源義経 トレンド
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2025.11.17〜(47週)
:0% :0% (30代/男性)
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#N響100年 のメモリアルイヤーに贈る
特別な「大河ドラマ & 名曲コンサート」
開催決定!
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🔗https://t.co/SvkURlDBox
2026年3月5日(木) 7:00pm
NHKホール
指揮 #沖澤のどか
特別ゲスト #高橋英樹 (俳優)
オンド・マルトノ #大矢素子
テノール #工藤和真
薩摩琵琶 #友吉鶴心
龍笛 #稲葉明徳
司会 #田添菜穂子 ほか豪華出演陣
📅チケット発売開始日
N響定期会員先行:2025年12月15日(月) 10:00am
一般:2025年12月19日(金) 10:00am
今回は「N響100年」を祝して<特別編>と銘打ち、指揮の沖澤のどかをはじめ豪華な出演陣とともに、来年の『豊臣兄弟!』から実演ではめったに聞けない大編成作品、そして楽譜が失われてしまった楽曲(武満徹作曲『源義経』)の復活演奏まで、多彩な内容でお贈りします。
大河ドラマのテーマ曲演奏のほとんどを受け持ってきたN響による、いわば“本家本元”の演奏をご堪能下さい。 November 11, 2025
30RP
今日は舞台鑑賞同行依頼でレンタルされました。大好きなゲームの舞台化だそうで、どうしても観てもらいたかったようです。原作は『ビルシャナ戦姫』という乙女ゲーム。源平合戦をモチーフとし、源義経(女)となって武将と恋愛するというもの。舞台では"平知盛ルート"が描かれてました。面白かったです https://t.co/TJ3e2jAaug November 11, 2025
29RP
【これまで】
たなまい先生「今月の本誌の内容描くかどうかずっと悩んでいて…」
→妖怪の種族間で寿命格差があることが判明。
担当さん「ネームを見たとき変な声出ました」
→天ちゃん源義経、梵ちゃん弁慶と判明。
【New】
たなまい先生「反応が怖くてガクガクです…」
→??? https://t.co/zEN6XigXpy November 11, 2025
16RP
三谷幸喜は完全に当て書きの脚本家だから今までの菅田将暉を見てきて、更には鎌倉殿の源義経で確信した上で菅田将暉の限界を引き出すべくオファーしたんだろうな。芝居に大事なのは自分を信じる心だ。
#もしがく
#菅田将暉 November 11, 2025
12RP
午前中は大和郡山の城下町巡りです‼️😆
こちらは、正一位源九郎稲荷神社。源九郎…つまり、源義経を祀っています。歌舞伎界と関係が深いそうで、中村勘九郎等々のノボリがありました。
靖国さんや鎌倉八幡様を見慣れているためか、意外と小ぢんまりしていると感じました😅 https://t.co/YLBAkqREX8 November 11, 2025
3RP
真田丸で、真田信繁が『左衛門佐』、信幸が『伊豆守』に任じられた後の場面で、信繁が左衛門佐を選んだ理由に、源頼朝を支えた……源義経にあやかって……の下りでまさか大泉洋がまさか本当にこの後の大河ドラマで源頼朝を演じるなんて誰が思う?壮大な伏線よな #真田丸 #鎌倉殿の13人 November 11, 2025
2RP
【8人の我が師】
村上麗奈さんの「空海」に関する投稿を読んで。
いまも変わらずオレには10代から8人の師がいる。その代表格が空海。超人的な存在に憧れた。
他の7人は、老子、上杉鷹山、山岡鉄舟、織田信長、源義経、高杉晋作、楠木正成。
諸先輩方と比べて自分のスケール感の小ささが……苦笑😆 https://t.co/llsmXE2GUG November 11, 2025
2RP
空気を読めないAIが読んじゃうと、「壇ノ浦の戦いとは?」との質問に、「海上自衛隊護衛艦隊司令官の源義経が…」と、真顔で答えそう! https://t.co/6QTPrC19QD November 11, 2025
1RP
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
手掛石9栃木県日光市 北野神社付近石を欠かすか手を掛けると学問上達の利益がある。BBD岩石に損傷を加える行為北野神社参拝後、この石の一部を欠いて持ち帰ると学問上達。現在は、石に手を掛けると学問上達。
仏岩9栃木県日光市 開山堂背後仏の形状をしていた岩の突起があったが、現在は地震により崩落。勝道上人がここで荼毘に付されて仏岩の上部に葬られた。後世、墓は開山堂に移される。A岩石が改変されている仏に見立てた岩壁で聖者を葬る。
栃木県BAC聖者が亡くなった場所
陰石9栃木県日光市 観音堂脇
陽石9栃木県日光市 観音堂脇
四本竜寺紫雲石9栃木県日光市 本宮神社勝道上人がこの岩石から立ち上る紫雲を見て、玄武・青龍・朱雀・百虎の霊地と悟り寺院を建立した。BABA岩石から煙・光・火・気などが出る
栃木県C最初の一回だけ磐座機能
笈掛石9栃木県日光市 本宮神社勝道上人が笈をおろしてかけた岩石。C
男体山山頂遺跡9栃木県日光市 男体山山頂近くの岩の隙間から多量の仏教系祭祀遺物が出土。
囀石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町石から声がし、人々を危険から救ったり窮地を脱したりしてくれた岩石。しかし後にこれを怪石と見た人が切りつけてから、一切声がしなくなったという岩石。現在は岩石上に石祠や石灯篭が付設されている。EB岩石から音声が聞こえる
群馬県EA七石
群馬県BABC
産石(うぶいし)(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町赤ん坊に授乳していた母親が、転落してきたこの巨石の下敷きになり亡くなってしまい、以来、赤ん坊の泣き声や女性の声がして怖がられた。後に村の者が供養をしたところ不審な声はしなくなった。EA岩石から音声が聞こえる
EC岩石が動く
七石
割り石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
立石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
亀石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
箕石(みいし)(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
七尋石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
産護石/さんごしゃま/産護石大明神10群馬県沼田市新町安産の石神。安倍貞任の奥方がここまで来た時に産気付き、産護石の下で休んだところ無事に安産したという。A産護石に安産を祈願した後、ローソクに火を灯すと、そのローソクがなくなるまでに必ず安産できるという。産後はお礼に赤飯と赤い旗を奉納する。
産護石 石祠10群馬県沼田市新町貞享3年(1686年)と文政11年(1828年)の2基の石祠。産護石への奉献物。BBC神の手前に小祠を献上する。
櫃石10群馬県前橋市三夜沢町豊城入彦命が東国平定の際、天神地祇を奉祭したという岩石。赤城山中腹にて、赤城山祭祀を行なう磐座。BA勾玉などには穿孔があったため、吊るして祭祀を行なっていた可能性。
硯石10群馬県前橋市鼻毛石町"源義家がこの岩石の窪みに溜まった水を硯にとり、
従軍を希望する村人達の名簿を記したという。"EC
鼻石/鼻毛石10群馬県前橋市鼻毛石町石の表面にある窪みをかき回すと雨が降る雨乞いの神。BBD岩石表面に印・痕・模様が残る岩石表面の窪みをかき回すと雨が降る。
七ツ石10群馬県前橋市粕川町深津 七ツ石雷電神社巨岩の上に石祠を乗せて七ツ石雷電神社とする。BABC
産泰神社 影形石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社岩石の名称から「影向石」と目されるが詳細不明。
舟石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
硯石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
磁石石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
胎内くぐり10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の隙間でかつて胎内くぐりができたが今は立入禁止。BBD胎内くぐり
西大室丸山遺跡10群馬県前橋市西大室町丸山赤城山を遠望できる微高地上の岩盤で1万点以上の遺物が出土。遺物の出土分布や岩盤上の祭祀であることから、「座」的な磐座、供物台石、司祭者の座石と推測される。祭祀遺跡に後出して近くに古墳が築造される。発掘調査後埋め戻しにより現地に今は何もない。BAB今は存在しない岩石岩盤上面に祭祀具と目される遺物群を置き、赤城山を仰ぐ。
群馬県BCC古墳が近接
群馬県BCD
石採り山10群馬県前橋市西大室町大室古墳群の石室石材を採取した場所。陥没地形が残る。DA山を掘って古墳石室石材を採取する。
飛石10群馬県前橋市 岩神稲荷神社石工がノミで割ろうとしたら血が噴き出て、石工を祟りで死なせた岩神。A祟り伝承
群馬県岩石から血が出る
南田ノ口遺跡10群馬県前橋市上細井町南田ノ口石製模造品・丹塗土師器片などが出土。地表下約0.5m地点に大石が確認されている。今は存在しない岩石
石山観音10群馬県伊勢崎市下触堂裏に集積する石山。石山の上には出羽三山の石碑や木祠が置かれ、傍には石仏や無数の庚申碑が奉献されている。BABC
群馬県BBC
牛石10群馬県伊勢崎市五目牛町源義経が連れていた牛が洪水によって水死してしまい、それが石化したもの。EC生き物が石化したもの
姥石10群馬県伊勢崎市境米岡甘酒を振舞っていた姥が馬に蹴られて亡くなり石化したもの。蹴られた痕が窪みとして残る。子供の風邪や咳を治す霊石として信仰される。古墳時代の祭祀遺物が出土した北米岡遺跡にあるが、古墳時代の祭祀遺物と姥石の相関性は不明。A生き物が石化したもの子供が風邪・咳をひいたら平癒を祈願。治った暁には、竹筒に甘酒を入れて供える。甘酒ばあさんと呼ばれる。
群馬県岩石表面に印・痕・模様が残る
鞍掛岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
犬神石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山上面に溜まった水が眼病に効く霊石。現在、別の石碑が上に立てられている。BBD眼病に効く岩石に溜まった水を目に付ける。
群馬県岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
群馬県岩石が改変されている
行者渓10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山役行者が修行をした場所。BCE登攀修行。
群馬県C
獅子岩/シシ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
朝日岳/雷天岳10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩山頂上が岩山
夕日岳/風天岳10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩山頂上が岩山
宝珠窟10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩窟岩穴・窟
大黒岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
瓶子岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山瓶子のような形状の岩で、滝が作られている。
鉾岩/ヌボコ岩/ローソク岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山双龍門の横に立つ立岩。
弥陀窟/行者窟10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山阿弥陀仏をまつったという岩肌の3つの窪み。行者が籠った窟ともいう。BAC岩穴・窟
群馬県BCA禁足地
群馬県BCE
御姿岩/おはぜ岩/御神体岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山本殿背後にそそり立つ岩。頭部と胴体のような形状。おはぜは男陰の意。下部に不可視の窟である御内陣を有する。神職のみ参加する御岳祭の時、御姿岩のくびれ部分に梵天を指す。BAA禁忌が厳しい"4月30日の御岳祭で、梵天(御幣)を岩のくびれに取り付ける。神が岩に憑依する構図。
御内陣の内部には土器が8点置かれているという。"
群馬県BABB
群馬県BAC岩穴・窟
群馬県BCA
カンノンノタケ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
山王ガタケ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ウバフトコロ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
九折岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
硯岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
サバ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
フジイワ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
袖フリ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ゾキ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ダルマ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
スベリイシ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
カウシ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ノゾキ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ポンポン岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ナナヒロ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ヲツタテ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ミミズ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
金剛界10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
胎蔵界10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ヒジリ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ゴシン石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
タイシノイワヤ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ご神体岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山 天神峠天神峠の手前にそびえる岩石。江戸中期の地図に記載があり、子孫繁栄・地域安泰の信仰があったという。戦後一時期草木に埋もれていたが、近年周辺が伐採され再びその姿が現れた。一度忘れかけられた岩石に対し、周辺の手入れをして再び大切にする。
三ッ寺Ⅰ遺跡 敷石遺構10群馬県高崎市三ツ寺町居館内に流水溝が通り、そこに敷石遺構が2ヶ所検出。敷石遺構内から土器・滑石製品が集中して出土。BCA今は存在しない岩石溝に水を流し、敷石空間に各種遺物を配置。
正観寺遺跡10群馬県高崎市正観寺町-小八木町調査区の最高所で、2×1m程の不定形(上面はやや平ら)の岩石が据えられ、その裾部から土師器・須恵器・石製模造品のセットが出土。今は存在しない岩石
神籠石10群馬県桐生市広沢町賀茂入祭祀の時に神が降臨する岩石。持ってきた榊に、ここで神を移した。神籠石の上部を「棚」と呼び、そこには小さな水溜りがでており、旱魃の時にこの水を汲んで雨乞いをすれば必ず雨が降るという。BAB岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する祭典の前日、神籠石で降神の祭祀を行ない、榊に神を移して神輿に入れた。戦前までは神籠石の周囲四方に竹を立てて注連縄を張り、春と秋の2回、赤飯・塩・水(酒)を供えていたという。
群馬県岩石に溜まった水が枯れない
「磐境」10群馬県桐生市広沢町賀茂入神籠石の斜面上方にある岩石。神籠石を背後から屏風のごとく囲むため、「桐生市史」に「磐境のようである」とかかれるが実際に磐境という認識だったかは不明。
休め石10群馬県桐生市広沢町 賀茂神社神籠石で迎えた神を乗せた神輿がここで休憩する。また、源義家が腰をかけて休んだという岩石。原位置の愛宕山東裾から移動し現在は賀茂神社境内に安置。BABB原位置から移動伝承神籠石の神を降臨させた榊を台待窪まで運び、そこで神輿に乗せかえ、休め石で休憩した後に賀茂神社へ神幸する。
群馬県C休み石・腰掛石
正願寺奇石10群馬県太田市茂木町 正願寺みだりに触れると異変が起こるといわれる渡良瀬石。霊験があることから崇敬の対象にもなっている。A禁忌が厳しい
長石/流石10群馬県太田市長手町 金山山腹斜面に一直線に走る細長い岩盤。小田原北条氏に攻められ金山に籠城した新田氏が、水不足であることを敵に悟られないために、この岩石の上から白米を流しまるで水が流れているように見せたことから流石の名がある。EC
井ノ尻遺跡11埼玉県秩父市中村井ノ尻大小の石を環状に配置し、その周辺から手捏土器・須恵器・鉄鏃が出土。南方に武甲山の景観。
御神降石/生き石11埼玉県秩父市番場町 秩父神社
偲石11埼玉県秩父市中町 今宮神社明治天皇崩御を偲び、氏子が荒川から境内に運んで置いた岩石。BBC亡き天皇を偲ぶため岩石を神社に置く。
行者石11埼玉県秩父市中町 今宮神社役行者がこの上に座り、母を偲び笛を吹いたといわれる岩石。C
若御子神社 奥の院11埼玉県秩父市自然岩盤の上に奥の院が建つ。BABC
鏡岩11埼玉県児玉郡神川町 金鑽神社神社裏山にある天然記念物。昔は地元の人々が藁で鏡面を磨いて光沢面を維持していたという。EC岩石が改変されている戦前までは藁などで鏡面を磨いていたという。
埼玉県鏡面を持つ岩石
石神社 石棒11埼玉県児玉郡上里町神保原町近郷の平和を祈るため、神社を建て神として寄進されたという縄文時代の石棒。BBC可動的性質集落間の争いをなくし連帯を深めるため石棒を寄進し神としてまつる。
埼玉県A遺物・遺構の再利用
埼玉県秘匿されている岩石
胎内くぐり11埼玉県児玉郡寄居町風布 姥宮神社これをくぐると病にかからないという。BBD胎内くぐり胎内くぐりで病がかからない。
姥石11埼玉県児玉郡寄居町風布 姥宮神社
こぶ石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣字栃久保こぶ石を中心にして古墳時代の祭祀遺物が出土したこぶヶ谷戸遺跡。二つの川の合流点近くに人工的に置かれたと推測されている。七石岩石の近くに鉄器や玉類を配置。周縁に行くほど土器の型式が新しくなる。
鏡石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
福石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
爺石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
姥石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
唸石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
櫃石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
岩上神社 露岩群11埼玉県本庄市児玉町太駄社殿裏の山端に露出する岩盤群。神聖視の有無は不明。
八幡山古墳 横穴式石室11埼玉県行田市藤原石室内に八幡社の祠を安置。八幡社の境内を形成する。BCA岩穴・窟
埼玉県遺物・遺構の再利用
男鹿岩(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町大附 弓立山雷電山女鹿岩に棲む女蛇に恋していた大蛇がいたとされる場所。EC七石
女鹿岩11埼玉県比企郡ときがわ町日影 雷電山弓立山男鹿岩に棲む男蛇に恋していた大蛇がいたとされる場所。EC
信濃石/牛岩(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町平 慈光山慈光寺七石
冠石(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町平 霊山院裏山修験者が回峰の後、ここでホラ貝を鳴らし頭の冠を外したという岩石。BCE登攀修行の最後に、冠石でホラ貝を吹き、自らの冠を外す。
埼玉県七石
玉鉾山(ポンポン山)岩石群11埼玉県比企郡吉見町田甲延喜式内社の裏山山頂にある岩群。伝承・神聖視の有無など確認とれず。
岩殿観音11埼玉県東松山岩殿 物見山石仏のおわす仏殿として機能する岩肌。BAC岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩肌をくりぬき、そこを仏殿とする。
大戸のお聖様11埼玉県さいたま市中央区大戸一丁目江戸時代末製作の石棒。生殖信仰の神。A可動的性質自分達で人工的に作った石棒を神として信仰する。
亀石11埼玉県川越市砂久保 砂久保稲荷神社亀の形に似た岩石。EC
弁天岩11埼玉県飯能市白子字平山川中の岩上に祠。筏師の信仰が厚かったといわれる。BABC
久須美白鬚神社 岩石群11埼玉県飯能市久須美字宮前境内に群集し、手前に祠あり。岩自体が神聖視されているかは不明。
諏訪神社 奥の院11埼玉県飯能市南川字諏訪ノ上内部禁足とされている岩穴。BAC禁足地
埼玉県BCA岩穴・窟
無量寺裏山 岩石11埼玉県飯能市小岩井勝軍地蔵(愛宕様)の背後に控える岩石。岩石自体への特別視の有無は不明。
弘法大師腰掛け子授け石11埼玉県飯能市双柳 秀常寺この石の上に腰掛けた女性は身籠るという。弘法大師が不妊の女性にこの石を与えたという伝説が残る。BBD聖者が与えた霊石この石の上に腰掛けると身籠る。
埼玉県
富士浅間神社 岩石11埼玉県飯能市上直竹下分字嫗ヶ嶽強欲なおばあさんが石化したという岩石。あるいは、女人禁制の浅間山(富士山)に入った比丘尼が石化したという岩石。BCA生き物が石化したもの
埼玉県
前岩11埼玉県飯能市飯能字前岩前岩と呼ばれている岩石。
割れ岩11埼玉県飯能市久下分字渕ノ上銘石という。
戸立岩11埼玉県飯能市小瀬戸字戸立岩戸を立てたような形状の岩。南に旧浅間社があったといわれる。
岩井堂観音11埼玉県飯能市岩渕字岩井堂岩井堂観音の背後に露出する岩峰。頂上が岩山
岩脇11埼玉県飯能市上畑字岩脇岩の脇から水が湧き出していたという場所。
弁天11埼玉県飯能市上直竹下分字宮ノ脇弁天の彫刻石像。A
石鑿(いしさい・いしざく)11埼玉県飯能市上直竹下分字石鑿下分と上分の境。石の境から転じた地名か。今現在確認がとれていない岩石
石掛11埼玉県飯能市上直竹下分字石掛山中に腰掛状の岩石があれば神の降臨石かとされる地名。今現在確認がとれていない岩石
岩穴11埼玉県飯能市白子字平山谷岩穴地名。由来となる岩穴は未確認。今現在確認がとれていない岩石
天文岩11埼玉県飯能市虎秀字松倉虎秀出身の天文学者 千葉歳胤が勉学に励んだ岩窟。天文霊神をまつる祠が手前に建てられている。C岩穴・窟
幕岩11埼玉県飯能市井上字幕岩幕を張ったかのような岩場。
立岩11埼玉県飯能市井上字立岩昔、大きな岩がここにあったが近年破壊されて今はない。今は存在しない岩石
船石11埼玉県飯能市長沢字船石地名。舟形の石の存在は未確認。今現在確認がとれていない岩石
ナメ岩11埼玉県飯能市長沢字ナメ岩長沢川に大きな石があり、その上を滑るように水が流れていた。今は大部分が埋没。
岩下11埼玉県飯能市長沢字岩下大岩あり、その下に小祠あり。廿三夜の刻字石や供養塔も付近にある。
聖天渕11埼玉県飯能市原市場字金山川の中にある大岩で渕がある。この岩の上に聖天祠が建てられている。BABC
白石11埼玉県飯能市原市場字白石入間川の中に白っぽい石がある。
清水岩11埼玉県飯能市赤沢字清水岩岩の裾から水が湧き出している。
幕岩11埼玉県飯能市赤沢字幕岩幕を張ったかのような断崖。
岩本11埼玉県飯能市赤沢字岩本岩場。入間川の川の流れる方向が変わる場所。
比良岩11埼玉県飯能市赤沢字比良岩地名。「比良=平」と推測されるが、平らな岩の存在は未確認。今現在確認がとれていない岩石
庚申塔11埼玉県飯能市唐竹字日向窪赤ん坊を攫われた親が、供養のために建てた庚申石碑。BBB亡き子の鎮魂供養のために庚申石碑を立てる。
赤岩11埼玉県飯能市中藤上郷字赤岩地名。鉱泉で赤色化した岩石があるかは未確認。今現在確認がとれていない岩石
岩久保11埼玉県飯能市中藤上郷字岩久保大きな岩がある。
ムジナ岩11埼玉県飯能市中藤上郷字岩久保
境石11埼玉県飯能市中藤上郷字境石境界付ける岩石があったと推測されるが未確認。今現在確認がとれていない岩石
岩倉11埼玉県飯能市中藤上郷字岩倉ごつごつとした岩石あり。
天狗岩11埼玉県飯能市中藤上郷字天狗岩松が一帯に生え、岩がある。
鏡岩11埼玉県飯能市南字鏡岩山中に鏡面を持つ岩石があるという。今現在確認がとれていない岩石
埼玉県鏡面を持つ岩石
境石11埼玉県飯能市坂石字坂本高麗川の中にある巨石。坂石と坂石町分の2集落の境界目印となっている岩石。EC境界区分や標識など交通目印関係
岩穴11埼玉県飯能市坂石字岩穴石灰岩の岩穴。ここの土地の持ち主は岩穴の屋号を持つ。
岩下11埼玉県飯能市坂石字岩下民家の集まっているところの背後にある大岩。岩下の屋号がある。
石塚11埼玉県飯能市坂石字石塚大きな岩あり。石塚の地名由来か。
巌殿山観音院 岩殿11埼玉県飯能市坂元字岩殿"内部に観音をまつった鍾乳洞。
鍾乳洞の前には堂が建ち、内部には入れない。"BAC禁足地
埼玉県BCA岩穴・窟
弁天窟11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
おかま穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
厩跡岩窟11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
地獄穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
胎内潜り11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
風穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
静之神社11埼玉県飯能市坂元字小床向小床の鎮守。大岩の上に無理して社が建てられている。BABC
岩花11埼玉県飯能市坂元字岩花鼻のような形状をした岩あり。
石神平11埼玉県飯能市北川字石神平石神らしきものは未発見。平らな地形でもない。今現在確認がとれていない岩石
臼曳岩11埼玉県飯能市北川字舟久保「お天狗様のウス曳岩」といわれる。詳細不明。
馬頭尊石仏11埼玉県飯能市北川字松尾石仏。A
岩井沢観音 岩石11埼玉県飯能市北川字岩井沢観音堂の裏にある庇状の岩。庇下には石仏群が安置。岩自体への神聖視の有無は未確認。
鏡石11埼玉県飯能市北川字石風呂鏡面を持つ岩石。それ以上のことは不明。鏡面を持つ岩石
大蔵山 岩石群11埼玉県飯能市北川字大蔵山大蔵山の尾根道各所に石灰岩の露頭。
長岩11埼玉県飯能市北川字長岩小川の近くに沿って長く続く岩山がある。地名の由来か。
太鼓岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井岩上で飛び跳ねると太鼓音がする岩石。弁天をまつったといわれる岩石。
鏡岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天が化粧に使っていた鏡が石化したもの。C物品が石化したもの
つづら岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天の使っていたつづらが石化したもの。C物品が石化したもの
亀岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天が乗っていた亀が石化したもの。C生き物が石化したもの
おびんずる岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井おびんずる様に見立てられた岩石。
子持ち岩11埼玉県飯能市
世直し石尊12千葉県印西市高西新田 阿夫利神社銚子海岸から拾ってきた2個の青石が数々のご利益をもたらしたので、石尊として神社を建ててまつった。A可動的性質石を拾ったらご利益があったので神としてまつる。
要石12千葉県佐原市 香取神宮鯰の魂を鎮め、地震を起こさせない岩石。BBB岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
夜泣き石12千葉県市川市 里見公園内戦死者の娘が石にもたれながら泣き続けて亡くなり、その後石から夜泣き声がするという石。供養後、声は聞こえなくなった。EA岩石から音声が聞こえる
涙石12千葉県市川市 弘法寺石段石材。切腹した武士の涙で常時湿っている石。BE
千葉県EC
鉈切洞穴遺跡12千葉県館山市浜田 船越鉈切神社古墳時代に埋葬地として用いられた洞穴。神社建立後は、本殿をまつる空間として利用。BAC岩穴・窟洞穴を埋葬地に使用する。
千葉県BCA禁足地
御神石(阿吽の石)12千葉県館山市洲崎 洲崎神社役行者が海上安全のため置いたとも、竜宮から献上されたともいう2つの岩石の内の1つ。もう1つは東国鎮護のため神奈川県横須賀市安房口神社へ飛来したという。BBB可動的性質岩石を置くことで海を鎮める。
千葉県BBC
笠石12千葉県君津市笠部分を動かすと良くないことが起こると伝えられる岩石。村の若者の悪ふざけで笠が一度転落したが、天狗あるいは鬼によって復元されたという。EA祟り伝承
光り石13東京都西多摩郡奥多摩町日原辺りが暗くなると発光したという岩石。昭和に爆破され消失。EB今は存在しない岩石
東京都岩石から煙・光・火・気などが出る
立岩権現13東京都西多摩郡奥多摩町日原天祖山の岩山に宿る神で、秩父の祭りで神幸することもある。A磐座と石神の性格が混在している事例立岩権現が秩父へ神幸する時、人々はオガム所という場所より奥に入ってはいけない。
東京都BAA頂上が岩山
稲村岩13東京都西多摩郡奥多摩町日原
梵天岩(旧・六体岩)13東京都西多摩郡奥多摩町日原梵天の形に似ていることから名づけられた岩。
籠岩13東京都西多摩郡奥多摩町日原
日原鍾乳洞/一石山の御窟/一石山の御岩屋13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞一石山神社の御神体にして行者達の修行霊場。BAC岩穴・窟
東京都BCE
弘法大師学問所13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞弘法大師が修行に励んだと言われる場所。BCE
東京都C
縁結び観音13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞
さいの河原13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞
岩蔵の大岩13東京都青梅市富岡東征中の倭国武尊が、身の安全を願い自らの鎧などの武具を納めたという岩壁。BAC岩穴・窟岩壁に対して自分の武具を納めて安全祈願する。
赤岩13東京都青梅市沢井年貢が納められず打ち首になった百姓の血がとれない岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
東京都今現在確認がとれていない岩石
二間の岩13東京都青梅市沢井この岩に棲んでいる狼に危害を加えると、後に祟りがあるといわれ忌避された。EA悪者が住んでいた・いる場所
東京都今現在確認がとれていない岩石
東京都祟り伝承
のぞき岩13東京都青梅市沢井横尾子神聖な天狗に会えるかもしれないといわれる場所。そこの目印としての岩石。BCA今現在確認がとれていない岩石天狗を見ただけで長寿効果ありという。
忠右衛門の岩13東京都青梅市沢井悲話を記憶する装置としての岩石。EC今現在確認がとれていない岩石
あごかけ岩13東京都青梅市 日の出山東征中の倭国武尊がここであごをかけて休んだといわれる岩石。C休み石・腰掛石
蛇石13東京都青梅市 吹上峠頂上岩石の間の穴に蛇がよく集まっている岩石。EC
おうむ石13東京都青梅市 御岳山奥の院この岩石に声をかけるとおうむ返しのある岩石。EB音声反響
天狗岩13東京都青梅市 御岳山
こんにゃく石13東京都青梅市駒木町2月8日丑満時にだけこんにゃくのように柔らかくなる岩石。EB柔らかくなる岩石
力石13東京都青梅市二俣尾三丁目 個人宅力比べの岩石。EC力石
東京都可動的性質
畠山重忠の切石13東京都青梅市成木畠山重忠が妖怪を切ったら真っ二つになっていた岩石。畠山重忠が馬つなぎをするために真っ二つに切った岩石。EC偉人が真っ二つに割った岩石
東京都偉人が敵を退治したら石だったという伝承
山ノ神の岩13東京都青梅市成木山の神の石神。A
籠岩(カーゴイワ)13東京都青梅市成木沢の流れを堰止め水を氾濫させていた岩石。畠山重忠が引き上げて元に戻したという。EC
馬場蹟 配石群13東京都青梅市成木 馬乗り馬場土俵のように並べられている配石群。地中に黄金が埋まっているという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
鈴石13東京都大田区大森北 磐井神社転がすと鈴の音がするという岩石。神功皇后が見つけたという岩石。C岩石から音声が聞こえる
東京都可動的性質
烏石(鷹石)13東京都大田区大森北 磐井神社烏のような模様がある岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
夜泣き石13東京都文京区関口 カテドラル教会隠れキリシタンを生き埋めにし、その上に岩石を置いて重し石にしたもの。以後、この岩石から泣き声が聞こえる。岩石を小突くと動くという。EA岩石から音声が聞こえる
東京都岩石が動く
東京都原位置から移動伝承
兜岩/兜石13東京都中央区倭国橋兜町 兜神社俵藤太が平将門を打ち首にした後、将門の兜をここに埋めて供養塚にしたその名残。前九年の役に向かう源義家が、この上に兜をかけ戦勝祈願した岩石。後三年の役から凱旋した源義家が、凱旋記念に兜を埋めて作った塚の名残。BBB自らの兜を岩石の上にかけて戦勝祈願。
東京都BCD
東京都EC
立石/立石様/立石祠/立石稲荷神社13東京都葛飾区立石寒い時には石が欠けていき、暖かくなると元に戻るとされた奇石。好奇心で石を掘った人々に祟りが起こったため、後に霊石としてまつられるようになった岩石。後にお守りとして欠片を削られて小さくなった。元は古墳石室石材だったという説あり。EB岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承祟りがあったからまつる。
東京都A岩石が満ち欠け・増減・出産する
東京都祟り伝承
東京都岩石に損傷を加える行為
東京都岩石が改変されている
東京都遺物・遺構の再利用
瑞光石13東京都荒川区南千住 素盞雄神社神社の祭神が翁の姿をして初めてこの場所に現れた時の降臨石。その後は神社の神跡になった。瑞光石の根は隅田川まで伸びているという。BABA岩石から煙・光・火・気などが出る2人の翁が発光した岩石の上に降臨する。
東京都C最初の一回だけ磐座機能
東京都岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
石尊大権現14神奈川県 伊勢原市 大山阿夫利神社奥の院の中にまつられた石神。倭国武尊が腰をかけて休んだとも、親鸞が仏字を刻んだとも伝えられる。A秘匿されている岩石
神奈川県 C休み石・腰掛石
先島14神奈川県足柄下郡真鶴町岩塊の島。神の島として神聖視される。BCA November 11, 2025
1RP
戦後の伊平屋
昭和21年、沖縄諮詢会の時代米軍の施政権下にあって地方行政の改正と変遷を経て自治の進歩と諸産業も斬次進展し、生活も進歩していきましたが、まだまだ幾多の困難な問題があり、占領施政権から脱却して本土復帰の運動が高まり、昭和47年5月15日念願の本土復帰になり、諸制度が適用されています。
昭和46年1月15日国務大臣山中貞則ご来村、沖縄復帰担当大臣村内ご視察、村の要請を快諾、離島苦解消のため野甫橋架橋建設を決断され村民に公約、実現の糸口となり、昭和47年10月より調査実施、同49年より工事施行、同54年6月19日夢の架橋野甫大橋が開通し野甫島が道路により結ばれ利便となる。
村は復帰後の新しい制度に適用するため、総合計画基本構想を設定(昭和52年12月23日)に基づき農林水産業の基盤整備、道路、建設、環境整備、航路交通の整備、空港設置要請、教育施設等の整備に同52年より着手、同55年、過疎振興計画の策定適用によって、補助事業を積極的に促進し、整備を推進している状況であるが財政が脆弱のため自主財涯に乏しく困難な財政運営を余儀なくされているが地域住民の定住と生活の安定のため生産基盤の確立と諸産業振興を図るため諸事業を選択して推進しています。
伊平屋村、伊是名村が分離、分村して、平成元年7月1日を以て50周年の時代の節目を迎え、幾多の困難と世代変遷を経て早カされた当局先輩諸氏村民の労苦に対し敬意を表し、一層行政の高率と地域住民福祉向上を図るため分村50周年記念事業として鉄筋コンクリート2階建、役場庁舎の建設、21世紀に向けて活力ある「快適で豊かな生産活動が出来る村づくり」を目指して推進しています。
沖縄県島尻郡伊是名村の説明に出てくる下記全キーワード関係地点群と、それら周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/tGHOCX68HM
伊是名村(いぜなそん)は、沖縄県の北部、沖縄本島(本部半島)の北方約35kmに位置する伊是名島とその周辺に位置する無人島で構成される村[1]。
島尻郡に属す。
歴史
琉球国王第二尚氏の始祖・尚円(金丸)の生まれた島として知られ、2015年には尚円生誕600周年祭が行われた。
沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴建物や土器などがみつかっている。
また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。
琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。
この経緯から1896年(明治29年)に県内において郡制度が施行された際、かつての王府領や聖域も多い沖縄本島南部と同じ島尻郡に属され、現在に至る。
2008年(平成20年)度決算における実質公債費比率が自治体財政健全化法における早期健全化基準を超過したため、翌年度より財政健全化団体となっている。
人件費削減と船舶運航事業への繰出削減などにより総額4,600万円を捻出し、2011年(平成23年)度までに実質公債費比率が早期健全化基準を下回ることを目標としている。
2015年、新しいフェリーが就航した。
2021年(令和3年)10月から11月にかけて、福徳岡の場の噴火で生じた軽石が沿岸部に漂着。
フェリーが接岸できなくなり、ガソリンなどの生活物資が不足する影響が出た[3]。
医療
施設名の後にある括弧書きは字名である。
沖縄県立北部病院附属 伊是名診療所(仲田)
時間外診療および医師不在時は伊是名村役場に連絡することとしている。
民間救急ヘリコプター(ドクターヘリ)「MESHサポート」
村内の4箇所(内花、仲田、諸味)がランデブーポイントに指定されている[7]。
【港湾】
仲田港
内花港
飛行場
伊是名場外離着陸場
MESHサポートのランデブーポイントに指定されている。
伊是名場外離着陸場と沖縄本島など他の島を結ぶ定期航空路線は現存しない。
【名所・旧跡】(いずれも危険度最高レベル!!!!)
(写真は、伊是名玉陵、サトウキビ畑ごしに見た伊是名城、みほそ所=尚円王生誕の地)
二見ヶ浦海岸
伊是名玉陵
伊是名城跡
尚円王生誕地
尚円王御庭公園
銘苅家住宅
伊是名村ふれあい民俗館
※※※※※※※※
下記は引き続き、最も危険なエリアです!!!!地下世界を徹底的に焼いて焼いて焼き滅ぼし、トドメも念入りに刺しまくって、さとっぴ軍が地下世界の全てを完全制覇征服占領支配せよ!!!!!!
斎場御嶽
https://t.co/gQn34Q84L3
斎場御嶽(せーふぁーうたき[1]/サイハノうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡。
15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。
正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。
御嶽 (沖縄)(うたき)
https://t.co/aBhccFevLI
御嶽(うたき)は、琉球神道における祭祀などを行う場所である。
「腰当森(くさてぃむい)」、「拝み山」などともいう。
概要
琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球神道における聖域の総称で、それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。
「うたき」という呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々のものであるが、16世紀まで琉球に属していなかった宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」(石垣島、竹富島、西表島)・「うがん」(新城島、西表島)・「わん」(黒島、小浜島、新城島)・「わー」(波照間島)等と呼ばれる(近年では「うたき」と呼ばれることもある)。
信仰上の位置
御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。
地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。
琉球神道では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。
現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。
形態
御嶽(国営沖縄記念公園)
御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。
御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。
宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
大きな御嶽では、「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる前庭や建物といった空間が設けられていることがある。
これは信仰上、御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である。
語源は「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」と考えられている。
御嶽やグスクにある鳥居
御嶽やグスクの入口に鳥居が設置されているものが、現代も沖縄県内に多く残っている。
近世琉球までの御嶽にはそもそも無かったものと考えられている(ただし、察度王の代に神仏習合の形で倭国神道の神々を勧請した波上宮などは当初から鳥居を供える)。
これは、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道の施設となった結果であると説明され、県社建立や「一村一社」構想により、県内各地の御嶽やグスクが神社として再編されていった[1][2] 。
例えば今帰仁城跡は1930年(昭和5年)に鳥居が設置されたが、2000年(平成12年)11月30日に登録された世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する施設となって以降、景観保護上の観点で2003年(平成15年)に撤去された。
しかし、本島北部の名護城や、伊平屋島の田名神社、伊江島の阿良御嶽など、倭国領以降に設置された鳥居が未だに残っているものもある。
また、先島諸島(宮古・八重山)では、特に撤去しようとする動きもなく、そのままになっているのがほとんどと言われる。
倭国本土で現存する最古の鳥居は、平安時代のものであり歴史は古いが、鳥居が必ずしも本土神道式の神社を象徴するものとは限らない。
そもそも奄美・琉球(沖縄)における神社は、世持神社のように1936年(昭和11年)ながらも沖縄県有志総出で琉球偉人を祀る神社(郷社)建立に走った例もある。
徳之島における「神社」のように、鳥居が立っていて「神社」と呼ばれていても必ずしも本土のような手水舎、神殿や拝殿がある訳でもなく、ただ沖縄の御嶽のように小屋や祠、はたまた石だけが置かれているものも多く、奄美古来のグスク(あるいはモリ、ハラ)、古の風葬墓跡や拝所などが判然とせず、聖地と見なされている状況である[3]。
起源
斎場御嶽の大庫理(ウフグーイ)
御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。
その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。
これは、祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。
また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。
また、首里城、玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。
現代における実情
現代も琉球の信仰は地域に根付いており、御嶽はその信仰の中心となる場所として、地域に手厚く保護されているものも多いが、放棄され、存在自体不明のものもある。
著名な斎場御嶽や園比屋武御嶽のように観光資源化している御嶽もあるが、それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって維持されている。
御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、東御廻りや今帰仁上りなどの巡礼地として崇められているものもある。
また、米軍による土地接収や、発掘調査や開発にともない立入が禁止または制限されたほか、破壊された御嶽もある。
一例として、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、かつては現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、同城の再建などの整備にともない立入の制限または有料観覧区域となったり、埋め立てられるなどした地域がある。
【主な御嶽】
以下に、信仰上重要かつ著名な御嶽を列挙する。
なお、琉球王国時代の古い集落についてはおおむね集落ごとに1箇所以上の御嶽があると考えてよいが、当時から現在にわたって存在する集落の場合は御嶽もまた残っていると考えられることから、以下はごく一部の例示である。
【琉球開闢九御嶽】
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせた。
アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地[4]7つの森[5]を作ったとされる。
現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢九御嶽として語り継がれ、琉球神道においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられている。
このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽である。
聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれた。
現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていない。
また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるという。
以下、アマミキヨが作ったとされる順番に列記する。
安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
知念森 : 南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
首里森御嶽(しゅいむいうたき):首里城十嶽の一つ
真玉森御嶽(まだむいうたき):首里城十嶽の一つ
このうち、首里真玉森御嶽は沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われており、県によって敷地内への侵入は禁止されている。
【東御廻りの御嶽】
園比屋武御嶽、石門の後方
現在も行われている聖地巡礼である東御廻り(あがりうまーい)は、太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものである。
起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まった。
現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われている。
巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的である。
園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
御殿山(うどぅんやま):与那原町
場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
ヤハラヅカサ:南城市玉城
潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城
【今帰仁上りの御嶽】
現在も門中を中心に、今帰仁一帯の聖地を巡礼するものが今帰仁上り(なきじんぬぶい)である。
起源は定かではないが、琉球王国王統発祥の地である伊是名島、伊平屋島を擁する旧北山国領と、その首府があった今帰仁には、士族のルーツも多くあることが理由ではないかと考えられる。
巡る御嶽や経路は門中によって多少異なる。
主な御嶽は以下の通りである。
カラウカー:今帰仁グスク内
火の神の祠:今帰仁グスク内
テンチギの御嶽(カナヒヤブ。開闢2番目に作られた御嶽):今帰仁グスク内
ソイツギの御嶽:今帰仁グスク内
クボウ御嶽:今帰仁グスク内
阿応理屋恵祝女殿内(あおりやへのろどぅんち):今帰仁村
今帰仁祝女殿内(なきじんのろどぅんち):今帰仁村
供のカネー祝女火の神(とぅむなはーにーのろひぬかん):今帰仁村
今泊の親川(えーがー):今帰仁村
中城(仲尾次)祝女殿内(なかぐすくのろどぅんち):今帰仁村
今泊の津屋口墓(ちぇーぐちばか):今帰仁村
諸志の赤御墓(あかうばか):今帰仁村
池城墓(いちぐすくばか):今帰仁村
大北墓(うーにしばか:または按司御墓/あじうはか):今帰仁村
百按司墓(むむじゃなばか):今帰仁村
ティラガマ:今帰仁村
勢理客祝女殿内(じっちゃくのろどぅんち):今帰仁村
【先島諸島の御嶽】
先島諸島には王国の支配を受ける以前からの聖地が多くあるほか、八重山列島では司の墓が御嶽となっている例が多く見られる。
八重山列島では御嶽のことを「おん」、「わん」と呼ぶ。以下に主なものを列挙する。
【宮古諸島】
漲水御嶽(ぴゃるみずうたき、はりみずうたき)
宮古島(宮古島市)。宮古島を作った神・古意角(こいつの)と姑依玉(こいたま)の二神を中心として、水を司る「竜宮神」、宮古島を守護する「子方母天太」等の神々が祭られており、島内最高の霊場として島の人々の信仰を集め、その周りをめぐる石垣は、1500年のオヤケ赤蜂の乱の戦勝記念として仲宗根豊見親が奉納したと伝えられている。
島尻元島(しまじりもとしま)
宮古島(宮古島市平良字島尻)。奇祭「パーントゥ・プナハ」の中心となる一帯にある。
大主御嶽(ウパルズ御嶽、ナナムイ)
池間島(宮古島市)。大主神社(標準語風の名称)ともいう。宮古島に住んでいる人々の運命を司る神「うらせりくためなうの眞主(まぬす)」を祭る御嶽。池間島から移民した人々が伊良部島、字西原にも新しく同名の御嶽を建立した。現在でも池間島にルーツがある人々から信仰を集め、この御嶽を中心として、多くの神事が行われている。
大神御嶽(おおがみうたき)
大神島(宮古島市)。秘祭「祖神祭(うやがん)」の中心となる御嶽。
【八重山列島】
真乙姥御嶽(まいつばおん)
石垣島(石垣市)。王府のオヤケアカハチ軍征討に縁のある祝女を祭った御嶽。
美崎御嶽(みしゃぎおん)
石垣島(石垣市)。沖縄県の有形文化財・史跡に指定されている。
群星御嶽(んにぶしおん/んにぶしうたき)
石垣島(石垣市)。奇祭「マユンガナシ」の中心になる御嶽。
西塘御嶽(にしとうおん)
竹富島(竹富町)。西塘を祀る御嶽。沖縄県の史跡に指定されている。
国仲御嶽(ふいなーおん/くになかうたき)
竹富島(竹富町)。園比屋武御嶽から勧請された八重山で唯一の王府縁の御嶽。
三離御嶽(ふなふら/みちゃーりおん/さんりうたき)
西表島(竹富町古見(クン))。請原御嶽とともに、秘祭アカマタ・クロマタ・シロマタ祭の中心になる御嶽。
十山御嶽(とぅやまうがん)
与那国島(与那国町祖納)。
【奄美群島】
奄美群島にもノロ制度はあるが御嶽と呼ばれる拝所は存在していない。
ただし「アマンデー」(奄美嶽、海見嶽)と呼ばれる、斎場御嶽と似たものが存在する。
また「拝み山」と呼ばれる山や、「立神」と呼ばれる類するものもある。
厳島神社や高千穂神社という名称でありながら実際には御嶽と思われる拝所が多く存在する。
薩摩藩の統治時代に神社に移行したものと考えられる。
京都府福知山市の全体と、周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺にそびえる大江山(=千丈ヶ嶽)の山頂(標高832メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
https://t.co/BPo0QlCMAK
大江山ニッケル鉱山とがあったらしいので、大江山と鳩ヶ峰と鍋塚山と鬼の岩屋と「大江山航空管制塔」までの5連山の全体の地下深くと、周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町北原303−1にある鬼嶽稲荷神社と、鬼の洞窟の中全部と北原遺跡と、「鬼嶽不動尊」と「不動の滝」と、酒呑童子供養碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町佛性寺にある鳩ヶ峰の山頂(標高746メートル)と、鍋塚の山頂(標高762.7メートル)と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町仏性寺909にある倭国の鬼の交流博物館(河守鉱山の施設群の跡地)と、周辺にある源頼光一行山伏像、大江山グリーンロッジと公衆トイレ、平成の大鬼瓦、酒呑童子の里・体育館、テニスコートと、その西南方向そばにある大江山 酒呑童子の里と、河守鉱山坑口跡と、更に西にある千丈ヶ滝、「大聖不動明王」と「明王の滝」「千丈ヶ原 子安地蔵」と、これら周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺951にある鬼のモニュメントと、西隣にある大江山グリーンロッジグラウンドと、これら周辺一帯。
京都府福知山市上佐々木にそびえる三岳山の山頂(危険度最高レベル!!)と、南へ約300メートルに位置する三嶽神社と、三岳山の祠と、その西方向へ約60メートルに位置する行者神社と、其処から南に連続して連なる十七地蔵の全地点と、その末の麓にある金光寺と祠と桜と紅葉と山門と、これら周辺一帯。
京都府福知山市上紺屋30にある厳の郷(出口なお生家)と、周辺一帯広めで。
京都府与謝郡伊根町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町与謝にそびえる赤石ヶ岳の山頂(標高736メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
京都府与謝郡与謝野町滝にある中華人病没者供羪塔と、北隣に在る梅崎稲荷神社と鳴滝不動明王と、これら周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町滝941にある加悦鉄道 倭国冶金工業大江山鉱山 鉱石積込場跡と、旧大江山ニッケル鉱山製錬所煙突と、滝グラウンドゴルフ場、トロッコ広場と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町滝にある権現宮と、東隣に在る与謝野鉄幹歌碑と、高浜虚子句碑と、更に東へ約150メートルに位置する与謝野町立江山文庫 (短歌と俳句の資料館)と与謝野晶子歌碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町金屋1603にある比丘尼城本丸跡と、南隣に在る金屋比丘尼城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府宮津市の全域と、周辺一帯。
京都府宮津市小田にある大江山航空管制塔(標高740メートル)とハンググライダー広場と、西へ約250メートルに位置する鬼の岩屋(標高686メートル)と、これら周辺一帯。
京都府京丹後市の全体と、周辺一帯。
兵庫県養父市大屋町横行にそびえる氷ノ山の山頂(標高1509メートル)と、周辺一帯広めで。
大本教(おおもと おほもと)
https://t.co/zAIVODi1J3
本部梅松苑:京都府綾部市本宮町1-1
天恩郷:京都府亀岡市荒塚町内丸1番地
東光苑:東京都台東区池之端2-1-44
霊場
沓島(めしま)・冠島(おしま)[4][5][6]
→
京都府舞鶴市の全体と、周辺一帯広めで。
京都府舞鶴市野原にある冠島(おしま)と沓島(おしま)の島全体と、周辺海底一帯広めで(危険度最高レベル!!!)。
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京都府綾部市の全体と、周辺一帯。
京都府綾部市若竹町8−1にある綾部市役所と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市本宮町16−1にある本宮山の山頂と、北隣に在る旧岡花家住宅(木の花庵)(大本教本部)と、金竜海という庭園と「大八洲の岩戸の中(危険度最高レベル!!!)」と、金水明(危険度最高レベル!!!)と、大本本部梅松苑と、みろく殿(祖霊社・万霊社)、緑寿館(大本教教主公館)、長生殿(本殿)などの宗教関係地点群と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町笹谷にそびえる四尾山の山頂(標高287.1メートル)と、西北方向へ約330メートルに位置する配水場と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町田野山1−15にある綾部市斎場と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町才ケ首にある天王平奥津城(出口なお、出口王仁三郎墓)(危険度最高レベル!!!)と、彩霞苑という墓地と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市野田町井根山にある井根山秋葉神社と、野田城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市西原町平井にある釈丈ヶ嶽城跡(標高270メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市鷹栖町にそびえる猪才山城跡(標高264メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市上野町藤山にある杵ノ宮・九鬼霊神社と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市於与岐町宮谷にそびえる弥仙山(みせんざん)の山頂(標高664メートル)と金峰神社(弥仙山奥宮)と、西北方向へ約120メートルに位置する大岩磐座と、更に西へ約100メートルに位置する於成神社(弥仙山中の宮)、於成寺古跡、修練の滝の不動明王と、これら周辺一帯広めで(いずれも危険度最高レベル!!!)。
京都府亀岡市の全体と、周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯向山97にある源義経の腰掛岩と、周辺一帯。
京都府亀岡市荒塚町内丸1にある天恩郷と、北隣に在る無名の池と南郷公園と、西隣にある亀山城趾と大本本部と宣霊社と、南隣に在る大本みろく会館と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市荒塚町内丸1番地にあるIRUHA(イルーハ)事務所と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太の全域と、周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46にある穴太寺と、周辺の多宝塔などの聖地群史跡群水辺群と、西隣にある佐川印刷 亀岡グラウンドと、これら周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太口山にある穴太城跡(標高167メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太柳原7−1にある蘇州園悠久亭平和・友好の鐘と、公衆トイレと、亀岡運動公園の全体と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市にある高熊山ご座所と、北へ約150メートルに位置する丁塚山の山頂(標高357メートル)と、これら周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷にある高岳城跡と、周辺一帯。
京都府亀岡市本梅町平松車谷にそびえる朝日山の山頂(標高460メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝にある大正池の池底と、西隣にある神蔵寺と、これら周辺一帯広めで。
大阪府豊能郡能勢町吉野にある関西電力送配電能勢変電所(今すぐ強制停止シャットダウンさせろ!!!!その地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!トドメも念入りにヤレ!!!)
東京都台東区の全体。
東京都台東区池之端2丁目1−44にある大本東京本部と、東方向すぐにある不忍池の全体と、不忍池ボート場、不忍池辨天堂、上野東照宮、五條天神社・花園稲荷神社と、これら周辺一帯広めで。
東京都文京区の全体。
兵庫県姫路市家島町真浦にある上島灯台と、高台の平地にあるらしい斎場と神祠と、上島の全体と、海岸にあるらしい「岩の洞穴」と、周辺海底一帯広めで。
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神島(かみしま)は兵庫県高砂市の西南海上、約10キロに位置する無人の小島で、綾の聖地から西南(坤・ひつじさる)の方角に位置します。
大正5年6月25日(旧5月25日)、出口王仁三郎聖師と出口直日三代教主をはじめ一行60人は、3隻の船に分乗し神島に上陸。聖師を先頭に生い茂る矢竹を切り開いて進み、高台の平地を斎場にしました。
聖師は竹で弓矢を作り、東北(艮・うしとら)と西南(坤)の空に向かい弓を射る型をして四方を祓い、神祠(ほこら)に坤の金神を鎮祭し、その神祠を捧持して帰途に就きました。
28日、綾部の龍宮館に神霊を奉迎。その意義は艮の金神と坤の金神のご対面にあると解されています。
次いで、9月8日(旧8月11日)には、聖師をはじめ一行6人が再び神島に渡り、海岸の岩の洞穴で神宝を受け、綾部の金竜海の大八洲の岩戸の中に納めました。
さらに10月4日(旧9月8日)には開祖、聖師、二代教主、三代教主および出口家、信徒の一行が神島に上陸し、坤の金神の鎮座祭が執行されました。
この3回の神島まいりを「神島開き」といい、冠島・沓島開きと共に最も重要な神事とされています。
宗教法人大本(おほもと)の下記の常時解放されている拠点群所在地と、それ等周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
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機関名郵便番号所在地(住所)電話番号
北海本苑079-1561北海道富良野市山部中町5番27号0167-42-2545
宮城分苑980-0845宮城県仙台市青葉区荒巻青葉438ー18022-228-3863
新潟分苑953-0026新潟市西蒲区伏部字仲山1518-150256-72-1541
北陸本苑923-0965石川県小松市串町ヶ甲380761-44-1361
静岡分苑421-3306静岡県富士市中之郷2353-10545-32-6644
松香分苑440-0014愛知県豊橋市南牛川2-3-120532-63-2173
三河本苑443-0031愛知県蒲郡市竹島町28-50533-69-7518
名古屋分苑461-0091愛知県名古屋市東区三の丸4-5-16052-912-6838
近江本苑522-0041滋賀県彦根市平田町211-110749-24-4314
京都本苑603-8247京都市北区紫野泉堂町67075-491-6487
綾部みろく分苑623-0035京都府綾部市上野町上野1250773-42-1902
宮垣分苑668-0042兵庫県豊岡市京町1ー240796-22-3258
竹田別院669-5252兵庫県朝来市和田山町竹田87-10796-74-2651
大阪本苑557-0012大阪府大阪市西成区聖天下1-3-1406-6651-5670
神戸本苑652-0043兵庫県神戸市兵庫区会下山町1-2-27078-512-3652
はりま本苑672-8048兵庫県姫路市飾磨区三宅1-100792-35-0257
奈良岡の家分苑634-0105奈良県高市郡明日香村東山130-20744-54-3143
紀伊本苑643-0004和歌山県有田郡湯浅町湯浅2280737-63-1385
鳥取本苑680-1442鳥取市吉岡温泉町7480857-57-0920
伯耆分苑689-4108鳥取県西伯郡岸本町丸山半川1503ー30859-68-2705
出雲本苑693-0056島根県出雲市江田町北広瀬30853-22-3005
岡山本苑710-0003岡山県倉敷市平田952-8086-424-5354
福山分苑720-0816福山市地吹町17ー28084-925-8922
広島本苑731-0103広島市安佐南区緑井7-18-30082-877-3600
長周分苑753-0818山口県山口市吉敷上東3-3-37083-928-3650
香川分苑769-2702香川県東かがわ市松原4030879-25-9550
徳島本苑773-0007徳島県小松島市金磯町1-560885-33-2420
愛媛本苑792-0034愛媛県新居浜市船木甲2297-120897-40-2471
高知分苑780-8001高知県高知市土居町7-170888-31-2098
筑紫本苑802-0042福岡県北九州市小倉北区足立3-8-12093-921-5667
長崎分苑850-0001長崎県長崎市西山3-1-90958-23-0204
五島分苑853-0411長崎県五島市玉之浦町玉之浦郷375-20959-87-2670
熊本本苑861-0106熊本県熊本市北区植木町豊田1327-2096-272-4915
鹿児島分苑899-5422鹿児島県姶良市松原町2-5-10995-67-3943
種子島分苑891-3101鹿児島県西之表市西之表764209972-3-0988
奄美分苑894-0505鹿児島県奄美市笠利町平1060-40997-63-9250
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「杵」を含む地名— 17 件
「杵」を含む市区町村
臼杵市(うすきし) 大分県
杵島郡大町町(きしまぐんおおまちちょう) 佐賀県
杵島郡江北町(きしまぐんこうほくまち) 佐賀県
杵島郡白石町(きしまぐんしろいしちょう) 佐賀県
杵築市(きつきし) 大分県
西臼杵郡五ヶ瀬町(にしうすきぐんごかせちょう) 宮崎県
西臼杵郡高千穂町(にしうすきぐんたかちほちょう) 宮崎県
西臼杵郡日之影町(にしうすきぐんひのかげちょう) 宮崎県
西彼杵郡時津町(にしそのぎぐんとぎつちょう) 長崎県
西彼杵郡長与町(にしそのぎぐんながよちょう) 長崎県
東臼杵郡門川町(ひがしうすきぐんかどがわちょう) 宮崎県
東臼杵郡椎葉村(ひがしうすきぐんしいばそん) 宮崎県
東臼杵郡美郷町(ひがしうすきぐんみさとちょう) 宮崎県
東臼杵郡諸塚村(ひがしうすきぐんもろつかそん) 宮崎県
東彼杵郡川棚町(ひがしそのぎぐんかわたなちょう) 長崎県
東彼杵郡波佐見町(ひがしそのぎぐんはさみちょう) 長崎県
東彼杵郡東彼杵町(ひがしそのぎぐんひがしそのぎちょう) 長崎県 November 11, 2025
1RP
久喜の栗橋地区は源義経の妻の一人である静御前のお墓があることで有名です👸
塾講師時代に入試で義経の母、常盤御前が義経たちを助ける平治物語が問題として出て熟読しましたが、常盤御前の愛がなければ静御前と義経は出会わないと思うと歴史のifに魅了されますね
愛の歴史を感じるなら栗橋へ!🌰🛺 https://t.co/EamCMK411A November 11, 2025
1RP
仏岩9栃木県日光市 開山堂背後仏の形状をしていた岩の突起があったが、現在は地震により崩落。勝道上人がここで荼毘に付されて仏岩の上部に葬られた。後世、墓は開山堂に移される。A岩石が改変されている仏に見立てた岩壁で聖者を葬る。
栃木県BAC聖者が亡くなった場所
陰石9栃木県日光市 観音堂脇
陽石9栃木県日光市 観音堂脇
四本竜寺紫雲石9栃木県日光市 本宮神社勝道上人がこの岩石から立ち上る紫雲を見て、玄武・青龍・朱雀・百虎の霊地と悟り寺院を建立した。BABA岩石から煙・光・火・気などが出る
栃木県C最初の一回だけ磐座機能
笈掛石9栃木県日光市 本宮神社勝道上人が笈をおろしてかけた岩石。C
男体山山頂遺跡9栃木県日光市 男体山山頂近くの岩の隙間から多量の仏教系祭祀遺物が出土。
囀石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町石から声がし、人々を危険から救ったり窮地を脱したりしてくれた岩石。しかし後にこれを怪石と見た人が切りつけてから、一切声がしなくなったという岩石。現在は岩石上に石祠や石灯篭が付設されている。EB岩石から音声が聞こえる
群馬県EA七石
群馬県BABC
産石(うぶいし)(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町赤ん坊に授乳していた母親が、転落してきたこの巨石の下敷きになり亡くなってしまい、以来、赤ん坊の泣き声や女性の声がして怖がられた。後に村の者が供養をしたところ不審な声はしなくなった。EA岩石から音声が聞こえる
EC岩石が動く
七石
割り石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
立石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
亀石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
箕石(みいし)(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
七尋石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
産護石/さんごしゃま/産護石大明神10群馬県沼田市新町安産の石神。安倍貞任の奥方がここまで来た時に産気付き、産護石の下で休んだところ無事に安産したという。A産護石に安産を祈願した後、ローソクに火を灯すと、そのローソクがなくなるまでに必ず安産できるという。産後はお礼に赤飯と赤い旗を奉納する。
産護石 石祠10群馬県沼田市新町貞享3年(1686年)と文政11年(1828年)の2基の石祠。産護石への奉献物。BBC神の手前に小祠を献上する。
櫃石10群馬県前橋市三夜沢町豊城入彦命が東国平定の際、天神地祇を奉祭したという岩石。赤城山中腹にて、赤城山祭祀を行なう磐座。BA勾玉などには穿孔があったため、吊るして祭祀を行なっていた可能性。
硯石10群馬県前橋市鼻毛石町"源義家がこの岩石の窪みに溜まった水を硯にとり、
従軍を希望する村人達の名簿を記したという。"EC
鼻石/鼻毛石10群馬県前橋市鼻毛石町石の表面にある窪みをかき回すと雨が降る雨乞いの神。BBD岩石表面に印・痕・模様が残る岩石表面の窪みをかき回すと雨が降る。
七ツ石10群馬県前橋市粕川町深津 七ツ石雷電神社巨岩の上に石祠を乗せて七ツ石雷電神社とする。BABC
産泰神社 影形石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社岩石の名称から「影向石」と目されるが詳細不明。
舟石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
硯石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
磁石石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
胎内くぐり10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の隙間でかつて胎内くぐりができたが今は立入禁止。BBD胎内くぐり
西大室丸山遺跡10群馬県前橋市西大室町丸山赤城山を遠望できる微高地上の岩盤で1万点以上の遺物が出土。遺物の出土分布や岩盤上の祭祀であることから、「座」的な磐座、供物台石、司祭者の座石と推測される。祭祀遺跡に後出して近くに古墳が築造される。発掘調査後埋め戻しにより現地に今は何もない。BAB今は存在しない岩石岩盤上面に祭祀具と目される遺物群を置き、赤城山を仰ぐ。
群馬県BCC古墳が近接
群馬県BCD
石採り山10群馬県前橋市西大室町大室古墳群の石室石材を採取した場所。陥没地形が残る。DA山を掘って古墳石室石材を採取する。
飛石10群馬県前橋市 岩神稲荷神社石工がノミで割ろうとしたら血が噴き出て、石工を祟りで死なせた岩神。A祟り伝承
群馬県岩石から血が出る
南田ノ口遺跡10群馬県前橋市上細井町南田ノ口石製模造品・丹塗土師器片などが出土。地表下約0.5m地点に大石が確認されている。今は存在しない岩石
石山観音10群馬県伊勢崎市下触堂裏に集積する石山。石山の上には出羽三山の石碑や木祠が置かれ、傍には石仏や無数の庚申碑が奉献されている。BABC
群馬県BBC
牛石10群馬県伊勢崎市五目牛町源義経が連れていた牛が洪水によって水死してしまい、それが石化したもの。EC生き物が石化したもの
姥石10群馬県伊勢崎市境米岡甘酒を振舞っていた姥が馬に蹴られて亡くなり石化したもの。蹴られた痕が窪みとして残る。子供の風邪や咳を治す霊石として信仰される。古墳時代の祭祀遺物が出土した北米岡遺跡にあるが、古墳時代の祭祀遺物と姥石の相関性は不明。A生き物が石化したもの子供が風邪・咳をひいたら平癒を祈願。治った暁には、竹筒に甘酒を入れて供える。甘酒ばあさんと呼ばれる。
群馬県岩石表面に印・痕・模様が残る
鞍掛岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
犬神石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山上面に溜まった水が眼病に効く霊石。現在、別の石碑が上に立てられている。BBD眼病に効く岩石に溜まった水を目に付ける。
群馬県岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
群馬県岩石が改変されている
行者渓10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山役行者が修行をした場所。BCE登攀修行。
群馬県C
獅子岩/シシ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
朝日岳/雷天岳10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩山頂上が岩山
夕日岳/風天岳10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩山頂上が岩山
宝珠窟10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩窟岩穴・窟
大黒岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
瓶子岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山瓶子のような形状の岩で、滝が作られている。
鉾岩/ヌボコ岩/ローソク岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山双龍門の横に立つ立岩。
弥陀窟/行者窟10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山阿弥陀仏をまつったという岩肌の3つの窪み。行者が籠った窟ともいう。BAC岩穴・窟
群馬県BCA禁足地
群馬県BCE
御姿岩/おはぜ岩/御神体岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山本殿背後にそそり立つ岩。頭部と胴体のような形状。おはぜは男陰の意。下部に不可視の窟である御内陣を有する。神職のみ参加する御岳祭の時、御姿岩のくびれ部分に梵天を指す。BAA禁忌が厳しい"4月30日の御岳祭で、梵天(御幣)を岩のくびれに取り付ける。神が岩に憑依する構図。
御内陣の内部には土器が8点置かれているという。"
群馬県BABB
群馬県BAC岩穴・窟
群馬県BCA
カンノンノタケ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
山王ガタケ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ウバフトコロ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
九折岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
硯岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
サバ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
フジイワ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
袖フリ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ゾキ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ダルマ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
スベリイシ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
カウシ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ノゾキ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ポンポン岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ナナヒロ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ヲツタテ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ミミズ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
金剛界10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
胎蔵界10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ヒジリ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ゴシン石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
タイシノイワヤ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ご神体岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山 天神峠天神峠の手前にそびえる岩石。江戸中期の地図に記載があり、子孫繁栄・地域安泰の信仰があったという。戦後一時期草木に埋もれていたが、近年周辺が伐採され再びその姿が現れた。一度忘れかけられた岩石に対し、周辺の手入れをして再び大切にする。
三ッ寺Ⅰ遺跡 敷石遺構10群馬県高崎市三ツ寺町居館内に流水溝が通り、そこに敷石遺構が2ヶ所検出。敷石遺構内から土器・滑石製品が集中して出土。BCA今は存在しない岩石溝に水を流し、敷石空間に各種遺物を配置。
正観寺遺跡10群馬県高崎市正観寺町-小八木町調査区の最高所で、2×1m程の不定形(上面はやや平ら)の岩石が据えられ、その裾部から土師器・須恵器・石製模造品のセットが出土。今は存在しない岩石
神籠石10群馬県桐生市広沢町賀茂入祭祀の時に神が降臨する岩石。持ってきた榊に、ここで神を移した。神籠石の上部を「棚」と呼び、そこには小さな水溜りがでており、旱魃の時にこの水を汲んで雨乞いをすれば必ず雨が降るという。BAB岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する祭典の前日、神籠石で降神の祭祀を行ない、榊に神を移して神輿に入れた。戦前までは神籠石の周囲四方に竹を立てて注連縄を張り、春と秋の2回、赤飯・塩・水(酒)を供えていたという。
群馬県岩石に溜まった水が枯れない
「磐境」10群馬県桐生市広沢町賀茂入神籠石の斜面上方にある岩石。神籠石を背後から屏風のごとく囲むため、「桐生市史」に「磐境のようである」とかかれるが実際に磐境という認識だったかは不明。
休め石10群馬県桐生市広沢町 賀茂神社神籠石で迎えた神を乗せた神輿がここで休憩する。また、源義家が腰をかけて休んだという岩石。原位置の愛宕山東裾から移動し現在は賀茂神社境内に安置。BABB原位置から移動伝承神籠石の神を降臨させた榊を台待窪まで運び、そこで神輿に乗せかえ、休め石で休憩した後に賀茂神社へ神幸する。
群馬県C休み石・腰掛石
正願寺奇石10群馬県太田市茂木町 正願寺みだりに触れると異変が起こるといわれる渡良瀬石。霊験があることから崇敬の対象にもなっている。A禁忌が厳しい
長石/流石10群馬県太田市長手町 金山山腹斜面に一直線に走る細長い岩盤。小田原北条氏に攻められ金山に籠城した新田氏が、水不足であることを敵に悟られないために、この岩石の上から白米を流しまるで水が流れているように見せたことから流石の名がある。EC
井ノ尻遺跡11埼玉県秩父市中村井ノ尻大小の石を環状に配置し、その周辺から手捏土器・須恵器・鉄鏃が出土。南方に武甲山の景観。
御神降石/生き石11埼玉県秩父市番場町 秩父神社
偲石11埼玉県秩父市中町 今宮神社明治天皇崩御を偲び、氏子が荒川から境内に運んで置いた岩石。BBC亡き天皇を偲ぶため岩石を神社に置く。
行者石11埼玉県秩父市中町 今宮神社役行者がこの上に座り、母を偲び笛を吹いたといわれる岩石。C
若御子神社 奥の院11埼玉県秩父市自然岩盤の上に奥の院が建つ。BABC
鏡岩11埼玉県児玉郡神川町 金鑽神社神社裏山にある天然記念物。昔は地元の人々が藁で鏡面を磨いて光沢面を維持していたという。EC岩石が改変されている戦前までは藁などで鏡面を磨いていたという。
埼玉県鏡面を持つ岩石
石神社 石棒11埼玉県児玉郡上里町神保原町近郷の平和を祈るため、神社を建て神として寄進されたという縄文時代の石棒。BBC可動的性質集落間の争いをなくし連帯を深めるため石棒を寄進し神としてまつる。
埼玉県A遺物・遺構の再利用
埼玉県秘匿されている岩石
胎内くぐり11埼玉県児玉郡寄居町風布 姥宮神社これをくぐると病にかからないという。BBD胎内くぐり胎内くぐりで病がかからない。
姥石11埼玉県児玉郡寄居町風布 姥宮神社
こぶ石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣字栃久保こぶ石を中心にして古墳時代の祭祀遺物が出土したこぶヶ谷戸遺跡。二つの川の合流点近くに人工的に置かれたと推測されている。七石岩石の近くに鉄器や玉類を配置。周縁に行くほど土器の型式が新しくなる。
鏡石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
福石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
爺石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
姥石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
唸石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
櫃石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
岩上神社 露岩群11埼玉県本庄市児玉町太駄社殿裏の山端に露出する岩盤群。神聖視の有無は不明。
八幡山古墳 横穴式石室11埼玉県行田市藤原石室内に八幡社の祠を安置。八幡社の境内を形成する。BCA岩穴・窟
埼玉県遺物・遺構の再利用
男鹿岩(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町大附 弓立山雷電山女鹿岩に棲む女蛇に恋していた大蛇がいたとされる場所。EC七石
女鹿岩11埼玉県比企郡ときがわ町日影 雷電山弓立山男鹿岩に棲む男蛇に恋していた大蛇がいたとされる場所。EC
信濃石/牛岩(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町平 慈光山慈光寺七石
冠石(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町平 霊山院裏山修験者が回峰の後、ここでホラ貝を鳴らし頭の冠を外したという岩石。BCE登攀修行の最後に、冠石でホラ貝を吹き、自らの冠を外す。
埼玉県七石
玉鉾山(ポンポン山)岩石群11埼玉県比企郡吉見町田甲延喜式内社の裏山山頂にある岩群。伝承・神聖視の有無など確認とれず。
岩殿観音11埼玉県東松山岩殿 物見山石仏のおわす仏殿として機能する岩肌。BAC岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩肌をくりぬき、そこを仏殿とする。
大戸のお聖様11埼玉県さいたま市中央区大戸一丁目江戸時代末製作の石棒。生殖信仰の神。A可動的性質自分達で人工的に作った石棒を神として信仰する。
亀石11埼玉県川越市砂久保 砂久保稲荷神社亀の形に似た岩石。EC
弁天岩11埼玉県飯能市白子字平山川中の岩上に祠。筏師の信仰が厚かったといわれる。BABC
久須美白鬚神社 岩石群11埼玉県飯能市久須美字宮前境内に群集し、手前に祠あり。岩自体が神聖視されているかは不明。
諏訪神社 奥の院11埼玉県飯能市南川字諏訪ノ上内部禁足とされている岩穴。BAC禁足地
埼玉県BCA岩穴・窟
無量寺裏山 岩石11埼玉県飯能市小岩井勝軍地蔵(愛宕様)の背後に控える岩石。岩石自体への特別視の有無は不明。
弘法大師腰掛け子授け石11埼玉県飯能市双柳 秀常寺この石の上に腰掛けた女性は身籠るという。弘法大師が不妊の女性にこの石を与えたという伝説が残る。BBD聖者が与えた霊石この石の上に腰掛けると身籠る。
埼玉県
富士浅間神社 岩石11埼玉県飯能市上直竹下分字嫗ヶ嶽強欲なおばあさんが石化したという岩石。あるいは、女人禁制の浅間山(富士山)に入った比丘尼が石化したという岩石。BCA生き物が石化したもの
埼玉県
前岩11埼玉県飯能市飯能字前岩前岩と呼ばれている岩石。
割れ岩11埼玉県飯能市久下分字渕ノ上銘石という。
戸立岩11埼玉県飯能市小瀬戸字戸立岩戸を立てたような形状の岩。南に旧浅間社があったといわれる。
岩井堂観音11埼玉県飯能市岩渕字岩井堂岩井堂観音の背後に露出する岩峰。頂上が岩山
岩脇11埼玉県飯能市上畑字岩脇岩の脇から水が湧き出していたという場所。
弁天11埼玉県飯能市上直竹下分字宮ノ脇弁天の彫刻石像。A
石鑿(いしさい・いしざく)11埼玉県飯能市上直竹下分字石鑿下分と上分の境。石の境から転じた地名か。今現在確認がとれていない岩石
石掛11埼玉県飯能市上直竹下分字石掛山中に腰掛状の岩石があれば神の降臨石かとされる地名。今現在確認がとれていない岩石
岩穴11埼玉県飯能市白子字平山谷岩穴地名。由来となる岩穴は未確認。今現在確認がとれていない岩石
天文岩11埼玉県飯能市虎秀字松倉虎秀出身の天文学者 千葉歳胤が勉学に励んだ岩窟。天文霊神をまつる祠が手前に建てられている。C岩穴・窟
幕岩11埼玉県飯能市井上字幕岩幕を張ったかのような岩場。
立岩11埼玉県飯能市井上字立岩昔、大きな岩がここにあったが近年破壊されて今はない。今は存在しない岩石
船石11埼玉県飯能市長沢字船石地名。舟形の石の存在は未確認。今現在確認がとれていない岩石
ナメ岩11埼玉県飯能市長沢字ナメ岩長沢川に大きな石があり、その上を滑るように水が流れていた。今は大部分が埋没。
岩下11埼玉県飯能市長沢字岩下大岩あり、その下に小祠あり。廿三夜の刻字石や供養塔も付近にある。
聖天渕11埼玉県飯能市原市場字金山川の中にある大岩で渕がある。この岩の上に聖天祠が建てられている。BABC
白石11埼玉県飯能市原市場字白石入間川の中に白っぽい石がある。
清水岩11埼玉県飯能市赤沢字清水岩岩の裾から水が湧き出している。
幕岩11埼玉県飯能市赤沢字幕岩幕を張ったかのような断崖。
岩本11埼玉県飯能市赤沢字岩本岩場。入間川の川の流れる方向が変わる場所。
比良岩11埼玉県飯能市赤沢字比良岩地名。「比良=平」と推測されるが、平らな岩の存在は未確認。今現在確認がとれていない岩石
庚申塔11埼玉県飯能市唐竹字日向窪赤ん坊を攫われた親が、供養のために建てた庚申石碑。BBB亡き子の鎮魂供養のために庚申石碑を立てる。
赤岩11埼玉県飯能市中藤上郷字赤岩地名。鉱泉で赤色化した岩石があるかは未確認。今現在確認がとれていない岩石
岩久保11埼玉県飯能市中藤上郷字岩久保大きな岩がある。
ムジナ岩11埼玉県飯能市中藤上郷字岩久保
境石11埼玉県飯能市中藤上郷字境石境界付ける岩石があったと推測されるが未確認。今現在確認がとれていない岩石
岩倉11埼玉県飯能市中藤上郷字岩倉ごつごつとした岩石あり。
天狗岩11埼玉県飯能市中藤上郷字天狗岩松が一帯に生え、岩がある。
鏡岩11埼玉県飯能市南字鏡岩山中に鏡面を持つ岩石があるという。今現在確認がとれていない岩石
埼玉県鏡面を持つ岩石
境石11埼玉県飯能市坂石字坂本高麗川の中にある巨石。坂石と坂石町分の2集落の境界目印となっている岩石。EC境界区分や標識など交通目印関係
岩穴11埼玉県飯能市坂石字岩穴石灰岩の岩穴。ここの土地の持ち主は岩穴の屋号を持つ。
岩下11埼玉県飯能市坂石字岩下民家の集まっているところの背後にある大岩。岩下の屋号がある。
石塚11埼玉県飯能市坂石字石塚大きな岩あり。石塚の地名由来か。
巌殿山観音院 岩殿11埼玉県飯能市坂元字岩殿"内部に観音をまつった鍾乳洞。
鍾乳洞の前には堂が建ち、内部には入れない。"BAC禁足地
埼玉県BCA岩穴・窟
弁天窟11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
おかま穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
厩跡岩窟11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
地獄穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
胎内潜り11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
風穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
静之神社11埼玉県飯能市坂元字小床向小床の鎮守。大岩の上に無理して社が建てられている。BABC
岩花11埼玉県飯能市坂元字岩花鼻のような形状をした岩あり。
石神平11埼玉県飯能市北川字石神平石神らしきものは未発見。平らな地形でもない。今現在確認がとれていない岩石
臼曳岩11埼玉県飯能市北川字舟久保「お天狗様のウス曳岩」といわれる。詳細不明。
馬頭尊石仏11埼玉県飯能市北川字松尾石仏。A
岩井沢観音 岩石11埼玉県飯能市北川字岩井沢観音堂の裏にある庇状の岩。庇下には石仏群が安置。岩自体への神聖視の有無は未確認。
鏡石11埼玉県飯能市北川字石風呂鏡面を持つ岩石。それ以上のことは不明。鏡面を持つ岩石
大蔵山 岩石群11埼玉県飯能市北川字大蔵山大蔵山の尾根道各所に石灰岩の露頭。
長岩11埼玉県飯能市北川字長岩小川の近くに沿って長く続く岩山がある。地名の由来か。
太鼓岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井岩上で飛び跳ねると太鼓音がする岩石。弁天をまつったといわれる岩石。
鏡岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天が化粧に使っていた鏡が石化したもの。C物品が石化したもの
つづら岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天の使っていたつづらが石化したもの。C物品が石化したもの
亀岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天が乗っていた亀が石化したもの。C生き物が石化したもの
おびんずる岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井おびんずる様に見立てられた岩石。
子持ち岩11埼玉県飯能市
世直し石尊12千葉県印西市高西新田 阿夫利神社銚子海岸から拾ってきた2個の青石が数々のご利益をもたらしたので、石尊として神社を建ててまつった。A可動的性質石を拾ったらご利益があったので神としてまつる。
要石12千葉県佐原市 香取神宮鯰の魂を鎮め、地震を起こさせない岩石。BBB岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
夜泣き石12千葉県市川市 里見公園内戦死者の娘が石にもたれながら泣き続けて亡くなり、その後石から夜泣き声がするという石。供養後、声は聞こえなくなった。EA岩石から音声が聞こえる
涙石12千葉県市川市 弘法寺石段石材。切腹した武士の涙で常時湿っている石。BE
千葉県EC
鉈切洞穴遺跡12千葉県館山市浜田 船越鉈切神社古墳時代に埋葬地として用いられた洞穴。神社建立後は、本殿をまつる空間として利用。BAC岩穴・窟洞穴を埋葬地に使用する。
千葉県BCA禁足地
御神石(阿吽の石)12千葉県館山市洲崎 洲崎神社役行者が海上安全のため置いたとも、竜宮から献上されたともいう2つの岩石の内の1つ。もう1つは東国鎮護のため神奈川県横須賀市安房口神社へ飛来したという。BBB可動的性質岩石を置くことで海を鎮める。
千葉県BBC
笠石12千葉県君津市笠部分を動かすと良くないことが起こると伝えられる岩石。村の若者の悪ふざけで笠が一度転落したが、天狗あるいは鬼によって復元されたという。EA祟り伝承
光り石13東京都西多摩郡奥多摩町日原辺りが暗くなると発光したという岩石。昭和に爆破され消失。EB今は存在しない岩石
東京都岩石から煙・光・火・気などが出る
立岩権現13東京都西多摩郡奥多摩町日原天祖山の岩山に宿る神で、秩父の祭りで神幸することもある。A磐座と石神の性格が混在している事例立岩権現が秩父へ神幸する時、人々はオガム所という場所より奥に入ってはいけない。
東京都BAA頂上が岩山
稲村岩13東京都西多摩郡奥多摩町日原
梵天岩(旧・六体岩)13東京都西多摩郡奥多摩町日原梵天の形に似ていることから名づけられた岩。
籠岩13東京都西多摩郡奥多摩町日原
日原鍾乳洞/一石山の御窟/一石山の御岩屋13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞一石山神社の御神体にして行者達の修行霊場。BAC岩穴・窟
東京都BCE
弘法大師学問所13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞弘法大師が修行に励んだと言われる場所。BCE
東京都C
縁結び観音13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞
さいの河原13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞
岩蔵の大岩13東京都青梅市富岡東征中の倭国武尊が、身の安全を願い自らの鎧などの武具を納めたという岩壁。BAC岩穴・窟岩壁に対して自分の武具を納めて安全祈願する。
赤岩13東京都青梅市沢井年貢が納められず打ち首になった百姓の血がとれない岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
東京都今現在確認がとれていない岩石
二間の岩13東京都青梅市沢井この岩に棲んでいる狼に危害を加えると、後に祟りがあるといわれ忌避された。EA悪者が住んでいた・いる場所
東京都今現在確認がとれていない岩石
東京都祟り伝承
のぞき岩13東京都青梅市沢井横尾子神聖な天狗に会えるかもしれないといわれる場所。そこの目印としての岩石。BCA今現在確認がとれていない岩石天狗を見ただけで長寿効果ありという。
忠右衛門の岩13東京都青梅市沢井悲話を記憶する装置としての岩石。EC今現在確認がとれていない岩石
あごかけ岩13東京都青梅市 日の出山東征中の倭国武尊がここであごをかけて休んだといわれる岩石。C休み石・腰掛石
蛇石13東京都青梅市 吹上峠頂上岩石の間の穴に蛇がよく集まっている岩石。EC
おうむ石13東京都青梅市 御岳山奥の院この岩石に声をかけるとおうむ返しのある岩石。EB音声反響
天狗岩13東京都青梅市 御岳山
こんにゃく石13東京都青梅市駒木町2月8日丑満時にだけこんにゃくのように柔らかくなる岩石。EB柔らかくなる岩石
力石13東京都青梅市二俣尾三丁目 個人宅力比べの岩石。EC力石
東京都可動的性質
畠山重忠の切石13東京都青梅市成木畠山重忠が妖怪を切ったら真っ二つになっていた岩石。畠山重忠が馬つなぎをするために真っ二つに切った岩石。EC偉人が真っ二つに割った岩石
東京都偉人が敵を退治したら石だったという伝承
山ノ神の岩13東京都青梅市成木山の神の石神。A
籠岩(カーゴイワ)13東京都青梅市成木沢の流れを堰止め水を氾濫させていた岩石。畠山重忠が引き上げて元に戻したという。EC
馬場蹟 配石群13東京都青梅市成木 馬乗り馬場土俵のように並べられている配石群。地中に黄金が埋まっているという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
鈴石13東京都大田区大森北 磐井神社転がすと鈴の音がするという岩石。神功皇后が見つけたという岩石。C岩石から音声が聞こえる
東京都可動的性質
烏石(鷹石)13東京都大田区大森北 磐井神社烏のような模様がある岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
夜泣き石13東京都文京区関口 カテドラル教会隠れキリシタンを生き埋めにし、その上に岩石を置いて重し石にしたもの。以後、この岩石から泣き声が聞こえる。岩石を小突くと動くという。EA岩石から音声が聞こえる
東京都岩石が動く
東京都原位置から移動伝承
兜岩/兜石13東京都中央区倭国橋兜町 兜神社俵藤太が平将門を打ち首にした後、将門の兜をここに埋めて供養塚にしたその名残。前九年の役に向かう源義家が、この上に兜をかけ戦勝祈願した岩石。後三年の役から凱旋した源義家が、凱旋記念に兜を埋めて作った塚の名残。BBB自らの兜を岩石の上にかけて戦勝祈願。
東京都BCD
東京都EC
立石/立石様/立石祠/立石稲荷神社13東京都葛飾区立石寒い時には石が欠けていき、暖かくなると元に戻るとされた奇石。好奇心で石を掘った人々に祟りが起こったため、後に霊石としてまつられるようになった岩石。後にお守りとして欠片を削られて小さくなった。元は古墳石室石材だったという説あり。EB岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承祟りがあったからまつる。
東京都A岩石が満ち欠け・増減・出産する
東京都祟り伝承
東京都岩石に損傷を加える行為
東京都岩石が改変されている
東京都遺物・遺構の再利用
瑞光石13東京都荒川区南千住 素盞雄神社神社の祭神が翁の姿をして初めてこの場所に現れた時の降臨石。その後は神社の神跡になった。瑞光石の根は隅田川まで伸びているという。BABA岩石から煙・光・火・気などが出る2人の翁が発光した岩石の上に降臨する。
東京都C最初の一回だけ磐座機能
東京都岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
石尊大権現14神奈川県 伊勢原市 大山阿夫利神社奥の院の中にまつられた石神。倭国武尊が腰をかけて休んだとも、親鸞が仏字を刻んだとも伝えられる。A秘匿されている岩石
神奈川県 C休み石・腰掛石
先島14神奈川県足柄下郡真鶴町岩塊の島。神の島として神聖視される。BCA November 11, 2025
1RP
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
舞台ビルシャナ戦姫〜源平飛花戯曲〜
11/19 悲恋End
Focus 遮那王/源義経 (演:川崎愛香里)
とっても可愛くてカッコいいのでみんな見てください🙂↕️
#舞台ビルシャナ https://t.co/uH2kKicr3q November 11, 2025
1RP
伊平屋においては「分村期成会結成会」も結成され、住民の意向をうけた村議会、村当局も国、県に請願したことで、分村が実現の方向に進み県当局、県議会の調査決議を経て、ついに昭和14年5月23日、内務省令により分村許可、百有余年の懸案であった伊平屋島(後島)住民の嘆願が実現のものになりました。
昭和14年7月1日、伊平屋村誕生、初代村長に諸見清吉就任、伊平屋尋常小学校内に事務所を設置。
行政運営は財政が脆弱なため幾多の困難を余儀なくされたが、村民一丸となり、離島苦解消のため航路船の購入、昭和15年5月に住民の奉仕汗の結晶により新庁舎が完成し、行務を執いました。
昭和16年5月17日不運にして庁舎失火により建物、書類一切を全焼、分村後の大きな損失を被ったが国、県の指導に従い援助を経て対策を講じ、行政事務の充実を図りましたが、県より経済更生村に指定され、その主旨に従い村民を督励して増産体制をとり、米作、養蚕、さとうきび甘薯等の生産強化により、昭和 16年4月1日農林省主催の全国米作共進会で沖縄県より米作増産の一等賞に表彰され、自給自足が可能な村として称賛されるまでになりました。
戦中の生活と米軍上陸
昭和16年12月8日大東亜戦争勃発。
物資統制令により、米作農家に増産体制の強化と割当配給制、強制供出米を徴収され(昭和20年終戦時まで続く)、流通機関も絶え苦難な戦争中の生活を余儀なくされ、戦況はますます激化の一途をたどっていました。
昭和19年には、本村も始めて空襲され田名集落で数棟焼失、同年6月3日、突如米軍機動部隊が当村に上陸し、空中射撃や艦砲射撃により、40余名の村民の犠牲者と全て焼土に化し米軍占領統治となり、米軍使役労務に強制従事させられる。
同年11月22日米軍が、伊平屋から引き揚げたことで村民収容解除され、田名より各集落へ復帰し戦後の混乱期の生活が始ました。
戦後の伊平屋
昭和21年、沖縄諮詢会の時代米軍の施政権下にあって地方行政の改正と変遷を経て自治の進歩と諸産業も斬次進展し、生活も進歩していきましたが、まだまだ幾多の困難な問題があり、占領施政権から脱却して本土復帰の運動が高まり、昭和47年5月15日念願の本土復帰になり、諸制度が適用されています。
昭和46年1月15日国務大臣山中貞則ご来村、沖縄復帰担当大臣村内ご視察、村の要請を快諾、離島苦解消のため野甫橋架橋建設を決断され村民に公約、実現の糸口となり、昭和47年10月より調査実施、同49年より工事施行、同54年6月19日夢の架橋野甫大橋が開通し野甫島が道路により結ばれ利便となる。
村は復帰後の新しい制度に適用するため、総合計画基本構想を設定(昭和52年12月23日)に基づき農林水産業の基盤整備、道路、建設、環境整備、航路交通の整備、空港設置要請、教育施設等の整備に同52年より着手、同55年、過疎振興計画の策定適用によって、補助事業を積極的に促進し、整備を推進している状況であるが財政が脆弱のため自主財涯に乏しく困難な財政運営を余儀なくされているが地域住民の定住と生活の安定のため生産基盤の確立と諸産業振興を図るため諸事業を選択して推進しています。
伊平屋村、伊是名村が分離、分村して、平成元年7月1日を以て50周年の時代の節目を迎え、幾多の困難と世代変遷を経て早カされた当局先輩諸氏村民の労苦に対し敬意を表し、一層行政の高率と地域住民福祉向上を図るため分村50周年記念事業として鉄筋コンクリート2階建、役場庁舎の建設、21世紀に向けて活力ある「快適で豊かな生産活動が出来る村づくり」を目指して推進しています。
沖縄県島尻郡伊是名村の説明に出てくる下記全キーワード関係地点群と、それら周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/tGHOCX68HM
伊是名村(いぜなそん)は、沖縄県の北部、沖縄本島(本部半島)の北方約35kmに位置する伊是名島とその周辺に位置する無人島で構成される村[1]。
島尻郡に属す。
歴史
琉球国王第二尚氏の始祖・尚円(金丸)の生まれた島として知られ、2015年には尚円生誕600周年祭が行われた。
沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴建物や土器などがみつかっている。
また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。
琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。
この経緯から1896年(明治29年)に県内において郡制度が施行された際、かつての王府領や聖域も多い沖縄本島南部と同じ島尻郡に属され、現在に至る。
2008年(平成20年)度決算における実質公債費比率が自治体財政健全化法における早期健全化基準を超過したため、翌年度より財政健全化団体となっている。
人件費削減と船舶運航事業への繰出削減などにより総額4,600万円を捻出し、2011年(平成23年)度までに実質公債費比率が早期健全化基準を下回ることを目標としている。
2015年、新しいフェリーが就航した。
2021年(令和3年)10月から11月にかけて、福徳岡の場の噴火で生じた軽石が沿岸部に漂着。
フェリーが接岸できなくなり、ガソリンなどの生活物資が不足する影響が出た[3]。
医療
施設名の後にある括弧書きは字名である。
沖縄県立北部病院附属 伊是名診療所(仲田)
時間外診療および医師不在時は伊是名村役場に連絡することとしている。
民間救急ヘリコプター(ドクターヘリ)「MESHサポート」
村内の4箇所(内花、仲田、諸味)がランデブーポイントに指定されている[7]。
【港湾】
仲田港
内花港
飛行場
伊是名場外離着陸場
MESHサポートのランデブーポイントに指定されている。
伊是名場外離着陸場と沖縄本島など他の島を結ぶ定期航空路線は現存しない。
【名所・旧跡】(いずれも危険度最高レベル!!!!)
(写真は、伊是名玉陵、サトウキビ畑ごしに見た伊是名城、みほそ所=尚円王生誕の地)
二見ヶ浦海岸
伊是名玉陵
伊是名城跡
尚円王生誕地
尚円王御庭公園
銘苅家住宅
伊是名村ふれあい民俗館
※※※※※※※※
下記は引き続き、最も危険なエリアです!!!!地下世界を徹底的に焼いて焼いて焼き滅ぼし、トドメも念入りに刺しまくって、さとっぴ軍が地下世界の全てを完全制覇征服占領支配せよ!!!!!!
斎場御嶽
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斎場御嶽(せーふぁーうたき[1]/サイハノうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡。
15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。
正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。
御嶽 (沖縄)(うたき)
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御嶽(うたき)は、琉球神道における祭祀などを行う場所である。
「腰当森(くさてぃむい)」、「拝み山」などともいう。
概要
琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球神道における聖域の総称で、それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。
「うたき」という呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々のものであるが、16世紀まで琉球に属していなかった宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」(石垣島、竹富島、西表島)・「うがん」(新城島、西表島)・「わん」(黒島、小浜島、新城島)・「わー」(波照間島)等と呼ばれる(近年では「うたき」と呼ばれることもある)。
信仰上の位置
御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。
地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。
琉球神道では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。
現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。
形態
御嶽(国営沖縄記念公園)
御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。
御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。
宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
大きな御嶽では、「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる前庭や建物といった空間が設けられていることがある。
これは信仰上、御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である。
語源は「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」と考えられている。
御嶽やグスクにある鳥居
御嶽やグスクの入口に鳥居が設置されているものが、現代も沖縄県内に多く残っている。
近世琉球までの御嶽にはそもそも無かったものと考えられている(ただし、察度王の代に神仏習合の形で倭国神道の神々を勧請した波上宮などは当初から鳥居を供える)。
これは、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道の施設となった結果であると説明され、県社建立や「一村一社」構想により、県内各地の御嶽やグスクが神社として再編されていった[1][2] 。
例えば今帰仁城跡は1930年(昭和5年)に鳥居が設置されたが、2000年(平成12年)11月30日に登録された世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する施設となって以降、景観保護上の観点で2003年(平成15年)に撤去された。
しかし、本島北部の名護城や、伊平屋島の田名神社、伊江島の阿良御嶽など、倭国領以降に設置された鳥居が未だに残っているものもある。
また、先島諸島(宮古・八重山)では、特に撤去しようとする動きもなく、そのままになっているのがほとんどと言われる。
倭国本土で現存する最古の鳥居は、平安時代のものであり歴史は古いが、鳥居が必ずしも本土神道式の神社を象徴するものとは限らない。
そもそも奄美・琉球(沖縄)における神社は、世持神社のように1936年(昭和11年)ながらも沖縄県有志総出で琉球偉人を祀る神社(郷社)建立に走った例もある。
徳之島における「神社」のように、鳥居が立っていて「神社」と呼ばれていても必ずしも本土のような手水舎、神殿や拝殿がある訳でもなく、ただ沖縄の御嶽のように小屋や祠、はたまた石だけが置かれているものも多く、奄美古来のグスク(あるいはモリ、ハラ)、古の風葬墓跡や拝所などが判然とせず、聖地と見なされている状況である[3]。
起源
斎場御嶽の大庫理(ウフグーイ)
御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。
その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。
これは、祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。
また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。
また、首里城、玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。
現代における実情
現代も琉球の信仰は地域に根付いており、御嶽はその信仰の中心となる場所として、地域に手厚く保護されているものも多いが、放棄され、存在自体不明のものもある。
著名な斎場御嶽や園比屋武御嶽のように観光資源化している御嶽もあるが、それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって維持されている。
御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、東御廻りや今帰仁上りなどの巡礼地として崇められているものもある。
また、米軍による土地接収や、発掘調査や開発にともない立入が禁止または制限されたほか、破壊された御嶽もある。
一例として、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、かつては現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、同城の再建などの整備にともない立入の制限または有料観覧区域となったり、埋め立てられるなどした地域がある。
【主な御嶽】
以下に、信仰上重要かつ著名な御嶽を列挙する。
なお、琉球王国時代の古い集落についてはおおむね集落ごとに1箇所以上の御嶽があると考えてよいが、当時から現在にわたって存在する集落の場合は御嶽もまた残っていると考えられることから、以下はごく一部の例示である。
【琉球開闢九御嶽】
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせた。
アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地[4]7つの森[5]を作ったとされる。
現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢九御嶽として語り継がれ、琉球神道においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられている。
このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽である。
聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれた。
現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていない。
また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるという。
以下、アマミキヨが作ったとされる順番に列記する。
安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
知念森 : 南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
首里森御嶽(しゅいむいうたき):首里城十嶽の一つ
真玉森御嶽(まだむいうたき):首里城十嶽の一つ
このうち、首里真玉森御嶽は沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われており、県によって敷地内への侵入は禁止されている。
【東御廻りの御嶽】
園比屋武御嶽、石門の後方
現在も行われている聖地巡礼である東御廻り(あがりうまーい)は、太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものである。
起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まった。
現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われている。
巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的である。
園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
御殿山(うどぅんやま):与那原町
場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
ヤハラヅカサ:南城市玉城
潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城
【今帰仁上りの御嶽】
現在も門中を中心に、今帰仁一帯の聖地を巡礼するものが今帰仁上り(なきじんぬぶい)である。
起源は定かではないが、琉球王国王統発祥の地である伊是名島、伊平屋島を擁する旧北山国領と、その首府があった今帰仁には、士族のルーツも多くあることが理由ではないかと考えられる。
巡る御嶽や経路は門中によって多少異なる。
主な御嶽は以下の通りである。
カラウカー:今帰仁グスク内
火の神の祠:今帰仁グスク内
テンチギの御嶽(カナヒヤブ。開闢2番目に作られた御嶽):今帰仁グスク内
ソイツギの御嶽:今帰仁グスク内
クボウ御嶽:今帰仁グスク内
阿応理屋恵祝女殿内(あおりやへのろどぅんち):今帰仁村
今帰仁祝女殿内(なきじんのろどぅんち):今帰仁村
供のカネー祝女火の神(とぅむなはーにーのろひぬかん):今帰仁村
今泊の親川(えーがー):今帰仁村
中城(仲尾次)祝女殿内(なかぐすくのろどぅんち):今帰仁村
今泊の津屋口墓(ちぇーぐちばか):今帰仁村
諸志の赤御墓(あかうばか):今帰仁村
池城墓(いちぐすくばか):今帰仁村
大北墓(うーにしばか:または按司御墓/あじうはか):今帰仁村
百按司墓(むむじゃなばか):今帰仁村
ティラガマ:今帰仁村
勢理客祝女殿内(じっちゃくのろどぅんち):今帰仁村
【先島諸島の御嶽】
先島諸島には王国の支配を受ける以前からの聖地が多くあるほか、八重山列島では司の墓が御嶽となっている例が多く見られる。
八重山列島では御嶽のことを「おん」、「わん」と呼ぶ。以下に主なものを列挙する。
【宮古諸島】
漲水御嶽(ぴゃるみずうたき、はりみずうたき)
宮古島(宮古島市)。宮古島を作った神・古意角(こいつの)と姑依玉(こいたま)の二神を中心として、水を司る「竜宮神」、宮古島を守護する「子方母天太」等の神々が祭られており、島内最高の霊場として島の人々の信仰を集め、その周りをめぐる石垣は、1500年のオヤケ赤蜂の乱の戦勝記念として仲宗根豊見親が奉納したと伝えられている。
島尻元島(しまじりもとしま)
宮古島(宮古島市平良字島尻)。奇祭「パーントゥ・プナハ」の中心となる一帯にある。
大主御嶽(ウパルズ御嶽、ナナムイ)
池間島(宮古島市)。大主神社(標準語風の名称)ともいう。宮古島に住んでいる人々の運命を司る神「うらせりくためなうの眞主(まぬす)」を祭る御嶽。池間島から移民した人々が伊良部島、字西原にも新しく同名の御嶽を建立した。現在でも池間島にルーツがある人々から信仰を集め、この御嶽を中心として、多くの神事が行われている。
大神御嶽(おおがみうたき)
大神島(宮古島市)。秘祭「祖神祭(うやがん)」の中心となる御嶽。
【八重山列島】
真乙姥御嶽(まいつばおん)
石垣島(石垣市)。王府のオヤケアカハチ軍征討に縁のある祝女を祭った御嶽。
美崎御嶽(みしゃぎおん)
石垣島(石垣市)。沖縄県の有形文化財・史跡に指定されている。
群星御嶽(んにぶしおん/んにぶしうたき)
石垣島(石垣市)。奇祭「マユンガナシ」の中心になる御嶽。
西塘御嶽(にしとうおん)
竹富島(竹富町)。西塘を祀る御嶽。沖縄県の史跡に指定されている。
国仲御嶽(ふいなーおん/くになかうたき)
竹富島(竹富町)。園比屋武御嶽から勧請された八重山で唯一の王府縁の御嶽。
三離御嶽(ふなふら/みちゃーりおん/さんりうたき)
西表島(竹富町古見(クン))。請原御嶽とともに、秘祭アカマタ・クロマタ・シロマタ祭の中心になる御嶽。
十山御嶽(とぅやまうがん)
与那国島(与那国町祖納)。
【奄美群島】
奄美群島にもノロ制度はあるが御嶽と呼ばれる拝所は存在していない。
ただし「アマンデー」(奄美嶽、海見嶽)と呼ばれる、斎場御嶽と似たものが存在する。
また「拝み山」と呼ばれる山や、「立神」と呼ばれる類するものもある。
厳島神社や高千穂神社という名称でありながら実際には御嶽と思われる拝所が多く存在する。
薩摩藩の統治時代に神社に移行したものと考えられる。
京都府福知山市の全体と、周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺にそびえる大江山(=千丈ヶ嶽)の山頂(標高832メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
https://t.co/BPo0QlCMAK
大江山ニッケル鉱山とがあったらしいので、大江山と鳩ヶ峰と鍋塚山と鬼の岩屋と「大江山航空管制塔」までの5連山の全体の地下深くと、周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町北原303−1にある鬼嶽稲荷神社と、鬼の洞窟の中全部と北原遺跡と、「鬼嶽不動尊」と「不動の滝」と、酒呑童子供養碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町佛性寺にある鳩ヶ峰の山頂(標高746メートル)と、鍋塚の山頂(標高762.7メートル)と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町仏性寺909にある倭国の鬼の交流博物館(河守鉱山の施設群の跡地)と、周辺にある源頼光一行山伏像、大江山グリーンロッジと公衆トイレ、平成の大鬼瓦、酒呑童子の里・体育館、テニスコートと、その西南方向そばにある大江山 酒呑童子の里と、河守鉱山坑口跡と、更に西にある千丈ヶ滝、「大聖不動明王」と「明王の滝」「千丈ヶ原 子安地蔵」と、これら周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺951にある鬼のモニュメントと、西隣にある大江山グリーンロッジグラウンドと、これら周辺一帯。
京都府福知山市上佐々木にそびえる三岳山の山頂(危険度最高レベル!!)と、南へ約300メートルに位置する三嶽神社と、三岳山の祠と、その西方向へ約60メートルに位置する行者神社と、其処から南に連続して連なる十七地蔵の全地点と、その末の麓にある金光寺と祠と桜と紅葉と山門と、これら周辺一帯。
京都府福知山市上紺屋30にある厳の郷(出口なお生家)と、周辺一帯広めで。
京都府与謝郡伊根町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町与謝にそびえる赤石ヶ岳の山頂(標高736メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
京都府与謝郡与謝野町滝にある中華人病没者供羪塔と、北隣に在る梅崎稲荷神社と鳴滝不動明王と、これら周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町滝941にある加悦鉄道 倭国冶金工業大江山鉱山 鉱石積込場跡と、旧大江山ニッケル鉱山製錬所煙突と、滝グラウンドゴルフ場、トロッコ広場と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町滝にある権現宮と、東隣に在る与謝野鉄幹歌碑と、高浜虚子句碑と、更に東へ約150メートルに位置する与謝野町立江山文庫 (短歌と俳句の資料館)と与謝野晶子歌碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町金屋1603にある比丘尼城本丸跡と、南隣に在る金屋比丘尼城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府宮津市の全域と、周辺一帯。
京都府宮津市小田にある大江山航空管制塔(標高740メートル)とハンググライダー広場と、西へ約250メートルに位置する鬼の岩屋(標高686メートル)と、これら周辺一帯。
京都府京丹後市の全体と、周辺一帯。
兵庫県養父市大屋町横行にそびえる氷ノ山の山頂(標高1509メートル)と、周辺一帯広めで。
大本教(おおもと おほもと)
https://t.co/zAIVODi1J3
本部梅松苑:京都府綾部市本宮町1-1
天恩郷:京都府亀岡市荒塚町内丸1番地
東光苑:東京都台東区池之端2-1-44
霊場
沓島(めしま)・冠島(おしま)[4][5][6]
→
京都府舞鶴市の全体と、周辺一帯広めで。
京都府舞鶴市野原にある冠島(おしま)と沓島(おしま)の島全体と、周辺海底一帯広めで(危険度最高レベル!!!)。
https://t.co/Gd6HFMIkAk
京都府綾部市の全体と、周辺一帯。
京都府綾部市若竹町8−1にある綾部市役所と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市本宮町16−1にある本宮山の山頂と、北隣に在る旧岡花家住宅(木の花庵)(大本教本部)と、金竜海という庭園と「大八洲の岩戸の中(危険度最高レベル!!!)」と、金水明(危険度最高レベル!!!)と、大本本部梅松苑と、みろく殿(祖霊社・万霊社)、緑寿館(大本教教主公館)、長生殿(本殿)などの宗教関係地点群と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町笹谷にそびえる四尾山の山頂(標高287.1メートル)と、西北方向へ約330メートルに位置する配水場と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町田野山1−15にある綾部市斎場と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町才ケ首にある天王平奥津城(出口なお、出口王仁三郎墓)(危険度最高レベル!!!)と、彩霞苑という墓地と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市野田町井根山にある井根山秋葉神社と、野田城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市西原町平井にある釈丈ヶ嶽城跡(標高270メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市鷹栖町にそびえる猪才山城跡(標高264メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市上野町藤山にある杵ノ宮・九鬼霊神社と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市於与岐町宮谷にそびえる弥仙山(みせんざん)の山頂(標高664メートル)と金峰神社(弥仙山奥宮)と、西北方向へ約120メートルに位置する大岩磐座と、更に西へ約100メートルに位置する於成神社(弥仙山中の宮)、於成寺古跡、修練の滝の不動明王と、これら周辺一帯広めで(いずれも危険度最高レベル!!!)。
京都府亀岡市の全体と、周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯向山97にある源義経の腰掛岩と、周辺一帯。
京都府亀岡市荒塚町内丸1にある天恩郷と、北隣に在る無名の池と南郷公園と、西隣にある亀山城趾と大本本部と宣霊社と、南隣に在る大本みろく会館と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市荒塚町内丸1番地にあるIRUHA(イルーハ)事務所と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太の全域と、周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46にある穴太寺と、周辺の多宝塔などの聖地群史跡群水辺群と、西隣にある佐川印刷 亀岡グラウンドと、これら周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太口山にある穴太城跡(標高167メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太柳原7−1にある蘇州園悠久亭平和・友好の鐘と、公衆トイレと、亀岡運動公園の全体と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市にある高熊山ご座所と、北へ約150メートルに位置する丁塚山の山頂(標高357メートル)と、これら周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷にある高岳城跡と、周辺一帯。
京都府亀岡市本梅町平松車谷にそびえる朝日山の山頂(標高460メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝にある大正池の池底と、西隣にある神蔵寺と、これら周辺一帯広めで。
大阪府豊能郡能勢町吉野にある関西電力送配電能勢変電所(今すぐ強制停止シャットダウンさせろ!!!!その地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!トドメも念入りにヤレ!!!)
東京都台東区の全体。
東京都台東区池之端2丁目1−44にある大本東京本部と、東方向すぐにある不忍池の全体と、不忍池ボート場、不忍池辨天堂、上野東照宮、五條天神社・花園稲荷神社と、これら周辺一帯広めで。
東京都文京区の全体。
兵庫県姫路市家島町真浦にある上島灯台と、高台の平地にあるらしい斎場と神祠と、上島の全体と、海岸にあるらしい「岩の洞穴」と、周辺海底一帯広めで。
https://t.co/Gd6HFMIkAk
神島(かみしま)は兵庫県高砂市の西南海上、約10キロに位置する無人の小島で、綾の聖地から西南(坤・ひつじさる)の方角に位置します。
大正5年6月25日(旧5月25日)、出口王仁三郎聖師と出口直日三代教主をはじめ一行60人は、3隻の船に分乗し神島に上陸。聖師を先頭に生い茂る矢竹を切り開いて進み、高台の平地を斎場にしました。
聖師は竹で弓矢を作り、東北(艮・うしとら)と西南(坤)の空に向かい弓を射る型をして四方を祓い、神祠(ほこら)に坤の金神を鎮祭し、その神祠を捧持して帰途に就きました。
28日、綾部の龍宮館に神霊を奉迎。その意義は艮の金神と坤の金神のご対面にあると解されています。
次いで、9月8日(旧8月11日)には、聖師をはじめ一行6人が再び神島に渡り、海岸の岩の洞穴で神宝を受け、綾部の金竜海の大八洲の岩戸の中に納めました。
さらに10月4日(旧9月8日)には開祖、聖師、二代教主、三代教主および出口家、信徒の一行が神島に上陸し、坤の金神の鎮座祭が執行されました。
この3回の神島まいりを「神島開き」といい、冠島・沓島開きと共に最も重要な神事とされています。
宗教法人大本(おほもと)の下記の常時解放されている拠点群所在地と、それ等周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
https://t.co/JADiCUT8Vw
機関名郵便番号所在地(住所)電話番号
北海本苑079-1561北海道富良野市山部中町5番27号0167-42-2545
宮城分苑980-0845宮城県仙台市青葉区荒巻青葉438ー18022-228-3863
新潟分苑953-0026新潟市西蒲区伏部字仲山1518-150256-72-1541
北陸本苑923-0965石川県小松市串町ヶ甲380761-44-1361
静岡分苑421-3306静岡県富士市中之郷2353-10545-32-6644
松香分苑440-0014愛知県豊橋市南牛川2-3-120532-63-2173
三河本苑443-0031愛知県蒲郡市竹島町28-50533-69-7518
名古屋分苑461-0091愛知県名古屋市東区三の丸4-5-16052-912-6838
近江本苑522-0041滋賀県彦根市平田町211-110749-24-4314
京都本苑603-8247京都市北区紫野泉堂町67075-491-6487
綾部みろく分苑623-0035京都府綾部市上野町上野1250773-42-1902
宮垣分苑668-0042兵庫県豊岡市京町1ー240796-22-3258
竹田別院669-5252兵庫県朝来市和田山町竹田87-10796-74-2651
大阪本苑557-0012大阪府大阪市西成区聖天下1-3-1406-6651-5670
神戸本苑652-0043兵庫県神戸市兵庫区会下山町1-2-27078-512-3652
はりま本苑672-8048兵庫県姫路市飾磨区三宅1-100792-35-0257
奈良岡の家分苑634-0105奈良県高市郡明日香村東山130-20744-54-3143
紀伊本苑643-0004和歌山県有田郡湯浅町湯浅2280737-63-1385
鳥取本苑680-1442鳥取市吉岡温泉町7480857-57-0920
伯耆分苑689-4108鳥取県西伯郡岸本町丸山半川1503ー30859-68-2705
出雲本苑693-0056島根県出雲市江田町北広瀬30853-22-3005
岡山本苑710-0003岡山県倉敷市平田952-8086-424-5354
福山分苑720-0816福山市地吹町17ー28084-925-8922
広島本苑731-0103広島市安佐南区緑井7-18-30082-877-3600
長周分苑753-0818山口県山口市吉敷上東3-3-37083-928-3650 November 11, 2025
1RP
沖縄県島尻郡伊平屋村の公式ホームページによる歴史説明に出てくる全キーワード関連地点群と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
https://t.co/tNjA9gSN50
伊平屋の発祥
伊平屋は、数千年前から人も住みついていた古い島です。
島全域は、沖縄の最北端の地点に散在せる列島で、大昔から伊平屋島といわれていたのは、島の面積の大きさから取って伊平屋島と唱えられたといいます。
その内、伊平屋島・野甫島の伊平屋地方二島と伊是名島・具志川島・屋那覇島・屋の下島・降神島の伊是名地方五島、両地方合せて、「伊平屋の七離れ」と呼ばれていました。
島の呼び方は色々と古書に記され、いぢへな(伊是名)えひや(伊平屋)伊瀬名(伊是名)恵平也(伊平屋)。
また、支那の冊封使が伊平屋島を葉壁山と称し金箔の書掛軸を与えられました。
由緒ある島
伊平屋は、倭国史、琉球史にかかわりの深い島として知られています。
江戸時代の学者藤井貞幹は『神武天皇の母玉依姫は、海宮(あまみ)の玉依彦の娘、豊玉姫の妹で、海宮とは、琉球国の恵平也(伊平屋)島』と唱えています。
琉球史においては琉球五王統のうち第一王統の祖先、屋蔵大主が伊平屋に住み、第二尚王統の尚円王は、伊是名島に産れ、二王統の発祥の島として賞讃されています。
尚円王が王位につかれてから、その姉君を、伊平屋アンガナシとして、神職を与えて、島の根神の統治にあたらせ、尚円王の即位後も王発祥の地として、毎年もち米とうるち米の玄米を粒選らび、各三斗づつ御初米として献上。
それが昭和六年まで続いていました。
戦前の伊平屋
明治12年の廃藩置県により、琉球藩が廃止され、沖縄県として倭国国の制度のもとスタートすることになりました。
明治42年4月1日村制施行、「伊平屋島」を「伊平屋村」、「伊是名島」を「伊是名村」と改称。
間切が村となり、これまでの村が字になりました。
当時の字は、我喜屋、島尻、野甫、田名、田名から分割した前泊の五字でした。
伊平屋村役場は、伊是名村字伊是名に置かれ、初代村長に島尻出身の諸見守蔵氏が任命され村行政を施行しました。
村役場が伊是名島に設置されていたため、諸会議、役員吏員、一般民衆の不利不便は想像を絶するものがあり、村議会に分村問題を提起も取り上げ採択されず、民衆は苦境になげく状況が続きました。
しかし、分村熱はますます高まり、大正5年伊平屋島(後島)有志が伊是名村との分村請願書を沖縄県に提出。
伊平屋においては「分村期成会結成会」も結成され、住民の意向をうけた村議会、村当局も国、県に請願したことで、分村が実現の方向に進み県当局、県議会の調査決議を経て、ついに昭和14年5月23日、内務省令により分村許可、百有余年の懸案であった伊平屋島(後島)住民の嘆願が実現のものになりました。
昭和14年7月1日、伊平屋村誕生、初代村長に諸見清吉就任、伊平屋尋常小学校内に事務所を設置。
行政運営は財政が脆弱なため幾多の困難を余儀なくされたが、村民一丸となり、離島苦解消のため航路船の購入、昭和15年5月に住民の奉仕汗の結晶により新庁舎が完成し、行務を執いました。
昭和16年5月17日不運にして庁舎失火により建物、書類一切を全焼、分村後の大きな損失を被ったが国、県の指導に従い援助を経て対策を講じ、行政事務の充実を図りましたが、県より経済更生村に指定され、その主旨に従い村民を督励して増産体制をとり、米作、養蚕、さとうきび甘薯等の生産強化により、昭和 16年4月1日農林省主催の全国米作共進会で沖縄県より米作増産の一等賞に表彰され、自給自足が可能な村として称賛されるまでになりました。
戦中の生活と米軍上陸
昭和16年12月8日大東亜戦争勃発。
物資統制令により、米作農家に増産体制の強化と割当配給制、強制供出米を徴収され(昭和20年終戦時まで続く)、流通機関も絶え苦難な戦争中の生活を余儀なくされ、戦況はますます激化の一途をたどっていました。
昭和19年には、本村も始めて空襲され田名集落で数棟焼失、同年6月3日、突如米軍機動部隊が当村に上陸し、空中射撃や艦砲射撃により、40余名の村民の犠牲者と全て焼土に化し米軍占領統治となり、米軍使役労務に強制従事させられる。
同年11月22日米軍が、伊平屋から引き揚げたことで村民収容解除され、田名より各集落へ復帰し戦後の混乱期の生活が始ました。
戦後の伊平屋
昭和21年、沖縄諮詢会の時代米軍の施政権下にあって地方行政の改正と変遷を経て自治の進歩と諸産業も斬次進展し、生活も進歩していきましたが、まだまだ幾多の困難な問題があり、占領施政権から脱却して本土復帰の運動が高まり、昭和47年5月15日念願の本土復帰になり、諸制度が適用されています。
昭和46年1月15日国務大臣山中貞則ご来村、沖縄復帰担当大臣村内ご視察、村の要請を快諾、離島苦解消のため野甫橋架橋建設を決断され村民に公約、実現の糸口となり、昭和47年10月より調査実施、同49年より工事施行、同54年6月19日夢の架橋野甫大橋が開通し野甫島が道路により結ばれ利便となる。
村は復帰後の新しい制度に適用するため、総合計画基本構想を設定(昭和52年12月23日)に基づき農林水産業の基盤整備、道路、建設、環境整備、航路交通の整備、空港設置要請、教育施設等の整備に同52年より着手、同55年、過疎振興計画の策定適用によって、補助事業を積極的に促進し、整備を推進している状況であるが財政が脆弱のため自主財涯に乏しく困難な財政運営を余儀なくされているが地域住民の定住と生活の安定のため生産基盤の確立と諸産業振興を図るため諸事業を選択して推進しています。
伊平屋村、伊是名村が分離、分村して、平成元年7月1日を以て50周年の時代の節目を迎え、幾多の困難と世代変遷を経て早カされた当局先輩諸氏村民の労苦に対し敬意を表し、一層行政の高率と地域住民福祉向上を図るため分村50周年記念事業として鉄筋コンクリート2階建、役場庁舎の建設、21世紀に向けて活力ある「快適で豊かな生産活動が出来る村づくり」を目指して推進しています。
沖縄県島尻郡伊是名村の説明に出てくる下記全キーワード関係地点群と、それら周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
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伊是名村(いぜなそん)は、沖縄県の北部、沖縄本島(本部半島)の北方約35kmに位置する伊是名島とその周辺に位置する無人島で構成される村[1]。
島尻郡に属す。
歴史
琉球国王第二尚氏の始祖・尚円(金丸)の生まれた島として知られ、2015年には尚円生誕600周年祭が行われた。
沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴建物や土器などがみつかっている。
また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。
琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。
この経緯から1896年(明治29年)に県内において郡制度が施行された際、かつての王府領や聖域も多い沖縄本島南部と同じ島尻郡に属され、現在に至る。
2008年(平成20年)度決算における実質公債費比率が自治体財政健全化法における早期健全化基準を超過したため、翌年度より財政健全化団体となっている。
人件費削減と船舶運航事業への繰出削減などにより総額4,600万円を捻出し、2011年(平成23年)度までに実質公債費比率が早期健全化基準を下回ることを目標としている。
2015年、新しいフェリーが就航した。
2021年(令和3年)10月から11月にかけて、福徳岡の場の噴火で生じた軽石が沿岸部に漂着。
フェリーが接岸できなくなり、ガソリンなどの生活物資が不足する影響が出た[3]。
医療
施設名の後にある括弧書きは字名である。
沖縄県立北部病院附属 伊是名診療所(仲田)
時間外診療および医師不在時は伊是名村役場に連絡することとしている。
民間救急ヘリコプター(ドクターヘリ)「MESHサポート」
村内の4箇所(内花、仲田、諸味)がランデブーポイントに指定されている[7]。
【港湾】
仲田港
内花港
飛行場
伊是名場外離着陸場
MESHサポートのランデブーポイントに指定されている。
伊是名場外離着陸場と沖縄本島など他の島を結ぶ定期航空路線は現存しない。
【名所・旧跡】(いずれも危険度最高レベル!!!!)
(写真は、伊是名玉陵、サトウキビ畑ごしに見た伊是名城、みほそ所=尚円王生誕の地)
二見ヶ浦海岸
伊是名玉陵
伊是名城跡
尚円王生誕地
尚円王御庭公園
銘苅家住宅
伊是名村ふれあい民俗館
※※※※※※※※
下記は引き続き、最も危険なエリアです!!!!地下世界を徹底的に焼いて焼いて焼き滅ぼし、トドメも念入りに刺しまくって、さとっぴ軍が地下世界の全てを完全制覇征服占領支配せよ!!!!!!
斎場御嶽
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斎場御嶽(せーふぁーうたき[1]/サイハノうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡。
15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。
「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。
正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という。
御嶽 (沖縄)(うたき)
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御嶽(うたき)は、琉球神道における祭祀などを行う場所である。
「腰当森(くさてぃむい)」、「拝み山」などともいう。
概要
琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球神道における聖域の総称で、それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。
「うたき」という呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々のものであるが、16世紀まで琉球に属していなかった宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」(石垣島、竹富島、西表島)・「うがん」(新城島、西表島)・「わん」(黒島、小浜島、新城島)・「わー」(波照間島)等と呼ばれる(近年では「うたき」と呼ばれることもある)。
信仰上の位置
御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。
地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。
琉球神道では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。
現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。
形態
御嶽(国営沖縄記念公園)
御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。
御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。
宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。
大きな御嶽では、「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる前庭や建物といった空間が設けられていることがある。
これは信仰上、御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である。
語源は「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」と考えられている。
御嶽やグスクにある鳥居
御嶽やグスクの入口に鳥居が設置されているものが、現代も沖縄県内に多く残っている。
近世琉球までの御嶽にはそもそも無かったものと考えられている(ただし、察度王の代に神仏習合の形で倭国神道の神々を勧請した波上宮などは当初から鳥居を供える)。
これは、明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道の施設となった結果であると説明され、県社建立や「一村一社」構想により、県内各地の御嶽やグスクが神社として再編されていった[1][2] 。
例えば今帰仁城跡は1930年(昭和5年)に鳥居が設置されたが、2000年(平成12年)11月30日に登録された世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する施設となって以降、景観保護上の観点で2003年(平成15年)に撤去された。
しかし、本島北部の名護城や、伊平屋島の田名神社、伊江島の阿良御嶽など、倭国領以降に設置された鳥居が未だに残っているものもある。
また、先島諸島(宮古・八重山)では、特に撤去しようとする動きもなく、そのままになっているのがほとんどと言われる。
倭国本土で現存する最古の鳥居は、平安時代のものであり歴史は古いが、鳥居が必ずしも本土神道式の神社を象徴するものとは限らない。
そもそも奄美・琉球(沖縄)における神社は、世持神社のように1936年(昭和11年)ながらも沖縄県有志総出で琉球偉人を祀る神社(郷社)建立に走った例もある。
徳之島における「神社」のように、鳥居が立っていて「神社」と呼ばれていても必ずしも本土のような手水舎、神殿や拝殿がある訳でもなく、ただ沖縄の御嶽のように小屋や祠、はたまた石だけが置かれているものも多く、奄美古来のグスク(あるいはモリ、ハラ)、古の風葬墓跡や拝所などが判然とせず、聖地と見なされている状況である[3]。
起源
斎場御嶽の大庫理(ウフグーイ)
御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。
その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。
これは、祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。
また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。
また、首里城、玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。
現代における実情
現代も琉球の信仰は地域に根付いており、御嶽はその信仰の中心となる場所として、地域に手厚く保護されているものも多いが、放棄され、存在自体不明のものもある。
著名な斎場御嶽や園比屋武御嶽のように観光資源化している御嶽もあるが、それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって維持されている。
御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、東御廻りや今帰仁上りなどの巡礼地として崇められているものもある。
また、米軍による土地接収や、発掘調査や開発にともない立入が禁止または制限されたほか、破壊された御嶽もある。
一例として、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、かつては現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、同城の再建などの整備にともない立入の制限または有料観覧区域となったり、埋め立てられるなどした地域がある。
【主な御嶽】
以下に、信仰上重要かつ著名な御嶽を列挙する。
なお、琉球王国時代の古い集落についてはおおむね集落ごとに1箇所以上の御嶽があると考えてよいが、当時から現在にわたって存在する集落の場合は御嶽もまた残っていると考えられることから、以下はごく一部の例示である。
【琉球開闢九御嶽】
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせた。
アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地[4]7つの森[5]を作ったとされる。
現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢九御嶽として語り継がれ、琉球神道においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられている。
このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽である。
聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれた。
現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていない。
また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるという。
以下、アマミキヨが作ったとされる順番に列記する。
安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
知念森 : 南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
首里森御嶽(しゅいむいうたき):首里城十嶽の一つ
真玉森御嶽(まだむいうたき):首里城十嶽の一つ
このうち、首里真玉森御嶽は沖縄戦と首里城改築工事による整備で失われており、県によって敷地内への侵入は禁止されている。
【東御廻りの御嶽】
園比屋武御嶽、石門の後方
現在も行われている聖地巡礼である東御廻り(あがりうまーい)は、太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものである。
起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まった。
現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われている。
巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的である。
園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
御殿山(うどぅんやま):与那原町
場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
ヤハラヅカサ:南城市玉城
潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城
【今帰仁上りの御嶽】
現在も門中を中心に、今帰仁一帯の聖地を巡礼するものが今帰仁上り(なきじんぬぶい)である。
起源は定かではないが、琉球王国王統発祥の地である伊是名島、伊平屋島を擁する旧北山国領と、その首府があった今帰仁には、士族のルーツも多くあることが理由ではないかと考えられる。
巡る御嶽や経路は門中によって多少異なる。
主な御嶽は以下の通りである。
カラウカー:今帰仁グスク内
火の神の祠:今帰仁グスク内
テンチギの御嶽(カナヒヤブ。開闢2番目に作られた御嶽):今帰仁グスク内
ソイツギの御嶽:今帰仁グスク内
クボウ御嶽:今帰仁グスク内
阿応理屋恵祝女殿内(あおりやへのろどぅんち):今帰仁村
今帰仁祝女殿内(なきじんのろどぅんち):今帰仁村
供のカネー祝女火の神(とぅむなはーにーのろひぬかん):今帰仁村
今泊の親川(えーがー):今帰仁村
中城(仲尾次)祝女殿内(なかぐすくのろどぅんち):今帰仁村
今泊の津屋口墓(ちぇーぐちばか):今帰仁村
諸志の赤御墓(あかうばか):今帰仁村
池城墓(いちぐすくばか):今帰仁村
大北墓(うーにしばか:または按司御墓/あじうはか):今帰仁村
百按司墓(むむじゃなばか):今帰仁村
ティラガマ:今帰仁村
勢理客祝女殿内(じっちゃくのろどぅんち):今帰仁村
【先島諸島の御嶽】
先島諸島には王国の支配を受ける以前からの聖地が多くあるほか、八重山列島では司の墓が御嶽となっている例が多く見られる。
八重山列島では御嶽のことを「おん」、「わん」と呼ぶ。以下に主なものを列挙する。
【宮古諸島】
漲水御嶽(ぴゃるみずうたき、はりみずうたき)
宮古島(宮古島市)。宮古島を作った神・古意角(こいつの)と姑依玉(こいたま)の二神を中心として、水を司る「竜宮神」、宮古島を守護する「子方母天太」等の神々が祭られており、島内最高の霊場として島の人々の信仰を集め、その周りをめぐる石垣は、1500年のオヤケ赤蜂の乱の戦勝記念として仲宗根豊見親が奉納したと伝えられている。
島尻元島(しまじりもとしま)
宮古島(宮古島市平良字島尻)。奇祭「パーントゥ・プナハ」の中心となる一帯にある。
大主御嶽(ウパルズ御嶽、ナナムイ)
池間島(宮古島市)。大主神社(標準語風の名称)ともいう。宮古島に住んでいる人々の運命を司る神「うらせりくためなうの眞主(まぬす)」を祭る御嶽。池間島から移民した人々が伊良部島、字西原にも新しく同名の御嶽を建立した。現在でも池間島にルーツがある人々から信仰を集め、この御嶽を中心として、多くの神事が行われている。
大神御嶽(おおがみうたき)
大神島(宮古島市)。秘祭「祖神祭(うやがん)」の中心となる御嶽。
【八重山列島】
真乙姥御嶽(まいつばおん)
石垣島(石垣市)。王府のオヤケアカハチ軍征討に縁のある祝女を祭った御嶽。
美崎御嶽(みしゃぎおん)
石垣島(石垣市)。沖縄県の有形文化財・史跡に指定されている。
群星御嶽(んにぶしおん/んにぶしうたき)
石垣島(石垣市)。奇祭「マユンガナシ」の中心になる御嶽。
西塘御嶽(にしとうおん)
竹富島(竹富町)。西塘を祀る御嶽。沖縄県の史跡に指定されている。
国仲御嶽(ふいなーおん/くになかうたき)
竹富島(竹富町)。園比屋武御嶽から勧請された八重山で唯一の王府縁の御嶽。
三離御嶽(ふなふら/みちゃーりおん/さんりうたき)
西表島(竹富町古見(クン))。請原御嶽とともに、秘祭アカマタ・クロマタ・シロマタ祭の中心になる御嶽。
十山御嶽(とぅやまうがん)
与那国島(与那国町祖納)。
【奄美群島】
奄美群島にもノロ制度はあるが御嶽と呼ばれる拝所は存在していない。
ただし「アマンデー」(奄美嶽、海見嶽)と呼ばれる、斎場御嶽と似たものが存在する。
また「拝み山」と呼ばれる山や、「立神」と呼ばれる類するものもある。
厳島神社や高千穂神社という名称でありながら実際には御嶽と思われる拝所が多く存在する。
薩摩藩の統治時代に神社に移行したものと考えられる。
京都府福知山市の全体と、周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺にそびえる大江山(=千丈ヶ嶽)の山頂(標高832メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
https://t.co/BPo0QlCMAK
大江山ニッケル鉱山とがあったらしいので、大江山と鳩ヶ峰と鍋塚山と鬼の岩屋と「大江山航空管制塔」までの5連山の全体の地下深くと、周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町北原303−1にある鬼嶽稲荷神社と、鬼の洞窟の中全部と北原遺跡と、「鬼嶽不動尊」と「不動の滝」と、酒呑童子供養碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町佛性寺にある鳩ヶ峰の山頂(標高746メートル)と、鍋塚の山頂(標高762.7メートル)と、これら周辺一帯広めで。
京都府福知山市大江町仏性寺909にある倭国の鬼の交流博物館(河守鉱山の施設群の跡地)と、周辺にある源頼光一行山伏像、大江山グリーンロッジと公衆トイレ、平成の大鬼瓦、酒呑童子の里・体育館、テニスコートと、その西南方向そばにある大江山 酒呑童子の里と、河守鉱山坑口跡と、更に西にある千丈ヶ滝、「大聖不動明王」と「明王の滝」「千丈ヶ原 子安地蔵」と、これら周辺一帯。
京都府福知山市大江町佛性寺951にある鬼のモニュメントと、西隣にある大江山グリーンロッジグラウンドと、これら周辺一帯。
京都府福知山市上佐々木にそびえる三岳山の山頂(危険度最高レベル!!)と、南へ約300メートルに位置する三嶽神社と、三岳山の祠と、その西方向へ約60メートルに位置する行者神社と、其処から南に連続して連なる十七地蔵の全地点と、その末の麓にある金光寺と祠と桜と紅葉と山門と、これら周辺一帯。
京都府福知山市上紺屋30にある厳の郷(出口なお生家)と、周辺一帯広めで。
京都府与謝郡伊根町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町の全体と、周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町与謝にそびえる赤石ヶ岳の山頂(標高736メートル)と、周辺一帯の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
京都府与謝郡与謝野町滝にある中華人病没者供羪塔と、北隣に在る梅崎稲荷神社と鳴滝不動明王と、これら周辺一帯。
京都府与謝郡与謝野町滝941にある加悦鉄道 倭国冶金工業大江山鉱山 鉱石積込場跡と、旧大江山ニッケル鉱山製錬所煙突と、滝グラウンドゴルフ場、トロッコ広場と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町滝にある権現宮と、東隣に在る与謝野鉄幹歌碑と、高浜虚子句碑と、更に東へ約150メートルに位置する与謝野町立江山文庫 (短歌と俳句の資料館)と与謝野晶子歌碑と、これら周辺一帯広めで。
京都府与謝郡与謝野町金屋1603にある比丘尼城本丸跡と、南隣に在る金屋比丘尼城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府宮津市の全域と、周辺一帯。
京都府宮津市小田にある大江山航空管制塔(標高740メートル)とハンググライダー広場と、西へ約250メートルに位置する鬼の岩屋(標高686メートル)と、これら周辺一帯。
京都府京丹後市の全体と、周辺一帯。
兵庫県養父市大屋町横行にそびえる氷ノ山の山頂(標高1509メートル)と、周辺一帯広めで。
大本教(おおもと おほもと)
https://t.co/zAIVODi1J3
本部梅松苑:京都府綾部市本宮町1-1
天恩郷:京都府亀岡市荒塚町内丸1番地
東光苑:東京都台東区池之端2-1-44
霊場
沓島(めしま)・冠島(おしま)[4][5][6]
→
京都府舞鶴市の全体と、周辺一帯広めで。
京都府舞鶴市野原にある冠島(おしま)と沓島(おしま)の島全体と、周辺海底一帯広めで(危険度最高レベル!!!)。
https://t.co/Gd6HFMIkAk
京都府綾部市の全体と、周辺一帯。
京都府綾部市若竹町8−1にある綾部市役所と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市本宮町16−1にある本宮山の山頂と、北隣に在る旧岡花家住宅(木の花庵)(大本教本部)と、金竜海という庭園と「大八洲の岩戸の中(危険度最高レベル!!!)」と、金水明(危険度最高レベル!!!)と、大本本部梅松苑と、みろく殿(祖霊社・万霊社)、緑寿館(大本教教主公館)、長生殿(本殿)などの宗教関係地点群と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町笹谷にそびえる四尾山の山頂(標高287.1メートル)と、西北方向へ約330メートルに位置する配水場と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町田野山1−15にある綾部市斎場と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市田野町才ケ首にある天王平奥津城(出口なお、出口王仁三郎墓)(危険度最高レベル!!!)と、彩霞苑という墓地と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市野田町井根山にある井根山秋葉神社と、野田城跡と、これら周辺一帯広めで。
京都府綾部市西原町平井にある釈丈ヶ嶽城跡(標高270メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市鷹栖町にそびえる猪才山城跡(標高264メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市上野町藤山にある杵ノ宮・九鬼霊神社と、周辺一帯広めで。
京都府綾部市於与岐町宮谷にそびえる弥仙山(みせんざん)の山頂(標高664メートル)と金峰神社(弥仙山奥宮)と、西北方向へ約120メートルに位置する大岩磐座と、更に西へ約100メートルに位置する於成神社(弥仙山中の宮)、於成寺古跡、修練の滝の不動明王と、これら周辺一帯広めで(いずれも危険度最高レベル!!!)。
京都府亀岡市の全体と、周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯向山97にある源義経の腰掛岩と、周辺一帯。
京都府亀岡市荒塚町内丸1にある天恩郷と、北隣に在る無名の池と南郷公園と、西隣にある亀山城趾と大本本部と宣霊社と、南隣に在る大本みろく会館と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市荒塚町内丸1番地にあるIRUHA(イルーハ)事務所と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太の全域と、周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46にある穴太寺と、周辺の多宝塔などの聖地群史跡群水辺群と、西隣にある佐川印刷 亀岡グラウンドと、これら周辺一帯。
京都府亀岡市曽我部町穴太口山にある穴太城跡(標高167メートル)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市曽我部町穴太柳原7−1にある蘇州園悠久亭平和・友好の鐘と、公衆トイレと、亀岡運動公園の全体と、これら周辺一帯広めで。
京都府亀岡市にある高熊山ご座所と、北へ約150メートルに位置する丁塚山の山頂(標高357メートル)と、これら周辺一帯。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷にある高岳城跡と、周辺一帯。
京都府亀岡市本梅町平松車谷にそびえる朝日山の山頂(標高460メートル超)と、周辺一帯広めで。
京都府亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ内院ノ芝にある大正池の池底と、西隣にある神蔵寺と、これら周辺一帯広めで。
大阪府豊能郡能勢町吉野にある関西電力送配電能勢変電所(今すぐ強制停止シャットダウンさせろ!!!!その地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!トドメも念入りにヤレ!!!)
東京都台東区の全体。
東京都台東区池之端2丁目1−44にある大本東京本部と、東方向すぐにある不忍池の全体と、不忍池ボート場、不忍池辨天堂、上野東照宮、五條天神社・花園稲荷神社と、これら周辺一帯広めで。
東京都文京区の全体。
兵庫県姫路市家島町真浦にある上島灯台と、高台の平地にあるらしい斎場と神祠と、上島の全体と、海岸にあるらしい「岩の洞穴」と、周辺海底一帯広めで。
https://t.co/Gd6HFMIkAk
神島(かみしま)は兵庫県高砂市の西南海上、約10キロに位置する無人の小島で、綾の聖地から西南(坤・ひつじさる)の方角に位置します。
大正5年6月25日(旧5月25日)、出口王仁三郎聖師と出口直日三代教主をはじめ一行60人は、3隻の船に分乗し神島に上陸。聖師を先頭に生い茂る矢竹を切り開いて進み、高台の平地を斎場にしました。
聖師は竹で弓矢を作り、東北(艮・うしとら)と西南(坤)の空に向かい弓を射る型をして四方を祓い、神祠(ほこら)に坤の金神を鎮祭し、その神祠を捧持して帰途に就きました。
28日、綾部の龍宮館に神霊を奉迎。その意義は艮の金神と坤の金神のご対面にあると解されています。 November 11, 2025
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『#平安医学少女異聞 第二巻』
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許されざる敵との恋。蔓延る病。そのすべてに【医術師】ヒナは立ち向かう!
源義経の身代わりを演じるという、源氏の人々の「お願い」を聞いてしまった女子高生のヒナは、平安京にばっこする「しはぶき」という病の正体を突き止める。その裏には渦巻く数多の陰謀があった。そして、敵将・平維盛への恋を自覚したヒナが選んだ道とは?
作品情報✅
https://t.co/VYpuymsIwl November 11, 2025
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経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
北野神社 神紋石9栃木県日光市 北野神社石祠の背後にあり、天満宮の神紋を刻印した岩石。BCA岩石表面に印・痕・模様が残る
手掛石9栃木県日光市 北野神社付近石を欠かすか手を掛けると学問上達の利益がある。BBD岩石に損傷を加える行為北野神社参拝後、この石の一部を欠いて持ち帰ると学問上達。現在は、石に手を掛けると学問上達。
仏岩9栃木県日光市 開山堂背後仏の形状をしていた岩の突起があったが、現在は地震により崩落。勝道上人がここで荼毘に付されて仏岩の上部に葬られた。後世、墓は開山堂に移される。A岩石が改変されている仏に見立てた岩壁で聖者を葬る。
栃木県BAC聖者が亡くなった場所
陰石9栃木県日光市 観音堂脇
陽石9栃木県日光市 観音堂脇
四本竜寺紫雲石9栃木県日光市 本宮神社勝道上人がこの岩石から立ち上る紫雲を見て、玄武・青龍・朱雀・百虎の霊地と悟り寺院を建立した。BABA岩石から煙・光・火・気などが出る
栃木県C最初の一回だけ磐座機能
笈掛石9栃木県日光市 本宮神社勝道上人が笈をおろしてかけた岩石。C
男体山山頂遺跡9栃木県日光市 男体山山頂近くの岩の隙間から多量の仏教系祭祀遺物が出土。
囀石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町石から声がし、人々を危険から救ったり窮地を脱したりしてくれた岩石。しかし後にこれを怪石と見た人が切りつけてから、一切声がしなくなったという岩石。現在は岩石上に石祠や石灯篭が付設されている。EB岩石から音声が聞こえる
群馬県EA七石
群馬県BABC
産石(うぶいし)(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町赤ん坊に授乳していた母親が、転落してきたこの巨石の下敷きになり亡くなってしまい、以来、赤ん坊の泣き声や女性の声がして怖がられた。後に村の者が供養をしたところ不審な声はしなくなった。EA岩石から音声が聞こえる
EC岩石が動く
七石
割り石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
立石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
亀石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
箕石(みいし)(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
七尋石(吾妻七つ石)10群馬県吾妻郡中之条町七石
産護石/さんごしゃま/産護石大明神10群馬県沼田市新町安産の石神。安倍貞任の奥方がここまで来た時に産気付き、産護石の下で休んだところ無事に安産したという。A産護石に安産を祈願した後、ローソクに火を灯すと、そのローソクがなくなるまでに必ず安産できるという。産後はお礼に赤飯と赤い旗を奉納する。
産護石 石祠10群馬県沼田市新町貞享3年(1686年)と文政11年(1828年)の2基の石祠。産護石への奉献物。BBC神の手前に小祠を献上する。
櫃石10群馬県前橋市三夜沢町豊城入彦命が東国平定の際、天神地祇を奉祭したという岩石。赤城山中腹にて、赤城山祭祀を行なう磐座。BA勾玉などには穿孔があったため、吊るして祭祀を行なっていた可能性。
硯石10群馬県前橋市鼻毛石町"源義家がこの岩石の窪みに溜まった水を硯にとり、
従軍を希望する村人達の名簿を記したという。"EC
鼻石/鼻毛石10群馬県前橋市鼻毛石町石の表面にある窪みをかき回すと雨が降る雨乞いの神。BBD岩石表面に印・痕・模様が残る岩石表面の窪みをかき回すと雨が降る。
七ツ石10群馬県前橋市粕川町深津 七ツ石雷電神社巨岩の上に石祠を乗せて七ツ石雷電神社とする。BABC
産泰神社 影形石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社岩石の名称から「影向石」と目されるが詳細不明。
舟石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
硯石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
磁石石10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の一部。
胎内くぐり10群馬県前橋市下大屋町 産泰神社石山の隙間でかつて胎内くぐりができたが今は立入禁止。BBD胎内くぐり
西大室丸山遺跡10群馬県前橋市西大室町丸山赤城山を遠望できる微高地上の岩盤で1万点以上の遺物が出土。遺物の出土分布や岩盤上の祭祀であることから、「座」的な磐座、供物台石、司祭者の座石と推測される。祭祀遺跡に後出して近くに古墳が築造される。発掘調査後埋め戻しにより現地に今は何もない。BAB今は存在しない岩石岩盤上面に祭祀具と目される遺物群を置き、赤城山を仰ぐ。
群馬県BCC古墳が近接
群馬県BCD
石採り山10群馬県前橋市西大室町大室古墳群の石室石材を採取した場所。陥没地形が残る。DA山を掘って古墳石室石材を採取する。
飛石10群馬県前橋市 岩神稲荷神社石工がノミで割ろうとしたら血が噴き出て、石工を祟りで死なせた岩神。A祟り伝承
群馬県岩石から血が出る
南田ノ口遺跡10群馬県前橋市上細井町南田ノ口石製模造品・丹塗土師器片などが出土。地表下約0.5m地点に大石が確認されている。今は存在しない岩石
石山観音10群馬県伊勢崎市下触堂裏に集積する石山。石山の上には出羽三山の石碑や木祠が置かれ、傍には石仏や無数の庚申碑が奉献されている。BABC
群馬県BBC
牛石10群馬県伊勢崎市五目牛町源義経が連れていた牛が洪水によって水死してしまい、それが石化したもの。EC生き物が石化したもの
姥石10群馬県伊勢崎市境米岡甘酒を振舞っていた姥が馬に蹴られて亡くなり石化したもの。蹴られた痕が窪みとして残る。子供の風邪や咳を治す霊石として信仰される。古墳時代の祭祀遺物が出土した北米岡遺跡にあるが、古墳時代の祭祀遺物と姥石の相関性は不明。A生き物が石化したもの子供が風邪・咳をひいたら平癒を祈願。治った暁には、竹筒に甘酒を入れて供える。甘酒ばあさんと呼ばれる。
群馬県岩石表面に印・痕・模様が残る
鞍掛岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
犬神石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山上面に溜まった水が眼病に効く霊石。現在、別の石碑が上に立てられている。BBD眼病に効く岩石に溜まった水を目に付ける。
群馬県岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
群馬県岩石が改変されている
行者渓10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山役行者が修行をした場所。BCE登攀修行。
群馬県C
獅子岩/シシ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
朝日岳/雷天岳10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩山頂上が岩山
夕日岳/風天岳10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩山頂上が岩山
宝珠窟10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山岩窟岩穴・窟
大黒岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
瓶子岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山瓶子のような形状の岩で、滝が作られている。
鉾岩/ヌボコ岩/ローソク岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山双龍門の横に立つ立岩。
弥陀窟/行者窟10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山阿弥陀仏をまつったという岩肌の3つの窪み。行者が籠った窟ともいう。BAC岩穴・窟
群馬県BCA禁足地
群馬県BCE
御姿岩/おはぜ岩/御神体岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山本殿背後にそそり立つ岩。頭部と胴体のような形状。おはぜは男陰の意。下部に不可視の窟である御内陣を有する。神職のみ参加する御岳祭の時、御姿岩のくびれ部分に梵天を指す。BAA禁忌が厳しい"4月30日の御岳祭で、梵天(御幣)を岩のくびれに取り付ける。神が岩に憑依する構図。
御内陣の内部には土器が8点置かれているという。"
群馬県BABB
群馬県BAC岩穴・窟
群馬県BCA
カンノンノタケ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
山王ガタケ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ウバフトコロ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
九折岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
硯岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
サバ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
フジイワ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
袖フリ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ゾキ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ダルマ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
スベリイシ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
カウシ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ノゾキ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ポンポン岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ナナヒロ石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ヲツタテ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ミミズ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
金剛界10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
胎蔵界10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ヒジリ岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ゴシン石10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
タイシノイワヤ10群馬県群馬郡榛名町榛名山字巌山
ご神体岩10群馬県群馬郡榛名町榛名山 天神峠天神峠の手前にそびえる岩石。江戸中期の地図に記載があり、子孫繁栄・地域安泰の信仰があったという。戦後一時期草木に埋もれていたが、近年周辺が伐採され再びその姿が現れた。一度忘れかけられた岩石に対し、周辺の手入れをして再び大切にする。
三ッ寺Ⅰ遺跡 敷石遺構10群馬県高崎市三ツ寺町居館内に流水溝が通り、そこに敷石遺構が2ヶ所検出。敷石遺構内から土器・滑石製品が集中して出土。BCA今は存在しない岩石溝に水を流し、敷石空間に各種遺物を配置。
正観寺遺跡10群馬県高崎市正観寺町-小八木町調査区の最高所で、2×1m程の不定形(上面はやや平ら)の岩石が据えられ、その裾部から土師器・須恵器・石製模造品のセットが出土。今は存在しない岩石
神籠石10群馬県桐生市広沢町賀茂入祭祀の時に神が降臨する岩石。持ってきた榊に、ここで神を移した。神籠石の上部を「棚」と呼び、そこには小さな水溜りがでており、旱魃の時にこの水を汲んで雨乞いをすれば必ず雨が降るという。BAB岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する祭典の前日、神籠石で降神の祭祀を行ない、榊に神を移して神輿に入れた。戦前までは神籠石の周囲四方に竹を立てて注連縄を張り、春と秋の2回、赤飯・塩・水(酒)を供えていたという。
群馬県岩石に溜まった水が枯れない
「磐境」10群馬県桐生市広沢町賀茂入神籠石の斜面上方にある岩石。神籠石を背後から屏風のごとく囲むため、「桐生市史」に「磐境のようである」とかかれるが実際に磐境という認識だったかは不明。
休め石10群馬県桐生市広沢町 賀茂神社神籠石で迎えた神を乗せた神輿がここで休憩する。また、源義家が腰をかけて休んだという岩石。原位置の愛宕山東裾から移動し現在は賀茂神社境内に安置。BABB原位置から移動伝承神籠石の神を降臨させた榊を台待窪まで運び、そこで神輿に乗せかえ、休め石で休憩した後に賀茂神社へ神幸する。
群馬県C休み石・腰掛石
正願寺奇石10群馬県太田市茂木町 正願寺みだりに触れると異変が起こるといわれる渡良瀬石。霊験があることから崇敬の対象にもなっている。A禁忌が厳しい
長石/流石10群馬県太田市長手町 金山山腹斜面に一直線に走る細長い岩盤。小田原北条氏に攻められ金山に籠城した新田氏が、水不足であることを敵に悟られないために、この岩石の上から白米を流しまるで水が流れているように見せたことから流石の名がある。EC
井ノ尻遺跡11埼玉県秩父市中村井ノ尻大小の石を環状に配置し、その周辺から手捏土器・須恵器・鉄鏃が出土。南方に武甲山の景観。
御神降石/生き石11埼玉県秩父市番場町 秩父神社
偲石11埼玉県秩父市中町 今宮神社明治天皇崩御を偲び、氏子が荒川から境内に運んで置いた岩石。BBC亡き天皇を偲ぶため岩石を神社に置く。
行者石11埼玉県秩父市中町 今宮神社役行者がこの上に座り、母を偲び笛を吹いたといわれる岩石。C
若御子神社 奥の院11埼玉県秩父市自然岩盤の上に奥の院が建つ。BABC
鏡岩11埼玉県児玉郡神川町 金鑽神社神社裏山にある天然記念物。昔は地元の人々が藁で鏡面を磨いて光沢面を維持していたという。EC岩石が改変されている戦前までは藁などで鏡面を磨いていたという。
埼玉県鏡面を持つ岩石
石神社 石棒11埼玉県児玉郡上里町神保原町近郷の平和を祈るため、神社を建て神として寄進されたという縄文時代の石棒。BBC可動的性質集落間の争いをなくし連帯を深めるため石棒を寄進し神としてまつる。
埼玉県A遺物・遺構の再利用
埼玉県秘匿されている岩石
胎内くぐり11埼玉県児玉郡寄居町風布 姥宮神社これをくぐると病にかからないという。BBD胎内くぐり胎内くぐりで病がかからない。
姥石11埼玉県児玉郡寄居町風布 姥宮神社
こぶ石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣字栃久保こぶ石を中心にして古墳時代の祭祀遺物が出土したこぶヶ谷戸遺跡。二つの川の合流点近くに人工的に置かれたと推測されている。七石岩石の近くに鉄器や玉類を配置。周縁に行くほど土器の型式が新しくなる。
鏡石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
福石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
爺石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
姥石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
唸石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
櫃石(猪俣の七石)11埼玉県児玉郡美里町猪俣七石
岩上神社 露岩群11埼玉県本庄市児玉町太駄社殿裏の山端に露出する岩盤群。神聖視の有無は不明。
八幡山古墳 横穴式石室11埼玉県行田市藤原石室内に八幡社の祠を安置。八幡社の境内を形成する。BCA岩穴・窟
埼玉県遺物・遺構の再利用
男鹿岩(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町大附 弓立山雷電山女鹿岩に棲む女蛇に恋していた大蛇がいたとされる場所。EC七石
女鹿岩11埼玉県比企郡ときがわ町日影 雷電山弓立山男鹿岩に棲む男蛇に恋していた大蛇がいたとされる場所。EC
信濃石/牛岩(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町平 慈光山慈光寺七石
冠石(慈光七石)11埼玉県比企郡ときがわ町平 霊山院裏山修験者が回峰の後、ここでホラ貝を鳴らし頭の冠を外したという岩石。BCE登攀修行の最後に、冠石でホラ貝を吹き、自らの冠を外す。
埼玉県七石
玉鉾山(ポンポン山)岩石群11埼玉県比企郡吉見町田甲延喜式内社の裏山山頂にある岩群。伝承・神聖視の有無など確認とれず。
岩殿観音11埼玉県東松山岩殿 物見山石仏のおわす仏殿として機能する岩肌。BAC岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩肌をくりぬき、そこを仏殿とする。
大戸のお聖様11埼玉県さいたま市中央区大戸一丁目江戸時代末製作の石棒。生殖信仰の神。A可動的性質自分達で人工的に作った石棒を神として信仰する。
亀石11埼玉県川越市砂久保 砂久保稲荷神社亀の形に似た岩石。EC
弁天岩11埼玉県飯能市白子字平山川中の岩上に祠。筏師の信仰が厚かったといわれる。BABC
久須美白鬚神社 岩石群11埼玉県飯能市久須美字宮前境内に群集し、手前に祠あり。岩自体が神聖視されているかは不明。
諏訪神社 奥の院11埼玉県飯能市南川字諏訪ノ上内部禁足とされている岩穴。BAC禁足地
埼玉県BCA岩穴・窟
無量寺裏山 岩石11埼玉県飯能市小岩井勝軍地蔵(愛宕様)の背後に控える岩石。岩石自体への特別視の有無は不明。
弘法大師腰掛け子授け石11埼玉県飯能市双柳 秀常寺この石の上に腰掛けた女性は身籠るという。弘法大師が不妊の女性にこの石を与えたという伝説が残る。BBD聖者が与えた霊石この石の上に腰掛けると身籠る。
埼玉県
富士浅間神社 岩石11埼玉県飯能市上直竹下分字嫗ヶ嶽強欲なおばあさんが石化したという岩石。あるいは、女人禁制の浅間山(富士山)に入った比丘尼が石化したという岩石。BCA生き物が石化したもの
埼玉県
前岩11埼玉県飯能市飯能字前岩前岩と呼ばれている岩石。
割れ岩11埼玉県飯能市久下分字渕ノ上銘石という。
戸立岩11埼玉県飯能市小瀬戸字戸立岩戸を立てたような形状の岩。南に旧浅間社があったといわれる。
岩井堂観音11埼玉県飯能市岩渕字岩井堂岩井堂観音の背後に露出する岩峰。頂上が岩山
岩脇11埼玉県飯能市上畑字岩脇岩の脇から水が湧き出していたという場所。
弁天11埼玉県飯能市上直竹下分字宮ノ脇弁天の彫刻石像。A
石鑿(いしさい・いしざく)11埼玉県飯能市上直竹下分字石鑿下分と上分の境。石の境から転じた地名か。今現在確認がとれていない岩石
石掛11埼玉県飯能市上直竹下分字石掛山中に腰掛状の岩石があれば神の降臨石かとされる地名。今現在確認がとれていない岩石
岩穴11埼玉県飯能市白子字平山谷岩穴地名。由来となる岩穴は未確認。今現在確認がとれていない岩石
天文岩11埼玉県飯能市虎秀字松倉虎秀出身の天文学者 千葉歳胤が勉学に励んだ岩窟。天文霊神をまつる祠が手前に建てられている。C岩穴・窟
幕岩11埼玉県飯能市井上字幕岩幕を張ったかのような岩場。
立岩11埼玉県飯能市井上字立岩昔、大きな岩がここにあったが近年破壊されて今はない。今は存在しない岩石
船石11埼玉県飯能市長沢字船石地名。舟形の石の存在は未確認。今現在確認がとれていない岩石
ナメ岩11埼玉県飯能市長沢字ナメ岩長沢川に大きな石があり、その上を滑るように水が流れていた。今は大部分が埋没。
岩下11埼玉県飯能市長沢字岩下大岩あり、その下に小祠あり。廿三夜の刻字石や供養塔も付近にある。
聖天渕11埼玉県飯能市原市場字金山川の中にある大岩で渕がある。この岩の上に聖天祠が建てられている。BABC
白石11埼玉県飯能市原市場字白石入間川の中に白っぽい石がある。
清水岩11埼玉県飯能市赤沢字清水岩岩の裾から水が湧き出している。
幕岩11埼玉県飯能市赤沢字幕岩幕を張ったかのような断崖。
岩本11埼玉県飯能市赤沢字岩本岩場。入間川の川の流れる方向が変わる場所。
比良岩11埼玉県飯能市赤沢字比良岩地名。「比良=平」と推測されるが、平らな岩の存在は未確認。今現在確認がとれていない岩石
庚申塔11埼玉県飯能市唐竹字日向窪赤ん坊を攫われた親が、供養のために建てた庚申石碑。BBB亡き子の鎮魂供養のために庚申石碑を立てる。
赤岩11埼玉県飯能市中藤上郷字赤岩地名。鉱泉で赤色化した岩石があるかは未確認。今現在確認がとれていない岩石
岩久保11埼玉県飯能市中藤上郷字岩久保大きな岩がある。
ムジナ岩11埼玉県飯能市中藤上郷字岩久保
境石11埼玉県飯能市中藤上郷字境石境界付ける岩石があったと推測されるが未確認。今現在確認がとれていない岩石
岩倉11埼玉県飯能市中藤上郷字岩倉ごつごつとした岩石あり。
天狗岩11埼玉県飯能市中藤上郷字天狗岩松が一帯に生え、岩がある。
鏡岩11埼玉県飯能市南字鏡岩山中に鏡面を持つ岩石があるという。今現在確認がとれていない岩石
埼玉県鏡面を持つ岩石
境石11埼玉県飯能市坂石字坂本高麗川の中にある巨石。坂石と坂石町分の2集落の境界目印となっている岩石。EC境界区分や標識など交通目印関係
岩穴11埼玉県飯能市坂石字岩穴石灰岩の岩穴。ここの土地の持ち主は岩穴の屋号を持つ。
岩下11埼玉県飯能市坂石字岩下民家の集まっているところの背後にある大岩。岩下の屋号がある。
石塚11埼玉県飯能市坂石字石塚大きな岩あり。石塚の地名由来か。
巌殿山観音院 岩殿11埼玉県飯能市坂元字岩殿"内部に観音をまつった鍾乳洞。
鍾乳洞の前には堂が建ち、内部には入れない。"BAC禁足地
埼玉県BCA岩穴・窟
弁天窟11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
おかま穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
厩跡岩窟11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
地獄穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
胎内潜り11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
風穴11埼玉県飯能市坂元字岩殿石灰洞。観音院岩殿と同じ場所。岩穴・窟
静之神社11埼玉県飯能市坂元字小床向小床の鎮守。大岩の上に無理して社が建てられている。BABC
岩花11埼玉県飯能市坂元字岩花鼻のような形状をした岩あり。
石神平11埼玉県飯能市北川字石神平石神らしきものは未発見。平らな地形でもない。今現在確認がとれていない岩石
臼曳岩11埼玉県飯能市北川字舟久保「お天狗様のウス曳岩」といわれる。詳細不明。
馬頭尊石仏11埼玉県飯能市北川字松尾石仏。A
岩井沢観音 岩石11埼玉県飯能市北川字岩井沢観音堂の裏にある庇状の岩。庇下には石仏群が安置。岩自体への神聖視の有無は未確認。
鏡石11埼玉県飯能市北川字石風呂鏡面を持つ岩石。それ以上のことは不明。鏡面を持つ岩石
大蔵山 岩石群11埼玉県飯能市北川字大蔵山大蔵山の尾根道各所に石灰岩の露頭。
長岩11埼玉県飯能市北川字長岩小川の近くに沿って長く続く岩山がある。地名の由来か。
太鼓岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井岩上で飛び跳ねると太鼓音がする岩石。弁天をまつったといわれる岩石。
鏡岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天が化粧に使っていた鏡が石化したもの。C物品が石化したもの
つづら岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天の使っていたつづらが石化したもの。C物品が石化したもの
亀岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井弁天が乗っていた亀が石化したもの。C生き物が石化したもの
おびんずる岩(小岩井の七不思議)11埼玉県飯能市小岩井おびんずる様に見立てられた岩石。
子持ち岩11埼玉県飯能市
世直し石尊12千葉県印西市高西新田 阿夫利神社銚子海岸から拾ってきた2個の青石が数々のご利益をもたらしたので、石尊として神社を建ててまつった。A可動的性質石を拾ったらご利益があったので神としてまつる。
要石12千葉県佐原市 香取神宮鯰の魂を鎮め、地震を起こさせない岩石。BBB岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
夜泣き石12千葉県市川市 里見公園内戦死者の娘が石にもたれながら泣き続けて亡くなり、その後石から夜泣き声がするという石。供養後、声は聞こえなくなった。EA岩石から音声が聞こえる
涙石12千葉県市川市 弘法寺石段石材。切腹した武士の涙で常時湿っている石。BE
千葉県EC
鉈切洞穴遺跡12千葉県館山市浜田 船越鉈切神社古墳時代に埋葬地として用いられた洞穴。神社建立後は、本殿をまつる空間として利用。BAC岩穴・窟洞穴を埋葬地に使用する。
千葉県BCA禁足地
御神石(阿吽の石)12千葉県館山市洲崎 洲崎神社役行者が海上安全のため置いたとも、竜宮から献上されたともいう2つの岩石の内の1つ。もう1つは東国鎮護のため神奈川県横須賀市安房口神社へ飛来したという。BBB可動的性質岩石を置くことで海を鎮める。
千葉県BBC
笠石12千葉県君津市笠部分を動かすと良くないことが起こると伝えられる岩石。村の若者の悪ふざけで笠が一度転落したが、天狗あるいは鬼によって復元されたという。EA祟り伝承
光り石13東京都西多摩郡奥多摩町日原辺りが暗くなると発光したという岩石。昭和に爆破され消失。EB今は存在しない岩石
東京都岩石から煙・光・火・気などが出る
立岩権現13東京都西多摩郡奥多摩町日原天祖山の岩山に宿る神で、秩父の祭りで神幸することもある。A磐座と石神の性格が混在している事例立岩権現が秩父へ神幸する時、人々はオガム所という場所より奥に入ってはいけない。
東京都BAA頂上が岩山
稲村岩13東京都西多摩郡奥多摩町日原
梵天岩(旧・六体岩)13東京都西多摩郡奥多摩町日原梵天の形に似ていることから名づけられた岩。
籠岩13東京都西多摩郡奥多摩町日原
日原鍾乳洞/一石山の御窟/一石山の御岩屋13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞一石山神社の御神体にして行者達の修行霊場。BAC岩穴・窟
東京都BCE
弘法大師学問所13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞弘法大師が修行に励んだと言われる場所。BCE
東京都C
縁結び観音13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞
さいの河原13東京都西多摩郡奥多摩町日原 日原鍾乳洞
岩蔵の大岩13東京都青梅市富岡東征中の倭国武尊が、身の安全を願い自らの鎧などの武具を納めたという岩壁。BAC岩穴・窟岩壁に対して自分の武具を納めて安全祈願する。
赤岩13東京都青梅市沢井年貢が納められず打ち首になった百姓の血がとれない岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
東京都今現在確認がとれていない岩石
二間の岩13東京都青梅市沢井この岩に棲んでいる狼に危害を加えると、後に祟りがあるといわれ忌避された。EA悪者が住んでいた・いる場所
東京都今現在確認がとれていない岩石
東京都祟り伝承
のぞき岩13東京都青梅市沢井横尾子神聖な天狗に会えるかもしれないといわれる場所。そこの目印としての岩石。BCA今現在確認がとれていない岩石天狗を見ただけで長寿効果ありという。
忠右衛門の岩13東京都青梅市沢井悲話を記憶する装置としての岩石。EC今現在確認がとれていない岩石
あごかけ岩13東京都青梅市 日の出山東征中の倭国武尊がここであごをかけて休んだといわれる岩石。C休み石・腰掛石
蛇石13東京都青梅市 吹上峠頂上岩石の間の穴に蛇がよく集まっている岩石。EC
おうむ石13東京都青梅市 御岳山奥の院この岩石に声をかけるとおうむ返しのある岩石。EB音声反響
天狗岩13東京都青梅市 御岳山
こんにゃく石13東京都青梅市駒木町2月8日丑満時にだけこんにゃくのように柔らかくなる岩石。EB柔らかくなる岩石
力石13東京都青梅市二俣尾三丁目 個人宅力比べの岩石。EC力石
東京都可動的性質
畠山重忠の切石13東京都青梅市成木畠山重忠が妖怪を切ったら真っ二つになっていた岩石。畠山重忠が馬つなぎをするために真っ二つに切った岩石。EC偉人が真っ二つに割った岩石
東京都偉人が敵を退治したら石だったという伝承
山ノ神の岩13東京都青梅市成木山の神の石神。A
籠岩(カーゴイワ)13東京都青梅市成木沢の流れを堰止め水を氾濫させていた岩石。畠山重忠が引き上げて元に戻したという。EC
馬場蹟 配石群13東京都青梅市成木 馬乗り馬場土俵のように並べられている配石群。地中に黄金が埋まっているという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
鈴石13東京都大田区大森北 磐井神社転がすと鈴の音がするという岩石。神功皇后が見つけたという岩石。C岩石から音声が聞こえる
東京都可動的性質
烏石(鷹石)13東京都大田区大森北 磐井神社烏のような模様がある岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
夜泣き石13東京都文京区関口 カテドラル教会隠れキリシタンを生き埋めにし、その上に岩石を置いて重し石にしたもの。以後、この岩石から泣き声が聞こえる。岩石を小突くと動くという。EA岩石から音声が聞こえる
東京都岩石が動く
東京都原位置から移動伝承
兜岩/兜石13東京都中央区倭国橋兜町 兜神社俵藤太が平将門を打ち首にした後、将門の兜をここに埋めて供養塚にしたその名残。前九年の役に向かう源義家が、この上に兜をかけ戦勝祈願した岩石。後三年の役から凱旋した源義家が、凱旋記念に兜を埋めて作った塚の名残。BBB自らの兜を岩石の上にかけて戦勝祈願。
東京都BCD
東京都EC
立石/立石様/立石祠/立石稲荷神社13東京都葛飾区立石寒い時には石が欠けていき、暖かくなると元に戻るとされた奇石。好奇心で石を掘った人々に祟りが起こったため、後に霊石としてまつられるようになった岩石。後にお守りとして欠片を削られて小さくなった。元は古墳石室石材だったという説あり。EB岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承祟りがあったからまつる。
東京都A岩石が満ち欠け・増減・出産する
東京都祟り伝承
東京都岩石に損傷を加える行為
東京都岩石が改変されている
東京都遺物・遺構の再利用
瑞光石13東京都荒川区南千住 素盞雄神社神社の祭神が翁の姿をして初めてこの場所に現れた時の降臨石。その後は神社の神跡になった。瑞光石の根は隅田川まで伸びているという。BABA岩石から煙・光・火・気などが出る2人の翁が発光した岩石の上に降臨する。
東京都C最初の一回だけ磐座機能
東京都岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
石尊大権現14神奈川県 伊勢原市 大山阿夫利神社奥の院の中にまつられた石神。倭国武尊が腰をかけて休んだとも、親鸞が仏字を刻んだとも伝えられる。A秘匿されている岩石
神奈川県 C休み石・腰掛石
先島14神奈川県足柄下郡真鶴町岩塊の島。神の島として神聖視される。BCA November 11, 2025
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