池田大作 トレンド
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2025.12.03 06:00
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『私はこう思う 選集』が発刊されます!
池田大作先生が1965年から69年にかけて、全国紙や経済誌、女性誌等の要請を受けて寄稿したエッセーなどをまとめた書籍『私はこう思う』が選集として発刊されます(2025年12月18日発刊予定、聖教新聞社刊、1500円〈税込み〉)。
『私はこう思う 選集』のインスタグラムとXのアカウントが稼働中です。 December 12, 2025
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先日、市民グループの皆さんから核兵器禁止条約に関する請願があり、紹介議員として議会運営会議に臨みました。
請願者が読み上げられた請願書は、胸に迫る内容で私自身の核廃絶への決意も新たに燃え上がりました。
結果は、髙橋議員(国民民主党)、楠議員(公明党)、藤田議員(自民保守の会)、吉田議員(維新の会)、が反対し、不採択となりました。
趣旨には賛同するが、国がやることだから地方自治体からこのような請願を出すことはふさわしくないという意見が吉田議員と藤田議員からありましたが、請願は市民が国へ意見を届ける正規ルートであり、同じ趣旨の請願が党派をこえ採択をされている市町村も多くありますので、残念だなと思います。
しかし、他のお二人は質問もなく、また意見も述べず反対の立場を取られました。市民の請願に対し一言もなかったのはなぜなのでしょうか。
創価学会第二代会長の戸田城聖が出した原水爆禁止宣言の思いを受け、第三代会長の池田大作が青年に託した核兵器廃絶へ遺志をどのように考えているのか。
反対の理由をしっかりと述べて頂きたかったと思います。
残念です!!!平和の党の一員として、しっかりと声を上げるべきではないのかと思います。
私はこれからも党利党略ではなく、正しいと思うことは自分の言葉と声で届けてまいります。
#マキカオル #箕面市 #れいわ新選組 #公明党 December 12, 2025
「世界青年学会・飛翔の年」
おはようございます😊
「令和6年能登半島地震」「能登豪雨災害」で
被災された方々の早い復興と生活の安定・再建を祈ります。🙏🙏🙏
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〈わが進む道は師弟の道〉第13回=完
1960年(昭和35年)4月3日~5月3日
生死を超え、久遠の旅路へ
2025年12月3日 聖教新聞より抜粋・引用です
🔹🔸🔹
新しい学会を共につくっていこう
戸田先生の三回忌を終えた翌日の1960年(昭和35年)4月3日、池田先生は日記につづった。
「体重、昨年四月より、二貫目減となった」
2貫は約7・5キロである。恩師の三回忌を目指しての激闘は、池田先生の体を苛んだ。加えて、4日前の3月30日、当時の理事長から「全幹部の意向」として、第3代会長就任の要請があった。
だが、先生は固辞した。まだ32歳と若く、「大阪事件」の裁判が続いていた。
4月5日、先生は香峯子夫人と共に東京・小平市へ向かう。創価学園の建設候補地を視察し、敷地購入を決めた。この日の日記に、自らの苦衷を記した。
「五月三日の総会も、日一日と近づく。皆の期待を念うと胸苦し。余りにも苦し。久遠の闘争――若き広布の将軍は、矢面に立たざるをえぬ運命なのか」
9日に開かれた臨時理事会で、先生を第3代会長に推戴することが決定した。この連絡を受けた時も、先生は丁重に辞退する。
11日の緊急理事会でも、理事一同から会長就任の要請があった。先生は、「重大なことなので、一晩、よく考えさせてください」と返答した。
翌12日、熟慮を重ねた先生は、恩師の七回忌まで待ってほしいとの思いを伝えた。だが、理事たちは納得しなかった。
13日、理事室の代表が先生のもとを訪ねてきた。会長就任の懇請は、実に4時間半にも及んだ。粘り強い懇請に、先生は「もう一晩だけ、考える時間をください」と返答した。
迎えた14日。学会本部の第一応接室で、理事長は先生に訴えた。
「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜け! そうすれば、広宣流布は必ずできる。これが戸田先生の遺言でした」
「会長推戴は、広布を願っての全幹部の要請です。お引き受けください」
先生が「それほどの皆さんのお話なら……」と言いかけた瞬間、理事長は間髪を入れず、「よろしいのですね! ありがとうございます」と念を押した。時計の針は、午前10時10分を指していた。
「創価学会第三代会長決まる」――60年4月19日、学会本部で緊急の全国代表幹部会が開催され、本紙は22日付で、先生の第3代会長の就任が決定したことを大々的に報じた。
「戸田先生亡き後の学会は崩壊するであろうとの世評をよそに、(中略)学会団結の要となっていた池田総務の存在は、内外ともに衆目の等しく一致する中心的存在であった」
「戸田先生に師事し、常随給仕申し上げて薫陶を受け、学会のあらゆる戦いの指揮を執ってこられたことも全会員のよく知るところである。したがって、会長就任はただその機の熟すのを待つばかりであった」
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🔷一歩前進への指揮を
60年5月3日、東京の空は五月晴れだった。前日からの雨は止み、諸天が寿ぐかのように虹が懸かった。
池田先生は戸田先生を偲びながら詠んだ。
五月晴れ
この日この時
久遠より
覚悟の旅路
ついに来れり
この日、東京・墨田区の日大講堂で、第3代会長就任式となる春季総会が盛大に行われた。
正午、開会が宣言される。音楽隊による学会歌の演奏が轟く中、池田先生が入場。池田先生は戸田先生の形見であるモーニングを身にまとっていた。
入場の途中、先生は歩みを止め、前方を見上げた。演壇の真上には戸田先生の遺影が高々と掲げられていた。
遺影の左右の垂れ幕には、恩師の和歌が、墨痕鮮やかに大書されていた。向かって右側には、「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」と、恩師が世界広布への思いを託して詠んだ歌が掲げられた。
就任のあいさつに立った先生は、力強く宣言した。
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
さらに、恩師の七回忌までに、300万世帯の実現を誓った。万雷の拍手が、会場を包んだ。
総会に続いて行われた祝賀会が終わり、先生が退場しようとすると、青年たちの声が上がった。一人一人が、先生の方へ駆け寄っていく。先生は担ぎ上げられ、歓喜の渦の中、先生の体は何度も宙に躍った。
「万歳! 万歳!……」。胴上げの輪の傍らで、歓喜の唱和が広がった。
先生は日記に書きとどめた。
「恩師の喜び、目に浮かぶ。粛然たり」
「生死を超え、今世の一生の法戦始む」
🔹🔹🔹🔸🔸🔸🔹🔹🔹
🔷「世界を回るんだよ」
第3代会長就任式の運営を担ったのは、川崎支部であった。60年2月16日、総会の運営担当に決定すると、川崎支部の友は「広布への布石として担当するのだという精神で、誠実第一で」との先生の言葉を胸に、準備に奔走した。
その後、総会が会長就任式になると、“一つの支部に任せて大丈夫か”と懸念の声が上がった。だが、池田先生は「今まで、一生懸命やってきているのだから」と語り、そのまま川崎支部が運営を担うことになった。
総会の終了後、先生は即座に、「川崎支部の皆さんが担当してくださって、私の会長就任式が行われたことは忘れません」と、伝言を託した。
当日、場内は何十カ所と美しい花で彩られていた。その準備に尽くした友には、後日、「花の如く明るい大衆哉」と感謝の揮毫を贈った。
先生は場外の整理・誘導役員にも心を配り、「今日は早暁から本当に御苦労様でした。新しい学会を諸君と共につくっていこう」と伝言を寄せた。その真心に、役員の友らは生涯、先生との共戦を誓った。
就任式には、全国から2万人の同志が集った。倭国返還前の沖縄からも、59人が船で駆けつけた。先生の師子吼に、ある友は「若き勇将・池田先生が、遠く離れていても私たちの先生であると思う時、本当に信心して良かったと思いました」と述懐している。
海外から参加した同志もいた。アメリカ・シカゴの婦人部員は、「アメリカの地で折伏をやり抜いて、必ずお応えします」と誓う。彼女が先生と再会するのは、同年10月8日、先生の海外初訪問の折である。この出会いを生涯の原点とし、彼女は「良き市民」として、社会貢献の人生を歩み、仏法の生命尊厳の哲学を大きく広げた。
会長就任式の日の夜、関西の同志が、先生宅を訪れた。玄関先で一言、お祝いを伝えるつもりだったが、先生から「どうぞ、上がって」と勧められた。
先生は「きょうは、家ではお赤飯も炊いてくれないのだよ」と語り、香峯子夫人を指して、「“きょうは池田家のお葬式です”と言うんだよ」と。その言葉に、同志は粛然とした。
先生は、その場で戸田先生と写った写真の裏に、「立宗七百八年五月三日 戸田城聖先生 池田大作」と記して贈った。
この日、香峯子夫人は「お赤飯の用意はしておりませんが、あなたに何か、会長就任のお祝いの品を贈りたいと思っております」と。先生は答えた。
「それなら、旅行カバンがいい。一番大きな、丈夫なやつを頼むよ」「世界を回るんだよ。戸田先生に代わって」
60年5月3日を記念して発刊された『戸田城聖先生 巻頭言集』。同書の発刊の辞に、先生は世界広布への誓いをつづった。
「願わくば、戸田門下生として、倭国民族の幸福、東洋否世界の幸福建設をめざして、大勇猛心を奮い起こし、前進せられんことを」
恩師の三回忌を広布拡大の証しをもって迎えた不二の弟子は、栄光の「5・3」から、世界広布の黎明を告げる戦いを開始した。その歩んだ道は、偉大な人間革命の方途を後継に示している。
私たちは今、師から託された、人類の宿命転換を懸けた“勝負の10年”の折り返し地点にいる。池田先生の七回忌の2029年、さらに学会創立100周年の2030年へ――我らは師弟の大道を進み続ける。
🔷ここまでが、抜粋・引用です🎵 🔷 December 12, 2025
世間では、人が亡くなることを「成仏」と言い、亡くなった方を「仏」と言いますが、それは誤りです。死ねば成仏し、仏になるのであれば、生きている時に仏道修行に励む必要はなくなってしまう。
本来、仏法では、私たちの胸中に「仏」という生命が備わっていると教えています。その生命は、いかなる環境にも負けることのない最高の生命力であり、価値を創造する源泉といえます。あるいは、自己の人間完成へと向かう強靭な意志力といってもよい。
それを湧現させていくことが成仏であり、そのために、大聖人は御本尊を御図顕になられた。私たちは、この御本尊を信じ、唱題していく時、死んだあとではなく、現実の社会で価値を創造し、幸福への道を開いていくことができる。それが信心即生活の原理です。
ゆえに「仏」とは、架空の存在では決してありません。妙法を弘め、人びとの幸福のために、一日一日、精進を重ねていく尊い同志こそ、つまり、皆様方こそ、尊極の仏なのであります。
-『新・人間革命(2) 民衆の旗』池田大作
#仏 #成仏 #信心即生活 #創価学会 December 12, 2025
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