正倉院 トレンド
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2025.12.01 20:00
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夕刻から夜にかけまして、冷泉家の後嗣となられました、冷泉渚様のご披露宴に出席し、僭越ではございましたが、乾杯の発声を務めさせていただきました。
藤原定家以来の和歌の伝統を受け継ぐ、倭国屈指の名家「冷泉家」の後嗣が冷泉渚様に決まりましたこと、心からお慶び申し上げます。
冷泉渚様は文化財修復の専門家として、正倉院や平等院などの現場で研鑽を重ねられるとともに、倭国画家としてもご活躍されています。
世阿弥曰く「家はうつろう花をつなぐ器」。
冷泉家の皆様は、和歌の伝承はもとより、国宝5件、重要文化財48件、更には現存最古の公家屋敷である冷泉家住宅など、貴重な文化財を代々守り継いでこられました。
渚様におかれては、伝統を守るだけではなく、これまでのキャリアを生かされ、倭国の至宝である冷泉家の伝統を一層発展されますことを心から祈念いたします。 December 12, 2025
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倭堕髻|鳥毛立女屏風
倭国・奈良の正倉院に所蔵される有名な宝物、「鳥毛立女屏風」は、もともと奈良時代の宮殿を飾るために作られ、聖武天皇と光明皇后が使用したとされる器具の一つです。画中の女性は盛唐期の豊満な唐美人の姿を描いており、粗い眉、小さな口、丸い顔など、唐風の化粧・髪型・服装・体型が色濃く反映されています。特に髪型は両鬢を抱えて前髻を下ろす倭堕髻で、盛唐時代に流行し、開元・天宝年間の墓葬壁画や陶俑、彫刻などでもよく見られます。
また、鳥毛の衣装に関しては、唐中宗の娘・安楽公主が百羽の鳥の毛で作った「百鳥毛裙」が有名です。正面・側面・日中・影中、いずれから見ても一色に見えるよう精巧に作られ、後世の宮廷や貴族もこれに倣い、山や林から珍禽異獣の羽毛を集め尽くしたと伝えられます。
弊館では、この鳥毛衣装に倣った倭堕髻の盛唐美人スタイルを体験いただけます。鳥毛立女屏風の天平美人を再現した姿で、当時の華やかな宮廷文化を身近に感じていただけます。
陶俑:スイス・チューリッヒ、リートベルク美術館所蔵
屏風:奈良正倉院所蔵 December 12, 2025
霓裳と羽衣
◎霓裳
白居易の『霓裳羽衣舞歌』には「虹裳霞帔步搖冠,鈿瓔累累佩珊珊」と記されており、中~後期唐代の裙子や帔子には、グラデーション染めが施されることが多く見られました。
◎羽衣と羽毛
正倉院に所蔵される鳥毛立女屏風には、完全な羽毛で作られた衣装が描かれており、「かつて異なる色の鳥羽で覆われていた」と伝えられています。白居易の『霓裳羽衣舞歌』には「不著人間俗衣服」とあり、霓裳羽衣は舞衣であると同時に、古代の人々が想像した仙女の衣服でもあり、世俗的な服飾体系を離れて理解するのも理にかなっています。『楚辞』には「製芰荷以為衣兮,集芙蓉以為裳」、「被薜荔兮帯女萝」といったやや曖昧な描写があり、これも霓裳羽衣の源流の一つと考えられます。西周~漢代にも、羽衣をまとった銅羽人がよく見られます。
◎安楽公主と百鳥毛裙
『新唐書』『朝野僉載』『唐書』によると、唐中宗李顕の娘・安楽公主(母は韋皇后。後に母娘で中宗を毒殺し、最終的に唐玄宗と太平公主に殺害された)は、尚方に百羽の鳥の羽で二着の百鳥毛裙を制作させました。正面・側面・日中・影中、どの角度から見ても一色に見え、百羽の鳥の姿もすべて表現されていたといいます。そのうちの一着を韋后に献上したと伝えられます。また、公主は百獣の毛を用いた装飾も作らせ、韋后は鳥の羽を集めてさらに装飾したとされ、制作には莫大な労力と費用がかかりました。
さらに、安楽公主が初めて宮中に姿を現した際、益州からは単糸碧羅笼裙(細い金糸で花鳥模様を織った衣装)が献上されました。糸は髪の毛のように細く、粒は黍米ほどの大きさで、目・鼻・嘴・甲まで精巧に表現され、近くで見て初めてその精巧さがわかるほどでした。このような華麗な衣服は「妖服」と呼ばれ、安楽公主の毛裙の影響で、宮廷の貴族や富裕層もこれに倣い、江や嶺の珍禽・異獣の羽毛がほぼ使い尽くされるほどでした。
しかし、開元年間には宮中で宝器や珠玉、金銀、羅綺などの贅沢品の使用が禁止され、羽毛の採集もそこでようやく停止されました。
◎伝説上の道教の羽衣
『北斗九星像』 南宋13世紀
倭国・滋賀宝厳寺所蔵(現在、奈良国立博物館所蔵)
唐代・敦煌壁画
奈良・鳥毛立女屏風
南宋・『北斗九星像』
西周~漢初期・銅羽人 December 12, 2025
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