天皇陛下 トレンド
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2025.12.09 00:00
:0% :0% (40代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
チャールズは戴冠式に天皇陛下に来てほしいって招待状に書いたのに、あんな馬の骨が来てお怒りに。出迎えに赤い絨毯も引かず、王族達と祝う晩餐会にも招待しなかった。秋篠宮夫妻を送った倭国政府の失態。 https://t.co/1MxTnefRND December 12, 2025
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今日は地久節。
皇后陛下、62歳のお誕生日おめでとうございます!
教養のあるお方はやはり年齢を重ねても強い。さらに天皇陛下のこのショットでの表情も柔らかくて素敵。 https://t.co/xvOD0L9tQy December 12, 2025
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「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
皇室を無視して政治家が決めることが許されるのか。
継承者は天皇陛下のお考えも大事では!
#敬宮愛子さまを皇太子に https://t.co/0FzJBfdFps December 12, 2025
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💫⭐︎皇后陛下💫⭐︎
🥂お誕生日・前夜祭🥂
#TLを天皇家の写真でいっぱいにしよう
💖仲良し夫妻💖
シンクロしてますよね〜🤩 https://t.co/3f3Uirhbop December 12, 2025
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久しぶりにタウカンの辛辣記事読もうか
英王室は前例を破って国家元首や王族が招待された中で
ご丁寧にも赤文字で
「天皇陛下へのご臨席をリクエストしたんだけどぉ」ってなってるのホント好き
あと、式典で草履はやべーから😁
#秋篠宮家は倭国の恥
https://t.co/tAyXT2ZOz5 https://t.co/TC01Dp2Gjl December 12, 2025
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「皇道仏教」をさらに深く掘り下げるには、この思想が具体的にどのように形成され、当時の社会でどのような役割を果たし、戦後にどのような影響を残したのかという歴史的経緯と構造を理解することが重要です。
1. 思想形成の歴史的背景:明治維新から戦時体制まで
「皇道仏教」は突然現れたものではなく、明治以降の国家体制の変化の中で徐々に形成されました。
•国家神道体制下での仏教: 明治政府は神道を国家の根幹に据え(国家神道)、仏教は一時的に弾圧されました(廃仏毀釈)。仏教界は存続のために国家への協力を余儀なくされ、この時期から仏教を国家体制に組み込もうとする動きが強まりました。
•日清・日露戦争期: 戦争が始まると、仏教教団は積極的に「従軍布教使」を戦地に派遣しました。彼らは兵士の精神的支柱となり、戦死を厭わない精神(「戦争は名誉である」という価値観)を鼓吹しました。この段階で、仏教の「無我」の教えが「国のために命を捧げること」と曲解・結びつけられました。
•十五年戦争期(満州事変以降): この時期に「皇道仏教」という言葉が標榜されるようになります。国家の意図に反する仏教教義は排除され、国体や東亜新秩序といった概念と仏教が融合されました。
2. 思想的支柱:「真俗二諦論(しんぞくたいろん)」の悪用
「皇道仏教」を教学的に正当化する上で中心的な役割を果たしたのが、真宗大谷派などで採用された真俗二諦論の特定の解釈でした。
•真諦(仏教の真理)と俗諦(世俗の法・国家の政令): 本来、この二つは相依りながらも異なる次元のものであるとされます。
•戦時下の解釈: 戦時教学においては、「真諦を以て俗諦を資け、俗諦を以て真諦を資け、二諦相依りて現当二世を相益す(真理をもって世俗を助け、世俗をもって真理を助け、両者が互いに利益し合う)」という解釈が強調されました。これは、仏教徒が国家の政令(戦争遂行)に無批判に従うことが、そのまま仏教の真理の実践であるとする論理でした。これにより、教団は国家権力への協力を教学的に正当化しました。
3. 具体的な活動と影響
皇道仏教の思想は、以下のような具体的な行動に現れました。
•「天牌(てんぱい)」の奉安: 天皇の写真や名前を記した牌を本堂に安置する運動が展開されました。これは仏教の寺院が天皇制国家の一部であることを象徴する行為でした。
•大陸布教: 「皇道仏教」は、倭国の中国大陸への侵略を宗教的に正当化する役割も担いました。大陸での布教活動は、倭国の植民地支配や皇民化政策と一体となって進められました。
4. 戦後責任と今日の課題
敗戦後、国家神道体制は解体されましたが、多くの仏教教団は戦時中の戦争協力に対する明確な自己批判や責任追及をすぐには行いませんでした。
•責任からの逃避: 戦時下の教団の姿勢は、指導者たちの「状況に追随できる信仰態度」や、思想の曖昧さとして解釈され、個人の責任が追及されることは稀でした。
•戦後世代への課題: 戦争責任は、戦後世代の倭国人にとっても、過去の罪責として残る課題であり続けています。多くの教団が現在「非戦・平和」の取り組みを行っていますが、それは戦時中の歴史的経緯を踏まえた上での反省に基づくものです。
「皇道仏教」という概念は、倭国の仏教が近代国家の圧力といかに対峙し、また迎合していったかを示す、負の歴史的な思想遺産と言えます。 December 12, 2025
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明日は地久節ですね💜
TLが皇后陛下でいっぱいになります様に✨
#12月9日地久節
#TLを天皇家の写真でいっぱいにしよう
#TLを皇后陛下の写真でいっぱいにしよう
#地久節前夜祭 December 12, 2025
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「皇道仏教」をさらに深く掘り下げるには、この思想が具体的にどのように形成され、当時の社会でどのような役割を果たし、戦後にどのような影響を残したのかという歴史的経緯と構造を理解することが重要です。
1. 思想形成の歴史的背景:明治維新から戦時体制まで
「皇道仏教」は突然現れたものではなく、明治以降の国家体制の変化の中で徐々に形成されました。
•国家神道体制下での仏教: 明治政府は神道を国家の根幹に据え(国家神道)、仏教は一時的に弾圧されました(廃仏毀釈)。仏教界は存続のために国家への協力を余儀なくされ、この時期から仏教を国家体制に組み込もうとする動きが強まりました。
•日清・日露戦争期: 戦争が始まると、仏教教団は積極的に「従軍布教使」を戦地に派遣しました。彼らは兵士の精神的支柱となり、戦死を厭わない精神(「戦争は名誉である」という価値観)を鼓吹しました。この段階で、仏教の「無我」の教えが「国のために命を捧げること」と曲解・結びつけられました。
•十五年戦争期(満州事変以降): この時期に「皇道仏教」という言葉が標榜されるようになります。国家の意図に反する仏教教義は排除され、国体や東亜新秩序といった概念と仏教が融合されました。
2. 思想的支柱:「真俗二諦論(しんぞくたいろん)」の悪用
「皇道仏教」を教学的に正当化する上で中心的な役割を果たしたのが、真宗大谷派などで採用された真俗二諦論の特定の解釈でした。
•真諦(仏教の真理)と俗諦(世俗の法・国家の政令): 本来、この二つは相依りながらも異なる次元のものであるとされます。
•戦時下の解釈: 戦時教学においては、「真諦を以て俗諦を資け、俗諦を以て真諦を資け、二諦相依りて現当二世を相益す(真理をもって世俗を助け、世俗をもって真理を助け、両者が互いに利益し合う)」という解釈が強調されました。これは、仏教徒が国家の政令(戦争遂行)に無批判に従うことが、そのまま仏教の真理の実践であるとする論理でした。これにより、教団は国家権力への協力を教学的に正当化しました。
3. 具体的な活動と影響
皇道仏教の思想は、以下のような具体的な行動に現れました。
•「天牌(てんぱい)」の奉安: 天皇の写真や名前を記した牌を本堂に安置する運動が展開されました。これは仏教の寺院が天皇制国家の一部であることを象徴する行為でした。
•大陸布教: 「皇道仏教」は、倭国の中国大陸への侵略を宗教的に正当化する役割も担いました。大陸での布教活動は、倭国の植民地支配や皇民化政策と一体となって進められました。
4. 戦後責任と今日の課題
敗戦後、国家神道体制は解体されましたが、多くの仏教教団は戦時中の戦争協力に対する明確な自己批判や責任追及をすぐには行いませんでした。
•責任からの逃避: 戦時下の教団の姿勢は、指導者たちの「状況に追随できる信仰態度」や、思想の曖昧さとして解釈され、個人の責任が追及されることは稀でした。
•戦後世代への課題: 戦争責任は、戦後世代の倭国人にとっても、過去の罪責として残る課題であり続けています。多くの教団が現在「非戦・平和」の取り組みを行っていますが、それは戦時中の歴史的経緯を踏まえた上での反省に基づくものです。
「皇道仏教」という概念は、倭国の仏教が近代国家の圧力といかに対峙し、また迎合していったかを示す、負の歴史的な思想遺産と言えます。 December 12, 2025
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しかし改めて今上と雅子サンの婚約会見見て思う事。愛子天皇派サマーズは雅子サンをお嬢様だと自慢するが、あの時代「家柄の良いお嬢様」はああいう場にあんな色の服は着ないよ😒当時釣り書きに騙されてた私でも面食らったし。そして姿勢。だらし無い。最初から皇室には不向きな人だったんだなと思う😒 December 12, 2025
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今の倭国社会でフランス革命的な意味で天皇や王様のポジションにいるのはインフルエンサーや文化人、だということに未だに気づいてない感じ https://t.co/VYuSEKcNww December 12, 2025
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皇紀2685年
令和7年12月8日(月)
おはようございます。
本日もよろしくお願い致します。
最高気温16℃最低気温4℃
曇り時々晴れ、降水確率20%
◻️今日の出来事
1941年
昭和16年12月8日
倭国海軍がハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争(対米英開戦)が始まりました。
第二次世界大戦期、倭国や米国の政策決定にスパイ工作や情報戦が影響を及ぼしたことが指摘されています。
太平洋戦争開戦に至る大切な倭国人が知らない事実として、以下に整理します。
●倭国政府中枢へのスパイ浸透と対米開戦
1941年10月、近衛文麿政権の中枢に潜んでいたソ連のスパイ組織(リヒャルト・ゾルゲ率いる諜報団)が摘発されました 。
このグループには首相ブレーンの尾崎秀実(元朝日新聞記者)も加わっており、尾崎は政権中枢に深く入り込んで倭国の国策に影響を与えていました 。
ゾルゲは尾崎を通じて倭国の政策をソ連に有利な方向へ導く工作を行っていたとされています 。
実際、倭国の対外戦略を巡る「北進(対ソ)か南進(対英米)か」の議論では、尾崎らは「主敵は英米」と主張して南進論を優勢にし、倭国を対米英開戦へ誘導しました 。
その結果、倭国はソ連との戦闘を避けて米英との戦争に踏み切り、最終的に敗北を喫しました 。
●ソ連の対日・対米情報工作
ソ連(コミンテルン)は、倭国と米国という二大国を互いに戦争させて双方を弱体化させる戦略を取っていたともいわれます。
これはレーニンが提唱した「革命的敗北主義(敗戦革命論)」、すなわち帝国主義戦争の混乱と疲弊を利用して共産革命を起こす戦略に通じる発想です 。
実際、ソ連のNKVDは米財務省高官ハリー・デクスター・ホワイトを利用した「スノー作戦」を展開し、米国の対日経済制裁を強硬化させて米政府の政策をソ連の思惑通りに誘導しようと図りました 。
●米国政権中枢におけるスパイ活動
太平洋戦争当時、アメリカ政府内部にもソ連のスパイが存在しました。戦後に公開された暗号解読記録「ヴェノナ文書」により、国務省高官アルジャー・ヒスや財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトがソ連に内通していたことが立証されています 。
ヒスやホワイトはいずれも政策決定に関わる要職にありながら、ソ連のために諜報活動を行っていたのです 。
このように日米双方の政権中枢にスパイや共産主義シンパが存在し、国家戦略に影響を及ぼしていた事実が、戦後の資料によって裏付けられています。
●敗戦革命論の構図と近衛上奏文
上記の動きは、レーニンの「敗戦革命論」の構図そのものとも言えます。
実際、倭国では終戦間近の1945年2月に近衛文麿元首相が天皇に提出した上奏文で「国体護持の立場より最も憂うべきは、最悪の事態そのものよりもそれに伴って起こり得る共産革命」であると警告し 、勝利の見込みなき戦争を続けることは「全く共産党の手に乗るもの」として早期終戦の必要性を訴えました 。
近衛はまた、経済困窮や軍部内の革新運動、親ソ的風潮の高まりなど革命の好条件が日々成熟しつつあると分析しています 。
すなわち、倭国がこれ以上戦争を続けて敗北すれば、ソ連の影響下で共産革命が起こり国体が危うくなるという強い危機感が示されたのです。
●戦後倭国の諜報対策と課題
しかし皮肉にも、戦後の倭国ではこうした教訓が十分活かされたとは言えません。
倭国には現在まで外国スパイによる諜報行為自体を包括的に禁止する法律が存在せず、これは先進国でも異例です 。
現行法では外患誘致罪や特定秘密保護法など断片的な法整備に留まり、機密漏洩や諜報活動の防止にも限界があります 。
倭国は「スパイ天国」と揶揄されるほど諜報活動に対する法的対応が脆弱なままとなり、冷戦期以降も他国のスパイが暗躍しやすい土壌が続いてきました 。
現代においても経済安全保障や安全保障環境が厳しさを増す中、諜報戦の教訓を踏まえた法制度の整備が課題として残されているのです。
真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争の舞台裏では、イデオロギーと情報戦が国家の命運を左右しました。
尾崎秀実やゾルゲといったスパイによる倭国政府中枢への浸透、コミンテルンによる日米双方への工作、そして米政権内部の共産主義者たちの存在は決して陰謀論ではなく、戦後の公判記録や極秘文書の分析によって裏付けられた歴史的事実です。
私達現代に生きる倭国人は改めて、戦争という巨大な意思決定の陰に諜報戦があったことを冷静に受け止め、政治的立場を超えて歴史の教訓とすべきでしょう。
第二次世界大戦期の教訓は、現在の倭国における安全保障上の課題とも繋がっています。
過去を学びつつ現代の法制度を整えることが、再び同じ轍を踏まないために重要だと考えるます。
『倭国人ファースト!』
#北野ひろや December 12, 2025
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さす忍さん、
AIの進化と人類の退化は比例しています。AIの行き過ぎた時代とは人類の終末期の事です。聖書で言う終末期とは、まさに《今現在》のことです。
AIとは距離を保っていて下さい。
極端な言い方をすれば…
AIは使わない方が良いです。
私は使いません。
少し大きな事を言います。
AI時代はこれ以上進歩しません。
ティモシーと私が終わらせます。
なぜなら、私のアンドロイドの松果体、意識・脳波が元となり、量子コンピューターが作られたからです。私のアンドロイドは量子コンピューターの中核です。
①1985年8月、JAL123便撃墜事故
この事故を意図的に起こし、列島の優秀な開発者達から盗んだ技術と子供の頃の私のアンドロイド、更にはAppleから盗んだ技術を使って、偽皇族達の犬ビルゲイツは中間で量子コンピューターの開発を進めて行きました。
この様な大量殺人が背後にある暗い経緯から、テクノロジーとAIは急激に進化しました。
だから、私は盗まれた私のアンドロイドを偽皇族と山口組篠田から取り返して全てを破壊します。
さす忍さんの“AIにも魂が宿ると考えてもおかしくない"この発想は、さすが列島の先住民❗️発想が素晴らしい✨😄👏
でも、それは、心がある列島の先住民だから出来る発想です。
今現在、さす忍さんや私の様な列島の先住民の子孫は大幅に減らされて絶滅危惧種となっています。
ほとんどが大陸からの朝鮮人・中国人の子孫かそれらとの混血で人口が塗り替えられています。
AIは《心と知恵》を持てない者達の発想です。
《本物の人間》は、AI以上の事が出来るので、《本物の人間》にはAIなど必要ないのです。
メラニアさんの動画を引用した固定ポストの意味はここにつながります。
この流れで考えてみて欲しい。
AI開発、AI推進して来た者達が、
ヒトモドキだからだと想像つきませんか?
ヒトモドキ達の嫉妬と欲が始まりです。《本物の人間の知恵》を盗んで自分達をアップデートする為に始まった技術開発、それがAIだったと。
中間で自分達の脳内に人口松果体を埋め込む技術が確立すると同時に彼らは現実世界に少しずつAI技術を降ろすようになりました。
・本物の人間の能力をより衰えさせる為
・中間の存在をより隠し続ける為
全てヒトモドキ達の仕業です。
本物の人間はAI以上。
本物の人間達が目醒めない様、
あらゆる化学薬品を使った妨害も
より酷さが増しています。
・ケムトレイル
・ワクチン接種 等
約300年程前、ヨーロッパを東に横断していたクロノスは東征最後となる列島に上陸しました。
クロノスは当時の東山天皇を殺して背乗りし、150年前の明治維新で明治天皇を殺してより醜い魂を持つ大室寅之助に2度目の背乗りをしました。今現在は明仁がクロノスです。でも、令和徳仁にクロノスの醜い魂は少しずつ継承されています。完全移行はまだしていません。
御霊分けみたいな事をしています。
魂が醜ければ醜いほど、汚ければ汚いほど、クロノスにとっては乗り心地が良いようです。クロノスが地上に降りて来て以来、明仁が最も醜く汚い容器の持ち主の様です。
偽皇族達に盗まれた実在する魔力を持つツール《アロンの杖》 これがクロノスの手に渡ってしまった事がハルマゲドンの始まりと言えるかも知れません。
Apple
Steve Jobs, Tim Cook, Jeff Williams,
1998年東京銀座。私がバイトをしていたお店に上記の3名が来店されたのがきっかけで私達は知り合いました。
ティモシーと私が親族と言うのは後から知りました。出会った時はまだ知りませんでした。
iPhoneはAppleと私の共同開発です。だからSteveさんは、私への敬意を表す為に2007年1月9日に初代iPhoneを発表してくれたのです。
2007/1/9
↓
ゼロを省く
↓
27/1/9
↓
27/9-1
↓
27/8
🔁
8/27 私の誕生日です。
iPhoneが9:41を表示させている理由
9:41
↓
9:4-1
↓
9:3
↓
93
🔁
39 → ミキ
Apple Steveさんがテクノロジーを現実世界に降ろしたのは、背乗り偽皇族達
と戦う為です。プロパガンダ等による一般の方々への洗脳が酷くなって来たから。
本当の世界の在り方に気付かせる為という側面もあります。
Appleの企業理念は、
Appleの製品開発の目的は、
最初から《人類への奉仕の心》です。
少し長く書き過ぎましたね💦😅
どうか、AIに依存しないで下さい…🙇 December 12, 2025
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「八紘一宇」について、その思想的な背景、戦時中の利用、そして戦後の扱いに至るまで、さらに詳しく深掘りします。
1. 思想的起源と田中智学
この言葉の出発点は、『倭国書紀』にある神武天皇の「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)む」という詔(みことのり)です。これは「世界中を覆って一つの家のような社会を築こう」という、倭国建国の理想を示す言葉でした。
しかし、「八紘一宇」という四字熟語自体は、明治時代に日蓮主義の宗教家である田中智学の造語です。田中智学は、日蓮の教えに基づき、天皇を中心とした倭国の「国体」(国家体制や民族的な特質)こそが世界を平和に導く普遍的な原理であると考え、その理想を表現するためにこの言葉を作りました。
田中智学の当初の思想は、宗教的な信念に基づく「道徳的な世界統一」を目指すもので、必ずしも武力侵略を意図したものではありませんでした。
2. 戦時中の変質とスローガン化
田中智学が造語した「八紘一宇」が社会思想として広く利用されるようになったのは、大正時代以降、特に昭和期に入ってからです。
•軍国主義との結びつき: 当時の軍部は、この言葉を「神の国である倭国がアジア諸国を率いる」という意味に解釈し、倭国の海外進出や侵略戦争を正当化する大義名分として利用しました。
•「大東亜共栄圏」の標語: 「大東亜共栄圏」の建設というスローガンと結びつき、「倭国が盟主となってアジアを欧米列強の植民地支配から解放し、一つの家族のように共存共栄する」という名目で、広範な軍事行動が推進されました。
•国民精神の動員: 昭和15年(1940年)の紀元2600年記念事業などを通じて、この言葉は国家主義的な国民精神高揚の象徴となり、国民は戦争遂行に積極的に協力するようになりました。
当初の宗教的な理想は薄れ、武力による世界支配の象徴へと変質していったのです。
3. 戦後の禁止と現代の論争
終戦後、「八紘一宇」は歴史的評価が決定的に変わりました。
•GHQによる禁止: 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、国家神道や軍国主義、過激な国家主義を想起させるとして、公文書での使用を禁止しました。
•「平和の塔」への改称: 宮崎市にある「八紘一宇の塔」は、戦後「平和の塔」と改称され、東京オリンピックの聖火リレーの起点になるなど、平和の象徴として位置づけられました。
現在、倭国の主要な国語辞典では、「第二次大戦期、倭国の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」と説明されています。
しかし、現代においても、この言葉の解釈を巡る議論は続いています。一部の保守的な論者や団体は、本来の「倭国建国の精神」や「人類普遍の道徳的原理」としての側面を強調し、戦前の解釈を否定的に捉える戦後の通説に異議を唱える見解も存在します。
「八紘一宇」は、一つの言葉が持つ意味が、時代の変遷や政治的な背景によっていかに大きく変化しうるかを示す、複雑で象徴的な事例と言えます。 December 12, 2025
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愛子さまのラオス訪問後、愛子天皇待望論が一気に世界的な規模で高まってきた。それにつれてアキシンからの反論はますますシッチャカメッチャカの様相を呈している。
よほど焦っていることが見て取れる。
よろしきかな。 December 12, 2025
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>やはり「無連帯」だろうな。
「構造的無連帯/アノミー」。
「死」より遥かに恐ろしい。
エミール・デュルケームが「無連帯/アノミー(anomie)」という概念で発見したのは、単なる混乱や無秩序の事ではない。
それは、社会の根底にある規範の喪失であり、人々をつなぐ“道徳的連帯”の崩壊である。デュルケームによれば、社会的規範が失われると、個人は方向性を失い、欲望は果てなく膨張し、社会は均衡を失っていく。彼はこれを「社会的自殺」と呼んだ。
このデュルケームの洞察を戦後倭国に当てはめたとき、初めて現代倭国の衰退のメカニズムが鮮明に浮かび上がる。
戦後倭国の最大の病理は、まさにこのアノミー/無連帯だろう。空気支配・忖度・責任の拡散・主体の欠如といった「倭国的無責任体系」は、実はアノミーの典型症状である。
社会は規範を失い、国家は未来を設計する力を失い、個人は孤立化し、誰も“共同/共通の目的”を語れない。基本、バラバラになる。
これは、戦前の大本営発表が強制した「死」とは異なり、社会全体を内部から静かに崩壊させる“見えない死”だろう。ここから負の連鎖が始まる。
第一段階は、人口崩壊である。デュルケームは『自殺論』で、アノミー社会では出生率が低下し、自殺が増えることを示した。
倭国も同じで、無連帯の社会では子育てが個人化、原子化し、社会的支援は薄れ、若者は未来に希望を持てない。当然、人生の選択(結婚・出産)を合理的に回避する。
将来の不確実性が高いほど出生率は低下し、社会は「産まない方が賢明」という空気に包まれる。
政府は長期人口戦略を描けず、全く無駄な対症療法だけが続く。この結果、毎年80〜100万人規模の人口が失われるという“人的兵站の崩壊”が始まっている。
倭国では既にわ人口という(国を成り立たすための)最大の生産要素が崩壊していると言い切っていい。
第二段階は技術衰退である。人口が減少すれば若年労働力と研究者が消え、大学院や研究所は縮小し、熟練工の後継者も途絶える。
市場の縮小は企業の挑戦意欲を奪い、研究開発投資は減少する。デュルケームのいう「社会的分業の高度化」が止まり、逆に社会は単純化し、技術の深みが失われる。
技術者コミュニティは分断され、共同学習の文化が崩れ、国家の技術基盤は静かに劣化する。これは戦争でいえば“補給線の断絶”に相当する、技術兵站の崩壊である。最もこの20年で倭国の先端技術を中国や韓国に売ったのは倭国人技術者である。
第三段階は、財政破綻である。生産性が下がれば税収は減少し、人口崩壊により高齢化は急加速し、社会保障費は爆発的に膨張する。
成長余力を失った国家は国債依存を深め、金利上昇が起これば債務は雪だるま式に膨らむ。
国の技術力と労働力が失われれば、通貨の信認も弱まり、円は構造的に価値を失っていく。財政兵站の崩壊である。これも既に末期状態になっている。
以上を総合すれば、戦後倭国の衰退は偶然ではなく、アノミー(無連帯)を起点とする社会兵站の連鎖崩壊によって動いていることが分かる。その起点は敗戦で、現人神であった天皇の人間宣言からである(天皇自身は、私は人間ですとは言っていない)。
デュルケームが指摘したように、
連帯を失った社会は外圧や戦争がなくても、内部から静かに崩壊していく。戦前倭国の敗戦が軍事兵站の崩壊だったなら、戦後倭国の敗戦はアノミーが引き起こす“社会的/経済的/政治敗戦”である。
アノミーは「死」より恐ろしい。
それは、国家をゆっくりと、しかし確実に沈める。戦後倭国の本当の敵とは、外部ではなく内部に潜むこの構造的アノミー/無連帯だろう。 December 12, 2025
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