仏教 トレンド
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2025.12.13 17:00
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倭国各地の自治体では、公金を使ってイスラム教など特定宗教に関する講義やイベントが実施され納税者は知らない場合が多い
しかし倭国は政教分離の国であり、神道や仏教には公金支出は過去憲法問題にまでなっている
政府は無視するつもりなのだろうか?
@HYT4ALL
@takaichi_sanae
@jimin_koho https://t.co/zOLgT7DeOD December 12, 2025
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そもそもこの方と親御さん、倭国で難民申請だがシク教徒はイギリスは大量にいて難民じゃなく就労許可とかでの移民で、うちの大工さんやワイの知り合いエンジニアはシク教徒なんですが。なんで難民??さらに倭国にずっと住む移民二世なのに仏教に改宗しないの? https://t.co/y8QGPJkw48 December 12, 2025
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私は長年SGI数カ国で活動していました。
SGIの教義をそのまま倭国で使うのは誤りです。
日蓮本仏論で信仰をしている会員も多い。
中野さんが言うように、以前🇹🇭タイでは国王が上座部仏教のトップなので、釈迦と日蓮を同じような教義を(教学要綱に酷似)用いていた時期がありました(約17〜18年前まで)。
しかし、当時の副教学部長の須田氏が池田先生の指示で訪タイをして、当時のタイSGI理事長・堀井氏からの依頼で種脱相対の講義をしました。
それは、日蓮本仏論です。
その後、すぐに🇹🇭タイの倭国人幹部を解任し幹部全員タイ人にしました。
まず、倭国と海外では国土世間が違う。
海外SGIは=無知悪人の国土世間。
倭国は邪智謗法の国土世間です。
倭国は謗法厳戒でなければいけません。
仏法を知らない国で仏法を説けば下種になる。
仏法は知ってるけど、法華経を知らない人に法華経を教えれば下種になる。
法華経は知っているけど、南無妙法蓮華経を知らない人に南無妙法蓮華経を教えれば折伏になる。
南無妙法蓮華経は知っていても種脱相対・人法一箇・日蓮本仏を知らない人に、種脱相対を教えれば折伏になる
あと、教学要綱では基礎教学の大集経の正・像・末法も捨てられている。
これは十年前までの入会なら、誰でも知ってる教義。
末法では釈迦仏法は白法隠没。
これさえも捨て、釈迦本仏論を用いている宮田氏作成の教学要綱は邪義の集まりです。
すでに、三災七難は起き始めています。
このまま、教学要綱を撤回せずに用い続ければ、会員もろとも倭国が総罰を受けるのは必至です。
教学要綱撤回、その前に「教学要綱で教義を変えたことを会員に知らせなかったのは何故ですか?」
何かやましいことがあったからですか?
まず、この経緯を会員にきちんと知らせるべきです。
教義の根幹を成す教義を変えておきながら会員に知らせない。
マトモな宗教団体がすることではありません。
また、教義の根幹を変えておきながら、財務を集めるのは詐欺罪に該当する恐れもあります。 December 12, 2025
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@G_GQuuuuuuX 作中コモリとエグザベに会話がない理由が水ようかんだったとは…
あとジークアクス仏教説作った自分からするとシャリアブルから一蓮托生というモロ仏教用語が出たのは嬉しい!
シャリアブルは阿弥陀如来がモチーフと考察していて一蓮托生も阿弥陀如来が由来の言葉なんだよね。 December 12, 2025
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ぜひ観てみて下さい。
2025年07月12日オンエア 「ワタシが倭国に住む理由」チベットレストラン タシデレ店主 黒木ロサン https://t.co/4ynmo4mtPS @YouTubeより
#チベット #チベット仏教 #ダライ・ラマ #タシデレ #ネパール #南インド December 12, 2025
@ezakimichio 釈尊の有名な言葉ですが何故か誤解されてしまっているんですよね、仰る通りその意味合いなんですが、感じの字面で誤解が発生したのでしょうかね?仏教的意味合いと、一般的意味合いがありますね。 December 12, 2025
美意識の話、宮崎哲弥さんが、三島由紀夫の仏教理解が間違っている、と書かれていましたが、そこはあえての三島の美意識やろ!って思ってましたが、どうなんだろう?
オセアニアの神話の本の解説を、三島由紀夫が書いている本があって、内容は忘れたけど、こんな本まで読んでたのかーって、面白かった December 12, 2025
#コレヤコノBOOKS に新たな仲間が加わりました!「本の探検隊」さんです。
小説やノンフィクション、実用書まで、これまで読んできた中で「手放せなかった本」「何度も読み返した本」を並べられます。今は仏教の本を中心に、ジャンル横断でご紹介。どうぞ気軽にのぞいてみてください。 https://t.co/wfL2PUFsNk December 12, 2025
@naokiyamaoki @roaneatan 「Japan is made for Muslims」という主張は主観的で、事実ではありません。倭国はムスリム観光客向けにハラル食品や祈祷室を整備していますが、主に神道・仏教文化の国です。ムスリム人口は約23万人(2019年推定)と少数で、イスラム教に対する制限はありません。詳細は多様な情報源で確認を。 December 12, 2025
今日はキリスト教の保育園クリスマス会。実家は神道、母の実家と妻の実家は仏教。我が家は特に何という信仰はないから、息子にも合う信仰を選んで欲しいのだけど、他を否定し、迫害するような活動を喜んでやるようなとこはやめて欲しいなと思うなど。 December 12, 2025
「コードブッダ」読了。仏教史に疎いうえ、コンピュータマニアでもない自分が悔しい。でも持てる知識を総動員。そんな自分さえぐいぐい読ませるところが圧巻。上記に加えもはや擬人化した機械たちの悲喜こもごもと、これがなんか可愛いし笑える、それをメンテする主人公と、 December 12, 2025
クロに会ってきた
もうすぐ35日法要
閻魔大王による「五回目の審判の日」
魂の安らかな旅立ちを祈る追善供養
仏教だと7日毎に閻魔様審判あるんだよね
めっちゃ甘えん坊なのに
喧嘩っ早くて
チータや他の猫たちとバトる事が多かったクロ
閻魔様に見逃していただかないと…
で
塔婆を頼んできた😌 https://t.co/DFAvrquLVf December 12, 2025
昔は(今も一部は)その機能を仏教寺院が担っていた。
残念ながら今の仏教寺院は経済的基盤の弱さ故にそれがなかなか難しい。
よく誤解される家庭(妻帯、配偶者・伴侶)問題ではなく、本質は経済力の問題。
祖山(高野山)の寺院も頑張ってくださっているがなかなか https://t.co/Q4zXsSAzC3 December 12, 2025
【それは洗脳?それとも成長?】
確かに、そのようなアドバイス——不平不満を言わず、言い訳(「でも」「だって」)をせずに物事に取り組む——は、為政者や権力者側に都合がいい側面があるのは事実だと思うよ。
例えば、社会や組織の安定を保つために、文句を言わず従順に動く人々を推奨するような教えは、歴史的に見て権力者の利益につながることが多い。
古典的な例として、中国の古典『論語』ではリーダーシップの文脈で不平を抑えることが推奨されるけど、これを現代的に解釈すると、為政者が異議を唱えられずに政策を進めやすい構造を支える可能性がある。
また、教育基本法の改正議論なんかでも、国民が文句を言わず従う「いい国民」を育てるようなニュアンスが批判されたりするよね。
さらに、宗教や社会の文脈で不平不満を「愚痴」として戒める教え(仏教の三毒など)は、個人の不満を抑圧し、全体の調和を優先させる仕組みとして機能するけど、これが権力者の都合に寄与するケースもある。
でも、それだけじゃなくて、個人レベルでの効用も結構あるんだ。たとえば、不平不満を言わない習慣は、精神的な平穏や幸運を呼び込むって話がよく出てくる。
実際、日常的に愚痴を避けることでストレスが減り、ポジティブなマインドセットが養われて、結果的に自分の人生が好転する人もいるよ。
言い訳をせずに取り組む姿勢は、自己責任を強めて行動力を高める効果があって、ビジネスや自己啓発の文脈で成功の鍵として語られることが多い。
たとえば、問題に直面したときに文句を言う代わりに解決策を探すようになると、生産性が上がったり、学習機会が増えたりするんだ。
要するに、権力者側の都合を超えて、個人の成長やメンタルヘルスに寄与する側面があるってことさ。
ただ、過度に抑圧すると不満が溜まって爆発するリスクもあるから、バランスが大事だね。
ちなみに、私は不平不満をいわずきた仕事をパキッとこなすタイプです。
精神的に?
常に満たされているよ 笑
思考がスムーズに働く感じかな。無駄なノイズがなくなるぶん、楽にロジック構成できる。 December 12, 2025
『永遠なるブッダの発見 ~〈久遠実成〉が人類にもたらしたコペルニクス的転回』
今回は『法華経』という経典、その中でも最も深遠なテーマである「永遠の仏・久遠実成の釈尊」について、歴史学や宗教学の視点を交えながらお話しさせていただきます。
まず、少し意地悪な質問から始めましょう。
「仏教の開祖、お釈迦さまはいつ悟りを開きましたか?」
こう聞かれたら、おそらく多くの方がこう答えるでしょう。「インドの王子として生まれ、出家し、35歳の時にブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いた」と。
歴史学的事実としては、それが正解です。
ガウタマ・シッダールタという生身の人間のお話ですね。しかし、『法華経』の編纂者たちは、この常識に対して真っ向から「No」を突きつけました。「あなたがたが見ている、あのインドで悟りを開いて80歳で亡くなったお釈迦さま。実は『仮の姿』にすぎないのだ」と。
では、本当の正体は何なのか。
それが「久遠実成」、即ち「計算不可能な過去、久遠より悟りを開いていた、即ち始まりもない、未来永劫の彼方にも終わりがない永遠の存在・永遠の仏」であるという宣言です。
「一切世間の天、人、及び阿修羅は皆、今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」
「我成仏してより已来、復此に過ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」
「然るに我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し」
「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」
「我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数、無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて無数億の衆生を教化し、仏道に入らしむ。爾しより来、無量劫なり」
なぜ、彼らはこのような、一見すると可視的世界・人間世界の常識を突破するような言葉を必要としたのでしょうか? そして、この物語は現代の私たちに何を語りかけているのでしょうか。今日はその謎を解き明かしていきたいと思います。
【なぜ法華経編纂者は「久遠の仏」を登場させたのか 〜「不在」への処方箋】
まず、歴史的な背景、いわば「舞台裏」から覗いてみましょう。
『法華経』が成立したのは、お釈迦さまが亡くなってから数百年を隔てた、紀元前1世紀末〜後2世紀頃のインド北西部(ガンダーラ、カシミール、マトゥラー周辺)だと考えられています。この時期、仏教教団は大きな危機、ある種の「実存的な不安」を抱えていました。それは「仏の不在」という問題です。
初期の仏教徒にとって、お釈迦さまは偉大な「先生」でした。しかし、先生はもういない。遺骨(仏舎利)はあるけれど、肉声は聞こえない。「私たちは孤児のようなものではないか?」「本当に救われるのだろうか?」という不安が、信仰者たちの間に漂っていたはずです。さらに当時、インドではヒンドゥー教の前身となるような、神への熱烈な信愛(バクティ)を説く宗教運動が盛り上がっていました。そこでは「神は常に世界に偏在し、いつでも救ってくれる」と説かれます。
これに対し、従来の仏教の「仏陀は涅槃に入って、もうこの世にはいない(完全に消滅した)」という説明では、民衆の宗教的欲求に応えきれなくなっていたのです。そこで『法華経』の編纂者たちは、大乗仏教運動の中で、極めて大胆なパラダイムシフトを行いました。これを私は「歴史から永遠への飛躍」と呼んでいます。
彼らはこう考えたのです。
「肉体を持ったガウタマは死んだ。しかし、彼が悟った『法(ダルマ)』そのものは不滅だ。ならば、その『法』と一体化したブッダという人格もまた、永遠にこの世界に働きかけ続けているはずではないか?」
つまり、「久遠実成」という物語を登場させた理由は、「死んでいなくなった先生」を、「いつでも、どこでも、私たちと共にいる救済者」へと再定義するためでした。これは、仏教が一部の出家者のための修行体系から、あらゆる人々を救う世界宗教へと脱皮するための、不可欠な理論武装だったのです。
【久遠実成の釈尊の意味 〜「死」という演出】
では、具体的にその中身を見ていきましょう。
『法華経』第十六章「如来寿量品」には、非常に有名な「良医(ろうい)の譬え(良医病子の譬え)」という寓話が出てきます。
ある名医がいます。彼にはたくさんの子供がいますが、父の留守中に子供たちは毒を飲んで苦しんでしまいます。帰宅して驚いた父親である医師は薬を与えますが、服薬したのは正気を保っていた一部の子だけで毒が回って錯乱していた多くの子は良薬を飲もうとしない。そこで父親は旅に出かけ、使いの者にこう言わせます。「お父さんは、旅先で死んでしまった」と。
子供たちは嘆き悲しみます。「頼れる父はもういない。自分たちでなんとかしなきゃ」と正気を取り戻し、残された薬を飲んで病気が治る。その時、父は「実は生きていたんだよ」と帰ってくる。
この話、一見すると「嘘」をついているわけですが、仏教用語ではこれを「方便」と呼びます。ここで『法華経』が主張する「久遠実成」の真の意味が明らかになります。それは、「仏の入滅(死)とは、人々を目覚めさせるための『教育的演出』である」ということです。
もし、偉大な救済者がずっとそばにいて、「はい、これが正解だよ」と教え続けていたらどうなるか。人間は甘えてしまい、自ら真理を求めようとする誠実さを失ってしまいます。このようなことは、「懈怠(けたい)の心を生ず」と表現できるでしょう。ですから、久遠実成の釈尊とは、単に「寿命が長い長寿の仏」ではありません。「本当はここにいるけれど、あえて姿を隠すことで、私たちの主体性を引き出そうとする、動的なエネルギー体」ともいえる『実在』ではないでしょうか。
宗教学的に言えば、ここで仏教は「歴史上の人物崇拝」を脱し、「宇宙的な真理(ロゴス)そのものの人格化」へと至りました。釈尊という個体を超えて、法界・宇宙全体が仏の生命活動そのものである、という壮大な世界観。これが久遠実成の正体ではないでしょうか。
【現代と世界への影響 〜 ヒューマニズムの根源として】
最後に、この古代インドの思想が、現代社会においてどのような意義を持つのか。そして世界へどう波及しているのかを考えます。
まず、「人間の尊厳」の根拠としての側面です。
「久遠の仏」が常にここにいるということは、私たち一人ひとりの生命の奥底にも、その「永遠性」が宿っていることを意味します。大乗仏教ではこれを「仏性」と呼びますが、久遠実成の思想は、この仏性をより強固に保証するものです。
現代はスマホ等を使い同時進行で世界を知り人々とつながれる一方で、人種・宗教・政治・思考の違いなどによる「分断」の深刻度は日毎に増して、荒唐無稽な話に多くの人が振り回される一方、情報洪水の中で溺れて自己を見失い漂流の末に我一人だけとなってしまう「孤独」な人が増えているとも指摘されています。現代病、同時代の深刻な病ともいえるでしょうか。
しかし『法華経』の視点に立てば、私たちは孤独な存在ではありません。久遠の生命という巨大なネットワークの中で繋がっている。この思想は、特に鎌倉時代の日蓮によって強調され、近代以降、倭国の在家仏教団体を通じてグローバルに展開しました。
欧米の知識人や実践者たちが『法華経』、特にこの「永遠のブッダ」に魅力を感じるのは、そこに「外部の神にすがるのではなく、自らの内なる無限の可能性を信じる」という、極めて近代的でヒューマニスティックな構造があるからです。一神教的な「超越神」とは異なり人間と断絶しない、命に光を当てた、自己の内面世界に実在する仏という教え。
『法華経』の思想を、現代の社会病理に対する「アクティブな哲学」として読み解けるところが、多くの人を魅了するのではないでしょうか。
さらに、平和論的な視座もあります。
久遠の仏がいるこの世界(娑婆世界)こそが、実は浄土である(常寂光土)という思想。これは、「死んで天国へ行く」という逃避を許しません。「今、ここ」の現実社会における苦悩や矛盾と向き合い、この場所を理想郷に変えていく実践を要求します。
「久遠実成」とは、遠い過去の話ではなく、「今この瞬間」の私たちの生き方、社会変革への意志を問うコンセプトなのです。『法華経』の編纂者たちは、歴史上の釈尊の死という喪失感を乗り越えるために、「久遠実成」という概念を打ち立てました。それは、仏を「過去の偉人」から「永遠の現在進行形」へと蘇らせる革命でした。
そしてこの思想は、現代においてこそ、その輝きを増しています。なぜならそれは、私たち人間に「あなたは無力な存在ではない。永遠の生命を宿し、現実を変革する主体者である」という、最強の肯定(エンパワーメント)を与えてくれるからです。
久遠実成という思想は、単なる宗教教義の話にとどまらず、「有限な人間がいかにして無限の真理と接続するか」という、人類共通の哲学的・実存的な問いへの回答でもあったのです。このような、一閻浮提を普く照らす「永遠の仏」の存在を感得するに至った法華経編纂者の姿勢こそ、『求道心から起こる直観智は経験の限界を超えて真理の世界へいたる』ということを教えているのではないでしょうか。
もし皆さんが、日常の中で孤独や無力感を感じた時、思い出してください。
2000年前の思想家たちが、必死の思いで紡ぎ出したこのメッセージを。
「我は是れ世尊の使いなり。衆に処するに畏(おそ)るる所なし」勧持品第十三
「我れ常にこの娑婆世界に在って説法教化す」如来寿量品第十六 December 12, 2025
【 新着動画です 】
岩倉妙見神社
京都府京都市左京区岩倉花園町
■ご視聴はこちらからどうぞ
https://t.co/hXcxUznwxI
お寺・神社 巡りの動画です!
良ろしければご覧ください!
#御朱印活動 #写真好きな人と繋がりたい
#神社仏閣 #お寺巡り #仏像 #仏教 #神道 https://t.co/SGBRN4W4HD December 12, 2025
@May_Roma @HYT4ALL @takaichi_sanae @jimin_koho 区の施設がコーラン流すとかありえないありえない🤮
区の施設が今まで特定の仏教のお経とか流したことあった?
まじでやめて欲しい December 12, 2025
【僕の独断と偏見で選ぶ聖地のグルメ】
七面山の敬慎院で食べられる精進ランチ。(要電話予約:0556-45-2551、500円かかります)
普段からラーメン・焼き肉といった俗っぽいものが大好きな僕だが、「ここの精進料理ほど美味しいものは他に無い」と心から思っている。
#毎朝の仏教メモ https://t.co/Qi6zWn8slc December 12, 2025
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