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廿日市市
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2025.11.29 07:00
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抜弁天厳嶋神社。新宿区余丁町。
通称:抜弁天(ぬけべんてん)。新宿山ノ手七福神の弁財天。
抜弁天通りと団子坂下との交差点に鎮座。交差点の名も抜弁天。
御朱印は本務社である「西向天神社」で頂けます。新宿山ノ手七福神の弁財天の御朱印になります。(新宿山ノ手七福神巡りは正月だけでなく通年で七福神巡りができます)
そんな抜弁天は応徳三年(1086)の創建とされます。源義家(八幡太郎)が後三年の役で奥州に向かう途中で当地に立ち寄った際、遠く富士を望み更にその先にある安芸の「厳島神社」(現・広島県廿日市市)に戦勝祈願。凱旋後に御礼として当地に「厳島神社」を勧請して神社を建立したと伝わります。
抜弁天の名で呼ばれるようになった時期は不詳ですが江戸時代の頃には既に抜弁天として親しまれていました。
・源義家が当地に立ち寄り戦勝祈願をして苦難を切り抜けたという伝承。
・境内が南北に通り抜けできるという事。
こうした事から「切り抜け・通り抜けの弁天様」として「抜弁天」と崇敬されたと言います。
因みに今も境内が南北に通り抜けできるようになっています。現在でも抜弁天通り・交差点・バス停などに抜弁天として名が残り、当社も正式名称の「厳嶋神社」よりも「抜弁天」のほうが名の通りが良いです。
こうした抜弁天が人気になるのは第五代将軍・徳川綱吉の時代以降のこと。
貞享二年(1685)に徳川綱吉によって最初の「生類憐れみの令」が制定されます。
※実は生類憐れみの令は貞享二年(1685)の制定から元禄十三年(1700)まで135回も出されたお触れの総称です。犬だけでなく、猫、鳥、魚類、貝類、虫類などの殺生を禁止しました。
元禄八年(1695)、大久保と四谷に犬小屋が作られます。このうち大久保の犬小屋というのが当地周辺にあたります。約25,000坪もの犬小屋が設けられていました。この犬小屋のために当地の住人は強制退去を命じられています。
宝永六年(1709)、綱吉の死後になって犬小屋が廃止となり当地の住民も戻ってきました。その頃の当社は小さな社で維持されていましたが、犬小屋が廃止されると住民たちによって再建。以降は「江戸六弁天」の一社に数えられました。
※江戸六弁天は本所・州崎・滝ノ川・深川・不忍池・大久保(当社)であったと伝わります。
今も手狭な社地ながら弁天池を有した弁天様になっています。弁天池には鯉の姿も。
抜弁天の名の通り、通りを抜けがてら参拝される方も多いです。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 November 11, 2025
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