仏教 トレンド
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2025.12.19 14:00
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仏教、キリスト教、イスラム教
ほとんどの宗教は「教え」
つまり上下がある
神道は「道」
教祖がいない、経典もない
先人たちが通ったもの
自分たちで作るもの
つまり前後の繋がり
この倭国的感覚めっちゃ素敵だと思う December 12, 2025
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【江戸時代のジビエは薬?…将軍も虜だった江戸の禁断グルメ「薬食い」の全貌】
仏教で禁止されていた肉食。薬と称して食べられていた肉とは?
https://t.co/32x0HqFvHs
#歴史好きと繋がりたい
#薬食い
#肉食禁止令 December 12, 2025
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近刊案内『新仏教教団を学ぶ』 法蔵館@hozokan
島薗進/金澤豊 編 @Shimazono
昨年連続講義として開催した仏教伝道協会主催「新仏教教団を学ぼう」が書籍化されます!
在家を担い手とする「新仏教」とは何か。孝道教団・立正佼成会・真如苑の講演から歩みと特徴を紹介。
https://t.co/BVjY3Fpk8k December 12, 2025
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経営者が本当に足を取られるのは、不景気でも競合でもない。それは成功の「直後」にやってくる。金銭感覚がゆるみ、異性に溺れ、健康を疎かにする。すべて順調なときほど静かに崩壊が始まるのは「慎重さ」と「感謝」を手放すから。それを止められるのは、結局「人格」でしかない。本当に賢い経営者は、仏教を学び、徳を積み、己の中の慢心を管理する。事業は、自分のためじゃなく社会のためにやると決めた瞬間から本当の意味で続いていく。
ちょっと成功した経営者が身を亡ぼすのは、ホントにお金と女と健康で、調子がいい時が要注意。特に絶好調の時は必ずと言っていいほど落とし穴が待っている。それを回避できるのが、人格とか徳だったりする。 December 12, 2025
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あたし、好きっつーか「尊敬してる花」があって。「蓮の花」なんすけど。あれって種に傷がついて水が入り込まんと芽吹かんから、花開いてる蓮の花ってみんな傷ついてるんですよ。「傷つかないと人生が始まらない」ってめちゃくちゃ仏教的じゃないですか。愛してます。ほんとうに。 December 12, 2025
@michiyochannel マインドフルネス(瞑想?)=坐禅?→仏教→禁酒!→梅酒!≠般若湯⁈と考えれば梅酒は飲めるのかミッチー姐さんは、、😆🤣
因みに鬱などの精神疾患は全て悪霊邪霊の憑依だと僕は思っています。だから病院に行っている人多いけど治らないでしょう。坐禅しか治療法は無いのでは無いかと思っています。 December 12, 2025
昔、私は寺が経営する幼稚園でバイトしていた。隣は仏教墓地。それでも十二月になると、園ではサンタの歌を歌い、ツリーを飾り、クリスマス会が開かれる。
子どもたちはサンタは知っているが、イエス・キリストのことは知らない。
その光景に、どこかちぐはぐなものを感じていた。 December 12, 2025
我が国のメイン宗教は仏教だ
異教徒は来るなとか言わないが数少ない異教徒の都合で仏教の教えを遮るのはいかがなものか?
異教徒が仏教国の文化に合わせられないと言うなら別室で食べておけば良い https://t.co/CKd3UiOG5k December 12, 2025
小学生の時、
こども会で行ったナ!
沖縄では平和祈念堂にて、
沖縄の宗教者会議が開かれます。
てか、20年前の情報ですが…
たぶん今も、
キリスト教、仏教、神道、その他の宗教者が平和会議をしていると思います。 https://t.co/oVrv0kHP1e December 12, 2025
娘が道端にある家付き(?)お地蔵さんのことを寺って呼んでるんやけど、参拝用の鈴と賽銭箱もあって見た目の雰囲気どっちかっていうと神社では🤔
って思って調べまくってたら、お地蔵さんは仏教だから基本は寺らしくて勉強になった…でも多分呼び方の正解は祠っぽいな🤣 December 12, 2025
師匠との出会いを通して自ら生き方を変えた弟子がいる。出会いの瞬間、何を感じたのかを詳細に書き残した弟子がいる。
創価学会の不二の師弟、自他共の幸福を目指す生き方を仏教学者・羽矢辰夫氏に伺った。
https://t.co/FaVTfofeLa December 12, 2025
@takenoko0123vs4 大学では仏教と違う事を学び、住職になられてからも、サッカーをやったり、保護司として活躍なさったり、様々な活動をされていて、水田住職は器の大きな方だと感じました。
だからなのでしょうか、家庭連合の事も色眼鏡ではなく信徒達の実態を見てくださって、応援してくださっているのでしょうか? December 12, 2025
「寒月」は、抽象的すぎてどうかと思いましたが、好評でした。
私の心の光厳院が、常に「右へ行くのかい? それでいいのかい? 」と問うてくださる、そんな感覚を句にしてみました。
「仏教では月が仏を暗示するし」とも言われました。
和泉式部の「遥かに照らせ」など、無意識に影響していたか。 December 12, 2025
真理を見ない人々は
自ら老いてゆく身であり
また老いることを免れないのに
他人が老衰してゆくのを見ては悩み
老いることを嫌悪する。
…そういうことは
わたしに相応しくない。
そう思ったとき
青年期にあった壮年と
若さへの驕りがまったく断たれてしまった。
アングッタラニカーヤ
#仏教 #増支部 December 12, 2025
多分「説教が下しぶりを選んで説教責個人の報酬生理にしてる」という願望で同じ答え何度も欲しがり何か説教であるのならば、と思った等でコミュニケーションを仏教関係だと偽る犯理もあり何故か断固と生存犯死守のていだが犯理。 December 12, 2025
12月のクリスマスと、4月8日の花まつり。どちらも聖人の誕生をお祝いする日なのに、この盛り上がりの差は一体どこから来るのでしょうか。
街中がキラキラ輝いて誰もが浮き足立つクリスマスに比べて、お釈迦様の誕生日である花まつりは、あまりに静かすぎます。私たち僧侶としては、もっと多くの人に知ってほしいと願っているものの、なかなか定着しないのが現実です。
よく「クリスマスは商業的になりすぎだ」なんて批判を聞きます。企業がモノを売るためのイベントになってしまっている、と。しかし少し視点を変えてみると、あの騒がしさの中にこそ私たちが学ぶべきヒントが隠されている気がします。
クリスマスの中心にあるのは「プレゼント」です。
誰かの顔を思い浮かべて何をあげたら喜ぶかなと悩み、自分のお金を使って贈り物をする。実はこの行為は仏教でとても大切にされている布施の精神と驚くほど似ていると思います。
布施とは単にお坊さんにお金を渡すことではありません。見返りを求めずに他者に何かを与えること。自分の「欲しい」という欲求を一度手放して、相手のために何かをする。これは執着から離れるための立派な修行の一つです。
そう考えるとある意味では商業化されたクリスマスは、倭国中で何千万という人が一斉に「布施」の練習をしている日だとも言えます。
きっかけはデパートのセール広告かもしれません。でも、「あの人を喜ばせたい」という優しい気持ちが循環しているなら、それはとても尊いことです。
花まつりが勝てない理由は、ここにあります。まぁ別に勝ち負けではないのですが。
お寺に来て甘茶をかけて手を合わせる。それはとても美しい儀式です。しかしながら、そこには「誰かのために何かを選ぶ」という、ワクワクするような布施のきっかけが足りません。
だからこそ、私は真剣に提案したい。「花まつりはカレーを振る舞う日」になればいい、と。花を贈る日でもいいけど、やはりカレー。
なぜ花ではなくカレーなのか。お釈迦様の故郷といえばインド、インドといえばカレー。これほどわかりやすいつながりはありません。でも、理由はそれだけじゃないんです。
カレーという料理には不思議な力があります。自分一人で食べるよりも、大鍋で作って誰かと一緒に食べるほうが圧倒的においしい。「今日はおいしいカレー作ったから食べていきなよ」その一言は、現代における最高の布施になります。
実は今、#4月8日はカレーを食べよう という運動がじわじわと広がっています。
4月8日は「大切な人にカレーをご馳走する日」でもいいわけです。
そうやってスーパーやスパイス屋さんが大キャンペーンをやってもいい。カレールーが安売りされてもいいし、福神漬けが山積みされてもいい。「仏教行事を金儲けに使うなんて」と眉をひそめる人もいるかもしれませんが、その商業的な仕掛けのおかげで、普段は仏教に縁のない人が「今日はお父さんに特製カレーでも作ってあげようかな」と思えるなら、それは立派な仏教の実践です。
入口は賑やかなほうがいい。
むしろ食欲をそそるスパイシーな香りがしたほうがいい。
「自分のため」ではなく「誰かのため」にタマネギを炒める瞬間を、社会の中にひとつでも多く増やすこと。それこそが、お釈迦様が説いた布施の心を現代に蘇らせる、ひとつの道ではないでしょうか。
カレー December 12, 2025
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