松尾芭蕉 トレンド
0post
2025.12.01 06:00
:0% :0% (40代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
先日公開した平成-令和アイドルソング分析では、ショート動画というメディアサイズが時間感覚に及ぼす影響を加藤周一さんの俳句分析から考えました。そこで古今集、俳句の代表的50作で表現されている時間をLLMで分析し可視化しました。17音の俳句では「過去」「未来」の表現が少なくなっています✍️ 31音の短歌/和歌では、約7割の作品に「過去」や「未来」といった時間の流れが含まれていました。
対して、17音の俳句では、実に9割以上が「現在」という一瞬のみで構成されています。
「14音」という、 短歌から俳句へ移行する際に削ぎ落とされたこの音数は、単なる「長さの短縮」にとどまらず、「文脈」と「因果」からの飛躍、あるいは解放を伴っていたようにも見えてきます。
LLMが「過去」と「現在」の両方が含まれていると判断した短歌の代表例として、小野小町の有名な一首を見てみましょう。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
(小野小町 / 古今集)
【現代語訳】桜の花の色は、すっかりあせてしまいましたね。降り続く長雨をぼんやりと眺め、物思いにふけっている間に。(私の美貌もまた、同じように衰えてしまったものです。)
LLMはこの歌に対し、「過去の美貌と、現在の衰えという変化が含まれている」と分析しました。(あるいは私たち人間だと、読み手の年齢によっては、未来への予感も感じるかもしれません。)
「けり(〜してしまったなあ)」という言葉が、過去から現在へと流れる不可逆な時間を強調しています。
ここでは、「かつて美しかった過去」があるからこそ、「色褪せた現在」の悲しみが成立します。
短歌という形式は、こうした時間の推移や感情の機微を、グラデーションのように織り込むのに適していると言えるのかもしれませんね。
また、「未来」への意志が含まれる歌も短歌には多く見られます。
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
(中納言行平 / 古今集)
【現代語訳】お別れして(因幡の国へ)行きますが、その因幡の山の峰に生える「松」のように、あなたが私を「待つ」と聞いたなら、すぐにでも都へ帰ってきましょう。
「今」の別れと、「将来」の再会への約束ですね。
短歌という31音の器は、過去の記憶を懐かしんだり、未来の約束を交わしたりするための「時間のタイムライン」を十分に格納できる広さを持っているようです。
だからこそ、私たちはそこに豊かな「物語」を読み取るのかもしれません。
***
一方で、俳句の世界はどうでしょうか。
LLMが「現在」のみであると判定した作品群には、時間軸の広がりを断ち切り、五感の瞬発力にすべてを賭ける姿勢が浮かび上がってきます。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
(松尾芭蕉)
【現代語訳】静まり返った古い池。そこに一匹の蛙が飛び込み、ポチャンと水の音がした。(その音のあと、あたりは再び静寂に包まれていく。)
LLMの分析コメントは「蛙が飛び込む瞬間的な知覚」でした。
ここには「蛙がどこから来たのか(過去)」も、「飛び込んでどうなったか(未来)」も説明されません。
あるのは、ポチャンという「音」と、その直後の静寂という「今・ここ」の感覚だけです。
また、視覚的な「今」を鮮烈に切り取ったのが与謝蕪村です。
菜の花や 月は東に 日は西に
(与謝蕪村)
【現代語訳】一面に見渡す限りの菜の花畑。東の空には月が昇りはじめ、西の空には夕日が沈もうとしている。(なんと広大で美しい夕暮れの景色だろうか。)
過去も未来も切り捨てた代わりに、俳句は「空間」を爆発的に広げたのでしょうか。
17音という極小のメディアサイズは、時間を語ることを諦めさせる代わりに、瞬間的な映像や音のインパクトを最大化させる「解像度の向上」を作者、そしてそれを読む私たちに促した面もあるのかもしれませんね。
ここに、音数だけでなく、それぞれの歌・俳句を詠んだ人たち・時代の退歩史観的な価値観の有無や、文芸復興的な動機も加味していくと、いろいろ想像力が刺激されます...! December 12, 2025
1RP
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



