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天国への階段
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2025.11.27 11:00
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ハムレットの翻案として、というよりハムレットをこういう形で翻案した現代のドラマとして「まるまる一幕分足りないのでは?」というのはどこかというと、「クローディアスと果てなき路(だったっけ。いわゆる天国への階段)をめぐるひとくさり(なぜクローディアスはそこを占拠しなければならないのか、なぜそれを餌に死の国の人民の歓心を買わねばならないのか、なぜその歓心を裏切らねばならないのか、など)、けして死者の国に来ないガートルードとの関わり、それらによって照射されるスカーレットの道行きの意味と価値。
これらが、あるはずなのにすっぽりと、まるきり抜けてしまっていて、しかもこれが「ある」ていで後半の物語が展開するために、映画外の根拠だけでなく映画内の根拠をも『果てしなきスカーレット』は失ってしまう。失ってしまうは言い過ぎか。結末に向けて語られる言葉を支えるにはあまりに弱い足場しかないまま進んでしまう、といったほうがいい。で、ストーリーは強度を失い、スカーレットの憎しみも「許す」ための逡巡もうまく焦点を結んでいかず、拡散してしまう。
こうなってしまうことは細田守であれば当然承知しているはずで、毀誉褒貶あふるる過去作でと同様、この「一幕分の抜け」には、それを良しと選択した理由がきちんとあるはず。
けれども、それがわからなかった。『サマーウォーズ』(含む)以降の作品でこのように「ほよよ?(困惑)」となる展開や要素や選択については、賛成できずともそうした理由は理解できる、という立場であったぼくでも、これはわからない。
単に尺がなかったのだろうか? November 11, 2025
レッドツェッペリンの新作ドキュメンタリー映画が公開中でした。
そして。。。2025年、秋。
いい写真だなぁ🙂↕️
京都でレッドツェッペリンを聴く #レッドツェッペリン #天国への階段 #学園祭 https://t.co/dY4WCAnKSa November 11, 2025
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