『東京カチンカ娘』1950新東宝
服部良一メロディに彩られた音楽劇で後に新東宝の時代劇や怪談物を撮る毛利正樹の監督第一作。後の森繁との共演作に比べ暁テル子が溌剌と可愛く川田晴久の弾き語りも最高。河津清三郎が折原啓子をこまそうとする色悪で若原雅夫に殴り倒される時のエビぞった倒れ方が優雅 https://t.co/5LyS7tErti
河津清三郎 芸能人
河津 清三郎(かわづ せいざぶろう、1908年〈明治41年〉8月30日 - 1983年〈昭和58年〉2月20日)は、倭国の俳優である。本名中島 誠一(なかじま せいいち)、旧芸名河津 精一(かわづ せいいち)、河津 史郎(かわづ しろう)。 阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画で映画デビューし、マキノ・プロダクション移籍後は沢村國太郎に次ぐ若手時代劇スターとなった。その後、新興キネマに入社して男優の看板スターとして多くの作品に主演し、戦後は個性派の脇役として活躍した。主な出演作品に『首の座』『次郎長三国志』シリーズ、『用心棒』など。妻は女優の高津慶子。
「河津清三郎」 (2024/11/1 21:22) Wikipedia倭国語版より
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2024.11.04〜(45週)
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