倭国政府 トレンド
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2025.12.03 20:00
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今はもう、倭国語できないのに倭国に来たがるってだけでクッソ迷惑に感じるよ。
完全に倭国の福祉やリソースにぶら下がる気満々。
倭国に寄生する気満々。
いい加減、恥を知れ恥を。
他国に行くなら、その国の言語くらい覚えてからにしろ。
言語がわからなきゃ、法やルールも理解できないだろう。
結局、倭国人が配慮してやらなきゃならない。
なぜ我々が、倭国語すら理解できない連中の面倒をみてやらにゃならんのだ?
倭国政府もいい加減、国民に多大な負担を強いるだけでデメリットしかない移民政策を辞めろ。
何より中国人は倭国に来るな。
国策で反日ヘイト教育を行い、国防動員法・国家情報法の恐怖のある国から人を入れるな。
トロイの木馬だぞ、この連中。
倭国は、倭国人の為にある国だ。
外国人を受け入れてやるために存在してんじゃないんだ。
倭国の先人が、倭国の子孫のために残してくれた国だ。 December 12, 2025
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【高市発言の実質的な悪影響】高市早苗首相の台湾に関する誤った発言は、倭国の学界や社会から強い疑問を投げかけられています。倭国の歴史学者の伊佐真一氏は、「高市氏の発言自体が非常に無責任だ。国会議員たちも同様で、わかっているのにわからないふりをしている。倭国政府ははっきりと立場を示すべきであり、曖昧な態度を続ければ、また同じことが起こるだろう」と述べました。
さらに、「倭国での教育における戦争責任への反省は深刻に不足している。それが戦後世代の政治家に国際問題で危険な軽率な態度を取らせている」と指摘し、「旅行のキャンセルなど、すでによくない影響が出始めている。高市氏の故郷である奈良県では観光業が大幅に落ち込んでいる」と語りました。 December 12, 2025
28RP
いま話題の生成AIは膨大な著作物を無断で複製利用して得たデータを使って世界的に問題視され、裁判も行われて権利侵害が認められるなど手放しで利用を推奨できるものではない。
真っ当な政府なら権利侵害のないAIを求めるべきだが、今の倭国政府は平議員を中心として権利侵害AIを推進しようとしている https://t.co/kc261vRzhj https://t.co/pZB6b6YMD7 December 12, 2025
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世界的にも生成AIは非難轟々でディープフェイクによる詐欺が多発したり中毒で自殺者も出てきて各国は問題対処のフェーズに移っている状況なのに倭国政府は今だに生成AIで勝ち筋とか夢見てるのをみると呆れるが、オルツと癒着してたあの人らが性懲りも無くゴリ押ししているんだろうな。 https://t.co/fvXyn7IO7j December 12, 2025
10RP
トランプ大統領のこういうユーモア大好き❣️
いよいよ偽倭国政府をぶっ潰しにくるかな😆
「名前は言わない。倭国については言及しない。韓国についても言及を拒否する。名前は絶対に言わない」
「だが彼らは前代未聞の規模で我々を搾取していた」 https://t.co/dxepaP8PSw https://t.co/F27pQ51w32 December 12, 2025
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本日の参院本会議で質問に立ち、高市総理に質問しました。
まず非核三原則。
先週の党首討論で明確な答えがありませんでした。
① 被爆者の方々の声を直接聴く意思は?
②国会決議の重みをどう考えているのか
との質問に
高市総理から、
「今後、適切な機会を捉え、被爆者の方々のお声にも直接耳を傾け、被爆の実相の国内外における正確な理解を一層促進していく考えです」
「国会決議は私としても重く受け止めております。その上で、政府としては、非核三原則を政策上の方針として堅持しております」
との答弁がありました。
次に台湾有事関連。
観光業界などへの影響が広がる中、冷静で一貫した対応が必要との考えから、
「台湾に関する倭国政府の立場は日中共同声明にあるとおり、全く変更はないか」
と質問。
総理から「一切の変更はありません」との答弁がありました。 December 12, 2025
5RP
改めて岡田克也氏の存立危機事態に関する高市早苗総理への質問を読むと酷い。読売新聞は「答弁を迫った上で、答弁したら撤回を迫るとは、何が目的なのか」と社説で書いたが、目的がよく分かる。
○岡田(克)委員 今の答弁では、とても存立危機事態について限定的に考えるということにはならないですよね。非常に幅広い裁量の余地を政府に与えてしまうことになる。だから、私は懸念するわけですよ。
もちろん、倭国の艦船が攻撃を受ければ、これは武力行使を受けたということになって、存立危機事態の問題ではなく、武力攻撃事態ということになるんだと思います。そういう場合があると思いますけれども、倭国の艦船が攻撃を受けていないときに、少し回り道をしなければいけなくなるという状況の中で存立危機事態になるということは、私はなかなか想定し難いんですよね。そういうことを余り軽々しく言うべきじゃないと思うんですよ。
例えば、自民党副総裁の麻生さんが昨年一月にワシントンで、中国が台湾に侵攻した場合には存立危機事態と倭国政府が判断する可能性が極めて高いという言い方をされています。安倍さん自身も、台湾有事は倭国有事。ここで有事ということの意味がよく分かりませんけれども、何か非常に軽々しく私は問題を扱っているんじゃないかというふうに思うんですね。
もちろん、存立危機事態ということになれば倭国も武力行使するということになりますから、それは当然その反撃も受ける。そうすると、ウクライナやガザの状況を見ても分かるように、地域がどこになるか分かりません、あるいは全体になるのかもしれませんが、極めて厳しい状況が国民にもたらされるということになります。そういう事態を極力力を尽くして避けていかなきゃいけない、それが私は政治家の最大の役割だというふうに思うんですね。
それを軽々しく、なるかもしれないとか、可能性が高いとか、そういう言い方が与党の議員やあるいは評論家の一部から、自衛隊のOBも含むんですが、述べられていることは極めて問題だと私は思うんですが、総理、いかがですか。
https://t.co/UDXOL4dmkv December 12, 2025
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塩入清香議員国会質疑-11月20日-後半
11月20日に行われた塩入清香参議院議員による片山財務大臣への国会質疑の後半部分をご紹介します。
<消費税廃止と税の財源性について>
・塩入議員
減税の目的は国民の手元にお金を残すことだが、減税には財源が必要だと言い出せば、減税した分が相殺されて効果がなくなる
・片山大臣
デフレ下で景気対策が必要な時に、それをひっくり返すような代替財源の確保を同時にやったら論理矛盾である
高市内閣においては、常に機械的に同時に代替財源が揃うという発想はしていない
・塩入議員
倭国政府の支出は、国債発行→政府支出→税収という順番で行われていると認識している
税は支出の事前財源ではなく、支出後の通貨を回収・調整する仕組み
「財源がないからできない」という言い方は経済学的には誤りであり、真に問題となるのはお金が足りるかではなく、「国内にどれだけの供給力・生産能力があるか」である
消費税増税のたびに実質消費が落ち込み、倭国の名目GDPや家計の可処分所得は30年間横ばい
消費税は赤字企業にも納税を迫り、滞納率が最も高い第2の法人税的性格を持ち、事業者を疲弊させている
賃上げを目指す企業の「賃上げの原資がない」という悲鳴の原因となっており、消費税は賃上げ妨害税
倭国のGDPの6割は民間消費であり、消費税で家計を削ればGDPが伸びるはずがない
・片山大臣
所得税中心の税制では、高齢化で労働人口が減ると現役世代の負担が重くなるため、薄く広く集める間接税が必要になった
間接税として世界でスタンダードだったフランスの付加価値税の仕組みを徹底的に調べた
フランスは戦後、疲弊した経済から効率的に税を徴収する必要があった
フランスには倭国の所得税のような源泉徴収制度がなく、所得税だけでは安定した収入確保が難しかった
消費税が逆進的な税であるため、導入時には所得税の減税も同時に検討された
間接税としての理念を担保するため、仕入れ段階の税を控除できるインボイスの仕組みが重要視された
理念は間接税であり、最終的には転嫁によって消費者が負担しているという仮説に則って設計されている
・塩入議員
消費税が「仮説的」な間接税であることは理解したが、現実には価格転嫁ができていない事業者が多数存在し、赤字でも払わなければならない直接税的な形で運用されているのが現実
消費税を払うために借金している事業者も多い実情を訴え、消費税が倭国にふさわしいかという根本的な議論を心から願うと要望
最後に塩入議員は「倭国の様々な問題の根源は、消費税と財務省が貫いてきた緊縮財政にある」と締めくくり、さらなる深い議論と国民に寄り添う政治を求めました。
#参政党
#金城みきひろ
#塩入清香 December 12, 2025
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倭国政府ついにガチです。お金の知識を学ぶための「高校生向け金融教育講座」がヤバイ。どうせ国の作ったものでしょって甘く見ては絶対ダメ。クレカ&生命保険や通信費、みんな気になる「つみたてNISA」から仮想通貨まで幅広い知識を学べる。誰でも見れる資料、動画はリプ欄にたくさん並べておきます December 12, 2025
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兄弟の皆さん、どうかこのことを倭国政府に伝えてください。ご支援ありがとうございます。現在、インドネシアでは違法伐採による鉄砲水に見舞われています。森林は伐採されつつあります。倭国の兄弟の皆さんも、この件について声を上げてください。
@acfreemasons https://t.co/nUpolJ6nr9 December 12, 2025
2RP
@CgtnJapanese そもそも、何が誤って居るのか?
終戦時、台湾や朝鮮は倭国であり、台湾には倭国政府が給料まで出す高等師範学校があり全国から生徒集めて居た。
いつ台湾を中国に譲渡したのか教えて欲しい。
トランプが、米国民主党が戦後続けてきた詐欺行為、米国民に倭国が敗戦したと嘘をついてチョギった背任告発 December 12, 2025
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【香港TVへの志位インタビュー】
高市首相台湾発言 解決には撤回しかない
中国側にも3点で理性的対応を提起
志位議長が主張
香港フェニックステレビインタビュー
(赤旗12/3より)
倭国共産党の志位和夫議長は2日、香港フェニックステレビのインタビューに応じ、「台湾有事は存立危機事態」と述べた高市早苗首相の答弁と、日中関係の打開について見解を述べました。
≪特定の国を名指しして戦争がありうると宣言≫
まず、高市首相の「台湾発言」について問われました。志位氏は、「最大の問題は、特定の国を名指しして、戦争を行うことがありうると公言したことであり、こんな発言をした首相は戦後の歴史でも高市氏が初めてです」と指摘。「台湾海峡での米中の武力衝突が、『どう考えても存立危機事態になりうる』という答弁は、倭国に対する武力攻撃がなくても、米軍を守るために自衛隊が中国に対する武力行使を行う――戦争を行うことがありうると宣言したことになります。戦争放棄をうたった倭国国憲法を蹂躙(じゅうりん)し、日中両国民に甚大な被害をもたらす惨禍につながる危険きわまりない発言で、絶対に許されるものではありません」と述べました。
≪日中両国関係正常化の土台を壊す発言≫
続いて日中国交正常化に伴う1972年の日中共同声明との矛盾について問われました。志位氏は、高市発言は日中両国が国交正常化以降確認してきた一連の重要な合意に背くものだと批判。「72年の日中共同声明では、中国政府が『台湾が中国の領土の不可分の一部』だと表明したことに対して、倭国政府は『十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項を堅持する』としたことで国交正常化が実現しました。高市首相が、台湾問題への軍事的介入の可能性を公言したことは、中国側の立場を『十分理解し、尊重する』という共同声明を乱暴に踏みにじるもので、日中両国関係正常化の土台を壊す発言といわなければなりません」と主張しました。
さらに志位氏は、日中両国は2008年の日中首脳共同声明で、「(日中)双方は、互いに協力のパートナーであり、互いに脅威とならない」と合意している点をあげ、「高市発言は、中国に対する軍事的威嚇の発言であり、08年の共同声明に反する発言であることも明瞭です」と主張。「いま起こっている日中の対立と緊張は、高市首相が、倭国と中国の平和と友好を根本から損ない、日中両国の合意に根本から反する誤った発言をしたことをきっかけにして生まれているものです。この対立と緊張を解決するには、発言をきっぱりと撤回するしかありません。それ以外の道はありません」と訴えました。
≪中国政府へ①ごく一部の右翼的潮流と倭国国民を区別した対応を≫
旅行警告や輸入規制などといった中国側の対抗措置についても問われました。志位氏は、「中国政府が、日中両国の基本的合意に照らして高市発言を批判し、撤回を求めていることは当然のことです」とした上で、「同時に、中国政府が、次の諸点をふまえて対応することが、問題の理性的解決にとって重要だということを、率直に指摘し、求めたい」として中国側に3点を提起しました。
第1は、「高市発言に現れたようなごく一部の右翼的潮流と、倭国国民を区別した対応が重要」だということです。志位氏は、「中国は、これまで歴史問題に対しても、倭国軍国主義を進めた勢力と、倭国国民を区別した対応をとってきました。今回もそうした対応が必要です。倭国国民の多数は、日中の友好関係の発展を願っており、戦争でなく平和を願っています」と指摘し、「そうした倭国国民の理解と共感を得る対応を行う」ことを求めました。
≪中国政府へ②人的交流、文化交流、経済関係にリンクさせない≫
第2は、「この問題を、両国の人的交流、文化交流、貿易や投資など経済関係にリンクさせない」ということです。
志位氏は、「政治的な対立は、あくまでも政治問題として解決すべきです。人的交流や経済関係にリンクさせれば両国の国民が苦しみ、両国の経済が打撃を受け、両国国民間の対立と亀裂をいっそう深刻なものとします。こうした対応は避けなければなりません」と述べました。
≪中国政府へ③事実に基づかない言動、対立をことさらあおる言動はつつしむ≫
第3は、「事実に基づかない言動、対立をことさらあおるような言動はつつしむべきだ」ということです。志位氏は、「そのような言動によって日中両国の緊張と対立がエスカレートすることは、問題の道理ある解決の妨げになるだけだということを率直に指摘したい」と述べ、冷静で理性的な対応を求めました。
その上で、志位氏は、「高市発言に対する倭国共産党としての基本的批判点と中国側に対する3点の要請は、すでに、しかるべき形で中国の政府・党に伝えた」ことを明らかにしました。
≪小手先のゴマカシで解決できる生易しい問題ではない≫
11月26日の党首討論で、高市早苗首相が「台湾発言」を、「事実上撤回している」との一部評価に対して、志位氏が、「撤回していない」と断言している点について問われました。志位氏は、「党首討論で、高市氏が『従来の見解を繰り返しただけ』だと答弁したことをもって撤回にはなりません。従来の見解をも踏み越えた誤った発言を行ったことを認め、撤回を明言しなければ撤回となりません。この発言は、日中両国関係の土台をゆるがす深刻な発言であり、小手先のゴマカシで解決できるような生易しい問題ではありません」と述べました。
≪最優先で撤回を、一連の重要な合意を再確認し、友好関係の再構築を≫
最後に、現状改善のために倭国政府が最優先でとりくむべき課題と、今後の日中関係の見通しを問われました。志位氏は、「まずは高市発言の撤回が最優先です。これなくしては先に進む土台がないということになります」と述べ、発言の撤回を重ねて求めました。
志位氏は、「そのうえで、今後の日中関係を展望した場合、1972年の国交正常化以来、双方が交わしてきた一連の重要な合意を再確認し、その土台のうえに友好関係を再構築していく努力が必要になります」と強調しました。
≪「三つの共通の土台」を重視し、両国関係の前向きの打開を≫
志位氏は、その大前提の問題として、「1972年の日中共同声明における合意を倭国側が厳格に順守することを明確にする」ことをあげた上で、日中両政府間に存在する「三つの共通の土台」を重視して、それを生かして両国関係の前向きの打開をはかり、平和と友好を確かなものにしていく外交的努力を提起しました。
第1は、2008年の日中共同声明に明記された「互いに脅威とならない」という点です。双方が緊張と対立を悪化させる行動を自制する。倭国は敵基地攻撃能力の強化と大軍拡をやめる。中国は、東シナ海などでの力を背景にした現状変更の動きをやめる―などです。
第2は、尖閣諸島の問題について、14年の日中合意で、「尖閣周辺等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていること」について、日中が「異なる見解を有している」と認識し、「対話と協議」をつうじて問題を解決していくと確認していることです。志位氏は、この合意の具体化として、「危機管理メカニズム」を強化するとともに、「南シナ海行動宣言」(DOC)のような、紛争を激化させる行動を互いに自制するルールを日中間で取り決めることを、倭国共産党として提案していることを述べました。
≪北東アジアでブロック対立でなく、包摂的な平和の枠組みの構築を≫
第3は、東南アジア諸国連合(ASEAN)が提唱している「ASEANインド太平洋構想」(AOIP)を、日中両国政府がいずれも支持しているという事実です。志位氏は、「北東アジアで、日米韓、中ロ朝の二つのブロックが形成され、対立がエスカレートする危険が強まっていることを強く憂慮しています」と述べ、「ブロック対立でなく、包摂的な平和の枠組みを構築する努力をすべきです。日米中もふくめ、地域のすべての国を包摂する東アジアサミットという枠組みが現に存在しています。ASEANと協力してこの枠組みを発展させ、AOIPを成功させるために、日中両国政府が協力していく方向を目指すべきです」と提起しました。 December 12, 2025
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米が主食などというのは倭国政府が米農家保護のために流した刷り込みであり、炭水化物で腹を膨らませるのは途上国の食事です。もっと肉を中心に食べないと骨格が発育しない。倭国人は日常的に肉の塊を食べる機会がなさすぎるし、親も発育に無関心すぎる。米と野菜ばかり食べても意味ない。 https://t.co/Nmh5nDC9dH December 12, 2025
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官媒凤凰网,中新社记者报道:2019年9月25日,中国驻倭国大使馆,隆重为倭国老军人颁发纪念章,感谢三万侵华日军,加入解放军四野,帮助共产党打败国民党,创建中共国。倭国军人的血,染红了中共五星红旗!倭国军人劳苦功高,历史不容抹杀! 截图,网址,全文转发如下:
9月25日,中国驻倭国大使馆在馆内为倭国籍解放军老战士举行“庆祝中华人民共和国成立70周年”纪念章颁发仪式。
中国驻倭国大使孔铉佑、公使郭燕以及数十名倭国籍解放军老战士和老战士代理出席。 中新社记者 吕少威 摄
这是一个巨大的进步,说明三万日籍解放军,不再是禁区,这事现在可以大大方方地说了。国家层面的认可,让这些倭国军人,有了安慰。以下文章值得一读。
中国人民解放军曾收编三万倭国兵,这是一段几乎被湮没的历史。当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回这些各种纪念章、军功章,并说明将来条件允许时发还。1972年中日邦交正常化当天,有日籍老兵给周恩来写信,要求补发或归还这些奖章。中国方面经过慎重研究,决定补发。本文选自2006年第26期《凤凰周刊》,作者傅乐平。
“我们很感激一部分倭国人,他们在解放战争时期,作为医生、护士、技术员参加了解放战争,这些更增强了我们与倭国人民缔结友好关系的信心。倭国的军国主义确实是残酷的,但协助我们的倭国人民有很多。”
上述讲话是国务院总理周恩来1956年6月27日在接见倭国代表团时说的。不过,它曾很长时间几乎不见诸国内报端,沉寂近30年后,这段话背后的历史逐渐为人所知。而我则无意中扮演了这一历史进程的见证者,并与部分当年四野的倭国老兵成为朋友。
四野原来曾有倭国兵
1990年4月,我时任陕某师政治处主任,一天接到上级通知,要我参加接待从倭国来的“第四野战军日籍战友回娘家访问团”。
倭国人到中国回娘家,而且是回解放军的“娘家”,我当时一头雾水,不得其解。我虽然喜欢阅读部队战史和报纸,但从来还不知道有倭国籍官兵参加解放战争。
当时一起参加接待工作的有集团军政治部秘书处长吕兴元,还有原中国人民解放军三十三医院院长张宝林,副院长尚兴禄。接待的代表团成员名单是:团长中村义光,副团长福山三利、平野丹通、秘书长、若生爱子,团员本间雅子、幅敬信等,共17人。
原来他们几乎全是在第四野战军10纵工作过的医生、护士、宣传队员。代表团的成员大都参加了四平血战,三保临江,四下江南,林海雪原剿匪,黑山阻击战,锦州战役。尔后四野百万雄师入关,他们又参加平津战役,百万大军下江南,一直随队打到海南岛。而张宝林和尚兴禄当年就曾和日籍战友一起工作过。
1953年起,这些四野日籍老兵陆续开始以日侨身份归国,37年后第一次踏上中国国土,当年老部队的番号早已变更,四野10纵野战医院二所演变成中国人民解放军三十三医院。我所在的部队即是10纵前身,这些日籍官兵到我们部队,当然算是回娘家。
我们负责接待的代表团,是自1972年中日邦交正常化后第一次由原第四野战军原日籍官兵自费组成的旅行团。因此史称“第一次回娘家访问团”。
据有关史料载:东北光复后,在东北的倭国侨民大部分被遣送回国,但还有一部分倭国人留在东北解放区,据当时东北9省14个市的调查统计,粗略知道的倭国人数有12016人,加上遗漏的共计有31030人到33000人。其中,卫生部、军工部、军需部内的技术工人和技术人员较多。具体分布在各部门的倭国人数是:军区卫生部7200人,军区军工部2000人,军区军需部900人,军区其他系统1500人。据辽宁省档案馆馆藏的有关资料记载,到1949年,东总军工部留用的技术人员186人中,倭国人就有103人,超过50%。
梦中常被惨烈的战斗惊醒
访问团从上海入境,探访路线首先是四野南下时征战的旧地:长沙、宜昌、荆门、襄樊、沅陵等旧战场。然后再北上转到东北的白山黑水,那里是他们当年战斗最激烈的地方:四平、沈阳、长春、敦化、大连、开原、锦州、黑山。
这些离开中国几十年的日籍老战友尽管都仍操一口流利的中文,但分别近40年,他们身上倭国民族含蓄、内向和彬彬有礼的节制,是很容易一眼把他们与周围的中国人分出来的。
但是,随着这批老兵离自己的娘家越来越近,他们身上当年打下的中国烙印就开始一点点泛上来。部队安排他们到工作、战斗过的原四野10纵野战医院二所,现在的中国人民解放军三十三医院进行40年后的回访。成员个个事先郑重其事地准备一番,身挂奖章、勋章、衣着整齐、精神抖擞。当走进医院,看到数百名身着白衣的医生、护士手挥鲜花、彩带热烈欢迎老战友高呼“欢迎老战友回娘家”时,访问团成员个个热泪盈眶,有几位女团员扑到欢迎队伍中的女战士怀中,抱头痛哭。
爆发的顶点则是在某部钱树根军长、宫永丰政委主持的欢迎宴会上。当时主客突然放下酒杯,集体起立,情绪激昂泪花滚滚地唱起当年最熟悉的《中国人民解放军进行曲》、《没有共产党就没有新中国》、《解放区的天是明朗的天》。幅敬信和几位女团员还干脆离席在空地扭起了东北大秧歌。
代表团的伤心地是黑山阻击战烈士纪念陵园。黑山阻击战是辽沈战役中最关键的战场,也是他们生涯中最激烈最残酷的战斗。当年,仅二所三天三夜就抢救医治了2000多伤员,许多倭国藉医生、护士三天三夜没合眼,吃饭都在手术台上。
代表团中的本间雅子永远面带微笑,举止优雅,像是演员或大学教授出身。她当时除了做手术外,还多次为危重伤员输血,被称为“万能输血者”。据介绍,医院几乎所有的倭国医生和护士都给伤员输血。
雅子回忆说:“那时三天三夜下来,每个人躺下就不省人事,人累得像死人一样,看着断肢少腿,鲜血淋漓、生命垂危的伤员,马上又挣扎着起来也要去抢救生死与共的战友”。几十年后,这些日籍老兵与当年幸存的老战友重聚这无数战友长眠之地,相拥号啕大哭。
代表团的老战友向我这后辈介绍说,只要一想起黑山阻击战,耳边就响起子弹炮弹的呼啸轰鸣。团长中村义光说:“我一辈子也忘不了那些惨烈的战斗场面,回倭国后,睡觉常常梦中惊醒”。
中村义光与“四野回想会”
代表团中给我印象最深的是团长中村义光,这个温和朴素的小老头,在中国期间总是精神矍铄,充满昂扬的精气神,从未见他疲倦过,在代表团成员中非常有号召力。所以对他的经历特别好奇。
和中村先生熟悉并保持常年通信往来后,逐渐了解了他的经历:1944年3月,中村被征召入日军,1945年8月,任倭国关东军7352部队的少尉,听到倭国投降消息,中村与10多名不愿向苏军投降的倭国兵逃亡到吉林敦化,寄身于一股流亡日军与当地土匪合伙组成的武装,1946年3月,“八路军”(民主联军)进驻当地剿匪,这股流亡的倭国人再次面临选择,经交涉,决定交出武器,并留在队伍中。
中村不懂医务,所以在四野的卫生部门长期担任会计工作,但在战争中却立了3次大功、3次小功,这即使在一线作战部队也不多见。全国解放时,中村因表现优异,上级一度准备发展动员中村入党,后因考虑到中村将来要回国而作罢。
1949年,只是连级(大尉)干部的中村,在组织关照下与同在卫生系统的近藤清结婚,当时部队中只允许大校以上才可结婚,所在的医院破格提供了中村夫妇结婚的一切方便。
1954年5月,中村夫妇携两个在中国出生的女儿返回倭国,在县政府谋到一份公职安顿下来后,中村开始力所能及地为那些回到倭国谋生不便的老战友提供帮助。
1967年,鉴于当时回国的倭国老兵生活都已安定,但留恋在四野时期形成的团队认同感却越来越强烈,中村率先开始联系散落在倭国各地的四野老战友,发起组织了“回想四野会” 1970年3月,在富士宫市举行第1次正式成立会议后,“回想四野会”便每年1次地在倭国各地轮番召开。
“回想四野会”最初会员达600余人,由于病、亡,现在只有120余人。1980年以后,为确认会员及报道中国老战友的消息,中村义光创办并发行了1年4次的“回想四野会报”季报,成为紧密联系往昔战友的纽带。
“回想四野会报”不但记叙会员们的活动和战争回忆,还积极评论时事热点新闻,尤其是关注如何加强中日两国的友谊。
中村义光除了发起“回想四野会”外,还组织了中日友好会、解放奖章授给事务局,并长期义务从事倭国在华遗孤的寻找救济工作。
倭国司机被选去为毛泽东专列开车
四野战史第一次正式提到日籍战友,是1998年10月第一版的《中国人民解放军第四野战军战史》,在第三章第五节“加强军队后勤建设”的138页—141页上,记载了四野初进东北时后勤系统留用日籍工人、日籍职员、日籍医生、护士的情况,含注解,总计876字。
他们当中最多的是医疗行业人员,东北1946年初就发生内战,急需医护人员,当时国共双方有倭国侨民移送协定,后来发现,共产党方面移送过去的倭国侨民不少被国民党军队留用,于是当时的东北民主联军也开始大规模留用倭国人。《中国人民解放军第四野战军卫生工作史》记载说,当时卫生部门表彰的立功者有四分之一是倭国人。
四野日籍官兵中功勋显著者,无疑是原倭国关东军第二航空军团第四练成大队的林弥一郎部,这支关东军的王牌集体加入东北民主联军时,计有飞行员20名、机械师24名、机械员72名以及其他各类地面保障人员近200人。以这些日籍官兵为骨干组成的东北老航校成为中国空军的摇篮。这里共培养出飞行员160人,其中23人参加过开国大典的阅兵。当年的空军司令员王海、空军副司令员林虎、北京军区空军司令员刘玉堤,以及曾经击落美军王牌飞行员戴维斯的张积慧等人都是从这里走出的。
事实上,共产党进入东北后,被吸收进来的倭国侨民并非全部从军追随四野一路征战,还有一部分技术人员因解放区建设急需被分散到中国各地,规模最大的一支是1950年秋,800名倭国铁路技术人员及其家属被送抵甘肃天水,负责修建兰州到天水的铁路。1951年春,天兰线正式开始建设,1952年10月1日,在建国3周年时,天兰线提前8个月通车。抵达天水的这批日籍铁路技术人员,除了修建天兰线外,还有部分人员被抽调修建兰新铁路和山西铁路修建改造的工程中。
在日籍铁路技术人员中,最具传奇色彩的是四野29后方医院的日籍炊事员吉冈宽,吉冈以前是技术高超的火车司机,解放战争结束后,吉冈转业至地方,在衡阳铁路局当火车司机。1953年毛泽东南巡,吉冈被上级交代一项意外的重大任务,为毛泽东返回北京时,担任长沙至岳阳段的专列司机。吉冈宽当时惊得目瞪口呆,今天,他依然将之视为此生最大荣誉。
我们为青春留在中国而自豪
中村先生在自述中坦承最初留下来并非情愿,只是因为别无选择的临时之计。尤其是并未打消对共产党的疑虑和恐惧。中村和那批加入中日混合武装集团的倭国人被四野收留不久,因朝鲜族战友的揭发,那位曾担任土匪头目的前倭国军官被枪决,不熟悉共产党政策的中村和另外两名倭国人因恐惧而一起逃跑,但很快被追回。
民主批判会上,朴素的中国战友们纷纷主张应将他们作为反革命处决,但当时的机关卫生部的首长伊海的一番话救了他们的命,也彻底改变了中村等人的看法,伊海说:“倭国同志是不同国家的人,人情,风俗,习惯也不同,在语言不通的环境里和我们一起工作,生活,稍有误解便会给他们带来不安。指责他们的同时,更应该给他们反省的机会,让他们为中国革命发挥更大的力量。”
当年留下来参与新中国建设的倭国籍官兵,像中村一样非情愿的恐怕在多数。建设天兰线的铁路技术人员在中国刚解放时,就曾强烈要求回国,甚至发起了联合署名的“归国运动”。后来开出有固定住处、设立倭国人子弟学校的保证,他们才安下心来。
但是,随着成为新中国建设者的一员,日籍官兵的情感完全与他们中国的战友融为一体。参加天水铁路建设的日籍人士回国后的第二年,便成立了“天水会”。
一位名叫小木曾博子的护士回忆,朝鲜战争暴发,她所属的部队奉命从湖南开赴丹东,但所有倭国籍战士一律在原地待命或转到地方建制,14岁就参加四野征战全国的博子想不通为什么她就不允许跟随部队转移。
几乎所有归国倭国老战友都会在回忆中强调当年解放军的纪律给他们留下的深刻印象,无论是对中国人还是对倭国媒体。
中村义光今天还能熟练地背诵“三大纪律八项注意”,他说,旧倭国军队也有类似的纪律规定,但从来不像共产党军队这样当真。而且,经历过倭国军队中森严的等级制度和严厉的体罚的人,再加入共产党军队,会有异常巨大的反差感受。
与中国相似,当年大量倭国人参加解放军的历史也是近些年才被正面关注,2002年,中日建交30周年,倭国NHK电视台播放了一部《被留用的倭国人》专题片,被采访到的当年解放军老兵们,在被问到如何看待自己的那段历史时,几无例外的回答是:现在我为参加了中国革命而骄傲,为青春奉献给了中国而自豪。
对一生的影响,最具有代表性的说法是:“在留用的过程中,我的人生观得以形成。我们和农民在一起,在中国广阔的土地上奔波。人民解放军教会了我应该做什么。留在我脑子里的不是现在的中国而是解放战争时期的中国。”
如果不知道这些倭国老兵回国后,在漫长的中日特殊关系时期的委屈,可能无法充分理解这些人为什么对中国怀有那样深沉的情愫。
1990年4月,我在陪同“第一次回娘家访问团”时发现一个奇怪的现象,每次参观回来,这些前辈战友们就早早熄灯就寝,房间一齐闭灯,招待所死一般沉寂,没有任何娱乐活动。
后来和老战友们谈心才知道,这是他们回国几十年养成的特殊习惯。身为中国人民解放军的日籍人员,归国后处于倭国警视厅和各种组织的监视之下,有的人找不到工作,有的受到上司和同事的猜疑。
中村义光回倭国30年不讲中国话,不敢写中国字。当他快退休前义务参与到对中国倭国孤儿救助工作时,那流利的汉语,娟秀的中文使厚生省的官员们大吃一惊。
小木曾博子28岁那年回国,到家第一天,来了5个警察,询问她在解放军中是否被强奸,博子愤怒地回答:“解放军与倭国军队不一样,他们绝不会干那样的事!”
中村义光希望周总理帮助兑现诺言
当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回他们珍藏的各种中国解放纪念章、军功章,并说明将来条件允许,环境变好了将发还他们的这些奖章。
1972年9月30日中日邦交正常化当天,中村义光就提笔给周总理写信,要求补发或归还这些珍贵的奖章。他在信中说:“突然给总理同志写信,请原谅我的失礼。1972年9月29日,那是我们1953年5月12日从上海港返回舞鹤港以来,苦苦等待19年中日建交的一天。因为,我们从中国返回倭国以来,19年来一直被歧视的生活中稍稍被解放出来,期待着至少能够过上光明的生活。
“离开中国时,中国政府保管、回收了曾经发给我们的东北、华北、华中、西南(及对个别人发放的西北,海南岛)等解放纪念章。现希望能够按约定,把这些纪念章再次交给我们这些同志。这纪念章应该是我们为中国革命付出的青春奖赏。我们绝对不会要求特权与养老金,而是希望现在毫无顾忌地向子孙讲述我们曾是在中国工作过的,是伟大革命的一部分的参与者这一事实当作话题,当作最大的骄傲。”
第一封信发出后,中村和战友们又历经9年时间反复申请和要求,中国方面经过慎重研究,决定补发当年收回的奖章和纪念章。由于历经文革的动乱,许多单位保存的奖章已不复存在。经各方面努力,按原样制作数千枚补发给倭国战友,满足他们的正当要求和热切愿望。
制作完成后,两箱由当年受中国空军之邀来华访问的原四野东北航校教官、《航七会》会长林弥一郎乘飞机带回倭国,另两箱则用船运回倭国交给“回想四野会”事务局局长中村义光,随后“回想四野会”组成了“中国解放纪念奖章授给事务局”。中村义光担任授给局长。经过极端认真地核发、登记会员、发表调查,审查合格后方开始分发,除病亡,联系不上者外,共1560名倭国战友重获证章。
1982年5月25日,倭国歧山会馆的“回想四野会”聚会上,这些年过半百的老人们身着整齐的正装,佩上了久别的各种解放纪念章,洋溢着无比的荣耀和自豪。这是他们人生中难忘的经历和殊荣。
自七十年代中日邦交正常化以来,这些参加过解放战争的倭国老兵已到垂暮之年,他们怀念中国,怀念中国人民解放军,特别怀念在第四野战军渡过的日日夜夜,认为那是他们的“再生之地”。他们先后在倭国成立了“中日友好和平会”、“回想四野会”、“航七会”、“洛阳战友会”、“鸡公山战友会”、“长城友好会”等十几个日中友好组织,从事中日友好活动。
自九十年代以来,以中村义光为首的“回想四野会”先后组织了四次“原中国人民解放军第四野战军倭国籍官兵回娘家访问团”。1998年国防部长迟浩田率军事代表访日,特意邀请“回想四野会”会长中村义光等老朋友来中国大使馆做客。
日籍官兵参加解放军,是段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。今天,历史已翻开新的一页,当年周总理说的那些话和背后的历史,当让更多人知道。
日籍官兵参加解放军,是一段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。
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https://t.co/hHmkHAMpBD December 12, 2025
1RP
相手方にとっては「宗教」なのかもしれないが、
侵襲を加えられる倭国側からすると、
生活環境・文化の破壊かつ、安全保障問題に他ならない。
倭国国の法律よりもシャリーア法を優先する不逞の輩は、
入国禁止にしよう。
倭国国民の安心安全を脅かす施策を、
まず倭国政府が180度転換せねばならない。 https://t.co/FKi2L2pdHM December 12, 2025
@iNLTsFS1BI71441 @chnchan779 @SakemotoMasao すみません、倭国人女性の割合は90%に達することができますか?倭国政府は何とかして各地の観光客を呼び込むべきだ,倭国是东亚子宫,什么时候对中国开枪? https://t.co/LZ1MbalZ6u December 12, 2025
中国とのFTA締結など、倭国政府は明確に拒否せよ!
少くとも、原発処理水への根拠のない非難を撤回させるとともに、不当な輸入停止を即時撤廃させ、中国製品の過剰生産を是正させることが最低条件だ!速やかにRCEPからも脱退すべし!無論、TPPへの中国の加盟など言語道断である!脱中国依存を進めよ! https://t.co/DhBwqXcub6 December 12, 2025
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