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倭国の歴史
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2025.12.17 13:00
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@GrwaNnKqMn5nG68 周恩来は戦争は国が悪いのであり
国民に罪はないと許してくれた
毛沢東は我々の後に賢い世代が現れるから
彼らに委ねましょうと、尖閣諸島を棚上げにした
果たして我々は今
賢い国民でしょうか
倭国の歴史、学んできたのでしょうか
アジア諸国に残る傷跡だけは忘れないで。
周先生は泣いてると思います December 12, 2025
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倭国軍はすばらしかった、だから倭国軍はすばらしいの無限ループの果てにだから私は倭国が大好き!って鼻息荒くするのは、国内外に数多いる戦争の犠牲者だけじゃなく、倭国軍にも倭国の歴史にも失礼すぎるでしょ December 12, 2025
歴史の重みと静けさを感じる熊本城🏯🌿
堂々とした天守と、緑に包まれた城内の風景に心が引き締まります。
時代を超えて受け継がれてきた、倭国の誇りを感じるひととき✨#熊本城 #KumamotoCastle
#熊本 #Kumamoto
#倭国の歴史 #城巡り
#天守閣 #宇土櫓
#国指定重要文化財
#倭国の風景 #歴史を感じる https://t.co/j4k2UldXSc December 12, 2025
【未来を切り開くアモールファティ】
これは倭国のための表現です。
点の外に出るにはタイミングパワーも大事です。
1945年8月15日に昭和天皇がしたのは、「永遠な終戦宣言」です。
戦争不可能な個人・共同体をつくることができるまでは耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、世界平和に貢献できるその時を待ちましょうと伝えているのです。
武士の心からみたら核爆弾は、どのようにみえたのでしょうか。
広島・長崎に原爆を落とされてもアメリカを恨むことなく抱きしめた倭国の歴史的な実績がある中で完全言語・愛の言語が生まれています。
今がタイミングです。
愛と平和の時代を倭国がつくる、そのための一番のキーワードが「言語チェンジ」です。倭国は国家で戦う必要はありません。言語チェンジを訴えていくのです。
時間も空間も、神も仏も、「存在」です。
「存在が動く」言語では、どこまでも複雑になり戦いが終わりません。
「動きが存在させる」言語体系・説明体系になった時に、存在という概念が溶け、愛と平和になれます。
点の外に出て、生死がない、存在は死んだところから、水平の秩序をもった共同体となることができるのです。
1945年8月15日から今までの倭国がやったことは、人間の歴史文明の中で、人間の尊厳といえる美しくて偉大な実績です。これを本当にわかってほしいです。
純度100%心、愛の言語で、戦争不可能な人間80億を倭国からつくることです。それこそが「倭国文明の腕前を、お目に懸ける」道です。 December 12, 2025
@Coco2Poppin 元外務大臣の岩屋毅氏の選挙ポスター📸
「倭国の歴史上最悪の大臣」落選を❗反中派よ団結せよ❗
岩屋氏は2025年の外相在任中、中国人ビザ緩和推進やIR事業絡みの賄賂疑惑で「媚中売国奴」との批判が相次ぎ、ガザ問題での失言や外交成果の欠如も炎上要因🔥 https://t.co/bsI8xdriaa December 12, 2025
> かつての漢文の注釈言語読み下し文として発達した倭国語は、今度は、西欧語の翻訳言語として再生を果たす。
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しかしながら、翻訳語というものは、元の表現(原語)の力を痛覚しながらもそれを母語で表現できない苦悶を感じていた者でないと、なかなかその意味を理解できない。
翻訳語が原語本来の生命力に近い力を有するためには、その翻訳語の創出だけでは伝えきれない想いを、熟した和語などで連綿と書き連ねそれについて語り合わねばならない。そういった言語文化の熟成なしに翻訳語ばかりが知的流行語として導入され続けると、原語の意味は矮小化され、倭国語人は原語表現が開拓した新たな世界認識の方法を学び損ねる。それでいて多くの倭国語人は、形骸化した翻訳語を振り回すことによって世界を新たに理解したと思い込む。だが、その内実は頑迷固陋なのだろう。
現代の「知識人層」とされる倭国語人の大半は、(私を筆頭に)漢籍の素養を失い、それでいて西洋語に長けているわけでもない。明治の知識人と比べて、言語力は著しく劣化している。最近は漢字で翻訳語を創り出す力さえ失い、カタカナ語が横行する。そのカタカナ語の使用を見ると、原語を理解しているとは思えないことも多い。かといって俗世の人情を解し、日常語でカタカナ語概念に相当する想いを表現することもできてはいない。
私は英語教師という言語教育に携わる人間であるから、はっきり述べると、倭国の言語教育は失敗している。
こう言うと「なんのエビデンスに基づいてそう言うのか」「いや◯◯の統計を見ると・・・」や「先人のご努力に泥を塗るつもりか」「現場の先生方のご苦労を何だと思っているのか」とかいった反論がワラワラと湧いてくるが、大局的に見ると失敗だと私は思う。いや、もう少し正確に述べるなら、「倭国の言語教育は失敗している」という、「主語がでかすぎる」し「断定がきつすぎる」発言を敢えて行う言語行為こそが、倭国の言語教育の再生に必要だと私は考えている。
また、私は歴史教育についてはまったく素人であるが、高市内閣によって、多くの倭国人が、他国の多くの人々が有している近現代史認識をもっていないことが国内外において(またもや)明らかになった。これをもって私は「倭国の歴史教育は失敗している」とも述べたい。
話は翻訳語から教育に移ってしまったが、翻訳語についても教育についても、倭国語人が、世界の諸事実にも自分の想いにも忠実で、かつ心の底から他人に伝えようとすることばを紡ぎ出さないかぎり、倭国は精神的も物理的にも凋落するばかりだろう。 December 12, 2025
誰か倭国の歴史全16巻セット+別冊2巻出品してるんだけど…羨ましすぎてプリン食べて落ち着いてるわ
全16巻セット 倭国の歴史+別冊2巻
https://t.co/xKvzFGmLLh December 12, 2025
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