武蔵坊弁慶 トレンド
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2025.11.28 05:00
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伊勢講山26京都府宇治市志津川龍ケ壺 神女神社神女神社の背後にそびえる岩壁状の岩山。詳細由来は調査不足につき不明。頂上が岩山
龍ケ壺/竜ケ壺26京都府宇治市志津川龍ケ壺 神女神社喜撰法師が行をしたとされる渓谷。BCE
天降石/岩神さん26京都府宇治市宇治又振 宇治上神社由来不詳。名称から推測して磐座と石神の両方の性格が入っていると思われる。岩塊の上に無数の礫石が積まれている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
神牛石26京都府久世郡久御山町佐山双置 神牛石神社池中から掘り出したといわれる牛の形をした黒石。天下に凶事ある時は必ず汗を流すという。かつて三福寺にあったが明治の神仏分離で神社にまつられた。神牛石は他に上野国・琵琶湖中にあるという。A原位置から移動伝承
京都府BBD岩石から煙・光・火・気などが出る
説法石26京都府向日市日蓮の孫弟子である日像上人が、この岩石の上で人々に教えを広めたという。BCC
京都府C
白石神社26京都府京都市山科区小山社殿に隣接する高さ約4m、幅約9mの岩石。由来不詳だが、境内で最も目立つ自然石のため、神社の前身の祭祀対象だったと考えられる。CA
蛙岩26京都府京都市山科区川の守り役だった蛙が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C November 11, 2025
天狗岩35山口県宇部市吉部 荒滝山8合目付近にある巨岩。裾部に吉部稲荷社の小祠をまつる。
くぐり岩35山口県宇部市吉部 荒滝山巨岩の亀裂で僅かな通路が形成されている構造物。EC
天狗厳/こうご石33山口県宇部市西吉部藤ヶ瀬 コウコ石山小山の頂上に残る大小の岩石の積み重なり。
山の婆と櫃/やまんばのおひつ/じいとばあの箪笥34山口県宇部市西吉部藤ヶ瀬 コウコ石山かつて雨乞いが行われていたといわれる石積み。
若宮様35山口県宇部市吉部 信田丸城跡付近かつて石祠の中に小さな岩石をまつっていたというが、今は石祠しか存在しない。祠を勝手に動かすことは禁忌とされている。BAC禁忌が厳しい
BCA今現在確認がとれていない岩石
殺生石35山口県長門市正明市 飯山八幡宮 八面稲荷那須湯本で討ち取られた九尾の殺生石が飛び散った欠片。ここでも当初災いをもたらしたが、飯山八幡宮の宮司が稲荷としてまつったところ祟りは鎮まったという。EA祟り伝承
山口県A
消災石35山口県周南市鹿野 漢陽寺漢陽寺境内にある岩石。漢陽寺和尚が若い頃修行した中国杭州の径山で火事があった時、この岩石に水をかけたところ岩石からジュージューと蒸気が立ち込め、径山の火災を食い止めたという。C岩石から煙・光・火・気などが出る
神籠石35山口県下関市一の宮 住吉神社神社の旧跡として伝えられる立石。C
弁慶の岩窟古墳36徳島県小松島市芝生町大嶽古墳時代後期(7世紀初)の横穴式石室が露出。弁慶が作った岩窟だといわれている。C岩穴・窟
徳島県遺物・遺構の再利用
城山貝塚36徳島県徳島市城山地山から露出した岩肌の岩陰に、縄文時代後期を中心とする貝殻の層のほか、弥生時代の土器片と人骨3体分が見つかった遺跡。縄文時代の貝塚が弥生時代に墓域空間となった事例。BCA岩穴・窟
八倉比売神社 奥宮/奥の院/神陵36徳島県徳島市国府町 八倉比売神社円墳の頂部に築かれた五角形の石壇。祭神の八倉比売命の墓所とされる。C聖者が亡くなった場所
立岩36徳島県徳島市八多町 立岩神社高さ7mの立岩。基部左右に2つの大玉石が寄り添う。天津麻羅をまつる。A
大玉石36徳島県名西郡神山町神領高根球状の岩石。手前に石祠をまつる。
天禺岩36徳島県名西郡神山町神領高根高さ80mの巨岩。頂部に別の岩石が乗っている。
台石36徳島県名西郡神山町神領高根高さ10mの巨岩。
立岩36徳島県名西郡神山町鬼籠野 立岩神社高さ20mの立岩。中心に縦に亀裂が入る。A
岩の鼻36徳島県吉野川市吉野川に突き出てそびえる岩山。南斜面から弥生時代の銅鐸が出土したという話があるが、明確な記録なく、本当かどうかは不確か。頂上が岩山
交合石神社36徳島県吉野川市山川町祇園 大神宮山2枚の板石を神社としてまつったもの。縁結び・安産・性信仰の神という。A
神籠岩/麻笥岩(おごけ)36徳島県吉野川市山川町岩戸 岩戸神社頂部に天の真名井と呼ばれる甌穴があり、そこに延命水と呼ばれる霊水が絶えず溜まっていて皮膚病に効くという。BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
徳島県岩石に溜まった水が枯れない
建石/皇護石/列石/磐境/結界石36徳島県三好郡東みよし町中庄 八幡神社神社の境内を取り囲むように並べられている現存総数387本の板石の列。建石の根は深く、地中深くになればなるほど建石はますます厚みを増すという。建石をどかそうとすると、決まっておなかが痛くなったり、神社へ侵入しようとする泥棒は、建石まで来ると動けなくなってしまうという。建石付近の地中からはたたら製鉄の遺構が見つかっている。BCA祟り伝承板石を持って神社の境内を区画する。
徳島県岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
石体36徳島県三好郡東みよし町中庄 八幡神社本殿にまつられている岩石の神体。A秘匿されている岩石
山の上の大石36徳島県三好郡東みよし町中庄山の上に大石があり、村人は山に登って大石にお参りしていたが、遠くて体力的にも辛いと感じるようになった。すると、山の上にあった大石が麓の長善寺に降りてきたので、以降、山麓でお参りをするようになった。A原位置から移動伝承
徳島県岩石が動く
徳島県可動的性質
岩神/税神36徳島県三好郡東みよし町西庄岩神御供泉といわれる清水に接して岩があり、岩神という。A岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
磐座36徳島県三好郡東みよし町西庄1m弱の柱状石が3本ほど屹立した状態の岩石群。付近から磨製石斧・石鏃が見つかったという。近代以降の命名
支石墓36徳島県三好郡東みよし町西庄机状・鳥居状の石組がなされた構造物。近代以降の命名
石敢当36徳島県三好郡東みよし町加茂「石敢当」という文字を刻んで邪気や悪霊を防ぐ霊石とした1862年製作の石造物。BBB
ウスキの岩屋36徳島県三好郡東みよし町白内岩穴・窟
巫女の岩屋36徳島県三好郡東みよし町東毛田岩穴・窟
蛇巻き石36徳島県三好郡東みよし町大蛇が巻きついて昼寝をしていた岩石。EC
祟りを持つ石36徳島県三好郡東みよし町大蛇が昔住み着いていたといわれ、誰も近づいてはいけないという岩石。ある子供が、この石に垂れ下がっていたかずらにぶら下がって遊んでいたら、その夜、高熱で寝込んでしまった。EA祟り伝承
徳島県悪者が住んでいた・いる場所
へんろ石36徳島県三好郡東みよし町あるお遍路がここで亡くなったため、村人が平たい石を「へんろ石」と名付けて墓代わりに供養した。その後供養されなくなってくると、へんろ石から人を呼ぶ声が聞こえたり、へんろ石を踏んだ人達が腹痛や病気になった。そこで再び村人がへんろ石を供養したところ、変事は起こらなくなったという。BBB祟り伝承
徳島県岩石から音声が聞こえる
段ノ塚穴古墳36徳島県美馬市美馬町古墳石室を神祠の祭祀施設として再利用した事例。BCA遺物・遺構の再利用
天の磐戸/天岩屋戸36徳島県美馬郡つるぎ町一宇字法正 天磐戸神社天岩戸に擬せられた幅1m、奥行9mの洞窟。C岩穴・窟
神楽石36徳島県美馬郡つるぎ町一宇字法正 天磐戸神社天岩戸神話で神々がこの上で議論をしたといわれる岩石。C
御塔石36徳島県美馬郡つるぎ町一宇山頂近くにある高さ約8mの巨岩。EC
めおと岩/天の磐座の峯36徳島県阿南市-海部郡美波町 明神山従来めおと岩と呼ばれていた岩石を2006年頃に整備して「天の磐座の峯」と新たに命名した。近代以降の命名
立場石36徳島県海部郡美波町隣村に嫁ぐ娘が、実家で拾った石を山頂に置いたもの。実家の家族を案ずるごとに石が大きくなり、麓からでも見えるようになった。EC岩石が満ち欠け・増減・出産する
安田極ヶ谷遺跡37香川県小豆郡小豆島町安田岩塊数点の上に大ぶりの石が乗り、その隙間から銅鐸1点出土。
荒神島遺跡37香川県香川郡直島町 荒神島露岩の周辺から有孔円板・勾玉・臼玉・土器群が出土。
クジラ岩37香川県東かがわ市大内 本宮山クジラが口を開けているかのような形状をしていることから名付けられたと思われる岩石。詳細由来不明。
ゆるぎ岩37香川県綾歌郡宇多津町 聖通寺山重さ約10tの岩石。指1本で揺れ動くという。EC岩石が動く
三つ岩37香川県綾歌郡宇多津町2つの岩石が横並びし、その上にもう1つの岩石が乗りかかっている構造物。
御膳岩37香川県綾歌郡宇多津町 宇夫階神社神社創建以前から神聖視されていたという岩石。C
残念切りの石37香川県坂出市神谷町 神谷神社神谷神社で狼藉を働こうとした不届者に対して、この場所まで来た時に大量の蜂が襲ってきたため、不届者が残念がってこの岩石に刀傷を残して逃げた。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
影向石37香川県坂出市神谷町 神谷神社社殿が建てられる以前、この岩石の上で天神地祇を祭祀したという。BCC祭祀執行者であり信仰対象岩石の上で神祭りを行なう。
香川県BABB
求聞持石37香川県坂出市高屋町 遍照院地中から出現した岩石。宝珠の形をしているため、弘法大師がこの岩石の上で求聞持法の行をしたという。現在、岩石の上に地蔵仏が置かれている。BCC突如出現した岩石
香川県BCE岩石が改変されている
加茂明神原遺跡37香川県坂出市加茂明神原標高140mの山腹に分布する岩石群の地中約30cm地点から銅鐸1点出土。
佐岡遺跡37香川県仲多度郡まんのう町長尾東佐岡傾斜地に存在する岩石の間より銅剣2点出土。
船磐37香川県仲多度郡琴平町櫛梨神社祭神の神櫛王命が来臨したときに乗ってきた船の岩石。C
北条遺跡37香川県三豊市高瀬町上高瀬小ぶりの石を数十cm盛り上げた遺構の中から銅剣3点出土。今は存在しない岩石
岩屋石/屋根石37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山自然の巨岩を屋根として手前に堂宇を築き、岩屋妙見宮をまつった。堂内側の岩石表面に護摩の煙跡が残っている。BCA岩穴・窟自然の巨石を屋根・天井代わりにして、手前に堂宇を造る。
香川県岩石表面に印・痕・模様が残る
天蓋石37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山自然の巨岩を天井として、岩屋石と共に岩屋妙見宮を形成している。BCA岩穴・窟自然の巨石を屋根・天井代わりにして、手前に堂宇を造る。
開運の洞穴/胎内くぐり37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山本堂の横にある洞穴。潜り抜けると開運という。BBD岩穴・窟
明星石37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山
千貫岩37香川県三豊市仁尾町朝日 妙見山丸亀藩家老が名付けたといわれる千貫松が、昭和時代末までこの岩石の上から生えていたという。麓の見晴らしが良い場所。EC
神楽石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島天狗神社の守り本尊とされる岩石。陽石に似ているため性信仰の対象ともなっている。A
笑い石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島陰石状の岩石で姫岩神社とも呼ばれる。神楽石と一緒に参ると家庭円満という。A
桃太郎岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島桃太郎伝説になぞらえた岩石。C
烏帽子岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島烏帽子の形状に似た岩石。EC
ひき石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に集まる3個の岩石。人によって見えるものが違うという。
平石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に浮かぶ頂面平らの岩礁。EC
弁天岩/立石38愛媛県越智郡上島町 生名島高さ約5mの立石。生名島で採れない石材といわれるが原産地は不明。A
立石山遺跡38愛媛県越智郡上島町 生名島島頂に大小の岩石が群集しており、そこから弥生中期・古墳時代の遺物出土。弥生時代の遺物は祭祀用というよりも高地性集落説が高い。岩石群の合間から弥生土器・小型円筒形磨き石・石斧・石鏃・石包丁・ナイフ形石器・須恵器・土師器・貝殻類・川原石の出土。
磐座38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社玉垣内に囲まれた空間内に大小の岩石群が存在。屋敷神の旧鎮座地といわれている。C
竜宝石/鯛寄せの石38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社元々は沖合いにあった岩石でここから毎日鯛が釣れるため、神秘的な岩石と思った庄屋が自宅の庭に岩石を運搬してきたところ不幸が相次いだ。毎日海水を岩石にかけて海の神を拝んだところ災いは収まった。明治時代になって庄屋の子孫が三島神社に奉納した。A祟り伝承鯛が寄ってくる岩石を欲しいと思って自宅に持ち込んだ人に対して祟りを起こす。祟りを鎮めるため岩石に海水をかける。その後神社に奉納する。
愛媛県BBC水をかける・水に漬かる
愛媛県原位置から移動伝承
愛媛県可動的性質
立石遺跡38愛媛県四国中央市土居町津根字立石巨石下から銅矛先端1点出土。
天狗岳38愛媛県西条市 石槌山石鎚毘古命そのものを表す岩山。A頂上が岩山
天柱石38愛媛県西条市 石槌山
牛石/入日滝遺跡38愛媛県今治市大三島町台入日滝安神山南麓の台川上流入日滝にある「牛石」という岩石の中から集中して手捏土器約20点・土師器約1000点出土。
甑石38愛媛県松山市北条除夜に炊事の湯気が立ち上るという高さ6mの白石。甑石を砕いた石片を火打石にする風習があり、その代替に別の小石を乗せておくと甑石と一体化して甑石が損傷することはないという。EB岩石に損傷を加える行為岩石を欠く代わりに別の岩石を乗せておく。
愛媛県岩石が満ち欠け・増減・出産する
愛媛県岩石から煙・光・火・気などが出る
弥勒様38愛媛県大洲市 神南山女神南の頂上にある2体の立石を中心とする岩石群。雨乞いの霊験があるという。A
オショウブ岩38愛媛県大洲市 神南山山頂にあり、下部に洞穴状の岩屋を有する岩石。
ドンビ岩38愛媛県大洲市 神南山卵形の岩石。
八畳岩38愛媛県大洲市 神南山ドンビ岩の直下十数町の位置にある扁平楕円形の緑泥片岩。この岩石の下には金の茶釜が眠っていると伝えられている。EC黄金の何かが隠されているという伝説
盤珪禅師の座禅石/如法寺山頂巨石遺跡38愛媛県大洲市 冨士山/如法寺山山頂にある机状の岩石。盤珪禅師の座禅石。C休み石・腰掛石
仏岩/高山メンヒル38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ4.75mの立石。岩石の表側は仏菩薩で、岩石の裏側は神が宿るとされる。かつて石材として麓に運び出されたが、翌日には元の場所に戻っていたという。眼の病に霊験がある。鳥居龍蔵によりメンヒル認定された代表例としても有名。A岩石が動く
愛媛県眼病に効く
愛媛県近代以降の命名
疣岩38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ約2mの岩石。
神石38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山神田神社の下にあるドルメン状の岩石。神石として畏敬されているという。A
通仙岳38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山信仰対象としての霊石。A
高地イラズ38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山通仙岳の上部の山頂に広がる岩石群。地元の人が近づかなかった場所。BCA禁足地
朝立台遺跡38愛媛県西予市三瓶町朝立山腹にある巨石の周辺と山麓から古墳後期の土師器出土。
覗き石39高知県高岡郡檮原町-愛媛県上浮穴郡久万高原町 地芳峠峠にあり穴が貫通した岩石が立つ。高知側の永野・峰の段集落の人々が6/28に石槌山を遥拝する場所。BBA石に開いた穴を通して遠くの山を遥拝する。
灯明巌39高知県安芸郡安田町唐浜岬に屹立する岩石。夜や異変の前触れには岩が発光するという。EB岩石から煙・光・火・気などが出る
礫石39高知県高知市一宮町 土佐神社別の場所に鎮まっていた神が、新しい鎮座地を求めて放り投げて落ちた岩石。土佐神社鎮座の起源を物語る神跡。C
禊岩39高知県高知市一宮町 土佐神社禊神事を行なう斎場にあり、祓の神徳がある岩石。河川工事に伴い現在地に移転された。BCB可動的性質
高知県Aここで自らを整える・清める
大山祇神社の岩39高知県高知市天神町 潮江天満宮本殿の裏にある岩石。岩石の上に石祠がまつられている。BABC
八畳岩39高知県高知市柴巻麓・太平洋の眺望が良い平たい岩場。EC
ゴトゴト石39高知県高知市土佐山押すとゴトゴト揺れ動くことから名付けられた岩石。EC岩石が動く
お菱岩39高知県高知市春野町甲殿高さ約20mの菱形の岩石。詳しい由来は伝わっていない。EC
屏風岩39高知県高知市春野町甲殿住吉神社の奥の院の裏に控える屏風状の岩石。EC
烏帽子岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お亀岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
蝙蝠岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
鳩岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お舟岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
唐人駄馬遺跡39高知県土佐清水市奇岩怪石の群れがあり、縄文時代の石器が採集されているが、祭祀場として機能していたかは不明。
おなで石40福岡県北九州市門司区奥田 淡島神社体の悪い所をこれでなでると快方に向かったり、お腹をさすると子宝安産になるという小石の群れ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
福岡県可動的性質
蛇の枕石/夜泣き石40福岡県北九州市小倉北区篠崎 篠崎八幡宮恋仲の女蛇に会えない男蛇が夜毎この岩石を枕にして泣き続けたという。八雲の神が哀れに思って男蛇を竜神に変えて女蛇のいる場所へ導いたという。子供の夜泣き、恋愛成就に霊験があるという。CC
恋占い石40福岡県北九州市八幡東区祇園 仲宿八幡宮目をつぶり、この岩石に辿り着くことができたら恋愛成就という占い石。BBD
女郎岩/上﨟岩/日峯山遺跡40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山山頂直下の斜面上に立地していた立石。周辺は岩場。玉依毘売命由縁の岩石という。手前から古墳時代中期以降の土師器群が出土。発掘調査後、倒壊の危険があるため麓の日峯神社境内に移設された。山頂で祭祀を行なわず、山頂直下の岩石を磐境・磐座に見立てて祭祀を行なったと推測される事例。C原位置から移動伝承山頂で祭祀をせず、山頂直下の岩石の手前で祭祀を行なう。
福岡県BCA
福岡県BA
国見岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上に腰掛けて隠岐島を偲んだという。C
琵琶岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上で琵琶を弾いて四方を鎮めていたという。C神が岩石の上で琵琶を弾いて国土を鎮める。
福岡県BCC
古代祭場跡/磐境40福岡県北九州市八幡西区山寺町 一宮神社神武天皇が東遷の折に、この地で天神地祇を奉祭したといわれる場所。奥に方形の敷石施設、手前に円形の敷石施設を配し、敷石の中心に常磐木を立てる。C石を方形・円形に敷き詰めて、中央に常磐木を立てて祭祀する。
福岡県BCA
福岡県BABB
高宮40福岡県宗像市田島 宗像大社辺津宮宗像大神の降臨を迎えていたという社殿祭祀以前の祭祀場。列石を持って祭場を区画した施設。BCA
福岡県C
沖ノ島 1号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。東南隅に大石があり、その周囲平坦面一帯を石塁で祭壇状に構築した遺構。8-10世紀初頭の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 3号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。巨岩の横に接しているが露天上であり、巨岩との関連性は不明。
沖ノ島 4号遺跡/御金蔵40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩と巨岩が積み重なり、巨岩下に洞穴状の隙間が形成された遺跡。古墳時代の遺物も見つかっているが、中世以降も様々な用途で再利用された空間と見られる。BCA
沖ノ島 5号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。複数の巨岩が折り重なって形成された岩陰から露天上にかけて、土器を中心とした祭祀遺物の出土。BCA
沖ノ島 6号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩岩陰で列石を以て祭祀空間を区画している遺構。6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 7号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の岩陰床面を石英斑岩の剥片で若干整えた痕跡が見られる。中央に玉類、東側に武器類、西側に馬具類という規則的な遺物配置が確認されている。BCA
沖ノ島 8号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。7号遺跡と同じ巨岩の岩陰で、7号遺跡とは背中合わせの位置。岩陰の奥方中央に大石があり、そこから玉類が大量に見つかったため大石を祭祀対象とした可能性が高いと考えられている。BCA
福岡県BAA
沖ノ島 9号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 10号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 11号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 12号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 13号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 14号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。
沖ノ島 15号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 16号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。東にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。礫石を敷いて上に祭祀具を配置していたと推測され、遺物は5-6世紀代で新旧あり岩上祭祀でも最終段階に属す遺跡と考えられている。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 17号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。北にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。表面を上にして鏡を積み重ね、鏡と鏡の間には車輪石や礫石を挟んで固定し、それら遺物の上から石を積んで蓋をしている。BCC祭祀具を礫石などで挟んで固定し、さらに祭祀具の上から石を積んで蓋をする。
福岡県BCD
沖ノ島 18号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。周辺一帯で最高所の位置にある岩上にて、原形をとどめていないが複数の石組状遺構が確認されている。三角縁神獣鏡・石釧・玉類など4世紀後半に遡る遺物が出土し、沖ノ島最古級の祭祀遺跡と見られる。また、18号遺跡の巨岩は16・17・19号の祭祀対象だったと推測されている。BCC
福岡県BCD
福岡県BA
沖ノ島 19号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。南にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。岩上において、赤土・歴史床面を整え、列石で区画して壇を作り、壇上に石を敷いて祭壇状にしている。一帯からは滑石製玉類が多めの各種祭祀遺物が出土。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 20号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。中央に金属製品、左側に滑石製品、右側に土器類を配置した様子が確認される。BCA
沖ノ島 21号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。巨岩の頂部平坦面において方形区画の列石を配し、区画内に岩塊を置いた遺構。岩塊周囲から5世紀前-中の各種祭祀遺物出土。BAA自然の巨岩の上で、方形区画の列石内に岩塊を置いて祭祀対象とする。
福岡県BCA
福岡県BABB
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 22号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の庇岩陰部分に列石が構築され祭祀場を区画しており、6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA自然の巨岩が織り成す庇岩陰部分を天井面に利用して、地表面には列石で区画して祭祀空間を形成する。
沖ノ島 23号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩が折り重なる洞穴状空間から各種祭祀遺物が出土。BCA
鎭懐石40福岡県糸島市二丈深江 鎭懐石八幡宮神功皇后が三韓征伐の際、2個の卵石を腰に巻いて陣痛を鎮めた。帰還後、当地に2個の卵石を奉献したことから鎭懐石八幡宮がまつられた。BBB秘匿されている岩石2個の岩石を腰に巻いて陣痛を鎮める。
福岡県BBD可動的性質
福岡県BBC
福岡県C
香合石/神籠石40福岡県糸島市前原町 雷山雷神が三種の神器を中に収納したといわれる香箱形の岩石。BCD
福岡県C
亀石40福岡県福岡市東区志賀島 志賀海神社神功皇后が三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗ってやって来た伝承にちなんで、後世に奉納された岩石。BBC
俎石/俎岩40福岡県嘉麻市田島大隈 鮭神社鮭神社祭礼の際、豊玉姫が鮭を使いに向かわせ、鮭神社祭神であり息子である葺不合尊に対して、鮭がこの岩石から礼拝する。また、その鮭をこの岩石の上で清めて神社に奉納する。BBA神の使いである鮭が拝礼するポイントであり、さらにその鮭を清めて奉納する場でもある。
福岡県BCD
古大間池遺跡40福岡県糟屋郡粕屋町滑石の露頭があり、滑石製模造品など滑石製品の原産地・採掘地として利用された。DA
礫石40福岡県糟屋郡篠栗町 若杉山麓香椎の神が若杉山から無断で杉を持っていこうとしたため、若杉山の神が怒って香椎の神に投げつけた2個の岩石の名残。C神々の力比べ・喧嘩
王墓の上石40福岡県春日市須玖 須玖岡本遺跡弥生時代の甕棺墓の直上地表面に置かれていた細長い岩石。墓標・蓋石などの役割を担っていたと考えられている。原位置から移動伝承
カマト石/鼎石/仙竃石/竃門岳40福岡県太宰府市 宝満山トライアングル上に立つ3体の岩石。その様子が鼎の脚部に見立てられこの名が付いた。天神地祇が湯浴みをするために釜湯を沸かせた場所という。C
釜石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
釜ノ蓋石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜の蓋が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
針ノ耳戸/石門40福岡県太宰府市 宝満山心蓮上人と玉依姫命(金剛神)が出会った場所。C
馬蹄石40福岡県太宰府市 宝満山上宮の直下に存在。金剛神の竜馬の蹄の跡が残った岩石。C岩石表面に印・痕・模様が残る
宝城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。窟内に湧水源があり、窟内から多数の土師器と少数の瓦器・陶器片が出土。窟外からは遺物出土なし。BCE岩穴・窟
福岡県C
福城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釼窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
大南窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。8世紀末-13世紀前半の土師器・須恵器・瓦器・陶磁器出土。BCE岩穴・窟
福岡県C
藤窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝塔窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釜蓋窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝ノ岩屋/雨宝ノ岩屋40福岡県太宰府市 宝満山役小角がにわか雨をしのいだ場所。後に雨宝童子が安置される。C岩穴・窟
福岡県BCA
福岡県BAC
笠窟40福岡県太宰府市 宝満山
行者堂跡40福岡県太宰府市 宝満山文保2年(1318年)銘の梵字が刻まれた岩石。
上宮遺跡/上宮裏遺跡/岩棚遺跡40福岡県太宰府市 宝満山上宮社殿の背後に断崖絶壁があり、崖下10mに平坦面を持つ岩棚があり、ここから8世紀後半-9世紀代の土師器・須恵器・灰釉陶器が出土。崖の上から投げ込まれたものと類推される。DB土師器杯には油煙の付着したものが多く、灯明皿として用いられた可能性が高い。土器の中には穿孔したものもあった。
普池窟40福岡県太宰府市 宝満山
袖すり岩40福岡県太宰府市 宝満山馬蹄石の下方にある岩石。袖を擦るほどの隙間を進む場所。EC
遠見岩40福岡県太宰府市 宝満山眺望の良い場所にある岩石。EC
座頭墓40福岡県太宰府市大字北谷字大黒字昔から手を触れることが禁じられている石積。畑地内にある。EA禁忌が厳しい
岩間40福岡県筑紫野市大字武蔵字池上 天拝山荒穂神社山腹の神社の背後に存在する露岩群。荒穂明神が鎮座したといわれる岩石群。BA
福岡県C
馬蹄石/神籠石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩がこの地に降臨した時、乗っていた馬の蹄が付いた岩石。この馬蹄跡を踏んで山を登ると足が軽くなるという。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
福岡県C
八葉之石畳/蓮花石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩が一夜の内に築いた列石。現在、一般的に高良山神籠石と呼ばれている遺構のことを指す。C
大日窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
普賢窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
多聞窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
吉祥窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
阿弥陀窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
求菩提山山頂岩石群40福岡県豊前市 求菩提山山頂の自然の露岩群。修験道以前の信仰の場ともいわれている。
タマタマ石/霊霊石/玉玉石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 基山山頂にある岩石。五十猛命が腰掛けて四方の国土を眺めていたという場所。岩石手前の平坦地は荒穂神社の旧社地といわれる。C休み石・腰掛石
右の石/子宝石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社腰掛けると安産になるという岩石。BBD休み石・腰掛石 November 11, 2025
何がヤバいって、弁慶の泣き所なんだよなコレ。俺も折った事あるから辛さが分かる。 https://t.co/4Te2LAcWUr https://t.co/oOz7gn1Gve November 11, 2025
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