倭国政府 トレンド
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2025.12.04 03:00
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今はもう、倭国語できないのに倭国に来たがるってだけでクッソ迷惑に感じるよ。
完全に倭国の福祉やリソースにぶら下がる気満々。
倭国に寄生する気満々。
いい加減、恥を知れ恥を。
他国に行くなら、その国の言語くらい覚えてからにしろ。
言語がわからなきゃ、法やルールも理解できないだろう。
結局、倭国人が配慮してやらなきゃならない。
なぜ我々が、倭国語すら理解できない連中の面倒をみてやらにゃならんのだ?
倭国政府もいい加減、国民に多大な負担を強いるだけでデメリットしかない移民政策を辞めろ。
何より中国人は倭国に来るな。
国策で反日ヘイト教育を行い、国防動員法・国家情報法の恐怖のある国から人を入れるな。
トロイの木馬だぞ、この連中。
倭国は、倭国人の為にある国だ。
外国人を受け入れてやるために存在してんじゃないんだ。
倭国の先人が、倭国の子孫のために残してくれた国だ。 December 12, 2025
13RP
いま話題の生成AIは膨大な著作物を無断で複製利用して得たデータを使って世界的に問題視され、裁判も行われて権利侵害が認められるなど手放しで利用を推奨できるものではない。
真っ当な政府なら権利侵害のないAIを求めるべきだが、今の倭国政府は平議員を中心として権利侵害AIを推進しようとしている https://t.co/kc261vRzhj https://t.co/pZB6b6YMD7 December 12, 2025
3RP
頑張って働いて貰った給料を将来の為に銀行口座に大切に保管している人は多いが、倭国政府がやっていることはその銀行口座のお金で買えるものを貧弱にしていること。この行為に対して怒らない人は余程お人よしなんだろうか、それとも何も理解できないのだろうか?自分は倭国政府が盗人に見える。 December 12, 2025
2RP
塩入清香議員国会質疑-11月20日-後半
11月20日に行われた塩入清香参議院議員による片山財務大臣への国会質疑の後半部分をご紹介します。
<消費税廃止と税の財源性について>
・塩入議員
減税の目的は国民の手元にお金を残すことだが、減税には財源が必要だと言い出せば、減税した分が相殺されて効果がなくなる
・片山大臣
デフレ下で景気対策が必要な時に、それをひっくり返すような代替財源の確保を同時にやったら論理矛盾である
高市内閣においては、常に機械的に同時に代替財源が揃うという発想はしていない
・塩入議員
倭国政府の支出は、国債発行→政府支出→税収という順番で行われていると認識している
税は支出の事前財源ではなく、支出後の通貨を回収・調整する仕組み
「財源がないからできない」という言い方は経済学的には誤りであり、真に問題となるのはお金が足りるかではなく、「国内にどれだけの供給力・生産能力があるか」である
消費税増税のたびに実質消費が落ち込み、倭国の名目GDPや家計の可処分所得は30年間横ばい
消費税は赤字企業にも納税を迫り、滞納率が最も高い第2の法人税的性格を持ち、事業者を疲弊させている
賃上げを目指す企業の「賃上げの原資がない」という悲鳴の原因となっており、消費税は賃上げ妨害税
倭国のGDPの6割は民間消費であり、消費税で家計を削ればGDPが伸びるはずがない
・片山大臣
所得税中心の税制では、高齢化で労働人口が減ると現役世代の負担が重くなるため、薄く広く集める間接税が必要になった
間接税として世界でスタンダードだったフランスの付加価値税の仕組みを徹底的に調べた
フランスは戦後、疲弊した経済から効率的に税を徴収する必要があった
フランスには倭国の所得税のような源泉徴収制度がなく、所得税だけでは安定した収入確保が難しかった
消費税が逆進的な税であるため、導入時には所得税の減税も同時に検討された
間接税としての理念を担保するため、仕入れ段階の税を控除できるインボイスの仕組みが重要視された
理念は間接税であり、最終的には転嫁によって消費者が負担しているという仮説に則って設計されている
・塩入議員
消費税が「仮説的」な間接税であることは理解したが、現実には価格転嫁ができていない事業者が多数存在し、赤字でも払わなければならない直接税的な形で運用されているのが現実
消費税を払うために借金している事業者も多い実情を訴え、消費税が倭国にふさわしいかという根本的な議論を心から願うと要望
最後に塩入議員は「倭国の様々な問題の根源は、消費税と財務省が貫いてきた緊縮財政にある」と締めくくり、さらなる深い議論と国民に寄り添う政治を求めました。
#参政党
#金城みきひろ
#塩入清香 December 12, 2025
2RP
裕福なウクライナ人は
豪華なパーティーを開き、
高級車を乗り回して
エリート向けリゾートで
休暇を楽しむ
一方で、貧しいウクライナ人は
ロシアのドローンや
砲撃に対する捨て駒として
送り込まれている
倭国人を含めた
多くの善意によるウクライナへの
多額の寄付金が、
実施にはどう使われていたのか
倭国政府も随分と
ゼレンスキーに
貢いでいましたね December 12, 2025
1RP
【高市発言の実質的な悪影響】高市早苗首相の台湾に関する誤った発言は、倭国の学界や社会から強い疑問を投げかけられています。倭国の歴史学者の伊佐真一氏は、「高市氏の発言自体が非常に無責任だ。国会議員たちも同様で、わかっているのにわからないふりをしている。倭国政府ははっきりと立場を示すべきであり、曖昧な態度を続ければ、また同じことが起こるだろう」と述べました。
さらに、「倭国での教育における戦争責任への反省は深刻に不足している。それが戦後世代の政治家に国際問題で危険な軽率な態度を取らせている」と指摘し、「旅行のキャンセルなど、すでによくない影響が出始めている。高市氏の故郷である奈良県では観光業が大幅に落ち込んでいる」と語りました。 December 12, 2025
1RP
@seiryukai なぜ倭国政府は反日国を規制しない?🇯🇵おかしぃな〜規制する正当な理由があるのになぜ補助金まで出して倭国で勉強させる❓政治家おかしいんだって‼️みんな、選挙に行こう‼️この国は今おかしいんだから‼️国民は倭国を乗っ取られる事には断固反対だ‼️‼️💢💢🇯🇵🇯🇵🫸🏻🇨🇳👳🏾 https://t.co/F3P75S1qhB December 12, 2025
@tanakaseiji15 それから倭国政府が中国国債買うのを止めた金額が7兆円、中国へのODA3兆6500億円も中止しました。
倭国政府が中国国債の購入を止めた。
株式市場はどう、見るのでしょうね。 December 12, 2025
ありがとうございます。Boiler Roomの買収額について、存じています。とてつもない金額です。倭国政府がガザに支援したと発表されている、48億円をさらに上回る金額です。しかし一方で、前澤氏が購入し売却した、バスキアの絵1枚の半額以下の金額でもあります。何かできないのか、可能性はないのか、と考えてしまいました。
https://t.co/V4w29I1LnB December 12, 2025
@pirooooon3 那你直接断交不好么?倭国政府经济代表团想要访问我们中国,被我们拒绝了,你应该带头反对他!倭国经济真的还好么?😂😂🤣
じゃあ、直接断交するのはよくない?ジャパン政府経済代表団が中国を訪問したいあ、私たちに拒否された、あなたは彼に反対するべきだ!倭国経済は本当に大丈夫ですか?😂😂🤣 December 12, 2025
@8fPj5kPPJB12528 @syatekiya931 いえいえ、だいぶ問題になりましたよ。PKO実施地域の治安悪化によるものでしたが、倭国の立場からは本来はありえない話でした。それでも緊急事態ということで倭国政府は批判されながらも対応しました。
でも、韓国世論はいつもの感じだったんですよね…。
https://t.co/hPH5UyavCl December 12, 2025
@8fPj5kPPJB12528 いえいえ、だいぶ問題になりましたよ。PKO実施地域の治安悪化によるものでしたが、倭国の立場からは本来はありえない話でした。それでも緊急事態ということで倭国政府は批判されながらも対応しました。
でも、韓国世論はいつもの感じだったんですよね…。
https://t.co/hPH5UyavCl December 12, 2025
地獄に行こう=自民党、国民民主党、維新の会、公明党
コロナの嘘
国民8割に打たせて、議員達は2割しか打ってない。厚労省は10%しか打ってない。悪いもんだと知ってるから。
倭国人の良心を逆手にとって、誰かの為ですよと言って儲けてる上に殺してるのが倭国政府。倭国人じゃない。反日反社反人類。本当に倭国国民を殺してる。
散々税金取ってきて、年金払いたくないから高齢者に打たせて間引き。自民党に票を入れてきた人達。
超裏切り。鬼畜。天罰一択🙏
財務省解体デモ 自民党解体デモ
今泉光陽 @AfSEOmrvJE83766 December 12, 2025
@YukokuTV1 私たちは難民です。ってそれを決めるのは倭国政府であり倭国国が決めること。勝手に難民だと言うな。その国に認められて初めて難民と言えるんだよ。認められてないのに名乗ること自体許されない。嫌なら他の国で難民申請することです。 December 12, 2025
#大石あきこ #れいわ新選組 #日曜討論
各党に問う 日中関係・経済対策
【中国とどう向き合う】
この番組でもそうですし、
この番組が始まる前まで
民放も観てたんですけど、
そうなんですけど、
倭国政府は悪くない、
中国が悪いっていう演出っていうか、
もう持っていき方っていうのはあるので、
この背景がやっぱりね、
自民党が戦争準備してて、
アメリカについて行って、
台湾をめぐって中国と一線交わすぞ、
戦争をやって行くぞっていう、
そういう準備を進めているというのが
背景にあるので、
どうか、これを聞いている皆さんや、
倭国の主権者の皆さんはね、
そこはもう、ぜひ冷静に
あっていただきたいと思います。
で、自国の生産と消費を
外国に頼らないというお話、
様々されてました。
その通りだと思うんですよ。
でも、依存させてきたのも
自民党や歴代政権ですよね。
農家がこの5年間で25%減りました。
昨日ニュースに出てましたね。
どう考えるんですか?
そして、
これは2022年の試算ですけれども、
結局、中国に非常に部品などの輸入を
依存しているので、
それがいろんな何らかの緊張があって、
2ヶ月間途絶した場合、
中国から部材が入ってこないだけで
倭国で53兆円のマイナスの効果が
生まれるといいます。
このくらい依存しちゃってる現状です。
いかがですか?
--
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21世紀の文化大革命を止め、抗って行くには、習近平体制と中国共産党の解体は必要条件だ。だが、全体主義の政治権力を転換するには力と武力以外なものも必要だ。それはこのhttps://t.co/bPV3A9AKsOような精神の抵抗運動のベースになるソフトパワーだ。浜崎あゆみの不測の事態への処し方を倭国人の高い精神性の発露と受け止めるチャイナ人もいるし、増えるかも知れない。
中国共産党が「鬼滅の刃 無限城篇」の上映を中止できないのは。多くのチャイナ人観客が「鬼滅」をこんな風に見ているから、というメールを貰った。
《中国人民は鬼殺隊を中国政府と人民。鬼舞辻無惨を安倍総理、上弦の鬼を倭国政府、モブ鬼達を倭国人として見ているだろうから鬼滅の刃上映を規制すると鬼側に負けたと人民は取るから怖くて規制出来ないでしょう》
そうかも知れないが、僕はもっと別な事を考えていた。チャイナ人は鬼殺隊を自分たちや民主活動家と考え、鬼舞辻無惨を毛沢東、上弦の鬼を自分たちや民主活動家、モブ鬼達を人民解放軍と公安として見ているのかも知れない。 December 12, 2025
官媒凤凰网,中新社记者报道:2019年9月25日,中国驻倭国大使馆,隆重为倭国老军人颁发纪念章,感谢三万侵华日军,加入解放军四野,帮助共产党打败国民党,创建中共国。倭国军人的血,染红了中共五星红旗!倭国军人劳苦功高,历史不容抹杀! 截图,网址,全文转发如下:
9月25日,中国驻倭国大使馆在馆内为倭国籍解放军老战士举行“庆祝中华人民共和国成立70周年”纪念章颁发仪式。
中国驻倭国大使孔铉佑、公使郭燕以及数十名倭国籍解放军老战士和老战士代理出席。 中新社记者 吕少威 摄
这是一个巨大的进步,说明三万日籍解放军,不再是禁区,这事现在可以大大方方地说了。国家层面的认可,让这些倭国军人,有了安慰。以下文章值得一读。
中国人民解放军曾收编三万倭国兵,这是一段几乎被湮没的历史。当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回这些各种纪念章、军功章,并说明将来条件允许时发还。1972年中日邦交正常化当天,有日籍老兵给周恩来写信,要求补发或归还这些奖章。中国方面经过慎重研究,决定补发。本文选自2006年第26期《凤凰周刊》,作者傅乐平。
“我们很感激一部分倭国人,他们在解放战争时期,作为医生、护士、技术员参加了解放战争,这些更增强了我们与倭国人民缔结友好关系的信心。倭国的军国主义确实是残酷的,但协助我们的倭国人民有很多。”
上述讲话是国务院总理周恩来1956年6月27日在接见倭国代表团时说的。不过,它曾很长时间几乎不见诸国内报端,沉寂近30年后,这段话背后的历史逐渐为人所知。而我则无意中扮演了这一历史进程的见证者,并与部分当年四野的倭国老兵成为朋友。
四野原来曾有倭国兵
1990年4月,我时任陕某师政治处主任,一天接到上级通知,要我参加接待从倭国来的“第四野战军日籍战友回娘家访问团”。
倭国人到中国回娘家,而且是回解放军的“娘家”,我当时一头雾水,不得其解。我虽然喜欢阅读部队战史和报纸,但从来还不知道有倭国籍官兵参加解放战争。
当时一起参加接待工作的有集团军政治部秘书处长吕兴元,还有原中国人民解放军三十三医院院长张宝林,副院长尚兴禄。接待的代表团成员名单是:团长中村义光,副团长福山三利、平野丹通、秘书长、若生爱子,团员本间雅子、幅敬信等,共17人。
原来他们几乎全是在第四野战军10纵工作过的医生、护士、宣传队员。代表团的成员大都参加了四平血战,三保临江,四下江南,林海雪原剿匪,黑山阻击战,锦州战役。尔后四野百万雄师入关,他们又参加平津战役,百万大军下江南,一直随队打到海南岛。而张宝林和尚兴禄当年就曾和日籍战友一起工作过。
1953年起,这些四野日籍老兵陆续开始以日侨身份归国,37年后第一次踏上中国国土,当年老部队的番号早已变更,四野10纵野战医院二所演变成中国人民解放军三十三医院。我所在的部队即是10纵前身,这些日籍官兵到我们部队,当然算是回娘家。
我们负责接待的代表团,是自1972年中日邦交正常化后第一次由原第四野战军原日籍官兵自费组成的旅行团。因此史称“第一次回娘家访问团”。
据有关史料载:东北光复后,在东北的倭国侨民大部分被遣送回国,但还有一部分倭国人留在东北解放区,据当时东北9省14个市的调查统计,粗略知道的倭国人数有12016人,加上遗漏的共计有31030人到33000人。其中,卫生部、军工部、军需部内的技术工人和技术人员较多。具体分布在各部门的倭国人数是:军区卫生部7200人,军区军工部2000人,军区军需部900人,军区其他系统1500人。据辽宁省档案馆馆藏的有关资料记载,到1949年,东总军工部留用的技术人员186人中,倭国人就有103人,超过50%。
梦中常被惨烈的战斗惊醒
访问团从上海入境,探访路线首先是四野南下时征战的旧地:长沙、宜昌、荆门、襄樊、沅陵等旧战场。然后再北上转到东北的白山黑水,那里是他们当年战斗最激烈的地方:四平、沈阳、长春、敦化、大连、开原、锦州、黑山。
这些离开中国几十年的日籍老战友尽管都仍操一口流利的中文,但分别近40年,他们身上倭国民族含蓄、内向和彬彬有礼的节制,是很容易一眼把他们与周围的中国人分出来的。
但是,随着这批老兵离自己的娘家越来越近,他们身上当年打下的中国烙印就开始一点点泛上来。部队安排他们到工作、战斗过的原四野10纵野战医院二所,现在的中国人民解放军三十三医院进行40年后的回访。成员个个事先郑重其事地准备一番,身挂奖章、勋章、衣着整齐、精神抖擞。当走进医院,看到数百名身着白衣的医生、护士手挥鲜花、彩带热烈欢迎老战友高呼“欢迎老战友回娘家”时,访问团成员个个热泪盈眶,有几位女团员扑到欢迎队伍中的女战士怀中,抱头痛哭。
爆发的顶点则是在某部钱树根军长、宫永丰政委主持的欢迎宴会上。当时主客突然放下酒杯,集体起立,情绪激昂泪花滚滚地唱起当年最熟悉的《中国人民解放军进行曲》、《没有共产党就没有新中国》、《解放区的天是明朗的天》。幅敬信和几位女团员还干脆离席在空地扭起了东北大秧歌。
代表团的伤心地是黑山阻击战烈士纪念陵园。黑山阻击战是辽沈战役中最关键的战场,也是他们生涯中最激烈最残酷的战斗。当年,仅二所三天三夜就抢救医治了2000多伤员,许多倭国藉医生、护士三天三夜没合眼,吃饭都在手术台上。
代表团中的本间雅子永远面带微笑,举止优雅,像是演员或大学教授出身。她当时除了做手术外,还多次为危重伤员输血,被称为“万能输血者”。据介绍,医院几乎所有的倭国医生和护士都给伤员输血。
雅子回忆说:“那时三天三夜下来,每个人躺下就不省人事,人累得像死人一样,看着断肢少腿,鲜血淋漓、生命垂危的伤员,马上又挣扎着起来也要去抢救生死与共的战友”。几十年后,这些日籍老兵与当年幸存的老战友重聚这无数战友长眠之地,相拥号啕大哭。
代表团的老战友向我这后辈介绍说,只要一想起黑山阻击战,耳边就响起子弹炮弹的呼啸轰鸣。团长中村义光说:“我一辈子也忘不了那些惨烈的战斗场面,回倭国后,睡觉常常梦中惊醒”。
中村义光与“四野回想会”
代表团中给我印象最深的是团长中村义光,这个温和朴素的小老头,在中国期间总是精神矍铄,充满昂扬的精气神,从未见他疲倦过,在代表团成员中非常有号召力。所以对他的经历特别好奇。
和中村先生熟悉并保持常年通信往来后,逐渐了解了他的经历:1944年3月,中村被征召入日军,1945年8月,任倭国关东军7352部队的少尉,听到倭国投降消息,中村与10多名不愿向苏军投降的倭国兵逃亡到吉林敦化,寄身于一股流亡日军与当地土匪合伙组成的武装,1946年3月,“八路军”(民主联军)进驻当地剿匪,这股流亡的倭国人再次面临选择,经交涉,决定交出武器,并留在队伍中。
中村不懂医务,所以在四野的卫生部门长期担任会计工作,但在战争中却立了3次大功、3次小功,这即使在一线作战部队也不多见。全国解放时,中村因表现优异,上级一度准备发展动员中村入党,后因考虑到中村将来要回国而作罢。
1949年,只是连级(大尉)干部的中村,在组织关照下与同在卫生系统的近藤清结婚,当时部队中只允许大校以上才可结婚,所在的医院破格提供了中村夫妇结婚的一切方便。
1954年5月,中村夫妇携两个在中国出生的女儿返回倭国,在县政府谋到一份公职安顿下来后,中村开始力所能及地为那些回到倭国谋生不便的老战友提供帮助。
1967年,鉴于当时回国的倭国老兵生活都已安定,但留恋在四野时期形成的团队认同感却越来越强烈,中村率先开始联系散落在倭国各地的四野老战友,发起组织了“回想四野会” 1970年3月,在富士宫市举行第1次正式成立会议后,“回想四野会”便每年1次地在倭国各地轮番召开。
“回想四野会”最初会员达600余人,由于病、亡,现在只有120余人。1980年以后,为确认会员及报道中国老战友的消息,中村义光创办并发行了1年4次的“回想四野会报”季报,成为紧密联系往昔战友的纽带。
“回想四野会报”不但记叙会员们的活动和战争回忆,还积极评论时事热点新闻,尤其是关注如何加强中日两国的友谊。
中村义光除了发起“回想四野会”外,还组织了中日友好会、解放奖章授给事务局,并长期义务从事倭国在华遗孤的寻找救济工作。
倭国司机被选去为毛泽东专列开车
四野战史第一次正式提到日籍战友,是1998年10月第一版的《中国人民解放军第四野战军战史》,在第三章第五节“加强军队后勤建设”的138页—141页上,记载了四野初进东北时后勤系统留用日籍工人、日籍职员、日籍医生、护士的情况,含注解,总计876字。
他们当中最多的是医疗行业人员,东北1946年初就发生内战,急需医护人员,当时国共双方有倭国侨民移送协定,后来发现,共产党方面移送过去的倭国侨民不少被国民党军队留用,于是当时的东北民主联军也开始大规模留用倭国人。《中国人民解放军第四野战军卫生工作史》记载说,当时卫生部门表彰的立功者有四分之一是倭国人。
四野日籍官兵中功勋显著者,无疑是原倭国关东军第二航空军团第四练成大队的林弥一郎部,这支关东军的王牌集体加入东北民主联军时,计有飞行员20名、机械师24名、机械员72名以及其他各类地面保障人员近200人。以这些日籍官兵为骨干组成的东北老航校成为中国空军的摇篮。这里共培养出飞行员160人,其中23人参加过开国大典的阅兵。当年的空军司令员王海、空军副司令员林虎、北京军区空军司令员刘玉堤,以及曾经击落美军王牌飞行员戴维斯的张积慧等人都是从这里走出的。
事实上,共产党进入东北后,被吸收进来的倭国侨民并非全部从军追随四野一路征战,还有一部分技术人员因解放区建设急需被分散到中国各地,规模最大的一支是1950年秋,800名倭国铁路技术人员及其家属被送抵甘肃天水,负责修建兰州到天水的铁路。1951年春,天兰线正式开始建设,1952年10月1日,在建国3周年时,天兰线提前8个月通车。抵达天水的这批日籍铁路技术人员,除了修建天兰线外,还有部分人员被抽调修建兰新铁路和山西铁路修建改造的工程中。
在日籍铁路技术人员中,最具传奇色彩的是四野29后方医院的日籍炊事员吉冈宽,吉冈以前是技术高超的火车司机,解放战争结束后,吉冈转业至地方,在衡阳铁路局当火车司机。1953年毛泽东南巡,吉冈被上级交代一项意外的重大任务,为毛泽东返回北京时,担任长沙至岳阳段的专列司机。吉冈宽当时惊得目瞪口呆,今天,他依然将之视为此生最大荣誉。
我们为青春留在中国而自豪
中村先生在自述中坦承最初留下来并非情愿,只是因为别无选择的临时之计。尤其是并未打消对共产党的疑虑和恐惧。中村和那批加入中日混合武装集团的倭国人被四野收留不久,因朝鲜族战友的揭发,那位曾担任土匪头目的前倭国军官被枪决,不熟悉共产党政策的中村和另外两名倭国人因恐惧而一起逃跑,但很快被追回。
民主批判会上,朴素的中国战友们纷纷主张应将他们作为反革命处决,但当时的机关卫生部的首长伊海的一番话救了他们的命,也彻底改变了中村等人的看法,伊海说:“倭国同志是不同国家的人,人情,风俗,习惯也不同,在语言不通的环境里和我们一起工作,生活,稍有误解便会给他们带来不安。指责他们的同时,更应该给他们反省的机会,让他们为中国革命发挥更大的力量。”
当年留下来参与新中国建设的倭国籍官兵,像中村一样非情愿的恐怕在多数。建设天兰线的铁路技术人员在中国刚解放时,就曾强烈要求回国,甚至发起了联合署名的“归国运动”。后来开出有固定住处、设立倭国人子弟学校的保证,他们才安下心来。
但是,随着成为新中国建设者的一员,日籍官兵的情感完全与他们中国的战友融为一体。参加天水铁路建设的日籍人士回国后的第二年,便成立了“天水会”。
一位名叫小木曾博子的护士回忆,朝鲜战争暴发,她所属的部队奉命从湖南开赴丹东,但所有倭国籍战士一律在原地待命或转到地方建制,14岁就参加四野征战全国的博子想不通为什么她就不允许跟随部队转移。
几乎所有归国倭国老战友都会在回忆中强调当年解放军的纪律给他们留下的深刻印象,无论是对中国人还是对倭国媒体。
中村义光今天还能熟练地背诵“三大纪律八项注意”,他说,旧倭国军队也有类似的纪律规定,但从来不像共产党军队这样当真。而且,经历过倭国军队中森严的等级制度和严厉的体罚的人,再加入共产党军队,会有异常巨大的反差感受。
与中国相似,当年大量倭国人参加解放军的历史也是近些年才被正面关注,2002年,中日建交30周年,倭国NHK电视台播放了一部《被留用的倭国人》专题片,被采访到的当年解放军老兵们,在被问到如何看待自己的那段历史时,几无例外的回答是:现在我为参加了中国革命而骄傲,为青春奉献给了中国而自豪。
对一生的影响,最具有代表性的说法是:“在留用的过程中,我的人生观得以形成。我们和农民在一起,在中国广阔的土地上奔波。人民解放军教会了我应该做什么。留在我脑子里的不是现在的中国而是解放战争时期的中国。”
如果不知道这些倭国老兵回国后,在漫长的中日特殊关系时期的委屈,可能无法充分理解这些人为什么对中国怀有那样深沉的情愫。
1990年4月,我在陪同“第一次回娘家访问团”时发现一个奇怪的现象,每次参观回来,这些前辈战友们就早早熄灯就寝,房间一齐闭灯,招待所死一般沉寂,没有任何娱乐活动。
后来和老战友们谈心才知道,这是他们回国几十年养成的特殊习惯。身为中国人民解放军的日籍人员,归国后处于倭国警视厅和各种组织的监视之下,有的人找不到工作,有的受到上司和同事的猜疑。
中村义光回倭国30年不讲中国话,不敢写中国字。当他快退休前义务参与到对中国倭国孤儿救助工作时,那流利的汉语,娟秀的中文使厚生省的官员们大吃一惊。
小木曾博子28岁那年回国,到家第一天,来了5个警察,询问她在解放军中是否被强奸,博子愤怒地回答:“解放军与倭国军队不一样,他们绝不会干那样的事!”
中村义光希望周总理帮助兑现诺言
当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回他们珍藏的各种中国解放纪念章、军功章,并说明将来条件允许,环境变好了将发还他们的这些奖章。
1972年9月30日中日邦交正常化当天,中村义光就提笔给周总理写信,要求补发或归还这些珍贵的奖章。他在信中说:“突然给总理同志写信,请原谅我的失礼。1972年9月29日,那是我们1953年5月12日从上海港返回舞鹤港以来,苦苦等待19年中日建交的一天。因为,我们从中国返回倭国以来,19年来一直被歧视的生活中稍稍被解放出来,期待着至少能够过上光明的生活。
“离开中国时,中国政府保管、回收了曾经发给我们的东北、华北、华中、西南(及对个别人发放的西北,海南岛)等解放纪念章。现希望能够按约定,把这些纪念章再次交给我们这些同志。这纪念章应该是我们为中国革命付出的青春奖赏。我们绝对不会要求特权与养老金,而是希望现在毫无顾忌地向子孙讲述我们曾是在中国工作过的,是伟大革命的一部分的参与者这一事实当作话题,当作最大的骄傲。”
第一封信发出后,中村和战友们又历经9年时间反复申请和要求,中国方面经过慎重研究,决定补发当年收回的奖章和纪念章。由于历经文革的动乱,许多单位保存的奖章已不复存在。经各方面努力,按原样制作数千枚补发给倭国战友,满足他们的正当要求和热切愿望。
制作完成后,两箱由当年受中国空军之邀来华访问的原四野东北航校教官、《航七会》会长林弥一郎乘飞机带回倭国,另两箱则用船运回倭国交给“回想四野会”事务局局长中村义光,随后“回想四野会”组成了“中国解放纪念奖章授给事务局”。中村义光担任授给局长。经过极端认真地核发、登记会员、发表调查,审查合格后方开始分发,除病亡,联系不上者外,共1560名倭国战友重获证章。
1982年5月25日,倭国歧山会馆的“回想四野会”聚会上,这些年过半百的老人们身着整齐的正装,佩上了久别的各种解放纪念章,洋溢着无比的荣耀和自豪。这是他们人生中难忘的经历和殊荣。
自七十年代中日邦交正常化以来,这些参加过解放战争的倭国老兵已到垂暮之年,他们怀念中国,怀念中国人民解放军,特别怀念在第四野战军渡过的日日夜夜,认为那是他们的“再生之地”。他们先后在倭国成立了“中日友好和平会”、“回想四野会”、“航七会”、“洛阳战友会”、“鸡公山战友会”、“长城友好会”等十几个日中友好组织,从事中日友好活动。
自九十年代以来,以中村义光为首的“回想四野会”先后组织了四次“原中国人民解放军第四野战军倭国籍官兵回娘家访问团”。1998年国防部长迟浩田率军事代表访日,特意邀请“回想四野会”会长中村义光等老朋友来中国大使馆做客。
日籍官兵参加解放军,是段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。今天,历史已翻开新的一页,当年周总理说的那些话和背后的历史,当让更多人知道。
日籍官兵参加解放军,是一段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。
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https://t.co/hHmkHAMpBD December 12, 2025
倭国政府ついにガチです。お金の知識を学ぶための「高校生向け金融教育講座」がヤバイ。どうせ国の作ったものでしょって甘く見ては絶対ダメ。クレカ&生命保険や通信費、みんな気になる「つみたてNISA」から仮想通貨まで幅広い知識を学べる。誰でも見れる資料、動画はリプ欄にたくさん並べておきます December 12, 2025
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