乗用車 トレンド
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2025.11.28 17:00
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初めて仲間に出会えた
ホイールナット脱落したことは今まで無いし、なんなら緩める時には簡単に緩むから後の作業が楽
塗ると言っても滴るほどではなく、ネジ山が湿る程度
当然テーパー部に塗るのは禁物
ボルト側よりナット側に塗ることの方が多い
なら大型車は塗って乗用車は何故塗らない?議論になる November 11, 2025
ZIL-130のヘッドにひかせるキャリアカー製作開始!!2階建ての基本形はできた〜まだ牽引はできないけど素晴らし...乗用車たくさん作ってよかったー!もっと色増やしたい https://t.co/BqfVH1NeEm November 11, 2025
高速を走ってる乗用車さまに耳寄りな情報
トンネルとか夜間におすすめなんだけど
トラックが追越し車線に出たら少しアクセル緩めて
トラックに抜き切られた頃にライト消してあげてみて
走行車線に戻ってハザードくれるよ!
3回だったら すき♡
5回だったら ありがと♡
だよ!
なかなか嬉しいもんだよ幸せになろう🙌
🤣 November 11, 2025
@fubukino2025 昨日は私の両親と私と夫、そして息子の5人で行ったのですが…
普通乗用車(カローラ・レンタカー)で、私は後部座席の真ん中でした(;・∀・)
めっちゃ狭かったです!!
来年はボクシーをレンタルしようと思いました。
ユニバ!
車で1時間ほどで行けるのですが、もう10数年行っておりませぬ(笑)
6 November 11, 2025
Berkshire Hathawayの副会長であったCharlie Mungerは、カリフォルニア州モンテシートに素晴らしいオーシャンビューの家を所有していた。Mungerは、地元の人々が「Mungerville」と呼ぶゲーテッドコミュニティを自ら設計し、晩年はそこで過ごすつもりだと友人に語ったこともあったが、彼は長年暮らしてきたロサンゼルスの自宅に留まる道を選んだ。その家には、エアコンすら付いていなかった。
彼は海辺で静かに余生を送る代わりに、晩年に大胆な投資を追い求め、意外な友情を築き、新たな挑戦に立ち向かうことに費やした。
2年前、100歳の誕生日を数週間後に控えて亡くなった時、億万長者の投資家であるCharlie Mungerは、その機知と叡智、そして、Warren Buffettと共にBerkshire Hathawayを時価総額1兆ドルの企業へ育て上げた役割によって、全米で最も愛されるビジネスマンの一人となっていた。
亡くなる前年、Mungerは60年間避けてきた人気のない業界に賭けて5000万ドル以上を稼いだ。また、若い近所の住人と組んで大型の長期投資を行うなど、不動産産業も活発化させたが90代の人物としては異例のことだった。
「亡くなる1~2週間前でさえ、『AIの時代にもムーアの法則は当てはまるのか?』といった質問をしていました。」と友人のJamie Montgomeryは振り返り、「亡くなるその日まで、彼の頭脳は動き続けていました。」「彼が学ぶことをやめることは決してありませんでした。」と義理の息子であるHal Borthwickは語る。
ハーバード・ロー・スクール卒で、ロサンゼルスに法律事務所であるMunger, Tolles & Olsonを共同設立したMungerは1962年に弁護士業を辞め、投資に専念する道を選んだ。その後、彼は投資パートナーシップの多くを解消し、1978年にBerkshire Hathawayの副会長に就任した。
MungerはBuffettの参謀かつ意見の聞き役となり、割安株だけにこだわらず、優良企業も買うようBuffettに投資基準を広げることを促した。「ビジネス上の意思決定において、Charlieと私は互いに代替可能な存在だ。」と、Buffettは1982年に語っている。
Mungerは、2023年に22億ドルと評価されたBerkshire Hathaway株を保有していたにもかかわらず、人生の最後の10年間は同社への関与を薄めていた。彼はBuffettとは1~2週に一度話をしていたが、Buffettはネブラスカ州オマハ、Mungerはロサンゼルス在住となっており、しかも2人とも聴力が衰えていたため、コミュニケーションは難しさを増していた。
「2人は互いに叫び合うように話していました。」「本来は内緒話のつもりだったのでしょうが、半径1マイル以内にいる人なら誰でも聞こえるくらいの大声でした。」とMungerの孫の妻であり、晩年のMungerの自宅をよく訪れていたWhitney Jacksonは話す。
Mungerは小売大手であるCostcoの取締役で、同社の大ファンでもあり、亡くなった時点で約1億ドル相当のCostco株を保有していた。また、ヘッジファンド・マネージャーのLi Luが率いるHimalaya Capitalや、ボストンやメルボルンにある小規模な投資会社にも出資していた。
友人らによると、彼は何十年も石炭株にほとんど注目していなかったが、2023年にこれらの企業が彼の目を惹くようになった。石炭の使用量は長期的には減少しており、投資家たちは業界の先行きに暗い見通しを抱いていたが、それでも多くの石炭関連会社は依然として利益を上げており、株価も割安な水準で取引されていた。
世界のエネルギー需要が増える中で、石炭は今後も必要とされ続けるのだとMungerは友人たちに主張し、2023年5月には石炭採掘会社のConsol Energyの株を購入。その年の後半には、製鉄向けの石炭を生産するAlpha Metallurgical Resourcesの株も購入した。
その結果、彼が亡くなる頃にはConsolの株価は2倍になり、Alphaの株価も大きく上昇し、2銘柄で評価益は5000万ドル以上に達していたと友人たちは話す。「彼は非常に大きな賭けに出て、それが見事に奏功したのです。」と義理の息子であるBorthwickは語る。
Mungerは晩年に、もう一つ変わった賭けにも出ている。
2005年、81歳のMungerのところに近所に住む17歳の若者のAvi Mayerが訪ねてきた時だった。Mayerは、モーセ五書がヘブライ語で収められた本をMungerに手渡した。Mayerは「彼(Munger)のことを読んで知っていて、ユダヤ人だと思っていました。」と語る。尚、Mungerはユダヤ人ではない。
Mayerは最近、祖父を亡くし、心に大きな穴が空いていた。そして、学校が上手くいかず苦しんでおり、ADHDと闘い、自分の将来に希望を見いだせずにいた。「友だちは皆大学に進学していくのに、自分だけがそうではありませんでした。」と彼は言う。
Mungerは大学進学を諦めようとしていたMayerを支持し、代わりに「Munger大学」に通うべきだと語った。そして、Mayerは、実際にその道を選んだ。「私は彼の行動を見て彼から学びました。そして、彼は時々私に本を渡してくれました。」とMayerは語る。
その後、Mayerが幼なじみのReuven Gradonと組んで起業し、不動産投資を始めるとMungerは2人の状況を注意深く見守った。
そして数年後、Mungerは若き2人と、その会社であるAfton Propertiesを支援すると申し出た。
2017年頃から、3人は南カリフォルニアでガーデン・アパートメントと呼ばれる低層集合住宅を約1万戸購入し、この種の物件のオーナーとして同州最大規模に成長した。
晩年の数年間、Mungerは物件を買う地域の選定から建築の評価、更にはペンキの色決めに至るまで、彼らのビジネスのほぼあらゆる側面に関わった。現在、37歳のMayerによれば、Mungerは特に造園に強い関心を示し、低密度の建物配置にこだわり、会社が新しい木を植えるために数十万ドルを投じるべきだと主張したという。
他の不動産投資家がすぐに借り換え可能な短期融資を好む一方で、Mungerは有利な金利を確保し、資産を何年も保有することが利益の獲得につながると主張し、MayerとGradonに長期融資を受けるよう奨励した。
この戦略は成功し、事情に詳しい人物によれば、現在、Afton Propertiesが保有する資産の価値は約30億ドルに達しているという。
Mungerは亡くなる直前まで彼らの事業に関与し続けており、カリフォルニア州サンタマリアのビル取得交渉を手伝っていたが、その取引はMungerの死から数日後に成立した。そのビルは、新しいCostcoの向かいにあり、Costcoをこよなく愛したMungerにとって特別な物件となった。
1978年、外科医が白内障の手術に失敗し、Mungerの左目は失明した。彼はそれを補うために、家の中に明るい照明を設置することを学んだ。しかし、2014年頃、右目の視神経に問題が生じた。全盲になる可能性もあったが、よく訪ねていたLi Luによれば、Mungerはその不運を冷静に受け止めていたという。彼は生活を変える決意をし、人に本を読んで貰うなど、様々な手立てを考えた。
右目の状態はゆっくりと回復したものの、彼の身体の動きは徐々に制限されていった。2016年頃には、長年の情熱であったゴルフができなくなり、杖に頼るようになった。
2010年に妻を亡くしていた彼は、孤独と自分が時代から取り残されることを恐れていた。そこで彼は友人たちと過ごす時間を増やし、そのことで気持ちを奮い立たせた。毎週火曜日、通常はロサンゼルス・カントリークラブで、ビジネス関係者など6人ほどと朝食会を開いた。
「彼はいつも『Berkshireの上位5つの投資を取り除いたら、リターンはごく平凡なものになる。』と言っていました。」と友人のJamie Montgomeryは語る。これは、ほんの数回の大きな成功だけで全体の成果が決まるという教訓を示していた。
若い頃のMungerは、気難しく辛辣なところもあったが、今は温かく思慮深い人物となっていた。「私の年齢になると、新しい友人を作らない限り、友人なんて一人もいなくなってしまうのです。」と彼は皆に語った。
とはいえ、Mungerは切れ味を失ってはいなかった。
ある時、Fordの上級幹部が朝食会に参加した際、Mungerは過去25年にわたる同社の製品ライン別の収益性をすらすらと説明し、皆を驚かせた。そして、「なぜあなた方はわざわざ乗用車なんか作っているのか、私には理解できません。」と彼は言い、Fordの利益の大半はトラックから来ているのだと厳しく指摘した。
Mungerは、2024年1月1日に予定されていた100歳の誕生日パーティーを心待ちにしていた。しかし、その頃には彼の健康状態は悪化しつつあり、自身も終わりが近いことを感じ取っていた。
彼が自らの遺したものについて語るとき、彼は自分の成し遂げたことに満足しており、Berkshireの将来についても楽観的だと話していた。「一度ここまで築き上げてしまえば、もうWarrenとCharlieである必要はないのです。」と、彼は友人に語った。「私たちが残したのは、投資を見るための枠組みなのです。」
2年前の感謝祭の夜遅く、死の数日前、Mungerはモンテシート近くの病院に入院した。
彼は家族に病室を出るよう頼み、最後にもう一度だけBuffettに電話をかけ、そして、2人は最後の別れを交わした。 November 11, 2025
こんばんは お疲れ様です
少し前に無事帰宅出来ました
今日は積み込み後にタイヤ屋さんへ行き ミックスタイヤから🚚スタッドレスタイヤへ履き替えに行ってました
その際 📰新聞&広告を読み時間をちぶしてました(笑)
乗用車も12月半ばまでに実家へ行き履き替え予定 https://t.co/Yj74s7Bn96 November 11, 2025
町中走ってると、たまにハイビーム車両いるけど、アホなん?
周りが眩しいって思わん?💢
なぜハイビームのまま走るん?わからんの?ハイビームなってるって気付かないの?💢
どちらにせよ、そーゆー運転手は女が多い。
#町中
#乗用車
#ハイビーム November 11, 2025
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