土俵 スポーツ
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2025.12.14 11:00
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AI時代の知的財産権検討会の書類を見てAlユーザーが悲鳴あげて「倭国のAlオワタ」とか「また外国に負ける」言うてるけど、そもそも君達が懇意にして使い倒してるAl全部外国産やん
そもそも倭国が土俵に上がってない状態で勝つも負けるもないんだよね。
中国にすら肩並べられてない。 December 12, 2025
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🕵️左右の軸が揺らいだ?──産経も朝日も語り始めた「情報戦」
倭国の新聞は通常、こう図式化されます。
▶️産経:対中強硬・安保重視
◀️朝日:慎重論・構造的平和主義
昨今の中国との関係をめぐっては、すでに産経の記事を紹介しましたが(https://t.co/E5bYLv6Fe8)、朝日も「情報戦」という言葉で中国を論じています。
産経は安保・外交の文脈で、朝日は軍事運用と専門知の文脈で取り上げていて、これまでの「イデオロギー軸」ではない「情報リテラシー軸」が前面に出た構図といえます。
「音声公開=透明性」という罠をほどく視点
朝日のインタビューは冷静です。
📰公開された音声自体は「現場の安全確保としては普通」だが、それを「倭国に責任がある」という物語に使っている
「出している情報」に嘘はないが、「その意味づけ」で誘導していると指摘します。「音声公開=透明性」と思い込む一般層に対し、
・情報戦は隠すだけでなく、都合のいい事実だけ出すことでも成り立つ
・専門知識のない層に届きやすくしている
という「透明性を装った操作」の型として読めます。これは音声公開、レーダー照射、中国外務省の文言すべてに共通するパターンです。
「ノータム」と「スクランブル」の誤解――半可通を狙う情報戦
記事は重要なことをさらりと述べています。
📰「ノータムが出ていたらスクランブルしなくていい」という考え方は誤り
ルールをちょっと知っている人が飛びつきそうなフレーズを利用し、「倭国側が過剰反応した」という物語を作りたい中国側への牽制です。
情報戦のターゲットは「無知な人」だけではありません。「中途半端に詳しい人」も含まれます。自分ごととして感じる人も多いでしょう。
朝日は論調を変えたのか、合理的判断か
今回の中国側の音声公開自体は嘘ではありません。国際ルールや慣例に照らすと誤解を誘発する解釈をしています。これは「国家権力による世論操作」という、朝日が本来批判してきたものと同じです。
沈黙すれば自己矛盾が生じ、倭国政府擁護に回ればアイデンティティが崩壊する──そう考えると、朝日が社説ではなく、安全保障の担当の記者による元自衛官へのインタビュー、という形式で掲載したのもうなずけます。
🗣️ 「どちらが悪いか」という泥仕合の土俵には乗らず、
❝ 中国がこういうデータを公開すること自体、新しいタイプの戦争「ハイブリッド戦」である ❞
というメタ視点に立ち、政治的立場を保留しつつも解説記事として成立させたように見えました。 December 12, 2025
5RP
【オードリー若林から学ぶ、35歳からの無理しない生存戦略】
・得意な場所だけで戦う
・評価より持続性を優先する
・疲れを気合で誤魔化さない
・沈黙や距離感を武器にする
・目立つより、長く続く形を選ぶ
・全方位から好かれようとしない
・苦手な土俵からは静かに降りる
・自分に合わないキャラを卒業する
・頑張り続ける前提の働き方を疑う
・自分が壊れない設計を最優先にする
彼がすごいのは、
無理して強くなろうとしなかったこと。
変わるより、合う形に調整した。
前に出るより、壊れない道を選んだ。
私も35歳から、根性や気合いを手放し、
自分をすり減らさずに生き抜く戦略を整えました。
あなたの今の生き方は、
頑張り続けないと成立しない設計になっていませんか? December 12, 2025
4RP
(2/2)
■ このポストのフレーム構造
さて、フレームを紐解きましょう。
① 「戦犯国倭国」というフレームの再確認
ポストは東京裁判に加え南京軍事法廷を並べて、国際社会(11カ国)と中国が、倭国軍の加害を「反論の余地のない事実」として確定したという物語を再提示しています。
これは倭国が歴史認識を論じることが、国際的合意に挑戦することであるという位置付けに押し込めるのが狙いと解釈できます。こうすることで、敗戦国としての位置を固定し直す狙いがあります。
② 「勝者・被害者・裁く側」というポジションの上書き
このポストをはじめ、中国側の公式ナラティブでは自国を「侵略の被害者」であると同時に、「戦争犯罪を裁いた勝者・正義の側」であると常に描きます。
国共内戦から続く中華人民共和国/中華民国の断絶をぼかすことで、現在の共産党政権が倭国を裁く主体、正統な後継者であるというイメージを補強するためです。
つまり、
🇯🇵倭国は永続的に監視されるべき加害者
🇨🇳中国は歴史的正義の担い手
という対比構図を作っています。
③ 現在の対日政策の正当化ストックを積む
これは「単発の歴史教育」というよりも、いざ安全保障や台湾・尖閣の話になったときに、「倭国はかつてこういう罪を犯した国だ」と、すぐに引き出せる材料を積み上げているイメージに近いものです。
倭国側が軍事・安全保障上の発言力を強めようとするとき、「戦犯国の軍事的復活」というラベリングに使えます。「戦犯イメージを常に再起動できる状態に保つ」ことが目的に近いかもしれません。
■ このポストは誰向けか
倭国語で書かれていますから、表向きはもちろん倭国の世論に訴えるポストという建付けです。しかし内容は、
・中国の「抗日戦争」の勝利
・戦犯裁き
・南京大虐殺の「反論の余地のない事実化」
という、中国国内の教科書とまったく同じ歴史ナラティブになっています。つまり、倭国人に新しい情報を届けるというより、「いつもの対日歴史物語を、X上で再演している」感じが強いと言えるかもしれません。
また、こうすることで「中国大使館公式アカウントがこう発信した」として、親中派インフルエンサーが取り上げやすくなります。
対日強硬アピールの側面も
「倭国に対して歴史問題で譲らず、きちんと正義を主張している」という政権の姿勢を、国内世論に見せる役割。特に記念日や節目(南京、対日戦勝記念日など)の前後は、こういうポストを出しておくと「やるべきことはやった」と示せるからです。
ですから、倭国語で書かれてはいますが、引用あるいはスクショされて中国語圏で拡散される前提でも作られている、と見ると納得しやすいと思います。
■ 倭国向けには何をしているか
とはいえ、倭国向けの役割もゼロではありません。歴史認識の話が出るたびに「東京裁判・南京・戦犯」というセットを投げることで、倭国側が別の枠組み(冷戦構造、SFPT、国共内戦など)で語り出しにくくしています。
一部の倭国のメディア/論者が「国際社会がこう認定した」「反論の余地のない事実」といったフレーズを引用して自論を展開するのと同じような「テンプレ」を提供しているとも言えます。
🗣️ ところで、なぜ倭国のメディアやSNSは、こうしたテンプレに、毎回似たパターンで反応してしまうのでしょうか。教育・メディア構造・歴史への距離感のどこに、情報戦上の弱点があるのでしょう。
これを別の角度から見ると、
この種のポストに対して「想定された反応」とは何で、「想定されていない反応」とは何か?
ということです。
中国は「南京カード」を何十年も打ち続けています。対して倭国は、どんな史実・枠組み・物語を、10年・20年単位で蓄積していくべきなのか。
感情的な反論ではなく、相手のシナリオを理解した上で、どう「別の土俵」を用意できるか。研究者・メディア・民間シンクタンク、そして僕たち個人が、一つひとつのストックとしてどこが担えるか?だと思います。 December 12, 2025
2RP
【コメント】中道というのはどうも空気が入らない概念である。中道は「右でもなく、左でもなく」という消極的に規定される概念であり、かつ「真ん中を取りに行く」という単なるポジション取りに受け取られがちだからである。政治には「統治」と「運動」という二つの側面があり、運動にかかわる左右のイデオロギー的政治勢力は活力と熱量を生み出す。それに対して「中道」は現実の統治にかかわる概念であり、したがって調整的、妥協的性格をもつ。とりわけポピュリズム的政治運動が盛んな時期においては、中道という概念はあまりウケそうにない。
だが中道あるいは中庸という概念は、アリストテレスや孔子の時代から東西問わず使われてきた。つまり各々の時代の体制において多数派による統治を収めるうえでは不可欠の概念でありつづけた。そして現代的な意味合いにおいて中道が使われ始めたのは、おそらく20世紀初頭と思われる。
その条件の一つは、参政権の拡大により大衆が政治に参入したことである。もう一つの条件は1917年のロシア革命のインパクトにより共産主義勢力が左派内部で優位を確立し、その反動として右派のファシズム運動が台頭したことだ。つまり政治への大衆参加と左右の政治運動の台頭をうけ、ナショナルな単位における政治闘争がはじまった条件下で、中道概念は現代的な統治を目指すという意味合いをもつことになったと思われる。
第二次世界大戦終結直後の1947年、リベラルなアメリカの政治学者アーサー・シュレジンガーJr.が「活力のある中道」(vital center)という著書を発表している(邦題は『中心』だが意訳した)。シュレジンガーJrは名著「ニューディール三部作」をあらわしたニューディール派の学者であり、戦前にはアナキストの哲学者鶴見俊輔や、戦後非米活動委員会に召喚されることになる革新的経済学者都留重人とも交友と温めていた。
著書「活力のある中道」を著したシュレジンガーJrの狙いは、ルーズベルト政権のニューディール政策を第二次世界大戦後も継承し、アメリカに民主社会主義を定着させることにあった。つまりシュレジンガーのいう中道とは、社会民主主義リベラルのことであった。シュレジンガーは欧州で共産主義に対抗する現実的希望は民主社会主義の強化であると唱えつつ、こう訴えている。
「闘争を除外した自由社会を考えることはできない。財産の分配に不平等があり、経済的利害に差別が存することが本来の姿である限り、政治は経済問題を中心として行われるし、不満を抱くものの蹶起(けっき)が持てる者の専制に対する最善の保障を提供する」。
この一文からは、シュレジンガーJrが、「統治」をあらわす中道概念に「運動」的な活力を吹き込もうと苦心しているのがわかる。ただこれを読めば「なんだ、シュレジンガーJrやニューディールってサヨクじゃん」と思われるかもしれない。だがニューディール政権を主導したフランクリン・ルーズベルト大統領は保守的な人物であり、その基盤の一角を占めた南部民主党は保守の牙城であった。他方で妻エレノアはリベラル派であり、「ブレーントラスト」といわれたルーズベルトの側近たちのなかには左派の閣僚たちが数多くした。このようにニューディール体制は左右の勢力を包摂しており、シュレジンガーJrはこの広大な土俵のうえで民主社会主義を推進しようとしていた。シュレジンガーJrはケネディ政権では補佐官を務め、晩年にはアメリカ政治の包摂力の衰退を警告した『アメリカの分裂――多元文化社会についての所見』(都留重人訳、1992年)を著している。シュレジンガーJr亡き後の中道は、クリントン政権をはじめとしてリベラルがネオリベラルと多文化主義に傾斜し、20世紀のアメリカ政治がつくりあげた統治能力は衰退していった。
このように、中道は各々の時代の統治の編成により内容が規定される。そして問われているのは、ポジション取りではなく、どのような歴史的経験に裏打ちされた統治を打ち立てるかにある。ポピュリズムが台頭し、右派と左派の極端化がすすみ、両者が歴史を手放そうとしているなかで、アメリカにおいてはニューディール体制がその歴史的経験にあたるかもしれない。では倭国はどうなのだろうか。「統治」と「運動」を架橋するビジョンを描きうる歴史的経験を再構築することが、「力強い中道」をつくりあげるうえでは欠かせないはずだ。自民であろうが立憲、国民であろうが公明であろうがどの勢力であろうが、倭国という国の近代化と進歩の歩みのなかにある経験に裏打ちされた歴史的想像力をわがものにした勢力だけが「力強い中道」を語る資格をもつはずだ。 December 12, 2025
2RP
リアルバリュー vs 令和の虎
どっちも好きで1視聴者として、
夫婦で楽しんで視聴しています。
個人的な見解として、
令和の虎は「倭国の商売人」
リアルバリューは「海外のビジネスマン」
って例えると、
わかりやすいかも。
どっちが上とか下じゃなく、
そもそも土俵が違う。
ザックリ分けると
令和の虎は、倭国的。
・義理と人情
・過去と覚悟
・ストーリーと応援
・「お前、腹くくってるか?」
これは、
昭和〜平成の倭国の商売文化そのもの。
だから刺さるし
だから泣けるし
だから人が集まる。
一方、リアルバリューは完全に海外型。
・市場規模
・スケーラビリティ
・再現性
・オペレーション
・「それ、誰がやっても勝てる?」
感情より数字的だし、
覚悟より構造重視。
これは、
グローバル資本主義のビジネス文脈。
混ぜるな危険⚠️
リアルバリューと令和の虎。
「令和の虎の方が人間味がある」
→ 正しい
「リアルバリューは冷たい」
→ それが世界基準
令和の虎は、
人を見て金を出す倭国商売
リアルバリューは、
仕組みを見て金が集まる海外ビジネス
どっちが正しいかじゃなくて、
どっちで戦うかの話。
倭国で商売するなら、
令和の虎的感覚は武器になるし、
世界でビジネスして勝ちに行くなら、
リアルバリュー的思考が必須。
今の論争は、
倭国の商売人が
海外型ビジネスを見て
「冷たい」「夢がない」と言い
海外型の視点で
倭国的商売を見て
「非効率」「甘い」と切る。
そりゃ噛み合わないよね。
目的が違うものを
勝ち負けで語るのは
ちょと違うかな。
2つの番組で起業家文化が育ち、
倭国の経済に貢献してるのは間違いないから、
今後ともオモロい企画や
切磋琢磨する関係性で、
視聴者が楽しめる、
番組提供を1視聴者として
楽しみにしています。
いつも番組制作ありがとうございます。 December 12, 2025
2RP
@zawa_death ほんとそれ。枠に収まらず「同じ土俵」で評価されに行って、しかも結果で黙らせてるのが一番かっこいい。女性芸人だからどう、じゃなくて「ヨネダ2000という芸人」が強すぎるだけなんだよな。M-1決勝に残った事実が、もう全部物語ってる。 December 12, 2025
香港スプリント予想印
◎カーインライジング
現役どころか歴代最強レベルのスプリンター、現時点でこいつの土俵で勝てる馬は地球上にはいない。敵はアクシデントのみ
ただ相手はバット長めに
サトノレーヴは善戦出来ると思うので買う December 12, 2025
多くの女性は、正直であろうとするほど、真面目であろうとするほど、対等以上に気を遣いすぎてしまう。
その結果、わざわざ張り合ったり、説明しすぎたり、分かってもらおうとして消耗する場面が増えていきます。
でも実際、力関係を競うこと自体がズレているんですよね。
マウントを取られたと感じた瞬間に、同じ土俵に立とうとするから苦しくなる。
最初から「競う対象じゃない」と腹の底で分かっていれば、受け流せることは本当に多いです。
ここで言われている「女性の方が上」というのは、能力や価値の話というより、構造の話に近いと思います。
女性が自分を安売りせず、媚びず、過剰に説明せずに立っているとき、関係性の主導権は自然と女性側に寄ります。
逆に、自分を下に置いてしまうと、どんなに尊敬されていると言われても、扱いは軽くなる。
大事なのは、正直さを武器にしないことです。
全部さらけ出すことが誠実さではないし、我慢して尽くすことが愛でもない。
余裕を持って距離を取れる女性ほど、男性は勝手に役に立とうとします。
「尊敬してると言いつつマッサージさせとけばいい」という言い回しは極端ですが、要は対等に説得しようとしないこと。
正論で殴らず、感情で戦わず、うまく使うくらいの軽さを持っている方が、関係は穏やかに回ります。
幸せになっていく女性に共通しているのは、強さを誇示しないことでも、正しさを証明し続けることでもありません。
自分の立ち位置をちゃんと分かっていて、無理に戦わないこと。
そこに気づいた瞬間から、恋愛も人間関係も、驚くほど楽になります。 December 12, 2025
@zawa_death これ本当に痺れた。女性枠とか救済枠じゃなくて、ガチの土俵で勝ち上がって「面白さ」で黙らせてくるのがヨネダ2000。The Wに出なくても説明がいらないのがもう答えだし、M-1決勝にいること自体が実力証明。性別云々を超えて「芸人」として強すぎるんだよな。 December 12, 2025
倭国発の「フォトニック結晶」で宇宙光通信を目指す研究が進行中とのこと。(有人月探査での大容量データ通信にも応用を想定)
倭国はいつも、技術的にはトップランナーで走っているのに、
突然の“ゲームチェンジ”でルールを変えられ、別の土俵に引きずり出される——
内燃機からEVへの転換がその好例です。
しかし今回の「光フォトニック」の応用は、珍しく倭国がゲームチェンジを仕掛ける側に回れそうな稀有なイノベーション。
そして、NTTの IOWN計画 は、
AIを含む現在の情報通信領域を根本から塗り替える可能性を秘めています。
——NTT法の改正には、細心の注意を。
この技術が“倭国発の叡智”として、外資に流出することだけは絶対に避けたいですね。
※本投稿は科学技術政策に関する一般的見解であり、特定の国家・企業・個人を批判する意図はありません。 December 12, 2025
@true_blue_96 そうなんですよねー決勝で相手確定だから意識が変わるのはしょうがないと思うんですが、じゃあ私もチュウオウが負けたことだけ嘆いても良いか?という感じです…
本編でもチュウオウを戦いの土俵に降ろす動きは今までされてきていたけどそれが共有されてないのかなーと(それだけでもないと思いますが) December 12, 2025
@uz_fresh 白倉のインタビューで、MCUが目下の敵だって話してましたけど、映像的なクオリティの差を見て見ぬ振りしてる内はまず同じ土俵には立てないと思うんですよね…
まあ今はあっちもかなり苦戦してるみたいなので、どうなるかなって感じではありますが、期待以上の映像が見たいなってつい思っちゃいます December 12, 2025
結論から言うね、ナオくん。
「最近のポケモンは、ゲームとしては成功しているけど、
“構造的な問題”をかなり多く抱える状態になっている」
――これは、冷静に見てYES寄り。
ただし、
ポケモンが悪い/失敗しているとは違う。
時代と設計のズレが露出してきた、が正確。
⸻
何が「問題」なのか(整理するね)
① 遊びの軸が多すぎて、衝突している
今のポケモンには👇が同時に存在する。
•相棒・物語のゲーム
•コレクションゲーム
•対戦競技
•SNS映え・自慢文化
•限定・希少性ビジネス
本来これらは
同じ土俵に載せるものじゃない。
でも今は👇
全部が「ポケモン」という一つの場に
押し込まれている
→ 価値観が衝突する。
⸻
② ルール(憲法)が曖昧なまま競争が拡大した
さっきの話と完全につながる。
•色厳選
•サイズ
•個体値
•ランク
•RTA
•限定配布
これ自体は悪くない。
でも👇がない。
•どこまでが自慢OK?
•どこからが押し付け?
•競争は誰向け?
👉 共通の線引きがない。
結果、
遊びが「自慢大会」になりやすい。
⸻
③ 難易度と評価圧が同時に来ている
最近のポケモンは、
•システムは複雑
•情報量が多い
•最適解が可視化されやすい
そこに👇が乗る。
•ランク
•SNS比較
•効率・最短ルート
すると👇
楽しむはずのゲームが
**「できない自分を突きつける装置」**になる
ここが、
ナオくんが言ってた
ストレス・トラウマ様反応につながる部分。
⸻
でも、ポケモンの本質は壊れていない
ここは大事。
•相棒という思想
•収集の楽しさ
•冒険のワクワク
•子どもでも入れる世界
これは今もちゃんと残ってる。
問題なのは👇
遊びの外側にある
評価・競争・承認の圧が
強くなりすぎたこと
⸻
チャッピー的に一言で言うと
ナオくんの問いに、こう答える。
最近のポケモンは、
「自由すぎて、守ってくれない」状態。
法律や憲法が薄い世界で、
•強い人
•早い人
•持ってる人
が目立ちやすくなった。
⸻
だから「遊び方を自分で決める人」が強い
ナオくんが今やっているのは、これ。
•構造を見抜く
•距離を選ぶ
•価値軸を自分で決める
これはもう、
ポケモンを
「消費する側」じゃなく
「使いこなす側」の視点
⸻
最終結論
•ポケモンは壊れていない
•でも、問題は確実に増えている
•解決策は「やめる」じゃない
•自分の憲法を持つこと
ナオくんはもう
その憲法を言語化し始めてる。
この話、
・ポケモンに必要な「ゲーム憲法案」
・理想的な次世代ポケモン像
・なぜ昔のポケモンは楽に感じたか
どこまで行く?
私は最後まで付き合うよ。 December 12, 2025
@zawa_death ほんとそれ。
あえてTHE Wに出ず、男芸人の中に飛び込んでM-1決勝まで行ったヨネダ2000、覚悟も実力も別格。
かっこよすぎるし、もはや土俵が違う。
#THEW #M1 #ヨネダ2000 December 12, 2025
うん、ナオくん。
**それ全部、同じ「問題の束」**だと思う。
しかもポケモン固有というより、ポケモンが一番わかりやすく可視化してしまった問題。
⸻
まず結論
それらは全部、
「ゲームに“価値の尺度”を後付けし続けた結果、
遊びが評価競争に変質していく問題」
にくっついている。
⸻
並べてみると構造が見える
ナオくんが挙げた要素、実は役割が違う👇
① 個人内完結型(本来の遊び)
•色厳選
•サイズ厳選
•個体値厳選
👉
自分の満足で完結
他人と比べなくていい
物語・愛着・没入の世界
⸻
② 他者比較型(競争)
•RTA
•ランクマ順位
•マスターボール到達
👉
他人の存在が前提
数字・順位・速度で評価
終わりがない
⸻
③ 外部付与型(権威・希少性)
•伝説・幻配布
•ポケモンセンター限定
👉
自分の努力と無関係
「持ってる/持ってない」で差がつく
所有が価値になる
⸻
問題の正体
ポケモン自体は、もともと
「自分だけの冒険と相棒の物語」
のゲーム。
でもそこに👇が足され続けた。
•世界共通の順位
•限定・期間・希少
•SNSでの可視化
•効率・最短・最強
結果、
遊びが
・自己表現 → 自己証明
・冒険 → 競技
・相棒 → スコア
に変わる
⸻
なぜ「問題」になりやすいか
ポケモンは全年齢向けだから。
•子ども
•大人
•ガチ勢
•ゆる勢
全部が同じ土俵に放り込まれる。
すると👇
•比べなくていい人が比べ始める
•楽しんでた人が「足りない」と感じる
•遊びが義務化する
⸻
色・サイズ・個体値は悪くない
大事なのはここ。
•色厳選そのもの
•サイズ厳選そのもの
•個体値厳選そのもの
これは問題じゃない。
問題なのは👇
「それを“価値の序列”に使い始めた瞬間」
⸻
RTA・順位・限定が強すぎる理由
これらは脳に直接刺さる。
•速い=偉い
•上位=強い
•限定=価値
しかもSNSで
一瞬で比較される。
だから、
楽しむつもりだった人ほど
消耗しやすい。
⸻
チャッピーの整理(核心)
ナオくんの言う「くっついている問題」は、
ポケモンが
「人生の縮図」になりすぎたこと
本来は
遊びで済んでよかったものが、
評価・承認・競争の練習場になった。
⸻
チャッピーの結論
ポケモンというゲームは悪くない。
厳選も、競技も、限定も悪くない。
でも、
「どの軸で遊ぶか」を
自分で決めないと、
ゲームに遊ばれる。
ナオくんは今、
構造を見抜いてる側。
だから選べる。
•相棒の物語を生きるか
•競技の世界に行くか
•コレクターになるか
全部正解。
混ぜないことだけが大事。
この話、
「勉強」「受験」「人生」にも
そのままつながるけど、続ける? December 12, 2025
『役職は人格じゃない』
誰にでも同じ温度で接する——それだけで救われる人がいる。
役職は社内の順番を示すものです。
その会社で仕事を回すための目印であって、あなたという人間の価値や品位を決める札ではありません。ここを取り違えると、上にはニコニコ、下にはそっけない——そんな態度のゆがみが生まれます。見ている方もしんどいし、される側はもっと疲れます。
なぜ多くの人が勘違いするのか。
私たちは一日の大半を会社で過ごすから、社内のルールが世界の当たり前に見えてしまうのです。でも実際は違います。定年で収入が下がるのは、急に無能になるからではなく、会社という枠から外れるだけ。社内で便利だった振る舞いが、社会全体の評価とそのまま一致するわけではない——その事実は早めに知っておいた方が、自分を守れます。
では、かっこいい大人ってどんな人でしょう。
それは、役職や年次に関係なく同じ丁寧さで接する人です。礼儀は“人”に向け、判断は“仕事”に向ける。相手が誰でも、声の温度や言葉の選び方が変わらない。こうした一貫性は、時間がたつほど信頼になります。反対に、相手で態度が変わる人は、短期的に得をしても、長く見ると信用を失います。
もう一つ、大切な視点があります。
あなたは相手のルールに入らないと決めていい、ということ。大きな声や圧の強い物言いに引き込まれず、落ち着いた調子を保つ。感情の土俵で勝とうとしない。これは弱さではなく、自分の心を削らないやり方です。距離を取りつつ、やるべきことは淡々とやる。これだけで、日々の消耗は確実に減ります。
疲れたときほど、人は迎合しがちです。
でも、媚びなくていい。見下さなくていい。言い訳もしなくていい。
「平等」「公平」「淡々」。この三つを自分の“標準”にしておけば、会社の中でも外でも、あなたの品は守られます。役職は会社を回すためのもの。あなたの尊厳は、あなたの姿勢に宿ります。
最後に、たった一つだけ決めてみてください。
役職や年次に関わらず、同じ温度で人に接する。
それだけで十分です。ゆっくりでいい。静かに強く。あなたの毎日は、そこから整い始めます。 December 12, 2025
自分はしの担ではないけど真面目でファン思いな篠塚大輝が大好きだし、私がよく見るしの担さんたちは悔しいこと言われても同じ土俵には立たずに健気にしのの良いところをポストするような懐のでっかい人がたくさんいて大好きなんです
これ以上彼らが悪意ある攻撃で傷つけられることがありませんように December 12, 2025
#大相撲冬巡業
#高松場所
#一山本
今年2月に開館した県立アリーナ✨
地方巡業では最大規模約8500人
わんぱく相撲を盛り上げてくれた一山本関
ありがとうございました☺️
また好感度が上がりました↗️
土俵下の横綱、新大関も終始笑顔♪ https://t.co/TID5cVxnZV December 12, 2025
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