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奈良県
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2025.12.20 04:00
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【動画/字幕あり、全文掲載】
先の国会で、在職25年の永年表彰演説を行いました。
戦争の影響を色濃く受けた私の生い立ち、党派を超えた先輩議員たちの教訓や、戦争体験者の方々の教えなどを紹介しました。
「『考えの違う人』の意見こそ丁寧に聞きなさい」
「政治家は勇ましいことを振りかざして、国民を『扇動してはならない」
こうした言葉を胸に刻んで、
「対立」や「分断」や「権力の濫用」を戒め、
「平和」と「平等」を求め、
希望を組織化する。
そんな政治家でありたいと、この混迷の時代で政治家を続ける意味と決意を述べました。
★★★★★★★★★
<以下、演説全文>
私は1960年、奈良県吉野郡の山間の町で生まれ、大阪・名古屋で育ちました。父方の祖父は戦死をし、遺骨も帰らない中、父は15才から働きに出されました。母方の祖母は、終戦の年に亡くなりました。
苦労した両親は、洋服屋、クリーニング屋、うどん屋など、小さな商売で懸命に働いて、私と弟を育ててくれましたが、親子四人、六畳一間で暮らした「厳しい時期」もありました。子どもの頃から、「戦争犠牲者」の家族は生活苦や心の傷が癒えないと、身をもって体験してまいりました。
「政治は戦争をさせないためにある」そして「政治はみんなが食べて行けるようにする」この二つの私の「政治信条」は、こんな「自分の生い立ち」から、絞り出されたように思います。
奨学金で大学に進学し、ピースボートを設立、世界中と民間外交を進め、紛争地で発砲された経験もありました。
そして今から29年前の1996(平成8)年10月でした。社民党の土井たか子党首から「次世代の女性たちにバトンを繋ぎたい」と出馬要請を受け、初当選を致しました。36才でした。
当時は自民・社民・さきがけの連立政権。与党議員として活動を開始。一年生で当事者の方々と共に「NPO法」や「被災者生活再建支援法」を成立させ、また「情報公開法」「環境アセスメント法」「児童買春・ポルノ禁止法」「男女共同参画社会基本法」等の制定に取り組みました。
これも、多くの先輩方のご指導のおかげです。
自民党の加藤紘一先生からは「『考えの違う人』の意見こそ丁寧に聞きなさい」。青木幹夫先生からは「国民のためには、与野党の信義が大事」。そして宮澤喜一先生からは「外交は、3割は相手の顔を立てて『のりしろ』を作りなさい」。
そして立憲民主党を立ち上げ、野党第一党では女性初の国対委員長として、悪戦苦闘していたとき「女軍師になりなさい」と発破をかけて下さったのは、河野洋平先生と村山富市先生でした。
党派を超えた先輩方から「政治の極意」や国家を運営する厳しさを直接、教えて頂けたことが、今の私を作っています。
また、歴代13人の総理大臣と議論をしてまいりました。集団的自衛権の行使を巡っては激論となり、「総理、総理…」と連呼、これは23年前になりますが、まさに現在に続く問題でもあります。
政権交代を果たした2009年、国土交通副大臣としてJALの再建や交通政策基本法の策定、羽田空港のハブ化、最大級の巡視船あきつしま建造に着手。
東倭国大震災の時は、総理大臣補佐官として、官邸に「ボランティア連携室」を作り、自衛隊や自治体の方々と被災地支援に奔走しました。
大きな挫折もいたしました。21年前、秘書給与問題で、辞職し、裁判に臨んだことです。
裁判長から「本件は余罪がなく、個人的用途の意図はなく、他の事案と違い、その反省の態度を信じて刑の執行を猶予する」と言い渡されました。
この時「人生を捧げて、今度はすべての人をお守りするのが、私の使命や」と、肝に銘じました。
最後にこんな私を衆議院7期、そして本院「良識の府の参議院」へと送って下さった大阪を始め全国の皆様、支持者や働く仲間の皆様、そして衆参の議員の皆様や自治体議員の方々、秘書や党の職員の皆様、国会や省庁で働くすべての方々の力添えなくして、ここまで来られませんでした。心から感謝申し上げます。
今日は90才の父と87才の母が、この本会議場に来てくれました。何があってもへこたれない「庶民の底力」を教えてくれた両親は、私の誇りです。ホンマに、ありがとう。
現在、世界各地で「戦争」や「排斥」が起こり、在職25年の中で、最も混迷する時代です。「政治家は勇ましいことを振りかざして、国民を『扇動してはならない」この言葉は戦争を体験し、戦後の倭国を築いてこられた先輩議員の教えでした。
戦後80年の今こそ、この先人たちの教訓を胸に刻み、「対立」や「分断」や「権力の濫用」を戒め、「平和」と「平等」を求め、希望を組織化する。
そんな政治家でありたいと、決意を新たにいたしております。これからもご指導よろしくお願いします。本日は誠にありがとうございました。 December 12, 2025
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#自由民主先出し
📌「飛鳥・藤原の宮都」を世界遺産に
令和8年夏に審議・決定
奈良県橿原市や明日香村、桜井市にまたがる「飛鳥・藤原の宮都」。世界遺産への登録を目指し政府は令和7年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦書を提出しました。令和8年の夏に韓国・釜山で開催予定の世界遺産委員会で審議・決定されます。本資産は中央集権体制が誕生・成立した過程を2つの連続する時代の宮都の変遷から示すことができる唯一無二の資産です。世界遺産登録が実現するよう引き続き、政府与党、関係自治体一体で取り組んでいきます。
倭国の始まりを世界に伝える
「飛鳥・藤原」は当時の中国・朝鮮半島諸国と倭国との間で行われた政治的・文化的交流の所産であり、渡来人の積極的受容による外来の文化の導入と倭国固有の伝統との融合を通じて独自の開花を遂げました。
「飛鳥・藤原」の資産は、奈良盆地の南部に位置する丘陵に囲まれた飛鳥の小盆地と、その北西に接する藤原の平野部に展開する2つの宮都からなります。
天皇が居住する宮殿に政治権力を集中し、周囲に統治機能をもつ官衙(官庁・役所のこと)群を順次追加した小盆地内の「飛鳥の宮都」。そして大和三山に囲まれた平野部を選び、大極殿・朝堂院・内裏・官衙群が1つの宮殿内に統治機構を集約された「藤原の宮都」です。
これら2つの宮都の変遷が、倭国列島に中国の律令制度を模範とする中央集権体制が初めて誕生したことを物語っています。
これらは、8世紀の平城京(奈良)、9世紀以降の平安京(京都)へと続く倭国の宮都造営の出発点ともなりました。
飛鳥 「倭国」を築いた時代
592年、推古天皇が飛鳥の豊浦宮で即位しました。その後、都が飛鳥・藤原から平城京に遷る710年までの約120年間が飛鳥時代と呼ばれています。この時代には、遣隋使・遣唐使の派遣や憲法十七条の制定、乙巳の変、大化の改新、壬申の乱等政治改革と政変を繰り返しながら「倭国」という国が形作られていきました。
「飛鳥」では宮殿の周囲に重要な施設がつくられ、天皇や氏族による寺院の建立が相次ぎ、それまで権力の象徴であった前方後円墳が終焉する等7世紀後半から用いられたとされる「倭国」の基礎が形作られました。
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https://t.co/e53y5gLVEm December 12, 2025
#東大寺 さん(奈良県奈良市)
金堂(大仏殿)の正面にある観相窓は普段は閉まっていますが、お正月三が日、お盆、その他特別拝観日は観相窓が開かれて、窓から大仏様のお顔を見る事ができます
私はまだ観相窓からの大仏様のお顔を見たことがないので、一度見てみたいです https://t.co/O5oxfPvJZz December 12, 2025
いよいよ来年 高市政権中に必ず認定を
>奈良県橿原市や明日香村、桜井市にまたがる「飛鳥・藤原の宮都」。世界遺産への登録を目指し政府は令和7年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦書を提出しました。令和8年の夏に韓国・釜山で開催予定の世界遺産委員会で審議・決定されます。 https://t.co/qu3u58NpMy December 12, 2025
おはなーたん☀今日はこれから東海最後の旅へ滋賀県、奈良県、三重県と行ってくるねぇ(^^)今日も1日充実した日にしましょう(^^) https://t.co/Az1QvWEz3E December 12, 2025
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