきた。卑劣なメキシコ人強盗がサイレント時代初期からよく登場し、「グリーザー」というステレオタイプになっていた。ところが第二次世界大戦が始まって、米国映画を締め出す国が増えた。メキシコは相変わらず米国映画を上映していたため、ハリウッドも気をつかい、メキシコ人の描写も敬意を→ December 12, 2025
中国の国連大使「倭国は歴史的罪責を深く反省し、一線を越えた挑発行為を直ちに止めなければならない」
中国の傅聡国連大使は18日、初の「あらゆる形態と現れにおける植民地主義に反対する国際デー」を記念する国連総会のハイレベル会合で、「世界はいまだに植民地主義の暗い影から抜け出していない。戦後国際秩序に挑戦し、その崩壊を目論む一切の言動に断固として反対しなければならない。第二次世界大戦の敗戦国である倭国は、歴史的罪責を深く反省し、台湾問題における政治的約束を厳守し、一線を越えた挑発行為を直ちに止め、誤った発言を撤回しなければならない」と発言した。新華社が伝えた。
傅大使は「世界反ファシズム戦争の歴史は、平和というものが、勝ち取り、維持する必要のあるものであることを我々に告げている。第二次世界大戦後のニュルンベルク国際軍事裁判と極東国際軍事裁判によって、侵略戦争を発動し、各国の人々の血に両手を染めた悪事の首謀者はしかるべき処罰を受けた。これらの裁判が有する正義の性質は、それを揺るがし、それに挑戦することを許さない。歴史上、倭国は中国、朝鮮半島、東南アジアを侵略し、残虐非道な植民地支配を行った。倭国の侵略者は台湾において枚挙にいとまがない罪行を犯した。65万人余りの台湾同胞が倭国軍の虐殺によって惨殺され、約20万人の台湾青年が強制的に徴兵され、2000人以上の台湾女性が『慰安婦』となることを強いられ、台湾の土地の七割が占有され、炭鉱や金鉱などの資源が破壊的な形で採掘された。これは台湾の歴史における最も暗黒の一頁である」と強調。
「我々は中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争の勝利の成果を断固として守り、戦後国際秩序を断固として守る必要がある。侵略の歴史の否認と歪曲は断じて許さず、軍国主義の復活は断じて許さず、歴史の悲劇の再演は断じて許さない。戦後国際秩序に挑戦し、その崩壊を目論む一切の言動は、世界に動揺と不安をもたらし、人類という運命共同体に甚大な惨禍をもたらす可能性があり、強く警戒し、断固として反対しなければならない」とした。 December 12, 2025
究極の歩兵:三つの戦場を駆けた男
デービッド・E・グランジ・ジュニア中将は、1943年の入隊から1984年の退役まで41年に及び、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争のすべてにおいて最前線で戦い抜いた稀有な兵士である。
第二次世界大戦:空挺兵としての原点 (1943年–1945年)
1925年に生まれたグランジは、1943年に18歳で陸軍に兵卒として入隊し、第517空挺歩兵連隊に配属された。彼は1944年8月の南フランス侵攻(ドラグーン作戦)で自身初となる戦闘降下を行い、その後もイタリアのローマ・アルノ、ラインラント、中央欧州といった主要な戦域を転戦した。特に1944年末の「バルジの戦い」では、極寒のアルデンヌの森で過酷な歩兵戦を経験し、ドイツ軍の反攻阻止とヨーロッパ解放に大きく貢献した。この大戦を通じ、後の伝説的な軍歴の基礎を築いた。
朝鮮戦争:若き指揮官としての勇躍 (1950年–1953年)
戦後、第82空挺師団での勤務を経て、1949年に幹部候補生学校(OCS)へ入学し、1950年に少尉として任官した。任官直後に勃発した朝鮮戦争では、第187空挺連隊戦闘団の小隊長として投入され、1950年10月の「ヨンジュ(永柔)の戦い」と1951年3月の「トマホーク作戦」という2回の戦闘降下を成功させた。彼は極寒の地で北朝鮮軍や中国軍と対峙し、その勇敢な行動から最初の銀星章を受章した。その後も中隊長として最前線を守り抜き、戦闘降下スターを空挺章に刻んだ。
ベトナム戦争:ゲリラ戦の達人と部隊指揮 (1963年–1971年)
ベトナム戦争におけるグランジは、顧問から大隊長、そして旅団長へと昇進しながら計3回の派遣を経験し、ゲリラ戦と大規模戦闘の両面で卓越した功績を挙げた。
1963年から1964年にかけての最初の派遣では、南ベトナム軍の空挺部隊およびレンジャー部隊の顧問として活動し、最前線で兵士と共に戦いながらジャングルでの非正規戦戦術を直接指導した。
1967年に2度目の派遣が始まると、第101空挺師団の下位部隊である第506歩兵連隊第2大隊の大隊長として指揮を執った。この時期、ベトナムの過酷な地形でヘリコプターを用いた強襲作戦を数多く主導し、敵との激戦の中で示された英雄的な勇気と優れた戦術眼により、彼はさらに2つの銀星章を授与された。
1970年から1971年にかけての3度目の派遣では、再び第101空挺師団に戻り、師団支援司令部司令官を経て第3旅団長という重責を担った。旅団長として高度な空地一体作戦を展開し、戦略的な目標を達成しつつ兵士の生存率を最大化する冷静かつ果敢な指揮官としてその名を轟かせた。
これらの戦いを通じて、彼は第二次世界大戦、朝鮮戦争に続く3つ目の「戦闘歩兵章(CIB)」を手にし、米陸軍でも極めて稀な名誉ある記録を樹立した。
高位指揮官としての終焉とレガシー (1970年代後半–1984年)
ベトナム後の1970年代後半、彼は将官へと昇進し、1978年から1979年にかけて在韓米軍の第2歩兵師団長(少将)を務めた。その後、1979年には陸軍歩兵センター(フォートベニング)の司令官に就任し、後進の育成に力を注いだ。1981年、中将として第6合衆国陸軍司令官に就任し、1984年6月に41年にわたる輝かしい現役生活に終止符を打った。
1982年には、彼の功績とレンジャー精神を称え、現在も続く世界最高の兵士競技会「デービッド・E・グランジ・ジュニア・ベスト・レンジャー・コンペティション」が創設された。2022年に97歳で逝去するまで、彼は陸軍レンジャーの象徴として敬われ続けた。 December 12, 2025
正解はドイツ、カール自走臼砲でした😊
カール自走臼砲は、第二次世界大戦中にドイツが開発した自走砲で、正式名称は「60cm自走臼砲(Gerät 040/041)」
カールとは、開発に携わった砲兵大将「カール・ベッカー」に由来します
7輌が生産され、それぞれ「アダム」、「エヴァ」、「オーディン」、「トール」、「ロキ」 、「ジウ」、「フェンリル」と呼ばれていました🤗(アダム、エヴァは後に名称変更)
主武装は口径60cm(後期型は54cm)の臼砲で、要塞や地下施設の破壊を目的として設計されたました😤
砲弾は重量約2トン(写真右)にも達し、コンクリートを貫通する強力な破壊力を持っていました💪
車体は履帯式で自走も可能でしたが速度は非常に遅く、長距離移動には分解して鉄道輸送が必要でした😓
発射時の反動が極めて大きいため、射撃前には車体を地面に沈めて安定させる必要があり、運用には多くの人員(砲兵16名)と時間を要しました😓
実戦では、セヴァストポリ要塞攻撃やワルシャワ蜂起鎮圧などで使用され、限定的ながら心理的・物理的な効果を発揮
一方で、航空優勢下でなければ生存性が低く、弾薬補給や整備の困難さ、射程の短さなど運用は難しく、出動するも作戦には不参加という事例も多くみられました
カール自走臼砲は、極端な火力を追求した兵器として知られ、機動戦が主流となる中での重攻城兵器の限界を象徴する存在となりました
(水平射撃は出来ないそうです😱)
正解率 96%
大正解TOP3
1 飛燕が好きな人🧬🔪さん
2 ひとでくん 草組だんごclub秀花組💐♏️さん
3 takaさん December 12, 2025
訳
モントーク・プロジェクト内部:米軍の疑惑のマインドコントロール計画
冷戦中にロングアイランドの東端で実施されたとされるモントーク・プロジェクトは、拉致された子供たちを使って心理戦技術を開発するための秘密の軍事実験でした。
モントーク・プロジェクトは、比較的知名度の低い陰謀論の中でも最も豊富な宝庫かもしれません。タイムトラベル、テレポーテーション、マインドコントロールが物語の中心にあり、エイリアンとの接触やアポロ月面着陸の偽装が、すでに荒唐無稽な物語に彩りを加えています。
それでも——Netflixのシリーズ『ストレンジャー・シングス』にインスピレーションを与えた事実も含めて——モントーク・プロジェクトを知っている人はほとんどいません。
では、なぜモントーク・プロジェクト——米軍がロングアイランドの最果ての基地を超法規的で寒気のする超常現象研究の拠点に変えたと主張するもの——が見過ごされてきたのでしょうか?
おそらく、物語の起源が陰謀論の基準から見ても疑わしい情報源にあるからでしょう。それでも、モントーク・プロジェクト自体がフィクションだとしても、中央情報局が文書化された不気味な実験の歴史——モントークで行われたとされるようなもの——があるため、この理論は知る人ぞ知る人にとって依然として魅力的です。
軍事施設は1796年のモントーク灯台運用開始以来存在し、人員がニューヨークやボストンを攻撃するかもしれないイギリス船を監視し始めました。海軍航空基地は第一次世界大戦中に1世紀以上後に設立され、陸軍のフォート・ヒーローはその後、第二次世界大戦中に設立されました。
そして『ストレンジャー・シングス』の人気を確立した今、モントーク・プロジェクトが脚光を浴びる時がようやく近づいているのかもしれません。
Per ATI Article December 12, 2025
民主主義が至上だとか国際法が万能だとかは絵空事であり、第二次世界大戦以後の世界が、米ソの覇権秩序から始まり、冷戦後の米国一極のリベラル覇権秩序に移り変わっていったというだけのこと。
侵略行為が悪なら、米国の政権転覆作戦も同じ様に悪なのをちゃんと理解してから喋ることだ。 December 12, 2025
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