インドネシア トレンド
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2025.12.14 21:00
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本日は、たきぐちさんの、町田市での活動に参加しました。冷たい雨の中、ビラを受け取り、たきぐちさんの政策に耳を傾けてくださった町田駅でお会いした皆様、ありがとうございました!
また、活動にご協力頂きましたボランティアの皆様、痺れる寒さの中、長時間立ち続けて頂き、感謝申し上げます。インドネシア生活が長かった私にとっては、久しぶりの極寒体験でしたが、冷たく透き通った空気の中、ビラを受け取り、声をかけてくださった皆様の心が、いつもより更に温かく感じることができました。
#再生の道
#たきぐち昭彦
#町田市 December 12, 2025
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インドネシアJAMのイベントに行ってきた〜
めっちゃくちゃ楽しかった!
Thank you @JO1PROJECTS 💙
Selai (JAM) もありがとう!
#PestaRakyatSelai
#SelaiSayangJO1
#JO1結成6周年おめでとう
#HAPPYJO1DAY
#HAPPYJAMDAY https://t.co/x60BnrfrWI December 12, 2025
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大谷高校 バリ島に修学旅行中 生徒が窃盗を犯した
インドネシアでは懲役7年になる可能性がある
生徒は倭国に帰国していて
学校側が罪を認めているとのこと
倭国の法が適用される可能性もある
庇いたいとは思わんなぁ☺️
インドネシアで反省してこいや!!
倭国の恥さらしめ!!
ってとこだね! December 12, 2025
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インドネシア人の数が急増している。
Feel Japan with Kという岸田文雄の弟の会社を連想する人も多いだろうが、岸田の弟・武雄は「一般社団法人倭国登録支援機関協会」の理事も務めていることは意外に知られていない。
移民関連ビジネスの市場規模は3000億円を超えると言われ、特定技能外国人の就労支援事業を行う登録支援機関はすでに1万1000を超えている。
移民はビジネスだ。 December 12, 2025
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@Rhizzz196262 @shigeyuki696 ねぇ。サンタクルス虐殺について議論したり分析してくれませんか。ご存知のとおり、私はインドネシアがそれをモンスターの産物として見て見ぬふりをしているのが本当に好きです。モンスターとは、他でもない残酷なインドネシア軍とその子孫です。 https://t.co/IAXUAItyI5 December 12, 2025
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戦後倭国が急成長した理由を、
団塊の世代が頑張ったから
倭国人の勤勉さ
ものづくり大国だったから
と思ってる人が多いけど、
それが正解ではないんです。
真実はもっとシンプル。
結論的にいえば、
人口が爆発的に増えただけ。
人口が増えれば、
消費が増える
企業が儲かる
雇用が生まれる
賃金が上がる
中流階級が厚くなる
これは感情論じゃなく
経済の大原則。
今のアジアを見れば一発で分かる。
タイ、インドネシア、フィリピン。
人口増加と経済成長は完全に比例している。
倭国はそれを
50年早く体験しただけ。
終戦後のベビーブーム。
短期間で人口が爆発的に増えた国は、
世界的に見てもかなり珍しんです。
だから伸びた。
ただ、それだけ。
「猛烈に働いたから」じゃないし、
「優秀だったから」でもない。
人口ボーナスを引いただけ。
じゃあ、今の倭国はどうか?
倭国の未来は、
葬式を見れば分かります。
見るべきは祭壇でも遺影でもない。
喪主の平均年齢。
倭国人の平均寿命は83歳。
一方、喪主の平均年齢は67歳。
何が起きてるか分かる?
老人から老人へ相続してるという現実。
20〜30年前までは、
喪主の平均年齢は40代だった。
相続されたお金は、
子どもの教育
住宅購入
車
消費
投資
経済を回していました。
でも今は違う。
引退した高齢者が相続し、
そのまま銀行口座に放置。
1世帯あたり約2000万円超。
合計額 約880兆円。
使われない。
投資されない。
動かない。
完全に死に金として塩漬けされて、
カビが生えてるレベル。
この880兆円が動かない限り、
倭国経済は回らない。
努力の問題じゃない。
気合の問題でもない。
構造の問題。
人口が減り、
お金が動かず、
循環が止まった国は、
成長しません。
これが、
「これからの倭国」の正体。
じゃあ、どうすればいいのか?
文句を言うことでも、
誰かを叩くことでもない。
「動かす」こと。
眠っている880兆円を、
無理やり使わせるんじゃなくて、
奪うんでもない。
ワクワクさせて、
自分から動いてもらう。
僕がやりたいのは、これ。
健康なアクティブシニアを増やすこと!
身体が動く。
頭が冴えている。
好奇心がある。
未来に参加する意志がある。
そういう人たちが、
投資・学び・挑戦に参加する社会。
年齢で区切られた、
もう遅い社会じゃなく、
何歳からでも学べて、
成長できて、
自己投資できて、
社会と繋がれる環境。
お金は、
溜め込むためにあるんじゃない。
循環させて、人と未来をつなぐためにある。
だから僕は、
健康 × 学び × 投資
この3つを軸に、
まだ終わってない人生を、
自分の意志で動かせる場所を、
作っている。
倭国を変えるのは
政治でも制度でもなく、
動き出した個人の集合体なんですよね。
国民一人一人の意識が変わり
ゲームチェンジが起きるように
僕はこれからも、
情報発信をしていきます。
今日も最後まで購読して頂き
ありがとうございます。
長っ!
っていわれますが笑 December 12, 2025
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『ズートピア2』の新キャラクターも実在する
動物をアニメーターたちの研究によって
違和感のないキャラクターデザインに仕上げられていますが、ゲイリーはインドネシアに住む「トリメレウス・インスラリス」リンクスリー家は「カナダオオヤマネコ」がモデルと調べて分かったので皆さんに共有します! https://t.co/c5P5pnmRjj December 12, 2025
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「インドネシア人材の受入を検討している企業があって、打ち合わせをするからオンラインで同席してほしい」と登録支援機関に言われたから参加したけど、見事に綺麗事しか言わなかったな。
もちろん長所はあるけど、短所やリスクもあるんだから、ちゃんと説明しとかないから、後々軋轢を生むんだよ。 December 12, 2025
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@yorinobu2 恥ずかしい限りだ⁉️中曽根康弘氏が、「兵士がかわいそうだから、私が作ってやった。」と言っている番組を見た。終戦特集 でのインドネシアの取材の中で、ご本人の声が流れた。「土人女を連れて来た」とかの言葉に驚いたけど。戦争になると、太平洋戦争では倭国の女性も、土人と表現されるって事だ‼️ December 12, 2025
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太平洋戦争における「対米限定戦争」の虚像と実像
太平洋戦争の開戦時、倭国軍、特に海軍が抱いていた「対米限定戦争」という戦略構想は、当時の倭国が直面していた過酷な国際情勢と、過去の成功体験から導き出された「切実ながらも独善的な生存戦略」でした。この戦略がどのような論理で構築され、なぜ「環境が整っている」と誤認され、最終的に破綻したのかを深掘りします。
1. 「限定戦争」戦略の構造:日露戦争の残像
倭国海軍が対米戦を「限定戦争(Limited War)」として構想した最大の拠り所は、1905年の日露戦争という成功例にありました。当時、倭国はロシアの本土を占領したわけではなく、満州という特定の地域で勝利を収め、倭国海海戦で敵主力艦隊を壊滅させることで、アメリカの仲介による「政治的妥協(ポーツマス条約)」を引き出しました。
この成功体験を対米戦に援用したのが、1941年の開戦計画です。その骨子は以下の通りでした。
•短期電撃戦と南方資源の確保: 真珠湾攻撃によって米太平洋艦隊の反撃能力を一時的に奪い、その隙にマレー、フィリピン、オランダ領東インド(現在のインドネシア)を迅速に占領します。
•「不敗の態勢」の構築: 占領した南方資源地帯を自給自足の拠点とし、そこから本土への輸送路を確保することで、アメリカによる経済封鎖を無力化します。
•漸減邀撃と艦隊決戦: 西太平洋に防御線を築き、奪還を目指して来攻する米艦隊を潜水艦や航空機で「漸減(少しずつ削る)」し、最終的に倭国近海での「艦隊決戦」で壊滅させます。
•戦意喪失による講和: 度重なる損失によって米国民に「遠い太平洋の島々のために若者の血を流すのは無益である」という厭戦気分を抱かせ、倭国の占領権益を認める形での講和交渉に引き出すというシナリオでした。
2. 「環境が整っていた」という主張の背景
当時の指導部が、限定戦争を完遂できる「環境が整っている」と判断した背景には、いくつかの客観的情勢に対する「主観的な解釈」がありました。
第一に、「ドイツ・第一主義(ファースト・ヨーロッパ)」の予測です。倭国は、ナチス・ドイツが欧州を席巻している状況下で、アメリカは欧州戦線に戦力の大部分を割かざるを得ず、太平洋には「限定的な戦力」しか投入できないと読みました。
第二に、「日ソ中立条約」による背後の安全です。1941年4月の条約締結により、北方の脅威を一時的に棚上げし、全軍を南方に集中できる戦略的余裕が生まれたと考えました。
第三に、**「経済的デッドライン」**です。アメリカによる石油禁輸措置(ABCD包囲網)により、座して死を待つよりは、海軍の戦力が対米比で優位(あるいは拮抗)しているうちに打って出るべきだという「今しかない」という切迫感が、計画の正当性を強化しました。
3. 致命的な誤算:戦略の独善性と総力戦の現実
しかし、この「限定戦争」という構想は、開戦の瞬間から崩壊し始めます。軍事史研究において指摘される最大の失敗は、**「戦争のルールを限定できるのは、常に強者側(アメリカ)である」**という冷酷な現実を無視した点にありました。
•政治的土壌の読み違え: 真珠湾攻撃は戦術的には成功でしたが、政治的には最悪の結末を招きました。アメリカの孤立主義を即座に消し去り、米国民を「倭国を無条件降伏させるまで戦い抜く」という強烈な復讐心で結束させてしまったのです。
•「総力戦」への強制的な移行: 倭国が望んだのは「限定的な地域紛争の延長」でしたが、アメリカは自国の圧倒的な生産力を背景に、これを「敵の文明そのものを破壊する総力戦」へと定義し直しました。アメリカの生産力は倭国の10倍を超え、倭国が想定した「漸減」のスピードを遥かに上回る速度で、新しい空母や航空機を次々と戦場に送り込んだのです。
•兵站とインテリジェンスの欠如: 防衛研究所の資料でも指摘される通り、倭国は南方資源の「確保」には熱心でしたが、それを本土へ運ぶ「シーレーン防衛」や、米軍の暗号解読・レーダー技術といった「見えない戦い」を軽視していました。
4. 結論:歴史が教える教訓
倭国軍の「対米限定戦争」計画は、軍事的なシミュレーションとしては精緻に見えましたが、相手国(アメリカ)がどのような感情を抱き、どのような反撃能力を潜在的に持っているかという「相手側の視点」が完全に欠落していました。
現代の安全保障論においても、この太平洋戦争の教訓は、「自国の願望を前提とした戦略(Wishful Thinking)がいかに国家を危うくするか」を示す典型的な事例として語り継がれています。倭国海軍は、自らが望む「限定戦争」という土俵にアメリカを引きずり込めるという幻想に賭けましたが、現実はアメリカによって土俵そのものを破壊されたのでした。 December 12, 2025
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### 「対米英蘭戦争指導要綱」のわかりやすいまとめ
この文書は、1941年(昭和16年)に倭国軍(大本営・陸海軍)が極秘で作成した、太平洋戦争開戦直前の戦争計画です。アメリカ・イギリス・オランダと戦う場合の戦略の大枠を定めたものです。
#### 主な内容を簡単に解説
1. **攻撃する地域を限定する方針**
- 最初に攻める対象:
- ビルマ(今のミャンマー)
- マレー(マレー半島)
- 東インド(今のインドネシア)
- 比島(フィリピン)
- グアム
- ニューギニア
- ビスマルク諸島
- これらの地域は、石油・ゴムなどの資源が豊富で、倭国が生きていくために必要だと考えられていました。
- 攻めない地域(当初は):
- アリューシャン列島、ミッドウェー島、フィジー・サモアなど
- 理由:兵力と資源を分散させず、短期間で勝てるように限定した。
2. **アメリカを心理的に揺さぶる作戦(思想戦)**
- アメリカ国民の世論を刺激して、
- 「なぜ遠いアジアで倭国と戦う必要があるのか?」
- 「この戦争は無意味ではないか?」
という疑問や反戦気分を広める。
- アメリカ海軍の主力艦隊を極東(アジア側)に引き寄せて、そこで決戦で倒す。
- アメリカに「アジア政策を見直せ」と反省を促す。
3. **全体の目的**
- 米英蘭の植民地支配を崩して、倭国が資源を確保できる「自給自足の圏」を作る。
- 日中戦争(当時の中国との戦争)を有利に進め、中国への援助ルートを断つ。
- 戦争を長引かせず、早期に有利な形で終わらせる。
#### 実際の戦争との違い
- 当初の計画は「短期間で資源を確保して終わる」想定でしたが、現実は長期戦になりました。
- アメリカの工業力・生産力を甘く見ており、ミッドウェー海戦などで大敗北し、計画は崩壊しました。
この文書は、当時の倭国指導部がどれだけ楽観的で、相手の力を過小評価していたかを示す、重要な歴史資料です。戦争の悲惨さを繰り返さないための教訓となっています。
ご質問があれば、さらに特定の部分を掘り下げます! December 12, 2025
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束の間の倭国休息を終え、ジャカルタに戻ってきました。帰国中思ったのが、インドネシアの生活が恋しいというか、自分は今はジャカルタ民なんだなあという感覚でした。もう残り長くないジャカルタ生活走り切りたいですね。しかし此度の倭国滞在は満喫できました。遊んでくれた皆んなにはBIG感謝。 December 12, 2025
バッテリーの増強 vs. 潜水艦
ドイツのTKMSとフランスのNaval Groupが、倭国に続いてリチウムイオンバッテリーを大規模に採用した今、私が予測した通り、これが主要なトレンドとして定着しつつあります。
次の段階は固体電池で、その時点で我々は本質的に、原子力潜水艦との比較で速度と水中持久力だけを議論することになるでしょう。
固体電池は軽量であるため、より多くの数を搭載でき、より強力な推進システムのためのスペースを確保できます。
Naval Groupはすでに、リチウムイオンバッテリーを搭載し、最大80日間水中にとどまることが可能なスコルペーヌのバージョンをインドネシアに販売しています。それが固体電池なら、これを倍以上超えることができると想像してみてください。
実用的には、Naval Groupが現在スコルペーヌで使用している割合で、より強力なエンジンと固体電池を組み合わせれば、3倍の速度を提供し、約50日間の水中滞在を維持しながら、10〜15ノットの一定速度が可能になります。
これにより、航続距離は40,000〜50,000kmとなり、急速充電に表面への浮上時間を1時間未満で済ませられます。25ノットを超える速度の場合、単にバッテリーを増やし、より優れたエンジンを追加するだけで十分で、固体電池システムは高い出力を持っています。
これらすべてが、原子力潜水艦のコストの15〜20%で実現します。そして、バッテリーをマイクロリアクターで駆動する選択をすれば、従来の原子力潜水艦の25〜35%のコストになります。
すると誰かが言うでしょう:「しかし、原子力潜水艦は数年間水中にとどまれる。」
それは全く問題になりません。60日程度の持久力であっても、乗組員は食料の補給のために表面に浮上する必要があります。主要な利点は残ります:バッテリー駆動の潜水艦は静粛性で優位であり、速度はより大きなバッテリーパックで対応可能です。 December 12, 2025
初ナシゴレン!ちょっと辛めなのが美味しかったし玉子と一緒に食べると更に好みだった…デザートはインドネシアの白玉(多分サツマイモ団子)に温かいココナッツミルクがかかったビジサラック。茶色いのは調べた感じパームシュガーのシロップっぽい。甘い&温かいでぜんざいを思い出す… https://t.co/ZiLSiMVBLN December 12, 2025
太平洋戦争における「対米限定戦争」の虚像と実像
太平洋戦争の開戦時、倭国軍、特に海軍が抱いていた「対米限定戦争」という戦略構想は、当時の倭国が直面していた過酷な国際情勢と、過去の成功体験から導き出された「切実ながらも独善的な生存戦略」でした。この戦略がどのような論理で構築され、なぜ「環境が整っている」と誤認され、最終的に破綻したのかを深掘りします。
1. 「限定戦争」戦略の構造:日露戦争の残像
倭国海軍が対米戦を「限定戦争(Limited War)」として構想した最大の拠り所は、1905年の日露戦争という成功例にありました。当時、倭国はロシアの本土を占領したわけではなく、満州という特定の地域で勝利を収め、倭国海海戦で敵主力艦隊を壊滅させることで、アメリカの仲介による「政治的妥協(ポーツマス条約)」を引き出しました。
この成功体験を対米戦に援用したのが、1941年の開戦計画です。その骨子は以下の通りでした。
•短期電撃戦と南方資源の確保: 真珠湾攻撃によって米太平洋艦隊の反撃能力を一時的に奪い、その隙にマレー、フィリピン、オランダ領東インド(現在のインドネシア)を迅速に占領します。
•「不敗の態勢」の構築: 占領した南方資源地帯を自給自足の拠点とし、そこから本土への輸送路を確保することで、アメリカによる経済封鎖を無力化します。
•漸減邀撃と艦隊決戦: 西太平洋に防御線を築き、奪還を目指して来攻する米艦隊を潜水艦や航空機で「漸減(少しずつ削る)」し、最終的に倭国近海での「艦隊決戦」で壊滅させます。
•戦意喪失による講和: 度重なる損失によって米国民に「遠い太平洋の島々のために若者の血を流すのは無益である」という厭戦気分を抱かせ、倭国の占領権益を認める形での講和交渉に引き出すというシナリオでした。
2. 「環境が整っていた」という主張の背景
当時の指導部が、限定戦争を完遂できる「環境が整っている」と判断した背景には、いくつかの客観的情勢に対する「主観的な解釈」がありました。
第一に、「ドイツ・第一主義(ファースト・ヨーロッパ)」の予測です。倭国は、ナチス・ドイツが欧州を席巻している状況下で、アメリカは欧州戦線に戦力の大部分を割かざるを得ず、太平洋には「限定的な戦力」しか投入できないと読みました。
第二に、「日ソ中立条約」による背後の安全です。1941年4月の条約締結により、北方の脅威を一時的に棚上げし、全軍を南方に集中できる戦略的余裕が生まれたと考えました。
第三に、**「経済的デッドライン」**です。アメリカによる石油禁輸措置(ABCD包囲網)により、座して死を待つよりは、海軍の戦力が対米比で優位(あるいは拮抗)しているうちに打って出るべきだという「今しかない」という切迫感が、計画の正当性を強化しました。
3. 致命的な誤算:戦略の独善性と総力戦の現実
しかし、この「限定戦争」という構想は、開戦の瞬間から崩壊し始めます。軍事史研究において指摘される最大の失敗は、**「戦争のルールを限定できるのは、常に強者側(アメリカ)である」**という冷酷な現実を無視した点にありました。
•政治的土壌の読み違え: 真珠湾攻撃は戦術的には成功でしたが、政治的には最悪の結末を招きました。アメリカの孤立主義を即座に消し去り、米国民を「倭国を無条件降伏させるまで戦い抜く」という強烈な復讐心で結束させてしまったのです。
•「総力戦」への強制的な移行: 倭国が望んだのは「限定的な地域紛争の延長」でしたが、アメリカは自国の圧倒的な生産力を背景に、これを「敵の文明そのものを破壊する総力戦」へと定義し直しました。アメリカの生産力は倭国の10倍を超え、倭国が想定した「漸減」のスピードを遥かに上回る速度で、新しい空母や航空機を次々と戦場に送り込んだのです。
•兵站とインテリジェンスの欠如: 防衛研究所の資料でも指摘される通り、倭国は南方資源の「確保」には熱心でしたが、それを本土へ運ぶ「シーレーン防衛」や、米軍の暗号解読・レーダー技術といった「見えない戦い」を軽視していました。
4. 結論:歴史が教える教訓
倭国軍の「対米限定戦争」計画は、軍事的なシミュレーションとしては精緻に見えましたが、相手国(アメリカ)がどのような感情を抱き、どのような反撃能力を潜在的に持っているかという「相手側の視点」が完全に欠落していました。
現代の安全保障論においても、この太平洋戦争の教訓は、「自国の願望を前提とした戦略(Wishful Thinking)がいかに国家を危うくするか」を示す典型的な事例として語り継がれています。倭国海軍は、自らが望む「限定戦争」という土俵にアメリカを引きずり込めるという幻想に賭けましたが、現実はアメリカによって土俵そのものを破壊されたのでした。 December 12, 2025
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