小松左京 トレンド
小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、倭国の小説家。本名:小松 実(こまつ みのる)。 『易仙逃里記』(1962年)でデビューして以降、人類と文明の可能性を模索し続けた、SF小説の大家。作品に『倭国アパッチ族』(1964年)、『果しなき流れの果に』(1966年)、『倭国沈没』(1975年)など。
「小松左京」 (2024/11/16 11:54) Wikipedia倭国語版より
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2025.01.20 15:00
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つうか小松左京先生がSF界にそんな絶大な権力持ってるなら、角川ハルキ事務所主催の新人賞である小松左京賞を落選した「虐殺器官」が、倭国SFを代表する出版社である早川書房から刊行されるなんてことがあるはずもない、なんてことは少し考えればわかるでしょう。 January 01, 2025
SF業界では、当時の風潮ではかなり時代遅れになっていた小松左京「的」明るい未来を読者に売って行きたいという戦略があり(本人は既にご病気で余り活動しておられなかったと思うよ)、その方向性と相容れない作家はかなりの圧を掛けられた。 January 01, 2025
他者の文の紹介をするにあたり
小松左京が「虐殺器官」を新人賞選評で一度低評価したという記述を「毛嫌い」としたり(一回だし彼なりの理由もある)、SFファンの外にウケた&メタルギアなどのパッチワークで構成されてることを「ゲーマー層などのSF外の界隈で受け入」とまとめられると信頼は難しい。 January 01, 2025
まあプロアマ問わずの賞に出して、いちどデビューした作家が落ちるのは、世間的にはどう見てもゲームオーバーなわけで、精神的にはかなりきつかったがそれでも、ああ小松左京ってもう神様じゃないんだな、とわかったのは自分にとってよかったと思う。それまでの私にとっては神様だったから。 January 01, 2025
佐藤亜紀は論考では、再三伊藤計劃の新しさ、価値を旧いSF界隈の作家評論家、ファンが読み取れなかった、と書いており、Twitterのほうでは伊藤計劃を評価しない流れが閉鎖的なSF界隈にあったとは書いているが、小松左京という長老が主導したとは、書いていない。 January 01, 2025
SFへの偏見で人気作家だった小松左京が賞を取れなかった事、その小松が伊藤を認めない事を「物語」にしてしまっているので、ファクトから大きく隔たってしまっているが、むしろ資料を斜め読みして独創性を発揮することでオリジナルな文章が書けるという創作方法なのではと思っているので詮無い顔無い。 January 01, 2025
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