北の国から ドラマ
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2025.12.15 03:00
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『北の国から』というドラマを、僕は長いあいだ「優しい物語」だと記憶していた。
北海道の雄大な自然、無口な男、少し不器用な人々。苦しみながら生きる家族の愛が、僕らをゆっくりと癒やしてくれる物語――。
でも、それは完全に小学生の時に理解できた分だけの、淡い記憶だった。
久しぶりに第1話「廃屋」を見直して、心がざわついた。
これは癒やしの物語などではない。むしろ、かなり苦しい。
脚本家の倉本聰は、登場人物たちをとことん追い詰める。そこにあるのは「一度社会から取りこぼされた人間」をどう扱うか、という容赦のないリアリティだった。
黒板五郎は、自然に憧れて田舎に来た「スローライフの実践者」ではない。彼は敗走してきたのだ。
1981年という時代において、離婚し、仕事を失い、父親一人で子どもを育てるというのは、今よりずっと重たい意味を持っていた。それは「生き方の多様性」ではなく、社会的な「失敗」の烙印だったと言っていい。
五郎は、社会のレールから自ら静かに降りたのではない。都会からも、妻からも、弾き飛ばされた。
そして、もう一度立ち上がる場所として選んだのが富良野の廃屋だった。自己実現のためではない。人間としての最低限の尊厳を確保するための、最後の拠点だったのだと思う。誰も関与してこない、自分の原点に戻らないと回復できない傷が、彼にはあった。
ところが、ストーリーは容赦がない。現実が容赦ないと言うべきか。
五郎が逃げたはずの「東京」が、別の形で彼の前に現れる。それが息子の純だ。
便利さ、効率、清潔さ。五郎が否定した価値観を、純は何の疑いもなく身にまとっている。
「汚い」「不便だ」「電気がない」。これらは子どもの不満ではあるけれど、同時に社会の声でもある。五郎は、かつて自分を追い詰めた社会と、今度は父親として向き合わされることになる。
五郎と純の会話は、どこかよそよそしい丁寧語で交わされる。
その距離感が、親子の断絶を痛々しく浮き彫りにする。五郎は息子と一体になって回復していきたいと願うが、それが非常に困難であることが、画面の端々から伝わってくる。
ここが、この物語の逃げ場のなさだ。
妻とは離婚できても、子どもとは離婚できない。
社会からは逃げられても、息子からは逃げられない。
否定したはずの価値観は、他人ではなく、自分の遺伝子を持つ存在の中に、もっとも純粋な形で保存されているのだ。
第1話のラスト、純が東京へ逃げると決意し、こっそりと母親に手紙を書く場面は、今見ても胸が痛む。
五郎が必死に修復した廃屋の片隅で行われる、小さな裏切り。
だが、あれを裏切りと呼んでいいのか。純にとっては、生き延びるための切実な選択だったのだから。
昔の僕は、純側の視点に立っていたから、そこまで苦しい物語だとは思わなかったのかもしれない。五郎を「変わったお父さん」として外から眺めていた。
しかし、大人になった今は違う。僕は五郎側に立ってしまっている。
自分が命がけで作ろうとしている場所を、最愛の息子に拒絶される痛み。純との断絶に心を痛めるからこそ、この物語が容赦なく感じるのだ。
もし純がすぐに田舎に順応していたら、このドラマは単なる「逃げ切り」の話になっていただろう。しかし、そうはならなかった。五郎は気づかされる。
場所を変えるだけでは、人は再生しない。
目の前の、理解できない他者と関係を結び直すしかないのだ、と。
『北の国から』が描いた再生とは、大自然に抱かれて癒やされることではない。
関係性の中で、何度も傷つきながら立ち上がることだ。父親であることを、もう一度、身体で引き受け直すことだ。
父親とは稼ぐことなのか? 威厳があることなのか?
核家族化が進み、サラリーマン社会になり、父親像が揺らぎ始めたあの時代において、五郎には「父とは何か、人とは何か」という普遍的なテーマが託されていた。
あの第1話のヒリヒリした終わり方は、五郎だけに向けられたものではない。
社会のレールから外れたとき、僕たちは何を失い、何を取り戻そうとするのか。今にも十分通用する問いが投げかけられている。
『北の国から』とは、泥だらけになりながら、人が「役割」を取り戻していく記録なのだと思う。
そして最後に、この過酷な物語に普遍性と救いを与えているのが、さだまさしの音楽だ。
あの「モルダウ」やテーマ曲が流れるとき、画面からは寂しさ、切なさ、厳しさ、そして暖かさが一瞬で押し寄せてくる。
言葉にできない感情を音楽が包み込み、僕たちがこの厳しい世界に没入するのを助けてくれる。音楽があるからこそ、僕たちはこの痛みを直視できるのかもしれない。
今、シーズン1の1話が観終わったばかり。12月は『北の国から』ざんまいになりそうだ。 December 12, 2025
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20251213 黑ミサ2025 in Frano
北の国から前 メンバー紹介①
hy「まずはバンドマスター、ひこにゃん。こんなにピアノも弾けて、歌も上手くて、背も高くて、イケメンで」
hi「HYDEさんの方が…w」
hy「どうですか、人生楽しいですか?」
hi「……どちらかといえば、はい……」
#黑ミサ2025inFurano December 12, 2025
北の国から密輸してきたリボンナポリン飲んでるけどうまい。リボンシトロンの方がすきだったような記憶あるけど、見つからなかった……と思って今調べたら、500mlペットはラインナップになかったのか。 https://t.co/oCW15NM8k9 December 12, 2025
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