排外主義 トレンド
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2025.12.19 15:00
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ノーヘイト路哲日記
20251219
ミシン屋にて。
創作でどうしても機械の性能の壁によって作れないものがある。丈夫な服を作るのにはいまのジャノメのエクシムプロ極では縫える生地の厚さ、縫える生地の硬さに限界が来た。
という事で工業用腕ミシンを購入する事を決めた。30万円。しかしこれで大体の硬くて厚いものが縫えるようになる。帆布生地も、デニムも、靴や鞄までも。
本当は革すき機も買いたい。しかし20万円もする。その革すき機を買う予算を手ハンドルミシンを買う予算に回すことにした。刺繍が縫えるミシンなんだよこれ。やばい。遂にでっかい絵が書けるミシンを手に入る。
このお店は台湾のミシンメーカーを仕入れて一式組み立て販売するという形態のビジネスモデルのようだが、円安の打撃をもろに食らっているらしい。創作の過程でinstagramアカウントを持っているかと聞かれ、それを見せるならちゃんと自分が”政治活動家のようなものをしている”というのを打ち明ける。これもおかしな話ではあると思うのだが倭国に住んでる場合、日常の中で政治運動をしていたり政治的な発言をするだけで”やばい奴”という枠組みに入るのだ。だから反差別の社会運動してて、そして創作もそういう事に使ってきたし、なんなら自分は倭国共産党の党員である事も伝えてみた。インスタ見てりゃすぐバレる事だし。そうするとやっと、円安の話から高市早苗に対する愚痴がポロっと出た。そりゃ輸出ではなく輸入販売してりゃ命の危機を感じる程に円安の打撃を食らうはずだもんね。政治的に踏み込んだ話題を話し合うまでにここまでの壁があるのが倭国の状況だ。
店主は「倭国が貧しくなったから」とも言っていた。未来は俺がなんとかする。
国境廃絶論と多民族都市東京
なんとなく思い付きでこんなポストをしてみた。「東京が移民をどこよりも受け入れてちゃんと生活も保護して多文化共生のごちゃまぜ先進都市として倭国や世界にこの世の理想を示せるような、そんな都市にしたい。」(このポストには投稿してから12時間で既に300件のクソリプがついている)自分で書いて、感心した。これだと。
このポストが僕の人生の範囲の中で具体的に実現に向けて動けそうな事なんじゃないか。
参政党のクソ選挙運動に対するアンチテーゼとしての数々の反差別アクションを通して自分の中に一つの問が設定された。「日の丸や旭日旗などのナショナリズムのシンボルによって排外主義の扇動をする団結が起きている今、それを押し換えす基本的人権に基づいたリベラリズムの団結出来るシンボル、団結出来ている状態とはどのようなものか?」という問いだ。
一つはスタンダップコメディのように、またはサウスパークのように現状のありのままの酷さを皮肉る事、笑いと罵倒する事によっての団結。もう一つはセサミストリートのように皮肉ではなく愛すべきものとして、、いや、せめて生きていかなければならないものとして「ありのままの世界を描写する」。これはどれかではなく全て必要な事で、排外主義を助長させるナショナリズムに対する明確にそれを押し返せるだけのアンチテーゼとしての根源的な答えにはなっていないと感じる。そんな時に路哲で参加者と国境廃絶論の話題が上がった
「国境こそが人々を分断しているのではないか?」という問いだ。これだ。これはナショナリズムによる団結に対しての直角な完全なるアンチテーゼになっている。このナショナリズムによる排外主義を容認させてしまう団結に対してのアンチテーゼとしての理想を国境廃絶に定めるのはよいのではにか?という仮説を元に学び、議論を進めていきたい。
因みに国境廃絶といってもそれは世界が民主的に同意を得ての事を前提とする為、それは侵略的な帝国主義を指すわけではないし、その思想は真向から否定する。すると、では倭国政府がいま世界に対してどのような振る舞いをしているのか。もっぱら歴史認識という点で東アジアに歩み寄れるような理想的な姿を示せているかと言えば、否だ。だからこそ道のりは僕個人の人生ではどうにもならない程に長い。地方自治体レベル、もしくは、僕個人の半径10m圏内でそのユートピアを実現してやる。そういう思いで路上に立つのだ。それが路哲だ。 December 12, 2025
13RP
朝っぱらから嫌中、嫌韓の排外主義な話題を必ずはさむ報道ワイドショー、おまいらのせいで首相の発言に危機感を抱けない市民が爆増したんだぜ。責任を感じろなんだぜ… December 12, 2025
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岩田先生コメントありがとうございます。「コミューン主義と排外主義は相性がいいのでは?」というご指摘がありました。そうです。コミューンは必ず境界線があります。相互扶助システムですが、対象は「メンバー・オンリー」です。「すべての人」を支援することはできません。リソースが足りないから。 https://t.co/6vyUVC4nmF December 12, 2025
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先日行いました、『陰謀論と排外主義』をウォッチャー同士で語る配信のアーカイブです。
・奇妙な情報が流通し続ける情報空間の存在
・推し活化した社会運動と「とにかく選挙に行こう」の結末
・10年前に現状を予見していた人物
・ウォッチャーとリアル異世界体験
etc.
https://t.co/FR3AH92qSG December 12, 2025
3RP
不法滞在は犯罪ですので、
直ちに強制送還されてください。
あと、東京新聞が書いてる
非正規滞在という言葉ありません。
不法滞在は、不法滞在のみです。
【東京新聞】
「わたしたちは犯罪者ではない」 非正規滞在で困窮する外国人と支援団体が「排外主義的」主張に危機感https://t.co/JpsR0Engwe December 12, 2025
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高市発言を撤回しなくても良いと国会にも漂っているそうですが自民党.防衛省の中には撤回をして欲しい方もいるはずだと
日中友好.国交快復は72年の日中共同声明で倭国は充分尊重して理解しています
日中関係に付いてあの様な事を言うのは排外主義から続き強気な方が支持者に受けるし批判は受け止めない https://t.co/KLE76kR8lh December 12, 2025
2RP
最近観た映画。「みんな、おしゃべり!」ろう者の電気店主、その娘、息子、近所にケバブ屋さんをはじめるクルド人の親父と息子などが、小さな勘違いから騒動が始まる、という喜劇なのですが、大笑いしながら観ました。今の排外主義を煽る政治をどう打ち破るか。たくさんのヒントがみえる喜劇でした。 https://t.co/FxTQ1Mwk1i December 12, 2025
1RP
〈あくまでも冷静に論理をみつめれば〉
今現在明らかなこととしては、
「私たちの人権は、これまでの抑圧・闘争・革命を経て確立されたがゆえに大切に継承すべきものであり、かつ、人権とは前国家的で普遍的なのだ。それゆえに、私たちはすべて、生まれつき人権がある。」
というのは、人権に関する一般的な説明でありつつも、
しかし、
「人権は、これまでの抑圧・闘争・革命を経て確立されたがゆえに大切に継承すべきものだ。」という経験論と「人権は、前国家的で普遍的だ。もし普遍的でないなら相対的になってしまう。だから、人権は前国家的で普遍的だ。」という説明とを複合的に説明するようでは、その革命等が起きる前は無権利状態であったことを明らかにすることになり、人権の前国家的普遍性を否定するし、かつ、経験論によって人権の時代的・文化的同一性を否定したことでむしろ人権が相対的であることを強調してしまい、
よって、この2つの論理を複合的に用いた、私たちに人権がある理由の一般的な説明方法では「人権は、普遍的だし相対的だ」という矛盾命題になるということ。
その上でさらに述べてみると、複合的な説明を用いずにどちらか片方だけで説明するとしても、経験論ではむしろ人権の普遍性を否定することになるし、人権の前国家的普遍性の立場から説明するとしても、そもそも「人権は、前国家的に与えられた普遍的なものである。普遍的なものでないものは相対的である。よって人権は前国家的に与えられた普遍的なものである。」という論証は、いわゆる独断的形而上学と呼ばれるもので、人権が「前国家的で普遍的」であることの証明にはならないし、そもそも誤った論理になっているということ。これは、神を証明しようとする者が陥りやすい論法でもある。
もしくは、人権の根拠を「論理」ではなくて「政治的実践」に求めようとする場合、これは時代や共同体ごとの相対性を許容し、普遍性を認めることにはならないということ。
そして、いまだに人権が相対的じゃなくて普遍的であることを確信できる論理を哲学者たちは思索しきれていないということ。
それゆえ、私たちに人権があるべきと言明できる論理は極めて脆いどころか、矛盾命題になっていることがほとんどであり、それゆえ「言っていることがおかしい」の一言で、いつでも棄却可能性を孕むということ。
これに対して、以前chatGPTは「とはいえ、人権の正当性に関する論理的脆さを理由に、私たちの人権を否定してしまうと、暴力や排除を正当化してしまうので、とりあえず維持されている。」と回答したのだが、そもそもこれも循環論法という、これまた誤った論理になっている。
「暴力や排除を正当化してしまう」と言ったchatGPTは、すなわち「暴力や排除をすべきではない」という普遍性のある道徳的言明を含んだ回答になっているのだが、その道徳的言明を正当と言うために、また「人権」を持ってくることになるので、そもそも先述のように人権の正当性に関する論理的脆さを克服しない限り、同じように論理的脆さを免れない。
さらにchatGPTは「人権は、論理的に真だからというより、まもると決めたから正当化を試み続けるという意見もあります」としたのだけど、そこで指摘できるのは、そもそも「どこからその決意が導かれたのか?」というもの及び「『人権をまもると決めた』という決意から『だから人権を守るべきだ』という論理を直接導くことはできない」という点だ。
もし、ある価値を「まもると決めた」というのであれば「祖国の偉大さをまもると決めた」ので「だから他国を征服して資源や領土を奪ってしまおう」が正当化されてしまう。それゆえ、この論理をもって人権を正当化することは、論理応用上のリスクさえある。
またその上でchatGPTは「私たちに人権があるべき正当性は、確かに論理的に明らかではない。しかし、だからといって人権を否定する理由もない」という反論をしたのだけど、国家のため、子孫のため、環境のため、他者のため、家族のためなど、人権に懐疑的になれる理由はいくらでもある。もちろん、このどれか一つの理由だけでは、ある人権には懐疑的になれるけれど、すべての人権を否定する理由にはならない。でも、その理由を複合的に用いたら、いくらでも懐疑的になりうる。
あるいは「私たちに人権があるべき正当性は、確かに論理的に明らかではない。しかし、現実的リスクとして、それを理由に人権の廃棄を許してしまうと、歴史をみればどうなるのか、人類は知っている」というのだけど、これはなんらかの理由による人権制限の範囲の調整を否定できる理由にはならない。むしろ、先述したように、なにかしら"現実的リスク"な理由をもって人権制限の拡大を試みる事を阻止できる理由にはならない。
また、chatGPTは「せめて人権を選好することは可能だ」と言ったけれど、それは相対性を承認するものであり、前国家的で普遍的な人権という価値観の決定的敗北を意味する。あくまでも相対的基盤を許すのなら、人権侵害を批判することに正当性は見出せない。
もしくは「論理的関係をもって正当性を検討するのではない。人として、人権を侵害されたら嫌だから、情動主義の観点から正当性を見出せる」という反論も考えられるけれど、それはむしろ人権の相対性を認め、"人権は前国家的で普遍的である"を否定することになる。さらに言えば「〇〇は嫌だから」という情動は、その時点のその個人が「正当だと思っている」という内向的作用を意味するものの、それはこの世界、つまり外部へのネットワークとしての規範を客体化して認識する際のいかなる正当性も導出しない。それゆえ、その「正当感」の情動が内面的作用にとどまる限り、人権を軽視する客体を批判するいかなる資格をも意味しない。さらに付け加えておくと「〇〇は嫌だから」という情動で正当性を見出せてしまうなら、むしろ差別や排外主義を正当化しかねない。そして何より、状況や立場の違いで「〇〇が嫌と思うかどうか」は変わる。すなわち、情動主義に基づいた倫理観は、その情動を共有する人としない人とで、道徳秩序の分化を引き起こす。それゆえ、情動の共有による共感的倫理に依拠することは、むしろ人権の前国家性や普遍性を否定し、人権の相対性を強調することになる。
また、chatGPTは「私たちに人権があるべき正当性に懐疑を投げかけるという行為自体が、すでに『発言する権利』を行使しているので、人権は相互承認と対等な発話という前提に立つので、道徳規範としてより、社会的実践としての人権は正当化されうる」とした。
しかし、ここには隠れた前提という致命的な欠点がある。それは「すべての人は、人権を否定した先でも平等である」というものである。しかし、それはあくまでも各個人が議論の力関係で平等だという前提の中でしか成立しないのであって、より力のある主体が私と同じような論証で、私たちに人権があるべき正当性に懐疑を投げかけた場合は、社会的実践としての人権は否定しうるのである。もはやこの「社会的実践としての人権」などという発想自体が、現実を無視した机上の空論の典型例という他ない。そう、机上の空論のことを"社会的実践"と呼んでいる事自体が滑稽極まりない。一体これのどこに実践可能性があるというのか?
そもそも、先立つ理論を準備せず、実践を前提に据えて人権を語るいかなる主張も、"どうしてそれを実践するべきなのか?"という問いに対する回答を放棄したことになるので、人権の相対性を示すことになるし、人権が前国家的で普遍的であることを否定することになる。
また、討議倫理の考え方に基づいた人権の正当化にはさらに欠点がある。たとえば「発話の時点で『発言する権利』という規範的前提を受け入れている。」については、"それすなわち他者の発言する権利を認めているとはならない。むしろ、自分の発言する権利しか受け入れていない場合もある。自分の発言する権利しか受け入れていない場合でも、規範のあれこれを発言することは自分の意見として、そして自分の意見の強制として可能である。"と言うことができる。
ある単一の主体のみが規範的発話をしているとしても、たとえば、その主張が論理的に正しいといった面がある場合、少なくとも論理的な正当化は可能である。そのため、他者の発言を認めない規範的発話であっても、なんらかの面で正当化に向けた手続を可能とする。
それゆえ、"規範的前提の受けいれ"という概念の設置は、そもそも破綻している。
さらに言えば、討議倫理の中心的条件の一つである「規範の結果をすべての関係者が受け入れ可能である場合にのみ、その規範は妥当である。」という考え方については、"人権が前国家的で普遍的である事を否定し、むしろ人権の相対性や、議論集団ごとの道徳秩序の分化を許すことになる。"と言うことができる。
そもそも、遂行的自己矛盾の考え方に基づき、"いかに人権に対する懐疑的な発話をしようと、その規範的発話をすること自体が、他者の発言する権利を認めるものだ。"という主張が、そもそも破綻したものではあるが、もしも仮に正しいと仮定したとしても、そこで正当化できる人権は、ただ「発言する権利」のみを正当化しただけであって、他のあらゆる人権を正当化できるものではない。
それゆえ、依然として前国家的で普遍的なものとしての人権というものの正当性は示されていない。
あるいは、私自身が考えついた反論として「自己立法的人権正当化」が考えられる。これは先ほど「自分の発言する権利しか認めていない場合がある」を応用したもので、自己立法的にみずからの人権を得るという方法である。すべての人がそれぞれ「自分には発言する権利がある」と自己立法するのである。
ただし、これには致命的な欠点がある。なぜなら、そもそも「『自分には発言する権利がある』として、自己立法的にみずからの人権を得る。」というのは、自分自身の人権を内向的に確立することしかできないのであって、第三者があなたの自己立法した人権(規範)をまもるべきとは言えないからだ。
最後に、chatGPTは「最後に残るのは『人権という概念を否定する場合、それに代わる代案を用意せよ』と言うことは可能だ」という回答であった。しかし、この「代案を出せ」という論法は、そもそも先述したように、私たちに人権があるべき正当性を論証できなかったのに、そもそも命題が偽なことを「代案を用意しろ」と言ってしまう事には「すまないが、一体どこからその『代案を用意しろ』という要求が導出されるのか?」というふうにしか言いようがない。
これらの論理確認を踏まえ、以下の回答を得ることができる。
命題1「人権は、前国家的で普遍的である」は、偽である。
(※命題の「偽である」とは、すなわち「それはウソである」という意味である。)
命題2「私たちの人権は、これまでの抑圧・闘争・革命を経て確立された」は、事実としては真である。ただし、それをもって人権が"前国家的で普遍的である"を主張することはできない。
命題3「人権は、普遍的だし相対的だ」は、矛盾命題なので、偽である。
これらの論証にはきっと、とりわけ「差別に反対する」などと重点的に主張する人々にとっては耳の痛いことだろうから、彼らのなかには、まるで幼児のごとく感情的になって私のことを激しく非難しようとするかもしれない。しかし、あの幼児たちはすでに"道徳を濫用している"のだ。それは「人権を尊重するべきだ」という道徳規範が、人々のための道徳から、道徳の濫用としての、道徳が暴力装置に転化した瞬間なのだから。
彼らは、あたかも確固たる論理的正当性があるかのように振りかざし、人権に対する懐疑的な見方や、人権のあり方に対する多角的な議論を封じて、その疑問を発する人を激しく攻撃し、"人権だから"と言えばなんでも許されるような、人権を暴力的で排他的に運用してしまう。そうした現状への新しい視座を届けたい。 December 12, 2025
国民が馬鹿だと増税が捗るな
さぞ与党連中は笑いが止まらんだろうよ
ありもしない危機をわざと煽ってやればナショナリズム、排外主義に傾いてガス抜きできて、自分たちへの不満は行くことがないのだから https://t.co/nlYwLIq542 December 12, 2025
ありがとうございます。
僕の方にもyouさんを差別主義者だと思っていたところがあったかもしれません。
それについてはお詫びいたします。
1つだけ申し上げると、今のヨーロッパは移民の労働力のおかげで倭国より経済的にも繁栄しています。GDP などをご覧になると確認できると思います。
また、2015年の欧州難民危機がありましたが、倭国にはそれほど影響がありませんでした。
ですので、一部の排外主義インフルエンサーが主張しているような心配よりも、少子高齢化で没落するリスクの方が大きいのではないかと僕は思っています。 December 12, 2025
\重版4刷決定/
是川夕『ニッポンの移民』
昨日12/18は「国際移民デー」。倭国でも移民をめぐり様々な議論が起こり、外国人問題も排外主義も決して他人事ではありません。先週末、朝日、東京、両新聞で素晴らしい書評をいただき重版が決まりました。本書片手に移民問題を一緒に考えてみませんか? https://t.co/nF8oi9c1fY December 12, 2025
高市という極右排外主義首相が従来の政府見解を逸脱した「台湾有事は我が国の存立危機事態」発言により中国が反発した!悪いのは高市だよ!それを「告げ口外交」とか「チャイナリスク」とか批判するのは間違い!
30年までに訪日外国人6千万人インバウンド15兆円はドブに捨てたか? https://t.co/KTQAqN1BGH December 12, 2025
多くの人達が“排外主義”という言葉に騙されてる。
そこが問題。
自分達の安全や生活を守ることなんて当たり前だし、それこそ憲法が“国民”に保証する生存権や最低限の文化的な生活というものに含まれるはずです。
そんな主義は存在しません。 https://t.co/rcUh7jWebw December 12, 2025
これ凄い
預言者発見 午後1:00 · 2012年12月19日
①アベノミクスからの異次元緩和で景気回復せず
②岸田の新しい資本主義で「円建てGDP」は増えたが、過度の円安のせいで「ドル建てGDP」は減少の「実質賃金」も減少の一途(岸田応援団のpulpら曰く給料上がらないのは底辺だから自己責任)
③中国あたりのせいにして→倭国ファーストのキャッチコピーの情弱ビジネスマルチ手法で参政党が台頭
④過半数割れで日和った自民が馬鹿に迎合し参政党に寄せポピュった高市政権に
④愛国ポルノビジネスが横行し、乗せられた馬鹿ウヨが排外主義で移民叩きや外国人ヘイト
⑤さらに景気悪化は高市の無責任な放漫財政で円安が進むと輸入インフレが国民を襲い物価高騰し、金利上昇が止まらず内需がぶっ壊れ、中国とも関係悪化で一億総貧民に
まだ⑤の途中だけど全部馬鹿ジャップ(自虐)の自爆やんけ December 12, 2025
【遊読記】【#陰謀論と排外主義】読了。此の本の他に、情報精査を促す身近に手に入り易い本はなんだろうか?と考えて観る。先ずは、此の本の執筆者7人の著作。他に、#雨宮純 氏に #鈴木エイト 氏の著作もだな。 #furano #asahikawa #ebetsu #sapporo #hokkaido #japan https://t.co/CtOAuuUONr December 12, 2025
【遊読記】【#陰謀論と排外主義】読了。此の本の他に、情報精査を促す本は何が有るか?と考えて観る。宗教系だと、【#三教指帰】【#般若心経秘鍵】か。仏教や密教のプレゼンテーションな内容だが、比較対照・精査の流れを観られる。 #furano #asahikawa #ebetsu #sapporo #hokkaido #japan https://t.co/MgJjBGx2JJ December 12, 2025
【遊読記】【#陰謀論と排外主義】読了。此の本の他に、情報精査を促す本は何が有るか?と考えて観る。【#フェイクニュースの見分け方・烏賀陽弘道】【#小川寛大・宗教問題】と、なるな。民俗学や地政学の本もだな。 #furano #asahikawa #ebetsu #sapporo #hokkaido #japan https://t.co/B289MTFLg6 December 12, 2025
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