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家畜
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2025.12.12 13:00
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@inzkachikunoon へへへ☺️家畜さんありがとうございます🫶✨書いてる本人が1番ノリノリで楽しく書いた本だったので、楽しんで読んでもらえてたことがめちゃくちゃ嬉しいです🥳🥳 December 12, 2025
ファンタジー世界で新種の動物を魔物か動物か判断して命名する機関に所属する主人公の物語とか面白そうだな……
成分から新しい薬を作ったり家畜化の可否を検査したり
いや、ゲームの方が面白いか。 December 12, 2025
@JINKOUZOUKA_jp 真弓先生の映画を見せた方が自分で考える事ができる子供になるでしょう。
子供を洗脳し考える事ができない家畜にしようとしているとしか思えませんね。 December 12, 2025
れいわを支持するパヨって、なんでもかんでも国に面倒を見てもらわないと行きていけない家畜みたいやね。
こういう層は海外だと何もしない社会のお荷物として疎まれてそのまま野垂れ死にやろな。
こんな奴らでも行きていける倭国を作った自民党様に感謝せぇよ。 https://t.co/2xLrUYYlFt December 12, 2025
鶏は8,000年前に東南アジアで家畜化された。
その後の7,900年間、人類が鶏を飼っていた理由はただ一つ:卵だった。
鶏肉が食べられるのは、雌鶏が卵を産まなくなったときだけだった。通常3~5年後である。その鳥は鍋の中で引退する権利を獲得していた。
当時の鶏肉は痩せて筋が多く、長時間煮込まないと食べられず、特に美味しくもなかった。卵の生産が終わったときに得られる「まあまあなタンパク源」にすぎなかった。
1950年代:低脂肪時代が始まる。飽和脂肪酸が敵とされた。
牛肉と豚肉が突然「危険」とされる。鶏肉が「健康的で低脂肪なタンパク質」として持ち上げられる。
1960年代:工場式養鶏が始まり、肉専用に品種改良された鶏が登場する。コーニッシュ・クロスが開発される──ヒヨコから出荷体重になるまで16週間かかっていたのが、わずか6週間で済むようになった。
この品種は以下の特性のために作られた:
- 巨大な胸肉(消費者は低脂肪タンパク質を欲していた)
- 驚異的な成長速度(年間の生産サイクルを増やせる)
- おとなしい性格(工場飼育がしやすい)
この鶏たちは先祖の鶏からあまりにもかけ離れてしまい、自分の体重でまともに歩くことすらできない。骨格が肉の重さに耐えられないのだ。多くの個体は代謝の負担で屠殺年齢に達する前に心不全を起こす。
1980年代:「鶏むね肉と米」がフィットネス界のデフォルト食事になる。ボディビルダーたちは脂肪を徹底的に取り除き、瘦せた筋肉だけを食べて「これが最適だ」と言い出した。
あなたの曾祖父母なら、その胸肉は犬にやる部分だった。
一番脂が乗っている部位──もも肉、皮、レバー──それこそが昔から価値ある部分だった。胸肉はただのかさ増しにすぎなかった。
我々はここ60年間、鶏の中で最も栄養価の低い部分を「健康食」として売りさばき、人類が何千年も大切にしてきた脂のある部位を悪者にしてきた。
鶏肉が健康食になったのは、脂肪を毒だと決めつけた瞬間からだ。
それ以前は、ただ単に「卵を産まなくなった老鶏の処理方法」にすぎなかった。 December 12, 2025
新たな研究でアライグマが家畜化の初期兆候を
示していることが明らかになりました
アーカンソー大学は都市部のアライグマは
鼻先が小さく家畜化症候群の兆候であることを
発見しました
近く穏やかで人間が大好きなアライグマさんが
ブームになるかもしれませんね😳 December 12, 2025
昔の子供は公園で砂遊びをしていた
泥だらけになって遊んでいた
今の子供は家でスマホをみている子が多い
どちらが健康的だろうか?
公園で遊ぶ
犬や猫を触る
家畜と触れ合う
除菌ばかりしない
などをし、たくさんの菌に触れることで健康的な身体になれる December 12, 2025
<学長と農ク推薦学生との対談>
循環農学類1年 関和優奈さん
(神奈川県立相原高等学校出身)
教員を目指すために1年生から教職課程の授業を頑張っているのはもちろんですが、江別市内の牧場でアルバイトをしています。家畜人工授精師の資格も取得したいと考えているので、日常的に牛には関わることで、学び続けたいと考えています。
私自身もここにいる皆さんは全員、農クを頑張ってきた人たちだと思います。農業高校の人たちはぜひ農業クラブに力を入れて頑張ってほしいと考えています。
<続きはこちら> https://t.co/RVSaOBjsRI December 12, 2025
柳田國男(元農水省)は、農民を貧困から救う活動に邁進しましたが、米価を上げて農家所得を増やすことは貧しい国民消費者を苦しめるので断固として拒否し、米価を上げようとする地主階級と対決しました。彼の影響を受けた『貧乏物語』の著者・河上肇は、「一国の農産物価格を人為的に騰貴せしめ、之によりて農民の衰頽を防がんとするが如きは、最も不健全なる思想」と主張しました。
農民を救うために柳田は規模拡大、生産性向上によるコストダウンを主張しています。価格を上げなくてもコストを下げれば所得は増加します。それこそが国民全体のための“経世済民”ですよ。
政府がコメを買い入れる食糧管理制度の下で、1960年代~70年代にかけ激しい米価引き上げ運動が毎年繰り広げられ、農民票が欲しい自民党の圧力で米価はどんどん上昇しました。
一方で農家保護のために米価を引き上げれば、生産量が増えて需要が減ります。
この結果、大量の過剰米在庫を抱えた政府が最初は財政負担で家畜のエサ用などに過剰米を安く処分し、その後農家に補助金を出してコメの生産を減少させ、政府が買い入れる量を制限しようとしたのが減反政策の始まりです。
当時のJA農協は「全量政府買入れ」を主張して簡単に減反に応じず、応じるのであれば代わりに、多額の減反補助金を出せと要求しました。
2018年のフェイク「減反廃止」でも、コメの生産目標数量を廃止するだけで、減反政策のコアである転作補助金は逆に拡充し、多くの兼業農家は他の作物を栽培する技術がないので、減反補助金をもらうため、植え付けても収穫しない“捨て作り”という対応をしてきました。
さらに、主食用以外の用途のコメを転作作物として補助金を交付するようになり、米菓(あられ・せんべい)用からエサ米までも転作作物として認め減反補助金を払うこととし、減反補助金の大幅増額をしてきました。
食糧管理制度の時には政府への販売量を増やすため減反反対を唱えていたJA農協も、同制度廃止後は米価維持の唯一の手段となった減反政策の積極的な支持へ立場を変更しました。
巨額の補助金(60キログラム当たり主食用米価格1万5000円とエサ米価格1500円の差を補う金額)を払ってエサ用などのコメへ誘導し、主食用のコメの供給量を減らしてその価格を高くする、農水省もJAも経世済民とは真逆の組織です。
そもそも減反は安全保障と正反対の政策です。主食の生産を減らすような国家はなく、倭国は減反で生産できる量を半分に減らしているので、今輸入食料が途絶すると国民は全員半年も経たずに餓死します。農水省が食料安全保障だの食料自給率向上だの声高に言うのは、農業予算を増やしたいためだけで、国民や消費者のことなど少しも考えていません。高米価を求める既得権者の利益しか頭にないからです。恥を知れとしか思いません。 December 12, 2025
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