そんなことで溝口の作風は両極端に見えるんですが、彼の原点は1936年にキネマ旬報で年間第一位に選ばれた『祇園の姉妹』。祇園で男たちに翻弄されながらも生き抜こうとする芸妓姉妹を描いた映画です。哀しく幽玄な溝口健二も逞しく不屈の溝口健二もどちらもこの一作から始まるんですよね。 https://t.co/PXK5aa3fDt
溝口健二 芸能人
溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年〈明治31年〉5月16日 - 1956年〈昭和31年〉8月24日)は、倭国の映画監督である。 倭国映画を代表する監督のひとりで、1920年代から1950年代にわたるキャリアの中で、『祇園の姉妹』(1936年)、『残菊物語』(1939年)、『西鶴一代女』(1952年)、『雨月物語』(1953年)、『山椒大夫』(1954年)など約90本の作品を監督した。ワンシーン・ワンショットや移動撮影を用いた映像表現と完全主義的な演出で、社会や男性の犠牲となる女性の姿をリアルに描いたことで知られている。小津安二郎や黒澤明とともに国際的にも高い評価を受けており、1950年代にはヴェネツィア国際映画祭で作品が3年連続で受賞し、フランスのヌーヴェルヴァーグの監督などにも影響を与えた。
「溝口健二」 (2024/9/2 22:57) Wikipedia倭国語版より
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