支配人 トレンド
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2025.12.12 03:00
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自分だったら支配人呼びつけてクレームつける。
遅れた原因が機材トラブルと言われてもこの会社は信頼できない。機材のログデータなり提示して証明してもらわないと信じることはできない。
カスハラ扱いされたとしてもUSシネマが不義理な事を幾度もしてきたのが悪いし、出禁になっても無問題だろう。 https://t.co/PaDOmrUQK0 December 12, 2025
@aho_na_cat かつて吾がバイク仲間のアメリカ人(某航空輸送会社の極東支配人)が中国で見た「子供の指を切り落とした手を外国人観光客に見せ金をせしめる行為」に類似性を感じるにゃ! December 12, 2025
@tetsuyamoteki @kaigo_akaruku @TomoharuSaito
倭国のホテル業界を良くするために3万人のグループを作った。総支配人や現場の議論は机上の空論。まともな視聴者はコメント残さないで去る。ホテルと一緒。客(視聴者)に聞くのが手っ取り早い。観たいものを提供すれば済む話。 December 12, 2025
重く、今は孤独です。来年から仲間探しと社会活動を色々始めます、残りの人生すべてを使って。
私は元々非虐待でPTSD持ち(最近分かりました)の人間でした。順調だった人生が中3で狂い不登校となり中卒後フリーターとして生き、中卒ではさすがに、と夜間高校へ17歳の時に入りました。卒業する20歳までの間、様々なにんげんのさまざまな人生を見てきた、というのも前半生で大きかったですし、また卒業するまでの間自殺未遂を6回もしていたほど暗い青春を過ごした経験も死生観に逆にいい影響をもたらしました。
それでも15歳の時からインターネットに繋がり、今でも親友と呼べる人たちに出会うことが出来ました。彼らもまた複雑な過去を抱えていたのでネット越しに傷を舐め合いながら一緒に生き抜いてきました。
そのうちの1人は中卒から救急救命士となり悲惨な現場をタフに何年もくぐり抜けてきたのですが、ある時、辞めると言い出したのです。救急救命士は安定の公務員で年収は900万、なんでだ?と聞くと、「悲惨な現場のことはすぐに忘れていったけど、その現場にいた子どもたちのことが忘れられない。目に焼き付いて離れない、あんな目をしていたのかな俺も、って」と語りだしました。
彼の育ちもなかなかに悲惨で銀行強盗の父親と、ネグレクトの母親の間でうまく情緒・感情を培えずに育った人間で、しかし反面ネットの世界では誰よりも面白くいろいろなことを知っていて人気でした。
しかしそこで出会った女性とオフをすることになりボロが出たのですね。現実でコミュニケーションがとれない。ネットでだけ饒舌。それが彼の真実の姿でした。それをきっかけに「あんた、ネットでだけで生きてたらあかんで、現実を生きな」と女性に19歳から親代わりのように改めてしっかり育てられ、やっと人並みになったものでした。
しかし、今年も言っていたのですが彼の行動原理はすべて「憎しみと怒りからだ」と打ち明けられていました。彼は温厚で年下の私がどれだけふざけておちょくっても怒らないで苦笑いするような、こんな仏のような人間みたことないなという評価をしていた人間だったのでそれは意外なことでした。何故なら、彼がその後付き合った女性も彼の公務員試験を中卒の学歴から合格した蓄積から公務員になるまで導いたという話も聞いていたからです。憎しみと怒りで?と不思議に思いました。
彼女は精神が安定せず金銭面でも追い詰められ、さらに家族から侮辱と罵倒を浴びせられてうちひしがれた状態にあった、というのです。「俺はたしかに彼女を助けたが慈悲でやったわけじゃない。その家族への怒りと憎しみが発動しただけだ」と。「俺には優しさなどはない、空っぽな人間だ、だけど、自立援助ホームって知ってるか?」
私は知りませんでした。「中学卒業後、死別や虐待などで家にいられない子どもたちを預かる施設だ。全国にある。俺は、救命現場で見てきた子どもたちの目を見て、これしかないと思った。金じゃない。俺自身を救わなきゃならないという意味でも悲惨な境遇にある子どもたちを救う仕事がやってみたい」そう私に述べてくれたのです。
しかし40を過ぎてからのまったく未経験、無資格(保育士とかの資格が要りますor児童福祉施設で2年間の経験で児童指導員という任用資格を取る必要があります)で異業種へ飛び込む、しかも年収が半分以下になっても。しかし彼は一発で再就職を決め、今アフガニスタンから来た難民の少女たちとホームで暮らしています。彼の存在も大きかったですね。
私は私で、同じくネットで出会った東京のメンヘラ女子とソウルメイトとなり、彼女と暮らすために20歳で東京に出ました。彼女の腕はリストカットの跡で蛇腹のようにズタボロになっていましたし、境界例だったのでその極端なゼロヒャク思考に振り回されもしましたが愛していました。痛みを共有し、少しでも良くなるために2人日々をともにしました。
彼女がホテルマンがきっと似合うから、と仕事を探してくれて、私もビレバンのバイトをしていて接客も好きでしたので、人と関わることも好きだしどこでもやってやろう、と決意し4回の面接を経て入社がきまりました。
清掃からフロント、マネジメントとトントン拍子にレベルを上げ、小さなホテルでしたが24歳の時に支配人を任されました。それからは帰宅することはほぼ無く16時間ほど働いて設備故障の部屋に寝泊まりする常駐支配人となりました。
が、順風満帆に見えた矢先、30歳で躁鬱を発症し、退職することになりました。そこから私は健常者にももう戻れず、とはいえ障害者とも認められず、アイデンティティの置き場に悩む人生が始まったのです。今はその特性、健常者の世界も見てきたし障害者の世界も見てきた、お互いの中間、橋の上が居場所であり障害者と健常者の橋渡しのために叫ぶことが出来るのは自分の役目だと思うようになりこのアカ December 12, 2025
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