国務長官 トレンド
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2025.11.30 09:00
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なぜ「小倭国」なのか
嘘、奇襲、そして詭弁
真珠湾奇襲の前日(1941年12月6日)、倭国の「和平特使」は、なおアメリカのハル国務長官と日米和平・友好について交渉を続けていた。
写真の中央を歩いているのがアメリカ国務長官のコーデル・ハル、左が倭国駐米大使・野村吉三郎、右が倭国の和平特使・来栖三郎である。
しかしその翌日、ワシントン時間1941年12月7日13時、ハワイ時間12月8日午前8時に、倭国聯合艦隊の第一波・計183機の爆撃機が、ハワイのアメリカ軍基地を激しく空爆した。米軍および民間人の死傷者は3,581人、そのうち死亡者は2,403人に上った。
ハル国務長官が、この二人の倭国外交官から宣戦布告文書を受け取ったのは、ワシントン時間12月7日14時20分(ハワイ時間9時20分)であり、その時にはすでに真珠湾への奇襲が開始されて80分が経過していた。
倭国の外務当局は、本来であれば開戦の2時間前にアメリカ政府へ通告文を手渡す予定だったと言われている。
しかしその時刻は何度も前倒しされ、最終的には開戦の30分前に通告する方針となった。
(奇襲と何も変わらない)
倭国の操作ミスで結果としてこの通告文書は真珠湾攻撃の30分前までにアメリカ政府へ届けられなかった。
宣戦布告文書を受け取ったハル国務長官は、激しい怒りをあらわにし、通告に訪れた2名の倭国外交官に向かってこう言った。
「私はこれほど厚顔無恥で、虚偽と詭弁に満ちた文書を見たことがない。これまで私は、地球上にこれほど牽強付会で、これほど多くの嘘を並べ立てる国が存在するとは、夢にも思わなかった。」 November 11, 2025
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