伊藤 計劃(いとう けいかく、本名:伊藤 聡、1974年〈昭和49年〉10月14日 - 2009年〈平成21年〉3月20日)は、倭国のSF作家。武蔵野美術大学美術学部映像科卒業。 2007年に、『虐殺器官』で小説家として本格的にデビューしてからわずか2年ほどで早逝したが、この作品はゼロ年代倭国SFのベストに挙げられている。
「伊藤計劃」 (2024/10/5 04:33) Wikipedia倭国語版より
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2025.01.21 12:00
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自分は伊藤計劃先輩の大学の後輩で、
「虐殺器官」落選後の飲み会で「先輩の書く物なら、絶対に面白いはずだから同人誌でも出しましょうよ」と言ったら「いや、アレはもう落選したものですから、次の奴を頑張ります」と頑なに封印しようとした経緯を知っているので、
世に出てくれて本当に良かった January 01, 2025
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当時の倭国SFに関わったひとりとして、オーラルヒストリーを多少なりと残したほうがよさそう。
「伊藤計劃以後」という言葉は、主に早川書房さんに関わる関係者の衝撃が深すぎたことに起因すると思います。
当時の複数のSF関係者には、大きなトラウマとして刻まれていることを、実際に感じました。 https://t.co/iwLjbC91Bk January 01, 2025
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なんかまたSF業界の人間が、原文を精読せずに内容を勝手に膨らませて「不正確だ! デマだ!」と叫び立てながら歴史改変をするという動作を見てしまったので書いておく。
小松左京は『虐殺器官』を受賞させなかったが、伊藤計劃がブログでその旨を報告したところ、出版され、評価を得た。その一方で January 01, 2025
伊藤計劃は「意識ですらパーツに過ぎない」という立場で創作を行ってきたわけで、ふたりの立場は真っ向から対立している。だから「戦闘」が発生する。記述し、生還するのを任務とする戦闘妖精雪風のごとく、神林長平は伊藤計劃の「呪い」と見事に戦って、戻ってきた。 January 01, 2025
飛浩隆の設定した戦いは、伊藤計劃の戦い方に沿っていると僕は感じます。創作物は言葉を用いた格闘の過程としてある、という立場は神林長平も同じなのだと思うし、その姿勢は美しくて大好きです。でも「伊藤計劃の知性に敬意を表して戦う」という意味では、「自生の夢」のほうが優れていたと思う。 January 01, 2025
伊藤計劃がブログに「俺の文章なんかたいがいスルーされて終わりだろうけど、スルーされないひとりに届いて、その人が面白い文章を書いてくれたら大勝利だ」という意味のことを書いていました。学生時代の僕はこれに感動し、俺も何かしら書いてやるぞ、と決めたのです。だから彼には深い恩がある。 January 01, 2025
SF界が伊藤計劃を評価しなかったというのは全くの捏造歴史だろう。
『虐殺器官』は出てすぐ話題になって、みんな読んだんじゃなかったか?SFファンの間での評価も高かったと思うぞ。あの年の話題作はSREと『虐殺器官』では。
SF大賞にはならんかったけど、あれは選考委員が悪かったと僕は思っている。 January 01, 2025
伊藤計劃さんに関するpostへのRPで、補足すると、「2007年のベストSF1位(虐殺器官)」というのは、早川から毎年出ている『SFが読みたい!』の2007年度版の国内篇1位ということです。
新人作家の1作目が獲った例は、30年以上の歴史で5人いないと思います。
長谷は一度もとったことはありません。 January 01, 2025
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