教会
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2025.12.04 06:00
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フロリダ🇺🇸のイマーム曰く
『すでに3つの教会をモスクに変えた。さらにもう一つ、イスラム学校に変える予定もある。我々は買収することが可能だ。今年は選挙もあるが、候補者をムスリムにしたい』
何が怖いって、倭国でも同様に世界からの寄付でモスクが増えていること。
https://t.co/18USk11g42 December 12, 2025
41RP
山上被告の公判が進む中で、手製銃と火薬の製造費で借金が200万円を超え、経済的な困窮や生活の限界を感じ、旧統一教会の幹部ではなく、安倍元総理にターゲットを変更したことが明らかになりましたが、更に安倍元総理を狙ったことを「意味がないわけではないが、本筋ではない」と証言しました。
鈴木エイトは山上被告のことを物事を俯瞰して安倍元総理を狙ったと論じていましたが、実態は行き当たりばったりで、安倍元総理は鈴木エイトのデマによるアベガーな記事のとばっちりを受けたと言っても過言ではないと思います。
また、山上被告自身は進学に関しては金銭的な負担はなく、更に30歳を過ぎてから4年以上、毎月13万円(総額650万円)を教会の返金から受け取っていたことも明らかになっていることも押さえておきたいところです。
山上被告にどのような判決が下されるのかは分かりませんが、事実に基づかない妄想のデマで安倍元総理を貶め続けたのは鈴木エイトです。鈴木エイトは責任を取れるような器ではないので、鈴木エイトの主張を垂れ流し続けたマスコミは責任を持って、彼のデマを訂正する報道をすべきと思います。
結局、最後の最後まで証拠も出さず、思い込みの妄想デマだったのに
「確度の高い情報」って一体、なんやねん!! December 12, 2025
31RP
【長文】
旧統一教会のことをメディアが報道するままに悪印象を持っている人が多すぎますね。
私は先日近くの教会まで寄らせてもらいましたが、皆さん話を聞いてくださる側の人たちです。
何かを買えだの入信しろだの一度も無かったし、ご配慮を賜ることがあってもこちらの言うことや考えを遮られるような事は一度も無かったです。
単にメディアの偏向報道がサブリミナル的にやり過ぎたために皆さんは怖いと思ってるだけではないでしょうか?
こちらから「お話を聞かせてください」という姿勢で接してみてください。それまでの印象は必ず壊れます。
それに例えば献金や壺や洗脳などの問いにくくなるような言葉を交えた質問をしても、彼らは無駄に今まで叩かれ過ぎていますから、どんなキツい内容でも必ず落ち着いて理解が得られるような回答をしてくれます。例え問う側の人が旧統一教会を憎んでいてもです。
普段から皆さんはメディアは嘘をつくものと理解しているのに、旧統一教会のこととなるとメディアの偏向報道と同じ目線で彼らを見ていませんか?
「テレビで言ってるんだから半分くらいは合ってるだろう」
メディアが隠している事が山ほどあれば
そんな憶測は間違いの元です。
何でメディアはそんな事をしてまで旧統一教会を潰したかったのでしょうか。
※1つ言うならスパイ防止法が通ると誰が困りますか?
ずっとスパイ防止法を言ってきたのは旧統一教会ですよ。
※この話はまたいずれポストします。
きっと皆さんが出会ってこられた「良い人だな」「優しいな」と思う人の中に旧統一教会の人が居たと思います。
その人の信教が判明したら一変して得体のしれない人に変わるのでしょうか?
彼らは普通の人です。
少し違うのは私たちのようにお酒を一緒に飲んだりはできませんし、再婚なども難しいところがあります。
ですが、私たちが知ろうともしないのに自分の常識とズレていれば悪とはなりません。
そして知ろうとしなければ分からないくらいですから強制的な勧誘のようなことをしてない証拠です。
これだけ関わっている私にも一度もありません。
彼らは先ず他人に迷惑をかけることを嫌がる人たちです。
社会のルールに従い、仕事をし、子育てをしたり、家族旅行したり、外食したり、映画を見たり、流行りの店に行ったり。
善悪の判断も人情も言うなら一般より長けています。
他の倭国人と殆ど変わりありません。
良心がある人なら彼らを社会悪のような目線で見ることはできないと思います。
また、私の反省点として、知ろうとしなかった時間が長くあったことです。
知らないから私も最初は頭の片隅で怖いと思っていたのでしょう。
今も怖いと思って居られる方に彼らは一般の人と変わらないことを知って欲しいと思います。
一般のあなたならメディアの偏向報道で多数の倭国人からやり玉に挙げられ、自分の信じるものや心の拠り所を悪とみなされ、侮辱され、晒されても黙っていられますか? December 12, 2025
23RP
元記者より
事件時マスコミは「自民党と旧統一教会との癒着!」ばかりだったのに、なぜ全く報じなくなり「山上家の異常な家庭環境!」一色になったのか?
基本的にマスコミは「赤信号皆で渡れば怖くない」エコーチェンバーに陥っています。私の上司も「他の社がやるならうちも同じ趣旨でやる」というスタンスでした。
当初の癒着を責める機運が冷めるに連れて、どこの社も癒着を報じなくなり、そうした中で一社のみ自民党と教会の癒着を取材するのは勇気も入りますし、政府を敵に回すことになり日常の取材にも弊害が出ます。そのため裁判で出る情報を面白おかしく報道しておくだけで数字を取れる方が賢い選択肢なので今の形に落ち着いています。
以上一個人の所感です。 December 12, 2025
16RP
教会の鐘の音に不満そうなムスリム。
その気持ちを、アザーンに苦しむ地域住民に当てはめることが出来れば素敵ですね。
出来ないから平気でやるんだけど。
https://t.co/oV9B3S6N20 December 12, 2025
12RP
🪷今日の街頭演説 (174日目)🪷
「韓鶴子総裁は、神の一人娘」
皆さん、こんにちは。
私たちは世界平和統一家庭連合・長野教会の信徒です。
今日は、家庭連合の韓鶴子総裁について、皆さんに少しご紹介したいと思います。
私たちは韓鶴子総裁を
「独生女(神の一人娘)」、「平和の母」、Holy Mother Han」とお呼びしています。
イエス様が全人類の救い主として来られたように、Holy Mother Han もまた、この世界を愛で満たし、人類の争いの歴史を終わらせ、平和と愛へ、すなわち、全ての人が天国へ行けるように、幸せになれるように来られました。
家庭連合では、神様を 「天の父母様」 と呼びます。
神様には、父としての厳格さだけでなく、母としての優しさ、包み込む愛、赦しもあるからです。
聖書ではイエス様を「神の独り子」と呼びますが、神様は歴史の中で、女性として、母なる愛を完全に表す存在=独生女(神の一人娘)を準備されてきました。
その使命をもつ方が、韓鶴子総裁です。
韓総裁は三代にわたる敬虔なキリスト教家庭に育ち、
幼い頃から「神のために生きる」という深い信仰の中で使命を自覚しながら歩まれました。
そして1960年、文鮮明総裁とご聖婚され、お二人は初めて人類の「真の父母」となられました。
これにより、時代は、個人救済の時代から、家庭救済時代になりました。
では、なぜ今“神の一人娘”が必要なのでしょうか。
現代の社会では、心の不安や孤独が広がり、性や家族の在り方にも迷いが生じています。
家庭が十分に機能せず、人と人とのつながりが弱まる中で、国際的な対立や身近な犯罪も増え、社会全体の不安が深刻さを増しています。
現代社会の不安が深まる中で、私たちは気づき始めています。
どれほどお金や制度が整っても、人の心にある痛みや葛藤、そして孤独までは癒しきれないということを。
今求められているのは、
人を包み、癒し、和平と和睦、和解へ導く「母の愛」です。
韓鶴子総裁は、その母なる愛をもって、宗教や民族、国境を越えて世界の人々を結び、国連NGOであるUPF、女性連合など多くの平和運動を率いてこられました。
韓総裁の歩みは、誰かを排除するためではなく、すべての人を神様の子どもとして迎える社会を築く道そのものです。
だからこそ、私たちは韓鶴子総裁を「神の一人娘」として敬い、その生き方に学んでいます。
しかし今、韓国では深刻な宗教弾圧が起こっています。
犯罪の有無ではなく、政権と立場が異なるという理由だけで、韓鶴子総裁は拘置所に収容されています。
こうした不当な逮捕・拘束に対し、世界中のキリスト教の牧師たちが拘置所を訪れ、韓総裁のために祈り、解放を訴えています。
面会した牧師たちは口をそろえて、「お母様を励まそうと思っていたが、かえって韓鶴子総裁から励ましと愛を受けた。その姿はまさに“実体聖霊、神の一人娘、平和の母”そのものだった」と証言しています。
皆さん、世界で韓鶴子総裁がどのように評価されているか、ぜひ知ってください。
アメリカのトランプ政権は、韓鶴子総裁を平和の母
として敬意を表してきました。
今、韓総裁の自叙伝を配布しております。
倭国では報じられない真実がそこにあります。どうかその生涯に触れ、“世界平和のために全てを捧げてきた一人の女性の歩み”を知っていただければ幸いです。
ご清聴、ありがとうございました。 December 12, 2025
6RP
12/3 (街頭174日目)
本日は、遠方から長野に帰ってきた青年も街頭に出て演説をしてくれました!二世として「自分も教会の人によって救われた」と家庭連合の素晴らしさを証す姿はとても希望を感じさせます。✨️
また今日は仕事がないからと青年の姉妹も駆けつけて下さりビラ配りをしてくれました✨️ https://t.co/lobAs6zojf December 12, 2025
4RP
山上事件以降、旧統一教会をめぐる報道と実際の信者像のあいだに、大きなズレが続いている。
実際に教会に足を運んだ人の体験では
・勧誘なし
・押しつけなし
・会話を遮らない
という事実が示されているにもかかわらず、2022年以降の報道は「献金・洗脳」の物語に固定されてきた。
にもかかわらず、多くの人が“テレビで見た印象”だけで教会全体を社会悪と断じてしまった。
相談件数が2021年には27件(全体の0.003%)にまで減っていた事実さえ、ほとんど共有されなかった。
一方で、信者は職場に通い、家庭を持ち、社会的ルールを守りながら普通に生活する人々だ。
個別の行為を理由に、集合的に「得体の知れない存在」と扱うのは、公平な基準とは言い難いのではないか。
どこで物語と事実がすれ違ったのか。
宗教の自由と人間の尊厳という普遍的な基準に立ち返る必要があると思う。
#HumanRights #ReligiousFreedom #信教の自由 #家庭連合 December 12, 2025
4RP
「安倍元首相との関係は、教団関係者なら常識のようなもの」山上徹也被告
昨日(2日)の公判で山上被告が語った言葉だが、大半の信徒からすれば事実はこうだ。
2021年9月のイベント(希望前進大会)での安倍元首相のビデオ上映に、99.9%以上の信徒が度肝を抜かれた。まさに青天の霹靂だった。
あのビデオ出演以降、大半の信徒は「安倍元首相は教団と友好的な関係にあるのかな…?」と思うようになった程度であり、「教団内で安倍元首相が『広告塔』の役割を果たした」などといった言説は、教会内の事情を全く知らないデマかプロパガンダに過ぎない。
山上被告は冒頭のように発言したが、実際は教団内でも、「安倍元首相との関係」は決して「常識のようなもの」ではなかったのだ。
このような発言からしても、犯行前から実際に教会内との接点を持たず、「やや日刊カルト新聞」を愛読してきた被告への影響が、色濃く現れていると言えよう。 December 12, 2025
3RP
🚨🔥美国新当选国会议员 马特·范·埃普斯(田纳西州共和党)发声:
“军队教会了我团队精神、信任身边的伙伴、专注任务、永不丢下任何一位同袍。我将把同样的精神带到华盛顿。”
共和党众议院多数席次:
219 ➡️ 220!,民主党为213
👀背景介绍:
田纳西州第 7 国会选区之所以举行特别选举,是因为原任共和党众议员马克·格林(Mark Green)在年内突然宣布辞职,导致该席位空缺。格林不仅是该选区资深议员,也担任众议院国土安全委员会主席,他的辞职迫使州政府依法举行特别选举来补位。
这场特别选举引起全国注目,原因包括:
1.席位对众议院多数格局至关重要
在选举前,共和党在众议院的席位为 219。
Matt Van Epps 赢得选举后,共和党变为 220 席,进一步巩固微弱多数。
2.特朗普亲自下场动员
特朗普在投票前一天紧急发布全国性呼吁,强调不能让一个“Trump+22 的深红选区”被翻蓝,要求所有 America First 支持者必须出来投票。
3.获胜者 Matt Van Epps 的身份引发关注
他是军人背景,新人从政,把“团队精神”“不抛下任何人”的军旅价值观带进政治舞台,也因此获得党内广泛支持。 December 12, 2025
3RP
統一教会を擁護するやつは、教会員とかいう奴が現れた
嘘をついて、国の法律を変え、
保身のために一つの宗教を解散させようとしている。
それがここ倭国で行われた
倭国人として見過ごせるわけないやろ
とりあえず擁護するやろ。
消えて欲しいのは、統一教会じゃない。
倭国を陥れるスパイ達だ。 https://t.co/C0dU7yPpkn December 12, 2025
3RP
【長文】本日は岩国家庭連合教会のご活動を拝見させていただき、色々とお話をさせていただきました。
このように街頭演説前に皆さんでお掃除をされていたようでゴミ袋にたくさんゴミが集められてました。
批判的な目で見る方は「売名行為」のように見るかも知れませんが、やれと言われて出来ることではありません。
民主的に決めたことを嫌な顔をせずに人の為にやる。
売名で出来ることではありません。
テレビなどでいわれの無いことで貶められ、解散の危機まで味わったのですから人前に出て色々と主張しなくてはならなくなりました。
私も解散命令や濡れ衣は納得できない旨を信徒さんにお伝えして参りました。
悔しいでしょうね。
お気持ちはよくわかります。
私のような者の話も最後まで聞いてくださいましたし、よく世の流れをご理解しておられました。
彼らは情弱ではありません。
ちゃんと今後を考えておられます。
私は浄土真宗の家の者ですが、またお伺いしたいと思います。
それとこの本、手に入れました。
「国家の生贄」
強い印象のタイトルですが、こんなに強く言わないといけなくなるくらい彼らは貶められたのですから当然だと思います。
同じ人ですから、腹も立てば悲しくなったり喜んだり笑って過ごしたりするんです。
今、あの名前も呼びたくない容疑者の裁判が行われていますが、家庭の背景など聞く必要ないです。
やってはいけないことをした。
ただそれだけです。
無関係な団体をやり玉に挙げ、気に入らなければお取り潰し。
それを許してはあの容疑者の言いたかった事が通るだけです。
こんなヤツの思惑通りにさせてはいけません。
是非、感心を持ってください。
この解散命令が通ると、その気になれば寺社も取り潰せるような前例になります。
初詣、願掛け、厄払い、葬式、心の持ち方、先祖供養。
どれもできなくすることができます。
そのための蟻の一穴なのです。
私はそのために彼らと信仰は違っても解散命令は阻止する側に居ようと思います。
福田ますみさん、ありがとうございます。
私も読ませていただきます。 December 12, 2025
3RP
9人目です!
家庭連合といえば、悪いイメージを抱く方がほとんどだと思います。しかし、それはメディアによる偏向報道によるものです!
報道を見て、傷つく信徒の方々がいます。
顔を晒すリスクを背負ってでも、真実を伝えたいと思って声をあげる二世が全国にたくさんいます!
私たちの生活は、無宗教の方々とほとんど変わりません。違いと言えば、より目に見えないもの、信仰や愛を大切にしているということです。
私は自分の意思で教会に入りました。一度しかない人生を、誰かを愛し、誰かと素敵な関係性を築く生き方が、本当の幸せだと思ったからです! December 12, 2025
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@gototoru 倭国という国で、、
拉致監禁、ディプログラミングが堂々と行われ、助けを求めても国も警察も野放し、、
悪い噂を流して親を脅し、
親に多額の経費を支払わせ、
親子共に心も体もボロボロにする脱会屋の暴力的なやり方
最後には、教会を訴えさせるという蛮行まで
被害者の多くは、作られた人達です! December 12, 2025
2RP
本日の完成披露試写会、無事、終えることができました。
ご来場いただきました皆様、ありがとうございました。
↓本日、お披露目した映像はこちらから視聴できます。
https://t.co/Dwkc5JUtOL
会場でのゲストの感想コメント、トークショー映像などは近日中に全国拉致監禁強制改宗被害者の会YouTubeチャンネルで配信予定です。
【ゲスト】
宗教法人世界平和統一家庭連合会長 田中富広氏
主の羊クリスチャン教会主任牧師 中川晴久氏
『でっちあげ』『国家の生贄』著者/作家 福田ますみ氏
弁護士 徳永信一氏
【トークショー】
全国拉致監禁強制改宗被害者の会代表 後藤徹
映像原作『人さらいからの脱出』著者/医師 小出浩久氏
弁護士 中山達樹氏
『檻の中の闇』著者/著述家 加藤文宏氏 December 12, 2025
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京都仏教会が反対しているの、北陸のお寺はどんな気持ちで見ているのだろう。北陸は伝統的に浄土真宗の信仰が篤く、遺骨の一部を分骨し、西本願寺・東本願寺など京都の本山へ持っていく風習が残る地。その京都仏教会が"北陸新幹線など知ったことか"という態度なのは、北陸人としては切ないものがある。 https://t.co/J9tUYxWEkN https://t.co/uMaReIdMYz December 12, 2025
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@CatandtsTks 教会、駅前においても、開かれた たくさんの愛💖であふれている礼拝だとしみじみと感じ、本当に力が湧いてきました✨️
母として慕う韓鶴子総裁のように、心からの愛を真実に示して生きたい!頑張りたい!! December 12, 2025
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教会はただ祈る場所ではなく、同じ信仰を持つ仲間が楽しく過ごせる場所だとします。
家族で信仰している方ばかりではない、もしかしたら孤独の中で信仰している人がいるかもしれません。
その様な立場の信徒にとって教会で会う仲間は何よりも大切でそこで過ごす時間は幸せな時間なのかもしれません。
宗教は教義だけではなく人との繋がりの側面もあると言います。
信徒が犯罪を犯したわけでもないのに、それを奪っていいものなのか。
教団が憲法と法律を守り、被害者?救済に努めるとしても奪われなければならないものなのでしょうか。
教団は覚悟を決めて信徒を守って下さい。
裁く側は信徒が解散で被害者になりうる事実を無視しないで欲しい。
宗教嫌いの一般人として解散に反対します。 December 12, 2025
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官媒凤凰网,中新社记者报道:2019年9月25日,中国驻倭国大使馆,隆重为倭国老军人颁发纪念章,感谢三万侵华日军,加入解放军四野,帮助共产党打败国民党,创建中共国。倭国军人的血,染红了中共五星红旗!倭国军人劳苦功高,历史不容抹杀! 截图,网址,全文转发如下:
9月25日,中国驻倭国大使馆在馆内为倭国籍解放军老战士举行“庆祝中华人民共和国成立70周年”纪念章颁发仪式。
中国驻倭国大使孔铉佑、公使郭燕以及数十名倭国籍解放军老战士和老战士代理出席。 中新社记者 吕少威 摄
这是一个巨大的进步,说明三万日籍解放军,不再是禁区,这事现在可以大大方方地说了。国家层面的认可,让这些倭国军人,有了安慰。以下文章值得一读。
中国人民解放军曾收编三万倭国兵,这是一段几乎被湮没的历史。当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回这些各种纪念章、军功章,并说明将来条件允许时发还。1972年中日邦交正常化当天,有日籍老兵给周恩来写信,要求补发或归还这些奖章。中国方面经过慎重研究,决定补发。本文选自2006年第26期《凤凰周刊》,作者傅乐平。
“我们很感激一部分倭国人,他们在解放战争时期,作为医生、护士、技术员参加了解放战争,这些更增强了我们与倭国人民缔结友好关系的信心。倭国的军国主义确实是残酷的,但协助我们的倭国人民有很多。”
上述讲话是国务院总理周恩来1956年6月27日在接见倭国代表团时说的。不过,它曾很长时间几乎不见诸国内报端,沉寂近30年后,这段话背后的历史逐渐为人所知。而我则无意中扮演了这一历史进程的见证者,并与部分当年四野的倭国老兵成为朋友。
四野原来曾有倭国兵
1990年4月,我时任陕某师政治处主任,一天接到上级通知,要我参加接待从倭国来的“第四野战军日籍战友回娘家访问团”。
倭国人到中国回娘家,而且是回解放军的“娘家”,我当时一头雾水,不得其解。我虽然喜欢阅读部队战史和报纸,但从来还不知道有倭国籍官兵参加解放战争。
当时一起参加接待工作的有集团军政治部秘书处长吕兴元,还有原中国人民解放军三十三医院院长张宝林,副院长尚兴禄。接待的代表团成员名单是:团长中村义光,副团长福山三利、平野丹通、秘书长、若生爱子,团员本间雅子、幅敬信等,共17人。
原来他们几乎全是在第四野战军10纵工作过的医生、护士、宣传队员。代表团的成员大都参加了四平血战,三保临江,四下江南,林海雪原剿匪,黑山阻击战,锦州战役。尔后四野百万雄师入关,他们又参加平津战役,百万大军下江南,一直随队打到海南岛。而张宝林和尚兴禄当年就曾和日籍战友一起工作过。
1953年起,这些四野日籍老兵陆续开始以日侨身份归国,37年后第一次踏上中国国土,当年老部队的番号早已变更,四野10纵野战医院二所演变成中国人民解放军三十三医院。我所在的部队即是10纵前身,这些日籍官兵到我们部队,当然算是回娘家。
我们负责接待的代表团,是自1972年中日邦交正常化后第一次由原第四野战军原日籍官兵自费组成的旅行团。因此史称“第一次回娘家访问团”。
据有关史料载:东北光复后,在东北的倭国侨民大部分被遣送回国,但还有一部分倭国人留在东北解放区,据当时东北9省14个市的调查统计,粗略知道的倭国人数有12016人,加上遗漏的共计有31030人到33000人。其中,卫生部、军工部、军需部内的技术工人和技术人员较多。具体分布在各部门的倭国人数是:军区卫生部7200人,军区军工部2000人,军区军需部900人,军区其他系统1500人。据辽宁省档案馆馆藏的有关资料记载,到1949年,东总军工部留用的技术人员186人中,倭国人就有103人,超过50%。
梦中常被惨烈的战斗惊醒
访问团从上海入境,探访路线首先是四野南下时征战的旧地:长沙、宜昌、荆门、襄樊、沅陵等旧战场。然后再北上转到东北的白山黑水,那里是他们当年战斗最激烈的地方:四平、沈阳、长春、敦化、大连、开原、锦州、黑山。
这些离开中国几十年的日籍老战友尽管都仍操一口流利的中文,但分别近40年,他们身上倭国民族含蓄、内向和彬彬有礼的节制,是很容易一眼把他们与周围的中国人分出来的。
但是,随着这批老兵离自己的娘家越来越近,他们身上当年打下的中国烙印就开始一点点泛上来。部队安排他们到工作、战斗过的原四野10纵野战医院二所,现在的中国人民解放军三十三医院进行40年后的回访。成员个个事先郑重其事地准备一番,身挂奖章、勋章、衣着整齐、精神抖擞。当走进医院,看到数百名身着白衣的医生、护士手挥鲜花、彩带热烈欢迎老战友高呼“欢迎老战友回娘家”时,访问团成员个个热泪盈眶,有几位女团员扑到欢迎队伍中的女战士怀中,抱头痛哭。
爆发的顶点则是在某部钱树根军长、宫永丰政委主持的欢迎宴会上。当时主客突然放下酒杯,集体起立,情绪激昂泪花滚滚地唱起当年最熟悉的《中国人民解放军进行曲》、《没有共产党就没有新中国》、《解放区的天是明朗的天》。幅敬信和几位女团员还干脆离席在空地扭起了东北大秧歌。
代表团的伤心地是黑山阻击战烈士纪念陵园。黑山阻击战是辽沈战役中最关键的战场,也是他们生涯中最激烈最残酷的战斗。当年,仅二所三天三夜就抢救医治了2000多伤员,许多倭国藉医生、护士三天三夜没合眼,吃饭都在手术台上。
代表团中的本间雅子永远面带微笑,举止优雅,像是演员或大学教授出身。她当时除了做手术外,还多次为危重伤员输血,被称为“万能输血者”。据介绍,医院几乎所有的倭国医生和护士都给伤员输血。
雅子回忆说:“那时三天三夜下来,每个人躺下就不省人事,人累得像死人一样,看着断肢少腿,鲜血淋漓、生命垂危的伤员,马上又挣扎着起来也要去抢救生死与共的战友”。几十年后,这些日籍老兵与当年幸存的老战友重聚这无数战友长眠之地,相拥号啕大哭。
代表团的老战友向我这后辈介绍说,只要一想起黑山阻击战,耳边就响起子弹炮弹的呼啸轰鸣。团长中村义光说:“我一辈子也忘不了那些惨烈的战斗场面,回倭国后,睡觉常常梦中惊醒”。
中村义光与“四野回想会”
代表团中给我印象最深的是团长中村义光,这个温和朴素的小老头,在中国期间总是精神矍铄,充满昂扬的精气神,从未见他疲倦过,在代表团成员中非常有号召力。所以对他的经历特别好奇。
和中村先生熟悉并保持常年通信往来后,逐渐了解了他的经历:1944年3月,中村被征召入日军,1945年8月,任倭国关东军7352部队的少尉,听到倭国投降消息,中村与10多名不愿向苏军投降的倭国兵逃亡到吉林敦化,寄身于一股流亡日军与当地土匪合伙组成的武装,1946年3月,“八路军”(民主联军)进驻当地剿匪,这股流亡的倭国人再次面临选择,经交涉,决定交出武器,并留在队伍中。
中村不懂医务,所以在四野的卫生部门长期担任会计工作,但在战争中却立了3次大功、3次小功,这即使在一线作战部队也不多见。全国解放时,中村因表现优异,上级一度准备发展动员中村入党,后因考虑到中村将来要回国而作罢。
1949年,只是连级(大尉)干部的中村,在组织关照下与同在卫生系统的近藤清结婚,当时部队中只允许大校以上才可结婚,所在的医院破格提供了中村夫妇结婚的一切方便。
1954年5月,中村夫妇携两个在中国出生的女儿返回倭国,在县政府谋到一份公职安顿下来后,中村开始力所能及地为那些回到倭国谋生不便的老战友提供帮助。
1967年,鉴于当时回国的倭国老兵生活都已安定,但留恋在四野时期形成的团队认同感却越来越强烈,中村率先开始联系散落在倭国各地的四野老战友,发起组织了“回想四野会” 1970年3月,在富士宫市举行第1次正式成立会议后,“回想四野会”便每年1次地在倭国各地轮番召开。
“回想四野会”最初会员达600余人,由于病、亡,现在只有120余人。1980年以后,为确认会员及报道中国老战友的消息,中村义光创办并发行了1年4次的“回想四野会报”季报,成为紧密联系往昔战友的纽带。
“回想四野会报”不但记叙会员们的活动和战争回忆,还积极评论时事热点新闻,尤其是关注如何加强中日两国的友谊。
中村义光除了发起“回想四野会”外,还组织了中日友好会、解放奖章授给事务局,并长期义务从事倭国在华遗孤的寻找救济工作。
倭国司机被选去为毛泽东专列开车
四野战史第一次正式提到日籍战友,是1998年10月第一版的《中国人民解放军第四野战军战史》,在第三章第五节“加强军队后勤建设”的138页—141页上,记载了四野初进东北时后勤系统留用日籍工人、日籍职员、日籍医生、护士的情况,含注解,总计876字。
他们当中最多的是医疗行业人员,东北1946年初就发生内战,急需医护人员,当时国共双方有倭国侨民移送协定,后来发现,共产党方面移送过去的倭国侨民不少被国民党军队留用,于是当时的东北民主联军也开始大规模留用倭国人。《中国人民解放军第四野战军卫生工作史》记载说,当时卫生部门表彰的立功者有四分之一是倭国人。
四野日籍官兵中功勋显著者,无疑是原倭国关东军第二航空军团第四练成大队的林弥一郎部,这支关东军的王牌集体加入东北民主联军时,计有飞行员20名、机械师24名、机械员72名以及其他各类地面保障人员近200人。以这些日籍官兵为骨干组成的东北老航校成为中国空军的摇篮。这里共培养出飞行员160人,其中23人参加过开国大典的阅兵。当年的空军司令员王海、空军副司令员林虎、北京军区空军司令员刘玉堤,以及曾经击落美军王牌飞行员戴维斯的张积慧等人都是从这里走出的。
事实上,共产党进入东北后,被吸收进来的倭国侨民并非全部从军追随四野一路征战,还有一部分技术人员因解放区建设急需被分散到中国各地,规模最大的一支是1950年秋,800名倭国铁路技术人员及其家属被送抵甘肃天水,负责修建兰州到天水的铁路。1951年春,天兰线正式开始建设,1952年10月1日,在建国3周年时,天兰线提前8个月通车。抵达天水的这批日籍铁路技术人员,除了修建天兰线外,还有部分人员被抽调修建兰新铁路和山西铁路修建改造的工程中。
在日籍铁路技术人员中,最具传奇色彩的是四野29后方医院的日籍炊事员吉冈宽,吉冈以前是技术高超的火车司机,解放战争结束后,吉冈转业至地方,在衡阳铁路局当火车司机。1953年毛泽东南巡,吉冈被上级交代一项意外的重大任务,为毛泽东返回北京时,担任长沙至岳阳段的专列司机。吉冈宽当时惊得目瞪口呆,今天,他依然将之视为此生最大荣誉。
我们为青春留在中国而自豪
中村先生在自述中坦承最初留下来并非情愿,只是因为别无选择的临时之计。尤其是并未打消对共产党的疑虑和恐惧。中村和那批加入中日混合武装集团的倭国人被四野收留不久,因朝鲜族战友的揭发,那位曾担任土匪头目的前倭国军官被枪决,不熟悉共产党政策的中村和另外两名倭国人因恐惧而一起逃跑,但很快被追回。
民主批判会上,朴素的中国战友们纷纷主张应将他们作为反革命处决,但当时的机关卫生部的首长伊海的一番话救了他们的命,也彻底改变了中村等人的看法,伊海说:“倭国同志是不同国家的人,人情,风俗,习惯也不同,在语言不通的环境里和我们一起工作,生活,稍有误解便会给他们带来不安。指责他们的同时,更应该给他们反省的机会,让他们为中国革命发挥更大的力量。”
当年留下来参与新中国建设的倭国籍官兵,像中村一样非情愿的恐怕在多数。建设天兰线的铁路技术人员在中国刚解放时,就曾强烈要求回国,甚至发起了联合署名的“归国运动”。后来开出有固定住处、设立倭国人子弟学校的保证,他们才安下心来。
但是,随着成为新中国建设者的一员,日籍官兵的情感完全与他们中国的战友融为一体。参加天水铁路建设的日籍人士回国后的第二年,便成立了“天水会”。
一位名叫小木曾博子的护士回忆,朝鲜战争暴发,她所属的部队奉命从湖南开赴丹东,但所有倭国籍战士一律在原地待命或转到地方建制,14岁就参加四野征战全国的博子想不通为什么她就不允许跟随部队转移。
几乎所有归国倭国老战友都会在回忆中强调当年解放军的纪律给他们留下的深刻印象,无论是对中国人还是对倭国媒体。
中村义光今天还能熟练地背诵“三大纪律八项注意”,他说,旧倭国军队也有类似的纪律规定,但从来不像共产党军队这样当真。而且,经历过倭国军队中森严的等级制度和严厉的体罚的人,再加入共产党军队,会有异常巨大的反差感受。
与中国相似,当年大量倭国人参加解放军的历史也是近些年才被正面关注,2002年,中日建交30周年,倭国NHK电视台播放了一部《被留用的倭国人》专题片,被采访到的当年解放军老兵们,在被问到如何看待自己的那段历史时,几无例外的回答是:现在我为参加了中国革命而骄傲,为青春奉献给了中国而自豪。
对一生的影响,最具有代表性的说法是:“在留用的过程中,我的人生观得以形成。我们和农民在一起,在中国广阔的土地上奔波。人民解放军教会了我应该做什么。留在我脑子里的不是现在的中国而是解放战争时期的中国。”
如果不知道这些倭国老兵回国后,在漫长的中日特殊关系时期的委屈,可能无法充分理解这些人为什么对中国怀有那样深沉的情愫。
1990年4月,我在陪同“第一次回娘家访问团”时发现一个奇怪的现象,每次参观回来,这些前辈战友们就早早熄灯就寝,房间一齐闭灯,招待所死一般沉寂,没有任何娱乐活动。
后来和老战友们谈心才知道,这是他们回国几十年养成的特殊习惯。身为中国人民解放军的日籍人员,归国后处于倭国警视厅和各种组织的监视之下,有的人找不到工作,有的受到上司和同事的猜疑。
中村义光回倭国30年不讲中国话,不敢写中国字。当他快退休前义务参与到对中国倭国孤儿救助工作时,那流利的汉语,娟秀的中文使厚生省的官员们大吃一惊。
小木曾博子28岁那年回国,到家第一天,来了5个警察,询问她在解放军中是否被强奸,博子愤怒地回答:“解放军与倭国军队不一样,他们绝不会干那样的事!”
中村义光希望周总理帮助兑现诺言
当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回他们珍藏的各种中国解放纪念章、军功章,并说明将来条件允许,环境变好了将发还他们的这些奖章。
1972年9月30日中日邦交正常化当天,中村义光就提笔给周总理写信,要求补发或归还这些珍贵的奖章。他在信中说:“突然给总理同志写信,请原谅我的失礼。1972年9月29日,那是我们1953年5月12日从上海港返回舞鹤港以来,苦苦等待19年中日建交的一天。因为,我们从中国返回倭国以来,19年来一直被歧视的生活中稍稍被解放出来,期待着至少能够过上光明的生活。
“离开中国时,中国政府保管、回收了曾经发给我们的东北、华北、华中、西南(及对个别人发放的西北,海南岛)等解放纪念章。现希望能够按约定,把这些纪念章再次交给我们这些同志。这纪念章应该是我们为中国革命付出的青春奖赏。我们绝对不会要求特权与养老金,而是希望现在毫无顾忌地向子孙讲述我们曾是在中国工作过的,是伟大革命的一部分的参与者这一事实当作话题,当作最大的骄傲。”
第一封信发出后,中村和战友们又历经9年时间反复申请和要求,中国方面经过慎重研究,决定补发当年收回的奖章和纪念章。由于历经文革的动乱,许多单位保存的奖章已不复存在。经各方面努力,按原样制作数千枚补发给倭国战友,满足他们的正当要求和热切愿望。
制作完成后,两箱由当年受中国空军之邀来华访问的原四野东北航校教官、《航七会》会长林弥一郎乘飞机带回倭国,另两箱则用船运回倭国交给“回想四野会”事务局局长中村义光,随后“回想四野会”组成了“中国解放纪念奖章授给事务局”。中村义光担任授给局长。经过极端认真地核发、登记会员、发表调查,审查合格后方开始分发,除病亡,联系不上者外,共1560名倭国战友重获证章。
1982年5月25日,倭国歧山会馆的“回想四野会”聚会上,这些年过半百的老人们身着整齐的正装,佩上了久别的各种解放纪念章,洋溢着无比的荣耀和自豪。这是他们人生中难忘的经历和殊荣。
自七十年代中日邦交正常化以来,这些参加过解放战争的倭国老兵已到垂暮之年,他们怀念中国,怀念中国人民解放军,特别怀念在第四野战军渡过的日日夜夜,认为那是他们的“再生之地”。他们先后在倭国成立了“中日友好和平会”、“回想四野会”、“航七会”、“洛阳战友会”、“鸡公山战友会”、“长城友好会”等十几个日中友好组织,从事中日友好活动。
自九十年代以来,以中村义光为首的“回想四野会”先后组织了四次“原中国人民解放军第四野战军倭国籍官兵回娘家访问团”。1998年国防部长迟浩田率军事代表访日,特意邀请“回想四野会”会长中村义光等老朋友来中国大使馆做客。
日籍官兵参加解放军,是段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。今天,历史已翻开新的一页,当年周总理说的那些话和背后的历史,当让更多人知道。
日籍官兵参加解放军,是一段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。
今天,历史已翻开新的一页,当年周总理说的那些话和背后的历史,当让更多人知道。
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